ここが私の行き着ける精一杯の場所だった。
 そして見るがいい。
 これが・・・・・・



「教皇、湯殿の用意が整いました」

従者が日々私に向けて発する言葉のうちで、一番ほっとするのがこの一言だ。
風呂に入れば一人になれる。
・・・・風呂。
まだ30にもならん働き盛りの私、双子座のサガの、唯一の心の拠り所。
・・・・・・・

「こんな私に誰がしたあああああっっ!!!!」

 ざばっしゃあっ!

「きょ、教皇!?いかがなさいましたか!?」
「入ってくるな!!貴様らに私の気持ちがわかってたまるか!!ええい、散れ!!」

 ざしゅっ!!

「!ぎゃあっ!」

 ・・・・は。また殺ってしまった。
 こんな・・・・こんな湯煙り殺人をくりかえすために教皇になったのではないのに・・・・

「というか、はなから教皇などにはなりたくなかったのだ!罪など犯したくなかったっ!どうしてくれる!?どうしろというのだお前は!!」

 私は思う存分自分に向けて呪いの言葉を吐いた。どうせもう聞くものはいないのだ。衝動的に罪も無い人間を殺めてしまったが、考え様によってはせっかく邪魔者を排除したのだし、この機会を有効に利用して大いに愚痴ろう。十数年にも渡る地獄の生活は、私にある種のポジティブを教えてくれていた。

「お前さえいなければ。お前さえ目覚めなければこんな事にはならなかった」
『俺はお前の欲望を満たしてやっているだけだ』

 私の中の声が答える。暗い、憎悪と罪に汚れた声が。
 私は叫んだ。

「黙れ!人を殺める事など、私の欲ではない!」
『そう善人ぶるから無駄に苦しむ。いい加減俺を受け入れて、一つになってしまえ。そうすればどれだけ楽になる事か』
「何が楽になるだ!私をこれだけ苦しめておいて虫のいい話をもちかけるな!」
『俺が苦しめているだと?ふ、お前が勝手に苦しんでいるだけだろう?』
「しらばくれるなよ。貴様この間の夕食の時、自分から身体を乗っ取っておきながらカラシを口一杯詰め込んで逃げ出したではないか!後を任された私がどれほどの苦痛を強いられたかわかるか!!まさにあれは地獄だったのだぞ!!」
『フフフ・・・知らんなあ』
「あっ、その態度!さては貴様、確信犯だったな!?わざとやりやがったなこの悪魔が!!おのれ、絶対許さん!!今度はまったく同じ手口で、貴様を梅干し地獄に叩き落としてやるからそう思え!!」
『やれるものならやってみろ。しかし、そんな事で私怨を燃やしているよりまず、そこの死体の始末をしなくてはならんのではないのか?』

 あ。
 そうだった。誰かに見られたらまずい事になる。
 フッ、教えてくれて礼を言うぞ、もう一人の自分・・・・・・・

「って、どうして私が貴様に礼を言わねばならんのだ!!」
知るか。お前、俺の他にもう一人人格作る気じゃないだろうな?・・・そんなにストック貯めてどうするのだ?』
ためとらんわそんな腐れたストック!!今ある一つも捨ててしまいたいぐらいだ!!というか、本当に消えてしまえ!!」
『いくらわめいても無駄だ。俺はお前の心に住み続ける』

 そう言って、奴は低く笑った。
 私は頭を抱えた。湯の中に沈み、そのまま水を飲んで死んでしまいたかった。
 だが、私が意志気を失うと、こいつが身体を支配する。
 死ぬ事もできない。眠る事もできない。私に安らぎは来ない。
 誰かが殺してくれるまで。



 シャカの噂を聞きはじめたのはその頃か。
 もちろん、昔から知ってはいたが、私がまだ誰にはばかること無く暮らしていた頃は、彼はまだ幼かった。
 欠けた皿で飯を食い、大仏の前に座って涙を流す、ちょっと風変わりな少年だったのを記憶している。
 今聞こえてくる彼の噂は、「神に近い男」というこれまた風変わりなコンセプトだ。
 一体何を基準にはかって「神に近い」と言い切っているのか謎だが、なんだかすごそうな印象を受けた。
 そんな男が自分の膝下にいる。
 このことは私を半ば期待させ、そして半ば畏怖させていた。
 ごくたまに、呼び出してつまらぬ用を言い付けてみたこともある。特に変わった印象は受けなかった。目を閉じてること以外は。
 ただ少しだけ、冷たいような印象を受けたのは確かだったかもしれない。



  教皇のスケジュールは一般市民が考えているよりハードだ。
 食事から近隣の村の視察、デスクワークに就寝まで、分単位で一日が動く。
 今日はアテネ市民と町角交流する日だった。
 新従者が、「もっと笑って下さい教皇!」とか横から小声で指図してくるが、仮面かぶってんだから笑おうが泣こうが見えやしないということを理解しているのだろうか。
というか、この従者、なんで私が笑ってない事がわかるのだ。
 人々との偽善的な交流や、彼らから発せられる「聖闘士ってなんですか」「教皇は家で何を食べてるんですか」「聖闘士は瓦割れますか」などの質問は、私をとことんすり減らした。こんな馬鹿馬鹿しい疑問、「聖闘士ガイド」の一冊でも作って露天で売れば解決しようものを。
 聖域に戻った後も、しばらくぐったりしていた。
 もう嫌だ。

『つまらんことで音をあげるているな』
「・・・うるさい。疲れたのだ。第一、仮面を通してしか空の光を見る事ができぬ人生に、一体何の意味がある。お前だって、私の事を美しいだとか何だとか言っていたが、顔は仮面の下、身体はマントのしただ。宝の持ち腐れというやつではないか。素顔で表を歩ける日が、一体いつになったらくる」
『アテナを殺してしまえば、全てお前のものになるだろう』

 アテナ。
 私の脳裏に、記憶のままの赤子の姿が浮かび上がった。それをかばう、故人の姿も見えた。
 視界が歪む。

「嫌だ。私は友人を殺したのだ。それで十分だ。二度と、大切なものを失いたくない」
『なぜアテナなどが大切だ?あんな幼子に何ができる。現に、お前が十年以上も苦しんでいるのに、何一つたすけては下さらないぞ。なあ』
「・・・・やめろ」

 うめいた瞬間、鼓動が早くなった。

『殺してしまえ。探し出して、息の根を止めてしまえ。そうすれば楽になれる』
「やめろ・・・・!」
『何もかも、お前のものになるんだぞ』
「やめろと言っている!!」

 口から叫んだ言葉は、誰もいない教皇の間にわんわんと反響した。
 ・・・・・誰もいない?
 いや。
 顔を上げると、部屋の開いた扉の前にいたのだ。
 「神に近い男」、シャカが。


 ・・・・この時の私の気持ちをどう喩えたらよいだろう。
 ナチス支配下のドイツに突如現れた寿司職人を見た心境とでも言えば、いくらかでもわかってもらえるだろうか。こんな時になんの用だよ!?みたいな・・・・
 とにかく全身の血の気が引いた。
 彼は一体どこから聞いていたのだろう?そしてどこまで気づいたのだろう?
 私の、正体に。

シャカ「・・・・・・・・・・・・・・・・」
サガ「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 しばらくどちらとも口をきかなかった。
 シャカは、今日も両目を閉じていた。
 目を見て相手の真意を量ることができず、私は内心とても焦った。
 おのれ、本気で何しに来たのだこの寿司職人・・・(違)
 沈黙に耐え切れず、先に口を開いたのは私だった。

サガ「・・・・・・・・何か、用か」

 対して、シャカは仮面のごとき綺麗な無表情で応じた。

シャカ「・・・・・私は何かしましたか?」
サガ「・・・なに?」
シャカ「『やめろ!』と怒鳴られるほどの事を何かしたのでしょうか。ただ普通にノックをして、普通にドアを開けて、普通に歩いて入ってきただけなのですが」

 嫌味か。
 だが、その方がまだいい。全てが露見するのに比べたら、嫌味だろうが手編みだろうが問題にもならない。

サガ「・・・・・・・・やめろ、と言ったのしか聞かなかったか?」
シャカ「ええ」
サガ「ならいい。お前に言ったのではないのだ。独り言だ」

 ・・・あ、墓穴。

シャカ「?独り言?」
サガ「い、いや・・・・気にしないでいい。そういう癖が時々あるのだ」
シャカ「・・・・・・・・・教皇、何か悩みがあるなら遠慮せずおっしゃってください。お一人で抱え込むと精神に異常をきたします」

 いかん、同情されかけている;

サガ「悩みなど、わざわざお前に話すような事でもない。それより、お前の方こそ私に用があってここへ来たのだろう。さっさと済ませろ」
シャカ「・・・・・私は」

 シャカはごく自然な口調で言った。

シャカ「こちらの方から不穏な空気を感じたので、ご様子をうかがいに来たまでです」

 ・・・・・・・とっさに、言葉を返せなかった。
 私はただ、彼を見詰めていた。射竦められたように。

シャカ「ですが、何事もなかったようで安心しました。この部屋には、教皇お一人しかおられないのですね?」
サガ「・・・・・・・・・そう。私一人だ。別のものの気配でも感じるのか?」
シャカ「いいえ。今は別に」

 今は。

サガ「・・・・・眼を開けてよく見たらどうだ」
シャカ「それには及びません。これで失礼いたします」

 そういって、彼はあっさり去りかけた。
 私は引き止めずにはいられなかった。何か一言でも言って張り詰めた空気を緩和させなければ、もう一人の自分が目覚めて、彼を殺してしまいそうだった。

サガ「シャカ!お前は・・・・・お前はなぜ、目を閉じたままでいるのだ?」

 返事は振り向きもせずに返された。

シャカ「この世には見るに耐えないことが多すぎるからです」

 そして、扉が閉じた。



 しばらくは彼に会わなかった。
 それどころではなかったのだ。
 私が自分自身をもてあましている内に、アテナが目覚めはじめていた。
 彼女は青銅聖闘士達を味方につけたという。
 その青銅聖闘士とやらについて情報を集めたところ、実は100人兄弟であるとか、2回死んでも生き返るとか、マーマをけなすと強くなるとか、15もサバをよんでる兄貴がいるとか、得体の知れない噂ばかりが集まった。
 あなどっていいんだか悪いんだかさっぱりわからない。
 ただ、星矢のことだけは知っていた。あの少年に聖衣を授けたのは他でもない、この私なのだから。
 彼なら、ここへ来るかもしれない。
 私に裁きを下しに、この教皇の間まで来るかもしれない。
 そう考えたとき・・・・・・私は初めて純粋な恐ろしさを感じたのだった。



 ・・・つくづく思う。教皇とは、一体何なのだろうと。

カシモド「きょ・・・教皇様、わ・・・私は罪深い人間です。自分のおかした罪が恐ろしい・・・死ぬのがこわい・・・」
サガ「カシモドよ、この世に生まれてひとつも罪をおかさずに死んでいく人間などひとりもいません・・・」

 別にカシモドが嫌いなわけではない。というかカシモドの存在など、今朝従者に言われて初めて知った。
 そういうことではなく、なぜ一般市民の臨終場面にまで私が立ち会わねばならんのか・・・

カシモド「こわい・・・・こわいのです、教皇様・・・・!」
サガ「何をそんなに恐れるのです、カシモドよ。あなたが一体どんな罪を犯したと?」
カシモド「私の犯した罪・・・・う、放火3回、誘拐5回・・・」
サガ「安らかに眠りなさい」

 ・・・カシモドはあの世へと旅立っていった。
 「死んでしまえ」と言えないところがこの職業の辛いところだ。
 彼の家を出て帰途につきながら、とりあえずこのことは忘れるように努める。

サガ「・・・・・・・・・・・罪、か」

 今朝、私はアイオリアに星矢達の抹殺を命じたのだった。
 日頃「謀反人アイオロスの弟」として蔑視されていた彼は、何も知らず、命ぜられるがままに聖域を発った。
 ・・・・・真の謀反人は私だというのに。

『また、自分を蔑んでいるようだな』

 心の中で、黒い声が言った。
 体に悪寒が走った。

「・・・・・うるさい。蔑みなものか。これは・・・これは懺悔だ。私はいっそ、自分で自分の命を絶ちたい」
『できるものか。保身のために青銅聖闘士達を殺そうと企むお前に』
「私ではない!あれはお前が・・・!」
『いいや、私ではない。あれはお前がやったのだ。サガ、お前がやったのだぞ。卑怯で臆病者のお前がやったのだ』
「違う!」
『違わない』
「違う・・・・っ!!」
 
 道を行く人々が奇異の眼で私を眺めた。
 それに気づき、慌てて口を閉じる私に、奴はなおも繰り返しささやきつづけた。

『ほら、そうやってまた人を騙す』

サガ、お前はやはりそういう人間なのだ、と・・・



 翌朝、アイオリアが帰って来た。
 彼は殺気立っていた。
 そして言った。アテナにあわせろ、と。
 ああ、とうとう・・・・とうとうこの日が来たか。

サガ「・・・アテナは誰にもお会いにならん。用があればすべてわたしがとりつぐ」
リア「邪魔をするならあなたを倒してでもお目にかかる!」
サガ「正気かアイオリア」

 なぜ、自分がこんな問答をしているのかわからない。
 さっさと自ら化けの皮をはがしてしまおう。そうすれば、全てをここでおわらす事ができる。
 だが・・・・

サガ「黄金聖衣もとりかえさずにおめおめと戻り、なおかつわたしをたおしてでもアテナにあうなどと・・・」

 だがどうしてもできない。
 何かが胸につかえてどうしてもできない。
 私の中の私の仕業なのか。それとも私本人の臆病がそうさせるのか。

サガ「やはりお前は逆賊アイオロスの弟!兄弟の血はあらそえん、二人してアテナに牙をむけるか!」
リア「だまれ教皇!逆賊はあなただ!」

 逆賊は私。
 その言葉を自分以外の声で聞いた瞬間、意識が遠のいた。
 アイオリアが何かを言っている・・・・・しかし聞こえない・・・・・・
 聞こえたのはもう一人の自分の声だけだった。

『そうかアリオリア。おまえ、知ったのか。真実を・・・・ならば生かしておくわけにはいかん』

 やめろ!やめてくれ!
 私は叫んだつもりだった。
 腕が勝手に動き、アイオリアを吹き飛ばした。

『とどめだアイオリア!』
リア「くっ!」
 
 彼はとっさに応戦した。
 拳と拳とがぶつかり合い、すさまじい空気の渦を部屋に作り出す。
 私は叫びつづけていた。自分に向かって。
 抵抗をするな。このまま終わらせてくれ、と。
 13年間自分で死ねなかったのだ。誰かに殺してもらうしかないのだ。だから。
 だから・・・・・・

シャカ「やめなさい、アイオリア」

 聞き覚えのある声がしたのはその時だった。



 もはや寿司職人どころのはなしではない。
 沈没寸前のアトランティス大陸のど真ん中でマッチを売りはじめた少女を見た心境だ。いや、そんなもん見たことはないのだが、何するつもりだお前!みたいな感じがどことなく・・・
 シャカは私には一瞥もくれること無く、アイオリアの前に立ちはだかる。

『よいところへ来たシャカよ!たおせ!逆賊アイオリアをうて!!』
シャカ「・・・アイオリアよ、とにかくこの場は引け。さもなければ私は勅命に従い、君を倒さねばならん」
リア「ひかぬ。アテナ神殿へとおるまでは!」

 ・・・嘘だ。シャカよ、嘘だ。
 お前はわかったはずだ。ここにいるのは教皇なんかではないと。
 神に近いとすら言われてるお前に、今それがわからぬはずがない。なのにどうして、アイオリアを止めようとする・・・?
 支配している悪の自分を押しもどそうと懸命に抗う私の前で、二人の黄金聖闘士は睨み合い、ついに殴り合いを始めた。
 やめさせなければ。こんなことはもう、やめさせなければ。
 それだけを念じ、しかし私は念じるより他に何もできなかった。
 気がつけば。
 『私』はアイオリアを魔拳にかけ、完全に彼でなくしてしまっていたのだった。



 アイオリアを部屋から去らせると、私はシャカと二人きりになった。
 彼は沈黙している。
 私は教皇の椅子に体を預けたまま、仮面の内側で泣いていた。

サガ「・・・・・・・・・なぜだ」
シャカ「・・・・・」
サガ「なぜ入ってきた・・・・・なぜ放っておいてくれなかった」

 彼も知ったはずだ。私がどういう人間か。

サガ「感じただろう?私がどれだけ邪悪な者か。それなのになぜ・・・なぜお前は止めに入ってきたのだ!!」

 慟哭し、仮面を投げ捨て、シャカに歩み寄ってその肩をわしづかんだ。もう、どうなってもかまわない。
 誰かにたすけて欲しかった。

サガ「眼を開けて見るがいい!!これが貴様らが長年あがめ奉ってきた教皇の顔だ!悪にまみれた反逆者の顔だ!!貴様もそれを知ったろう!?なぜアイオリアを止めた!!なぜ彼と共に私を殺さなかったのだ!!殺してくれなかったのだ!!」
シャカ「・・・・・・・・・・」
サガ「黙っていないで何とか言え!!」
シャカ「・・・・・・・・・・・」

 彼は長い間沈黙していた。
 瞼は、やはり閉じられたままだった。

サガ「・・・・・・・何とか・・・・・・言ってくれ・・・・・」

 ほとんど彼の肩に顔を埋めんばかりにして、私はうめいた。
 するとようやく・・・・ようやくシャカが応えてくれた。

シャカ「・・・・・・・・・・・・・・殺して欲しいなら、強くなることです」
サガ「・・・・・・・・・?」
シャカ「私は、弱者に対する哀れみなど持ち合わせてはおりませんので」
サガ「・・・・・・・・・・弱者だと・・・・?」
シャカ「弱者です」

 私は彼の顔を見た。
 これほどまでに無垢で刻薄な男の顔を、見たことがないと思った。

サガ「・・・・・・殺してくれと頼む人間を殺してやるだけの慈悲も、お前にはないと・・・・?」
シャカ「ええ」
サガ「・・・・・・・・・残酷だな」
シャカ「死をもってしか救われぬと考える者を、私は軽蔑します」

 シャカはきっぱりといった。

シャカ「あなたなら強くなれるはずだ」
サガ「・・・・・・・・・」
シャカ「弱者は嫌いです。彼らは人に頼り、己で克服するということをしらない。そして追いつめられればすぐに死ぬことを考える。・・・・そんな者に与える慈悲はありません」

 私の腕を振り解く。
 そして、去っていこうとした。
 
サガ「・・・・シャカ」
シャカ「なんです」
サガ「人は・・・・・・どんな者でも弱者になる瞬間がある」
シャカ「いいわけですか」
サガ「何とでも言うがいい。お前もやがて、そうなる」

 そうなって初めて彼は知るだろう。
 弱い者の慟哭を。



 それから後、彼には一度も会わなかった。
 そんな暇は一切許されなかったのだ。数日していきなりアテナが聖域に乗り込んできたのだから。
 彼女は着くや否や胸を刺されて意識不明という、味方にとっては足手まとい極まりない状態に陥ったが、そのおかげで青銅聖闘士達は奮起したようだ。
 私の目と鼻の先で、次々と黄金聖闘士達が倒されていった。
 ひとつひとつ、指を折って数えていく。あといくつで、自分の番になるのか。
 私は落ち着いていた。怖くなかったといったら嘘になる。だが、逃げようとは思わなかった。
 ・・・・数えていた指を片手分使ってしまった頃、シャカが倒されたと聞いた。
 信じられなかった。
 報告してきた雑兵の話では、
「ほとんど反則な男にやられた」
ということで、一体何が起こったのだかさっぱりわからなかったが、しかし私は狂ったように笑った。
 彼が死ぬわけはない。必ず生きて帰ってくる。
 そう確信していた。
 



 長い長い間の苦痛を、ようやく終わらせることができる。

星矢「教皇!!お前が教皇か!!」
サガ「よくここまでたどり着けたな、星矢」

 出迎えのつもりで、私はマスクを取る。
 もう何も隠す必要はないのだと、それだけが嬉しい。
 自分の中で急速に膨らんでいく憎悪を、きっとこの少年はうち滅ぼしてくれるだろう。

――――――――人に頼り、己で克服するということをしらない。

 シャカの言葉が耳に蘇ったが、それはもうひどく遠かった。
 私は、弱者だ。



 それからのことは、おぼろげになっている。
 私は星矢と私闘を演じ、かけつけた「反則な男」にすこしばかりうろたえたものの、結局その男を宇宙の塵になるまで吹き飛ばした。
 そして星矢が私を倒し・・・・・・・・・
 戦いの痛みも記憶も、もはや色褪せてきた。
 鮮明なのはただ、私のなかの憎悪が消え去る一瞬に見えた、あの目の眩むような光だけだ。

サガ「・・・・・・・・」

 私は今、聖域の崩れかけた石段に立って、待っている。
 意識を取り戻したアテナが、ここへ上がってくるのを。
 一言だけ詫びたかった。
 詫びて・・・・・・・その後。せめてもの、償いを。
 満天の星空を見上げ、ようやく心から微笑むことができる。



 ここが私の行き着ける精一杯の場所だった。
 そしてシャカよ、見るがいい。
 これが弱者の死に様だ。


×                 ×                  ×                   ×



ムウ「・・・・・・・シャカ」

 声をかけられたが、振り返らなかった。振り向かずとも、何を言いに来たのかはわかる。

シャカ「・・・・・・死んだのか」
ムウ「ええ。・・・自分で、自分の胸を突きました」

 シャカは想像しようとしてみた。
 サガの最後の姿を。

シャカ「・・・・・・・・・」
ムウ「・・・一番苦しんでいたのは、彼だったのかもしれないと思いました」
シャカ「・・・・・・ムウ」
ムウ「はい」
シャカ「私は・・・・・・・私には本当に彼が正義に見えたのだ」
ムウ「・・・・・・・・・」
シャカ「正義である彼が、ずっと闘いつづけているようにしか見えなかったのだ。だから」

 シャカの背中が、少しばかり丸まった。

シャカ「だから・・・・・・・・負けてほしくはなかった」

 もっと強くあって欲しかった。自分自身の悪に、負けないほど強く。

シャカ「私は弱者に対する慈悲など持たぬはずだが・・・・・・・なぜだか、泣けるものだな」
ムウ「シャカ・・・」
シャカ「・・・・・・・・・・・・・・たすけてやればよかった」

 後にも先にも、彼が後悔の台詞を呟いたのはこの時だけであった。
 



 もしも、とシャカは思う。
 もしももう一度、彼が生を受けてこの世に蘇ることがあったら。
 そしてもう一度、道を迷うような事があったら。
 その時はこの眼を開き、自分の一命を賭して、必ずや救ってやろう。
 たとえどんな犠牲を払ったとしても。
 
シャカ「・・・・・・・・だが、あなたはもう道を間違いはしないだろうな」

 サガのいるはずの天空に向けて、シャカは呟いて、そっと笑った。



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