氷の聖闘士などいなくなってしまえ。
それが今のミロの偽らざる気持ちであった。
日本でのバイトから早七日。
彼は現在、シベリアの極寒の中にいる。
聖域の財政維持のため星の子学園でバイトをし、敷地の破壊と生徒の致死未遂を重ねた挙げ句、一日持たずにクビになった後。ミロはさっさとギリシアへ帰る事にした。
聞けばカミュも氷河を連れてすぐに「帰る」という。
だからミロは、それなら俺も一緒に帰ると言って、面倒な飛行機のチケット取り等を全て彼に任せてしまったのだ。
・・・・・・・・・自分がうかつだったのは分かっている。
面倒くさい事を全部友人に押し付けたのも悪かったとは思っている。
しかし・・・・・しかし!
何の疑いもなく乗り込んだ飛行機が、時速400キロでギリシャから90度の方向に向かっている事を知った時のミロの心境はいかんともしがたいものがあった。
「降ろせ!帰せ!」
と叫んで暴れてスカーレットニードル。とうとう臨席の友人の手によって冷凍されて、気がついた時には凍てついた大地を踏んでいた。しかも、すでに列車を乗り継いで人里離れた魔境にまで来ていた。
「次に汽車があるのは一月後だ」。しれっと言った友人をどれほど恨んだか分かりはしない。
この、毎日のように猛吹雪が起こる大自然の脅威の中であと二十日以上。
地中海のあったかい地方に生まれ育ったミロにとっては、それは修行と言うより拷問に等しかった。
「もう嫌だ!!俺はギリシャへ帰る!!」
八日目の朝。朝昼晩夜食あわせて30回目の煮込み料理が乗ったテーブルを見て、ミロはとうとう絶叫した。
カミュ「そうイラつくのも腹が減ってるからだ。朝食を済ませば気も落ち着くぞ」
ミロ「落ち着くものか!!俺が食いたいのは乾いた飯だ!!オレンジが食べたい!ワインが飲みたい!!とれたてのシーフードが食べたい!!そして何より、もうボルシチは食いたくない!!」
氷河「ミロ。せっかくカミュが作ってくれている料理なのに、どうして文句を言うのだ」
ミロ「どうして文句をいわんのだ貴様。毎日毎日、飯と言えばボルシチばっかり・・・」
カミュ「ボルシチだけではない。シチューだって作っているだろう?」
ミロ「ミルクが入っているかいないかの違いだけではないか!!味は全部塩コショウ!!もういい!昼飯は俺が作る!!」
カミュ「それは構わんが・・・・台所にはイモと人参とタマネギしかないぞ。肉は豚があるが、油気がない上に奥まで凍り付いている。若干古くなってもいるからよく煮込まないと食えたものではないぞ」
ミロ「なんなのだそのボルシチ専門の品揃えは・・・本気でこんなところにいたくはない。帰る!俺はギリシャに帰る!!」
だが、そういうミロの気持ちを見越したかのように、それから一週間ぶっ続けで猛吹雪が吹きすさびまくった。外に出るどころかドアを開けただけで凍死しそうな風が吹きつける。
石造りのぼろ屋は隙間風もひどく、ミロは毛布にくるまって暖炉の側に張り付く日々を送った。
氷河「おい、大丈夫か?ミロ」
聖域であれだけ元気だった男が一日中うずくまっている有り様を目にして、さすがの氷河も心配になってきたらしい。
ミロ「寒い・・・・どうしてこんな寒いところに来てしまったのだ俺は・・・」
氷河「それはお前が俺達と一緒に帰るなどと言うから・・・」
ミロ「帰ると言えば聖域に決まっているだろう!?どこの馬鹿がシベリアに強制収容されると思う!!俺は朝起きて『今日はマイナス20度か。上着は要らんな』などと言う常識外の会話をする土地には金輪際来たくなかったのだ!!」
氷河「そんなに寒いなら、台所の冷蔵庫(ここでは暖房器具となる)を持ってきてもいいぞ?」
ミロ「だからそういう会話が間違っているというのだ!!」
氷河「しかし、いまさら言っても始まらんだろう。汽車はあと2週間待たないと来ないし、この程度で動けなくなっているお前ではとうてい徒歩で帰れるわけもないだろうし」
ミロ「地中海の太陽が見たい・・・・・・・いかん、帰りたくて泣きそうになってきた」
ミロがはなを啜り上げた時、カミュが部屋にやってきた。
友人の様子を見、ためいきをつく。
カミュ「すまんな、ミロ・・・・また私のせいでお前に迷惑をかけてしまった」
ミロ「・・・・・う・・・・・・・・いや、いいのだ。自分でしっかりしなかった俺も悪かったし、2週間待てば汽車もあるし」(←いい奴)
カミュ「その事ではない。実はさっきまで暖炉にくべる石炭を買い出しに行っていたのだが、戻ってくる途中で橇の運転を誤り、全て海の中にぶちまけてしまった」
ミロ「・・・・・・・・・・・・・・で・・・・・?」
カミュ「いくつか拾える分は拾ってみたが、それと今保存している分をあわせてもあと三日もたんようだ」
ミロ「・・・・・・・・つまり三日後には暖房がなくなる、と・・・・・」
カミュ「そうなる。もう一度買い直そうにも、市が立つのは一月後だ。災難だと思ってあきらめてくれ」
ミロ「それは俺に死ねと言う事か!?火の真ん前にいても凍えているというのに、火が無くなったら俺の方が3日もたんわ!!」
氷河「情けないぞ、ミロ。この程度の寒さなら、コートを着込めばなんとかなる」
ミロ「お前らだけだ!!大体カミュ、この吹雪の中半袖を捲り上げて買い出しとは、お前の温度感覚はどうなっているのだ!!」
カミュ「俺にしてみればどうしてお前がそこまで寒がるのかという方が分からん。氷河は別に寒がっていないし・・・」
ミロ「氷河が寒がっていたら俺はもう死んでいる!どうしろと言うのだ三日以降!?」
カミュ「うむ。さすがに私も友人を見殺しにするわけには行かんからな。吹雪きがひどくなってきたが、とりあえず近くの原生林に薪を切り出しに行ってくる。氷河、お前も手伝ってくれ」
氷河「わかりました」
ミロ「あ、おい・・・・・・・」
氷原の貴公子二人は吹雪の中へ出ていってしまった。シャツ一枚で。
残されたミロはしばし眉根を寄せて爪を噛んでいたが・・・・
ミロ「・・・・・っ!」
もとより友人の苦労を黙ってみていられる性分ではなかったため、やはり後を追って飛び出していったのだった。
シベリアの原生林は寒いどころの話ではない。
ミロ「・・・・・・・・・・」
氷河「おい、ミロ!ミロ!駄目です、カミュ。意識を失いかけている」
カミュ「だから大人しく家で待ってろと言ったのに・・・本当に、何かしていないといられない奴なのだからな」
半分呆れながら、まあそんな友人が可愛くもあり。
しかし、こんなところで可愛がっている場合ではない。
カミュ「ミロ!起きろ!眠ったら死ぬぞ!」
ミロ「・・・・・・・・・」
カミュ「眠ったら死ぬと言っているのだ!!ギリシアに帰りたくはないのか!?」
ミロ「う・・・・・・・・」
頬を叩かれて気を取り戻すミロ。
なんとか凍り付きかけた全身に力を入れて立ち上がる。
ミロ「すまん・・・・大丈夫だ」
カミュ「無理はしなくていいのだぞ。ここで凍死されても困る。眠くなったら遠慮しないで家に引き返せ」
ミロ「しかし室内だって常人が寝たら一発で死に至る温度ではあるからな・・・・大丈夫だ。要するに眠らなければ良いのだろう?いい考えがある」
カミュ「?」
ミロ「こうするのだ・・・・・スカーレットニードル!!」
叫ぶなり、ミロは爪を伸ばし、自らの肩を貫いた。
ミロ「フ・・・・かなり痛いから、こうしておけばさすがに眠りはせんだろう。全身を蠍の毒が駆け巡るようだが、むしろ寒さを忘れさせてくれる分、ありがたいといえるかもしれん」
氷河「そんなに嫌か。寒いのが。俺達も変かもしれないが、お前も相当変だ;」
ミロ「むう、また眠くなってきた。スカーレットニードル!」
カミュ「・・・・どうでもいいが、アンタレスを撃つ前に帰るんだぞ。凍死以前の問題だからな」
幸いな事に、仕事が比較的早く済んだため真紅の傷痕は9つにとどまった。
カミュ「これ以上撃たせると廃人になるからな。帰るぞ、ミロ」
ミロ「う・・・・ああ」
シベリア強制収容から3週間。ミロはすっかりやつれていた。
片寄った栄養と地獄のような寒波とスカーレットニードルの後遺症のせいである。
吹雪はおさまったものの、体力的に脱出は不可能であった。
ミロ「汽車が来るまであと一週間か・・・・ああ、帰りたい帰りたい帰りたい・・・」
ホームシックも併発している。
氷河「・・・どうします、カミュ。後一週間、ミロは持つんでしょうか」
カミュ「最近では物も食べなくなってきたからな・・・寒さで夜も寝られんようだし。可哀相に。なんだか見るのも不憫になってきたから、いっそフリージングコフィンにかけて苦しみを終わらせてやろうか」
氷河「いや、それはさすがに・・・・経験者として言いますが、あれは結構シャレになりません。やめておきましょう」
二人がミロを気遣いつつひそひそと話しをしていたその時だった。
「おじゃましますよ」
落ち着いた声が聞こえて、部屋の中に一人の男が現れた。
長い薄紫色の髪に平安眉毛。そこまで言えば誰でも分かる、牡羊座のムウであった。
三人「ムウ!」
ムウ「こんにちは。なんだかミロの小宇宙が消えかけていたので気になって来てみたのですが・・・ミロ。あなたまた随分苦労した顔してますね・・・」
ミロ「ムウっ!良く来てくれた!頼む!!俺をここから連れ出してくれ!もういやだ!雪も氷も煮込み料理も!!」
ムウ「・・・・・・何があったのか聞くまでもない訴えで。もちろん私はそのために来たようなもんですから連れ帰ってあげますけど・・・・いいんですか、カミュ?」
聞かれたホストは静かに肯いた。
カミュ「ああ。淋しくなるが、仕方がない」
ムウ「だそうです。お許しが出ましたよ。良かったですね、ミロ。ほら、しっかりつかまって」
言われるまでもなく、ミロの両手は「二度と放すもんか」と言わんばかりにムウのマントを引っつかんでいる。とにかくギリシアに帰りたい一心なのだ。
ムウ「じゃ、行きますよ」
・・・ムウがテレポーテーションする間際、一瞬だけ彼はカミュの方を見やった。素直な瞳に、もうしわけなさそうな色が浮かんで。
そして彼の姿は消えた。
カミュ「・・・・・・・・」
氷河「行ってしまいましたね」
カミュ「うむ、ひどい思いをさせてしまったな。どうも我々とかかわると彼にはろくな事がないようだ。・・・私などと友達でいない方がいいのかもな」
氷河「そういう風に思う男ではない気がしますが・・・・シベリアが間違いなく嫌いになるだけで」
残された二人がそんな事を話している間、テレポーテーションの真っ最中のミロとムウは次元の間を潜り抜けつつ会話をしていた。
ムウ「大丈夫ですか?あなた、そんな目ばかりにあっているのにどうしてカミュに付き合うんです」
ミロ「付き合ったのではない!付き合わされたのだ!でも、あいつに悪気はないし、俺も悪かったし、今度カミュが聖域に戻ってきたら謝りに行かねばならんと思う」
ムウ「・・・・・・・そこまでやつれさせられたあなたの方が謝るんですか。ほとほと良い人すぎて涙が出てきますよ。・・・・はい、つきました」
聖域に帰りついたミロ。まずその気候の温かさに感激した。
ミロ「雪がない!氷もない!地面に色がついている!ああ、俺は帰ってきたのだ・・・!」
ムウ「はいはい。そんなところで泣いてないで。自分の宮まで帰れますか?無理そうならわたしのベッドを貸しますけど、休んでいきますか?」
ミロ「すまん、恩に着る・・・・」
ムウに寝床を貸してもらったミロは、すぐに布団にまるまって寝入ってしまった。
よっぽど疲れていたらしい。
やれやれとムウが肩をおろしているところへ、近隣の町の見回りを終えて帰ってきたサガが上ってきた。
サガ「ムウ。通らせてもらうぞ」
ムウ「もちろん構いませんけど、静かにして下さいね。ミロが寝ているので」
サガ「ミロが?帰って来たのか」
そっと寝室をのぞくサガ。
すやすやと上下している金髪が見える。
ミロ「・・・・・・う・・・・・もう食えん・・・・・・」
サガ「フ、なかなか可愛い寝言を言っているな」
ミロ「・・・・・・・・だからもう嫌だと・・・・・・・・ぼるしち・・・・・・・うーん・・・・;」
ムウ「・・・・いや。かなり悪夢だと思いますよこれは。眉間にシワが寄ってますし」
サガ「そうなのか・・?」
二人の同僚が見守る中、ミロは眠りつづけた。
夢の中で、残ったシベリア生活一週間分をすごしながら・・・