〜聖衣獲得編〜

パターン1・蟹の場合。

アルベ「いいか、良くみておけよ」

 アルベリッヒがそう言って静かに目を閉じ、小宇宙を高めると。
 彼の目の前のに変化が起きた。
 黒い土がモクモクと動き・・・・ポン!

デス「おおっ!芽が出た!さっき撒いたばっかりなのに!」
アルベ「フッ、こんなものは序の口だ。見てろよ・・・・・そら!」

 パン、ポン、パッ!

デス「!!すげえーっ!もう花が咲いた!」
アルベ「ふはははは!それだけではないぞ、これでどうだ!!」
デス「!!?うおおおおマジかよ!?先生すげぇよ!!俺初めて見たよ、アサガオのタップダンスなんて!!」

そりゃそうだ。

デス「どうやるんだ!?なあ、どうやるんだ!?」
アルベ「フン、我がアルベリッヒ家に伝わる秘術をそう軽々しく教えられるか」
デス「いいだろ、俺先生の弟子なんだからさ!」
アルベ「甘い。タップダンスとチャールストンの区別もつかん奴がネイチャーユーニティーをモノに出来ると思うな」
デス「・・・・未来から来たっつってる割には古いダンスをやらせてるなあんた・・・・・」
アルベ「黙れ」

 アルベリッヒがシチリアに来てから、既に二ヶ月が経過していた。
 最初は稽古をつけてやる気などさらさら無かったのだが、どうもこのデスマスクという少年が中々に下僕上手な奴で、いい感じに彼の自尊心をくすぐる言葉を吹き込んで来るので、思いもかけずみっちりと基礎訓練をつけてしまったのだった。
 そして先ほど、
「先生、先生ってなんかすげえ技とか持ってねえの?強い聖闘士なら持ってるよな?普通持ってるもんだよな?常識だよな?」
と吹きかけられてネイチャーユーニティー実演に至ったわけである。
 アルベリッヒ、結構ちょろい。

デス「いいよ、教えてくれないんだったら俺、自分でできるようになるもんな」
アルベ「お前ごときがそう簡単に身につけられるものか」
デス「できたらどうする?」
アルベ「・・・生意気な。まあいい、やってみろ。このアサガオの花を明後日までに10個に増やすことができれば、もっと高度な技を教えてやる」
デス「よーし!」

 デスマスクは鉢を抱えると嬉しそうにニっと笑った。
 
 翌々日。

デス「・・・・先生」
アルベ「ん?どうだ、できたか」
デス「いや・・・あの・・・・・全部枯れました」
アルベ「!?全部枯れました!?たった二日で枯らしただと!?」
デス「か、枯らしたんじゃねーよ。枯れたんだもん」
アルベ「枯れたんだもんではないわ!!かわいこぶるな!水をやらなかったんだろう貴様!!」
デス「やってたよ!ちゃんと世話して、小宇宙も送って、育てようとしたのに枯れたんだよ!」
アルベ「そんなわけがあるか!」
デス「ほんとだって!!」

 しかしアルベリッヒは信じなかった。このガキ、水をやらなかったに違いない。

デス「先生、ほんとだってば!」
アルベ「・・・フン、もういい。所詮お前は俺の弟子には向いていなかったということだ」
デス「そんな・・・・待て!もう一回!もう一回チャンスくれ!」
アルベ「・・・・」
デス「先生!」

 デスマスクは食い下がった。アルベリッヒは舌打ちを一つすると、今度は彼に園芸屋によくある紙の平べったい袋に入った花の種を渡して言った。

アルベ「・・・・これを育ててみろ。素人がやっても1週間で芽が出るはずだ」
デス「わかった!」

 少年はしっかり頷いた。
 ・・・・しかし。
 2週間たっても一つも芽がでない。

アルベ「・・・まだか?」
デス「ま、まだ」
アルベ「ちゃんと世話してるのか?」
デス「してるって!」

 必死に主張する通り、確かに彼はちゃんと世話をしていた。一日一回適量の水をやり、日に2回は自分の小宇宙を送り込み、日当たりの良い場所に置いている。
 これで芽の出ない方がおかしい。
 アルベリッヒは眉根を寄せた。

アルベ「妙だな」
デス「不良品つかまされたんじゃねえの?この種」
アルベ「・・・・・出かけてくる。留守番をしていろ」
デス「クレームつけに行く気か?」
アルベ「阿呆。調べ物をしてくるだけだ」
デス「あ、そう」

 とまどう弟子を残して、彼は足早に去って行った。

 その夜。
 帰ってきたアルベリッヒはいつになく困惑したような顔をしていた。

デス「お帰り!」
アルベ「うむ・・・」
デス「何を調べてきたんだ?」
アルベ「いや、お前の・・・・・と、その前に、芽は出たか?」
デス「・・・・・・・・・まだ」
アルベ「そうか。来い」
デス「?」

 デスマスクをつれて種を植えたプランターまで来ると、アルベリッヒは弟子が止めるまもなくさっさと土を掘り返した。

デス「!」
アルベ「見ろ」

 中に埋まっていた種は、全て朽ちていた。

デス「・・・・・・なんだこれ」
アルベ「日当たり良好、水分適当、肥料は適量、種は良品。こうなるとお前の小宇宙に問題があったとしか思えん。それで調べてみたんだが」
デス「うん?」
アルベ「お前の誕生日は6月24日。蟹座の星の元に生まれついている」
デス「うん」
アルベ「蟹座にはプレセペという散開星団がある」
デス「ぷれせぺ?」
アルベ「そう。それは中国では積尸気といって、地上の霊魂があの世へ通る道となっている。つまり、蟹座は死を司る星座と言っていい」
デス「・・・・・・だから?」
アルベ「だから・・・」

 アルベリッヒはすこしばかりためらった後、それを口にした。

アルベ「お前の小宇宙は物を死なせることしかできんのだ」

 ・・・・・・その意味を少年が飲み込むまでには一晩がかかった。
 そして夜が明けてみると。
 デスマスクの姿は家の中から消えていたのであった。





デス「よーよー姉ちゃん、ちょっとつきあえよー」
アルベ「そこにいたかガキーーーーっ!!」

 一日中足を棒にして探し回ったアルベリッヒが歓楽街でようやく弟子を見つけたとき、彼はボディコンの姉さん相手にナンパの真っ最中であった。

デス「先生!?どうしてここに!」
アルベ「それはこっちの台詞だ!!貴様、ショックのあまりいきなりグレたのは大目に見てやるとしても、ピーマンとニンジンが嫌いな分際で歓楽街とは百年早いわ!!笑わせるな!!」
デス「な、なんだよ、でっかい声でばらすなよ」
アルベ「黙れ、夜中の便所に行けんクセに!チンピラ口調で女を口説く暇があったらシャンプーハット無しで頭を洗う練習でもしているがいい!」
デス「ううっ;」

・・・・なんだかそれなりに幸せな日々を送っていたっぽい二人である。

デス「か、かんけーねーだろ、センコーはよー」
アルベ「何がセンコーだ!ほら、馬鹿なことをやっとらんで家に帰るぞ!」
デス「やだ!」
アルベ「やだじゃない!」(←パーフェクト親口調)
デス「だって、俺、どうせ聖闘士なんかになれねえしっ!」
アルベ「だからってその年からグレることなかろうが!」
デス「先生にはわからねえんだよっ!先生はっ・・・・先生はっ・・・・・・アサガオ咲くし・・・・っ!」
アルベ「たかがアサガオで泣くな!っていうかそんなことで泣くような奴は本気で歓楽街になんか来るな!!お前、その右手に持ってるのは何だ!」
デス「これ・・・タバコ」
アルベ「買ったのか!?金は!?」
デス「競馬で勝った」
アルベ「競馬!?馬券の金は!?」
デス「パチンコで稼いだ」
アルベ「そのパチンコの金は!」
デス「高校生からカツアゲした」
アルベ「・・・・今日一日で全てをやりつくしてるなお前・・・・;。で、タバコを買って、残りはどうした」
デス「酒に消えた」
アルベ「それがガキの言うことかああああっっ!!!;」

 ・・・・泣き止まないデスマスクの手を引き、歓楽街中の注目を浴びながら帰途についたアルベリッヒは、それでも胸のうちでこう思ったという。
 せめてクスリに手を出さないだけマシだった、と・・・・




アルベ「いいか、デスマスク。聖闘士というものはな」

 家に帰り着いた後、ガラにも無く説教を始めたアルベリッヒである。

アルベ「力があればそれでいいのだ」
デス「ちから?」
アルベ「そう!力!力でもって反対意見をねじ伏せればそれでよい!目的のためには手段を選ぶな。手段を選んで目的を達成できないほど無意味なことは無いぞ」
デス「・・・・・・・・・」
アルベ「お前だって技を磨けば立派に聖闘士になれる。戦いに身を置く者に一番重要なのはいかに殺せるかだ。お前は十分資質を備えている」
デス「・・・・・・・でもよ。殺しは犯罪だろ?」
アルベ「そういう常識的意見は聖闘士にはいらん。真の聖闘士になるには人の10人ぐらいは殺さねばならんのだ。10人殺してアシのつかない男。それが聖闘士だ」
デス「・・・それは何か?つまりアテナの聖闘士っていうのはA級犯罪者の集団っていうことなのか?」
アルベ「似たようなものだ」
デス「けど、正義の戦士が聖闘士だって・・・」
アルベ「チャップリンの映画の中にこんな台詞がある。『一人殺すのは殺人で、百万人殺すのは英雄だ』(注:正しくは『一人殺すのは殺人で、百万人殺すのは英雄なのか?』)。要するにそういうことだ。多ければ多いほどいい」
デス「何か微妙に違くねえか・・・?」
アルベ「些細なことは気にするな」

 座った眼できっぱりと断言する師匠を前に、少年デスマスクは微妙な顔をして口をつぐんだ。



翌日の昼。デスマスクはぼんやりと浜辺を歩いていた。言われたことを考えながら。
 アルベリッヒは力が全てだと言った。力を磨けばいいのだと。
 だが本当にそれでいいのだろうか。正義の聖闘士が、力だけでやっていけるものなのだろうか。
 第一、殺すことしか出来ない自分は聖衣など絶対にもらえない気がする。
 アテナは・・・慈悲深い女神だと言うし。

デス「・・・・・ちぇ」

 しょんぼりと肩を落として、足元の砂を蹴った。
 と、その時である。
 少し向こうの方から、なにやらワイワイと騒ぐ声が聞こえてきたのだ。

デス「?」

 目を上げると、同じ年ぐらいの子供が3,4人ばかりかたまって、一匹のカニを苛めていた。

デス「!」

 自分が蟹座の下に生まれついていると聞いたばかりでもあり、少々自信なくして落ち込みまくっていたこともあり、もたもたと苛められているカニの姿が自身と被ったのであろうか、デスマスクは何だか胸がむかついて、深く考えるまもなく輪の中に駆け込んでいった。

デス「おい、やめろよ!」
子供1「なんだお前!」
子供2「引っ込んでろ!」
デス「可哀想だろ!カニを苛めるな!」
子供3「苛めてるんじゃないよ。獲ってきたんだよ。晩のおかずだぞ!」
デス「食うな!」
子供1「なんでだよ!どいてろよ!」
デス「お前らこそどけ!」

 ・・・かくして、この場合どちらが正しいかはあえて明言しないでおくが、アサガオ腐らせても聖闘士候補であるデスマスクは子供達をちぎっては投げちぎっては投げ、家に泣いて帰らせた。
 人気の無くなった浜辺に取り残された後、そっとカニを抱え上げて海へ放ってやる。

デス「・・・・・・もうこんなとこまで来るんじゃねえぞ。食われるから」

 すると、カニがいきなり口をきいた。

カニ「助けてくれてありがとう」
デス「!なに!?お前しゃべれるのか!?」
カニ「少しなら。貴方のおかげで死なずにすみました。本当にありがとうございます」
デス「べ、別を礼を言われるようなことじゃねーよ」
カニ「いいえ、お礼をしなければ気がすみません」

 カニは波間からつぶらな瞳でデスマスクを見上げ、こんなことを言ったのであった。

カニ「どうぞ私の背中に乗ってください。龍宮城へご案内します」




 ・・・・デスマスクが帰宅したのは3日後のことであった。
 歓楽街を探し歩いていたアルベリッヒは怒髪天ついて帰宅した少年を締め上げ、事情を吐かせたが、その陳述は「おとひめさまが」「たいやひらめのまいおどり」など、全然要領を得ないものであった。

アルベ「ごまかすのもいい加減にしろ!龍宮城などあるわけなかろう!!」
デス「あ、あったんだって!」
アルベ「仮にあったとしても、3日も連絡無しに外泊とはどういうことだ!?門限は5時まで(早)と言ってあるだろうが!!」
デス「俺、俺、泊まったりしてねえよ!3時間ぐらいいて、すぐ帰ってきたもん!」
アルベ「嘘をつけ!」
デス「ほんとだよ!そんなに長くいなかったよ!」
アルベ「貴様まだ言うか。もういい、今日は飯抜きだ!」

 ゴン!と拳骨をくれてから、

アルベ「それで、その背中に背負ってるものは何だ?どこで盗ってきた!?」
デス「乙姫様が・・・・・これ・・・・・玉手箱」

 言って少年の差し出したのは、金に輝く蟹座のパンドラボックスであった。




パターン2・水瓶の場合

シベリアに飛ばされたハーゲンと、その弟子となったカミュは、出会いの不穏さとは裏腹に仲のよい師弟関係を築いていた。

カミュ「わが師ハーゲン、食事の支度ができました」
ハーゲン「ああ、悪いな毎日」
カミュ「いいえ。月謝も払えない身の上ですから、せめてこれくらいのことは。私の方こそ、毎日ボルシチですみません」
ハーゲン「いや・・・・・まあ・・・・・・食えればいいから・・・・」
カミュ「エカテリーナおばさん(30km先の隣人からこれしか教わってなくて・・・本当は新しいのを作れるようになりたいのですが、30kmは遠くて・・・」
ハーゲン「30kmが遠いだと?フッ、たるんでるな。聖闘士になりたくば、その程度の距離は5秒で往復できなければならんぞ」
カミュ「頑張ります」

 朝早く起きて一緒に食事を摂り、それから日の暮れるまで修行に励む。
 毎日の課題は厳しかったが、カミュは弱音を吐かなかった。

ハーゲン「カミュよ。絶対零度とは何だ」
カミュ「絶対零度は・・・・・ええと・・・」
ハーゲン「この間教えてやったばかりだろう。もう忘れたのか!いいか、絶対零度とは全てのものが凍結される摂氏零下273.15度の温度を言う。つまり絶対零度とは物質がすべての運動を失う温度のことなのだ。わかったか」
カミュ「はい!」
ハーゲン「破壊の根本は原子をくだくことにある。だが、氷の闘技を身につけるためには原子を砕くのではなく原子の動きを止めろ。いいな、カミュ。原子の動きを止めるのだ!お前自らの小宇宙によってな!」
カミュ「はい!」
ハーゲン「そのためには氷の闘士たるもの、常に自らを平静に置かなくてはならん。クール!これこそが真髄なのだ。カミュよ、常にクールでいろ。氷の聖闘士になりたければな」
カミュ「はい!」

 ハーゲンは手のひらの上の小石をピキィィィン!と凍りつかせてから、その手で今度ははるか彼方を歩いているシロクマを指してみせる。

ハーゲン「今日は、氷の闘技を身につけると実際にどのようなことができるのかを見せてやろう。来い」

 そう言って、彼はカミュを連れてシロクマの眼前までやってきた。

ハーゲン「しっかり見ているのだぞ、カミュ」
カミュ「は、はい!」
シロクマ「グルルル・・・ル?」


 真剣な顔の師匠。やはり真剣に頷く弟子。そして困惑顔のシロクマ。
 ハーゲンはすっと身を低くすると、そのシロクマに向かって頭から突進する!

ハーゲン「でやあああああっっ!!」
シロクマ「!!」

 ほとんど腹で雪上に滑り込み、伸ばした両腕で敵の両足をがっちりつかむと、瞬間冷凍!
 驚いた白熊が大きくのけぞるも、大地に繋ぎとめられた足は動かない。

ハーゲン「見たかカミュ!これがシベリア仕込みの足封じ技だーっ!!」
カミュ「シ、シベリア仕込みの足封じ技・・・!?」
ハーゲン「そうだ!すばやい動きと爆発的に高められる小宇宙があってこそ実現可能な秘儀!難しい割には別に一撃必殺できるわけでもなく、何より仕掛けたときに背面ががら空きになって両腕が塞がるので致命傷を受け易いという欠点がある!よって滅多なことでは誰も使わん!!言わば滅び行く技の一つだ!」
カミュ「滅び行く技!?・・・・はっ!先生!先生はその貴重な古代技術を私に教えて下さろうというのですね!?」
ハーゲン「わかってくれたかカミュ!」
カミュ「先生!」
ハーゲン「見ろ!都合のいいことに、向こうからもう一匹白いのが来る!あれがお前の相手だ!やってみるがいい!」
カミュ「わかりましたっ!」

 ・・・こうして少年は、記念すべき第一の技と出合った。
 シロクマにしてみれば迷惑な話であった。




 シベリア仕込みの足封じ技修行を始めてから一週間。

ハーゲン「惜しい!あともう一歩だったな!」
カミュ「けほっ、げほっ!」
ハーゲン「まだまだクールになりきれていないようだな、カミュ。技をかける瞬間ほんのわずか気持ちが甘くなっている。敵を可哀想だとでも思っているのだろう」
カミュ「は、はい。その、クマに罪は無いわけですし・・・」
ハーゲン「クマには無いかもしれんが、本当の敵を相手にしてそれでは殺されてしまうぞ。もっとクールに徹することだ。余計な情をかけるな」
カミュ「・・・クールに・・・。っ、けほっ、えほっ!」
ハーゲン「どうした?大丈夫か?」
カミュ「クマに背中を思いっきりなぐられたのでちょっと・・・・げほっ!」
ハーゲン「そうか?骨が折れたりはしていないだろうな」

 ハーゲンは手を伸ばして少年の背中をさすってやる。

カミュ「ありがとうございます」
ハーゲン「そろそろ日も暮れる。今日の修行はこれまでだ。先に家に帰っていろ」
カミュ「先生は?」
ハーゲン「薪が切れかけていたので集めてから帰る」
カミュ「それなら私も・・・」
ハーゲン「お前はここ数日ずっと頑張っていたからな。疲れがたまっているはずだ。今晩は俺が飯を作ってやるから、家に帰って休んでいろ」
カミュ「!」

 小さなカミュは頬をほうっと染めた。嬉しかったのだ。

カミュ「わかりました!」
ハーゲン「それではな」

 師匠がものすごい勢いで原生林の方へ走り去って行くのを見送ってから、カミュはいそいそと家路についた。
 今日は先生が御飯を作ってくれる。
 ハーゲンは優しい。修行のときには厳しいけれど、本当はとても優しい。さっきも背中をなでてくれたし、よく頭も撫でてくれるし、怪我をしたときは心配してくれる。それに金髪がとても綺麗だ。
 カミュは自分の赤い髪が少しばかり恨めしかった。先生と同じ、金の髪が欲しかったのに。
 ・・・彼が金髪の同性に好感情を持つようになったのはこの頃が原因と思われる。

カミュ「・・・・ん?」

 家の前まで来たときだった。カミュは戸口に、見知らぬ人影がいるのを見つけて緊張した。
 誰だ?
 近づくにつれ、それが一人の女の人だということがわかった。見事に波打った金の髪の、可愛らしい女の人だ。
 やがて向こうもこちらに気づいた。青い瞳にはっとした表情を浮かべて、カミュが近づくのを待っていた。
 先に声をかけたのはこちらだった。

カミュ「あの・・・・あなたは?」
フレア「私はアスガルドのフレアと言う者です。・・・・ここは一体どこなのかしら」
カミュ「ここは、私とわが師の家です」
フレア「そうではなくて・・・・・この場所を聞きたいのだけれど」
カミュ「ここはシベリアです」
フレア「シベリア!?」

 ただでさえ大きい青い目がますます大きくなった。

フレア「そんな・・・・どういうことなの?」
カミュ「?どうかしたのですか?」
フレア「私・・・私・・・・」

 呟くなり、彼女はしゃがみこんでしまった。カミュは心配になり、自分もかがみこんで相手の顔を覗き込みながら、

カミュ「具合が悪いのですか?」
フレア「わたし・・・・」
カミュ「もうすぐ師が帰ってきますから、そうしたら・・・・・」

 きっとなんとかなる、といいかけたときだった。
 背後で声が上がったのだ。

ハーゲン「フレア様!?」
カミュ「!せんせ・・・・」
フレア「!ハーゲン!!」

 自分をさえぎって高い叫び声を上げた少女が、そのまま大好きな師匠の首にかじりついていくのを、カミュは呆然と眺めていた。

ハーゲン「フレア様!なぜこのようなところに!?」
フレア「ハーゲンハーゲン!会いたかったわ寂しかったわ恐かったわハーゲン・・・!!ここはどこなの、何があったの、どうしてそこら辺中でクマが氷結しているの・・・!?」
ハーゲン「可愛そうにフレア様・・・こんなに手が冷たくなって。私の上着をお貸しします」
フレア「やめてハーゲン。それ以上脱いだらあなた裸じゃないの。ああ、でも良かった、あなたに会えて・・・私・・・一人でどうしようかと思って・・・・・ぐすっヒック」
ハーゲン「!泣かないで下さい。さあ、とにかく中へ入りましょう。今火を起こします。・・・カミュ!」
カミュ「は、はいっ」
ハーゲン「この薪を拾って持ってきてくれ。お前の寝床を借りるぞ。フレア様を休ませる。あと、晩飯の支度をたのむ」
カミュ「・・・・・・・」

 師匠はそのまま返事も聞かないまま、フレアの体を抱くようにしてさっさと家の中へ入ってしまった。
 どうして。なんでこんなことに。
 甚だしいショックを受けつつも、寒風吹きすさぶ中言われたとおりに薪を拾うカミュ。
 あんな女さえ来なければ・・・・
 彼が金髪の女性に不信感を抱くようになったのもこの頃が原因と思われた。




 それ以来、師弟水入らずだった家庭の平和はすっかり色褪せてしまった。
 ハーゲンの目にもはやフレアしか映っていないのはどこをどう見ても明らかである。
 彼は修行のときもカミュについてきてくれなくなった。

カミュ「せ、先生。今日は私の技を見てくださる約束・・・・」
ハーゲン「今忙しい!」

とにべも無く言って、やっていることはフレアの髪梳きだったりする。

カミュ「先生!そんなの、自分でやらせればいいじゃないですか!」(←正論)
ハーゲン「黙れ!子供の口を出すことではない!」
カミュ「先生は私よりもその人のほうが大事なんですかっ?」
ハーゲン「つまらんことを聞くな!言ったはずだ、氷の闘士は常にクールでいろと!下らない嫉妬をしている場合か!」
カミュ「でも・・・・!」
ハーゲン「グダグダいっていないでさっさと修行に行って来い!」

 ポイっ!

フレア「・・・・ハーゲン。何もそんなゴミみたいに子供を外に放り出さなくても・・・・;」
ハーゲン「いいのです。今まで甘やかしてましたから、たまには厳しくしつけなくては」
フレア「そう・・・どうでもいいけど、さっきっからブラシが引っかかって痛いわよ」
ハーゲン「す、すみません!」

 夜は夜で帰ってきたカミュにお帰りの一言も無く、ひたすらフレアのそばにいる。

ハーゲン「フレア様、寒くはありませんか。もっと火をたきますか」
フレア「大丈夫よ。私だってアスガルド出身なんだし、このくらいは・・・」
ハーゲン「晩御飯は何にしましょうか。召し上がりたいものがあれば何なりとおっしゃってください」
フレア「贅沢は言わないわ・・・ただ、デザートに夕張メロンを一つ」
ハーゲン「かしこまりました。カミュ!行って買って来い!」
カミュ「・・・・・・・・・;」

 幸い夕張メロンは産地直送品だったので何とかなったが、翌日の信玄餅はどうにもならなかった。

ハーゲン「すみません、フレア様。ふがいない弟子で・・・」
フレア「いいのよ。私が無理なことを言ったから・・・ああでも、食べたかったわ信玄餅」
ハーゲン「フレア様・・・。カミュ!どうしてお前は信玄餅をあきらめたのだ!」
カミュ「だ、だってどこにも売ってなくて・・・」
ハーゲン「もう一度探して来い!クールな聖闘士になりたければ購入するまで帰ってくるな!」
カミュ「そんな!クールって一体!?;」
フレア「酷いわハーゲン。こんな小さな子にそんなことをさせないで。あんまりだわ」
ハーゲン「はっ、す、すみません・・・」
フレア「あなたは平気なの?このクソ寒い中に子供を一人で放り出して・・・。私だったら耐えられない!だからあなたが買ってきて!」
ハーゲン「わかりました!」

 力強く答えて出て行ったっきり、師匠は帰ってこなかった。

フレア「・・・・・・どこまで行ったのかしら。ハーゲン」
カミュ「そりゃあ・・・・日本なんじゃあ・・・・」
フレア「いくら日本でも遅すぎるわ。まさか正規の手段で入国しようとしたんじゃないでしょうね・・・パスポート無いんだから税関で引っかかるわよ」
カミュ「・・・・;」

 一週間が経ったが、ハーゲンは帰ってこない。
 こう時間が経つと、彼自身が帰ってこないのも問題だがそれ以上に、持っていかれた財布の事のほうが問題になってきた。
 食料の貯えは尽き、買出しにいこうにも金が無い。

フレア「カミュちゃん、いくらもってる?」
カミュ「・・・・これだけです。あなたは?」
フレア「まったく無いわ」

 二人合わせても一杯のかけそば以下。

フレア「・・・・・・どうしましょう」
カミュ「どうしようもないです。先生の帰りを待たないと。・・・そもそもあなたがあんな事を言いさえしなければ・・・」
フレア「もう一言付け加えておけば良かったわね。待たせたら絶交、とか」
カミュ「先生に酷いこと言わないで下さい」
フレア「おなかすいたわ・・・このまま栄養不足が積もり積もったらあっという間に凍死するわね」

 ・・・カミュ個人の心境としては、別に彼女が凍死しようが憤死しようが一向に構わなかった。むしろ死んでくれたほうがありがたいぐらいである。
 しかし、フレアに万が一の事があれば、帰ってきたハーゲンが怒り狂うであろうことも察しがついた。

フレア「?どこいくの?」
カミュ「何か探してきます。シロクマぐらいならいるかもしれませんし。・・・いなくても、いままで仕留めたのがその場で凍ってるはずですから」
フレア「・・・そうね。この際贅沢は言ってられないわ。頑張って、カミュちゃん!いざとなったら私も町で身売りするから!」
カミュ「行ってきます」

 外は見渡す限りの雪景色である。カミュは襲い来る風に逆らいながら歩き、獲物を探した。
 だが、どこまで行っても動くもの一つ目に入らない。修行のためにあれだけ葬ったシロクマの姿も、どこに消えたか陰も形も無い。
 随分長いこと探し回った挙句、カミュはとうとう途方にくれてしまった。
 そこは深いツンドラの森の中であった。

カミュ「先生・・・どうして私を置いていったのですか」

 そりゃあ信玄餅買うのに弟子同伴で行く必要は無いからだろうが、その辺はあえて気づかないフリをする。

カミュ「私はどうすればいいのですか。このままではあの女と心中です。・・・・しかも直感から思うに、心中したところで結局死ぬのは私だけのような気がします。先生・・・・どうすればいいのですか」

 切なくなって涙をほとほととこぼすカミュ。
 その時である。

老婆「どうしたのかえ」

 不思議に耳障りの良い声が背後からかかった。
 振り向くと、あたまからすっぽりとフードをかぶったお婆さんが、優しそうな目で彼を見つめていた。

老婆「何か悲しいことでもあるのかい、坊や」

 どうしてこんなところに人が、という疑問よりも優しい言葉をかけてもらった嬉しさの方が先立って、カミュはこっくり頷いた。

カミュ「先生が行方不明で・・・・食べ物が・・・無いんです」
老婆「おやおや、それは可愛そうに」

 ほらもう泣くのはおよし、と彼女は言った。

老婆「食べ物のことなら心配しなくて済むようにしてあげよう。これをお持ち」
カミュ「?これは・・・」
老婆「これは不思議な水瓶だよ」
カミュ「・・・・水瓶・・・・を構えている人の像に見えるのですが・・・」
老婆「この人に向かって『水瓶グツグツ』というと、上の瓶に一杯のおいしいお粥が煮えるのさ。いくら食べても後から後からどんどんお粥が出来上がる。やめて欲しい時には『水瓶おしまい』と言うんだよ。そうすれば止まるからね」
カミュ「わぁ・・・」
老婆「持って帰るならこの箱に入れていくといい。おまけだよ」
カミュ「ありがとう、お婆さん!」

 カミュがそういって頭を下げ、再び顔を上げたときには既に老婆の姿は無かった。
 そこにはただ、白い雪の上に静かに輝く水瓶座の聖衣(付属・パンドラボックス)があるだけであった。




 不思議な水瓶のおかげで、カミュとフレアは毎日おいしいお粥を食べることができた。粥を作るのはカミュの仕事である。

カミュ「水瓶グツグツ」

というと、水瓶は一杯の上等な御粥を煮てくれた。

カミュ「水瓶おしまい」

というと、水瓶は粥を煮るのをやめた。
 毎日粥ばかりでは飽きるのではとも思われたが、カミュはシベリアに来てから毎日ボルシチばかりだったし、フレアにしてももともと貧しい国で大した食生活もしてこなかったクチなので、不満は無かった。
 やがてハーゲンから電報が届いた。

ハーゲン「シンゲンモチ カッタ スグカエル ハーゲン」

フレア「・・・・もう帰ってくるなと言ってもいいのかしらこういう場合・・・・今さら信玄餅なんか顔も見たくないわよ」
カミュ「先生はあなたのために一生懸命なんですよ。・・・たぶん・・・」
フレア「いつもそうなのよ。何か一つのことに目線が行くと、他の事は何一つ考えられなくなるんだから。信玄餅一つで一杯一杯だなんて・・・何て器の小さい男。カミュちゃんももう少し冷静にクールに割り切って人を見なければ駄目よ。そういう目で見たらハーゲンを先生にしようなんて思わないはずよ」
カミュ「クール;・・・・・あ、あの、私は先生をお迎えに行って来たいのですが、電報の発信地はどこでしょう?」
フレア「発信地?ええ、ちょっと待って。えーと・・・・・パプアニューギニア」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

フレア「カミュちゃん、彼がいないうちに引越ししましょうかv」
カミュ「・・・・・嫌です・・・・・せっかく今まで耐えたんですから・・・・」

師匠への尊敬度は若干揺らぎ始めたものの、一応帰ってくるとなればカミュは嬉しかった。
ハーゲンが帰ってきたときに、ささやかなパーティーができれば良いとすら考えたほど。

カミュ「フレアさん、私はこれから町へ行って、買い物をしてこようと思います」
フレア「あら、そう?でもお金は?」
カミュ「町へ行けば日雇いで何か稼げる仕事があるのではないかと・・・。それで何か買ってこれれば、先生が帰ってきたときにお粥以外の物も出せるかも知れません。信玄餅ではたぶん、腹の足しにならない」
フレア「じゃあ何日か帰ってこないって言うこと?私一人で留守番なんて、できるかしら」
カミュ「してください。私より年食ってるんですから。先生が帰ってくるまでには戻ります。その間は適当にお粥で食いつないでください。よろしくお願いします」
フレア「・・・仕方ないわね」

 フレアはため息をつき、カミュは出かけて行った。


 ・・・・その後のことは特筆するべくもない。
 ただ、「あら、私そういえばお粥を止める呪文を知らないわ」とフレアが気付いたのは、晩飯用の粥を炊きだそうと『水瓶グツグツ』を言ってしまった後だった。
 水瓶は3日3晩、粥を煮つづけ流しまくり、フレアが殴ろうが塞ごうが蹴倒そうが断固として止まらず、カミュが帰宅したときには見渡す限りが凍結した飯の海で、眼前の塊を食い尽くしていかなければ家にも辿り着けない有様であった。
 もちろんカミュは即刻水瓶に炊き出しをやめるよう命じた。「水瓶おしまい!」
 が、しかし。

カミュ「と、とまらない!?そんな馬鹿な!!」
フレア「呪文を間違えているんじゃないの!?」
カミュ「そんなことは無いはずです!水瓶おしまい!水瓶おしまいっ!」

 グツグツグツ・・・

フレア「全然止まらないじゃないの!何とかして!」
カミュ「何とかしてと言われても・・・あなた、私の留守中にこれに何かしませんでしたか!?」
フレア「別に何にもしてないわ!頼んでも止めてくれないから百万回ぐらいぶん殴ったけど、それだけよ!・・・・っはっ!まさかそのせいで故障!?」
カミュ「今さら気付くなああああっ!!」

 思わず丁寧語を破棄して怒鳴ったものの、それでどうなるわけでもない。
 粥は煮え続け、刻々と辺りを占拠し、このままではいずれ地球の全土を覆うのではないかと思われた。

カミュ「くっ!こうなったらっ!」

 少年は水瓶をにらみ、両腕を構える。

カミュ「先生!先生の教えてくれた技を、今・・・ここに!」

 集中する小宇宙。小さな体から噴出す絶対零度の凍気。周囲の空気すら凍りつく一瞬。
 直後、彼はあたかも一条の槍のように水瓶に突進した。

カミュ「でやあああああっ!!」

 ざんっ!ぴきぃぃいぃぃぃっぃん!!

 ・・・・・全ては刹那の出来事であった。
 少年の放ったシベリア仕込みの足封じ技が見事水瓶の口を凍りつかせ、その炊き出しを封じたのである。
 氷点下の風にさらされ乾いた唇で、つかれきったフレアは訊ねた。

フレア「・・・・終わった・・・・の?」
カミュ「ええ・・・終わりました」

 彼女はその時、はっと気付いた。
 答えて見せた少年の横顔に、いつしか聖闘士としての誇りが宿っていることに。

カミュ「ようやくわかった気がします。クールというのが・・・どういうことか。クールに徹して敵を打つというのがどういうことか」

 粥との戦いが・・・・彼を強くしたのだ。

フレア「カミュちゃん・・・・」

 フレアは微笑み、熱くなってきた目頭をそっと押さえた。




 ・・・・翌日。
 帰ってきたハーゲンが目にしたのは、しばらく見ないうちに一回り成長してクールになった自分の弟子と、その3倍以上の凄まじいクールさで自分に接する最愛の女の姿であったという。



パターン3・魚の場合

アフロ「師匠のばか!ばか!ばかぁっ!!」

 怒鳴ってわめいてわんわん泣きまくる弟子を、バドは苦虫300匹ぐらい噛み潰した顔で見下ろしていた。

アフロ「ぴーちゃんは何にもしてないのに!何にも悪くないのに!私が拾ってきたのに!ばかぁ!ばかぁああ!!」
バド「ええいやかましいわ!!たかがカラスの一羽や二羽でぎゃあぎゃあ騒ぐな!!」
アフロ「カラスじゃないもん!スズメだもん!!」
バド「どっちでも同じようなものだ!!」
アフロ「全然違うもん!!大事にしてたのに!まだちっちゃくて可愛かったのに!ぴーちゃん返せぇ!かえせぇ!うわあああん!!」

 ・・・・つまりこういうことである。
 先日、アフロディーテが修行の帰り道に、巣から落ちて戻れなくなってウロチョロしているスズメの子を見つけて取得・隠匿した。
 「ぴーちゃん」などと名前をつけて可愛がっていたが、そのぴーちゃんが今朝のバドの飯をつまみぐいしたのである。
 室内で放し飼いにしているせいで日ごろから部屋中糞だらけにされ、憤懣やるかたなかったバドはついに怒り狂い、「こんな馬鹿スズメはこうしてやる!」とぴーちゃんの舌をちょん切って追い出してしまったのだった。

アフロ「師匠なんか嫌いだぁ!」
バド「嫌いで結構!!俺だってお前など大嫌いだ!目障りな!!」
アフロ「!!」

 ひくっ、としゃくりあげたまま沈黙するアフロディーテ。一気に静まり返る室内。
 それまで90度の方向に目をそらしていたバドも思わず彼を振り返った。
 とたん、絶望的な表情をして涙を一杯に溜めている大きな瞳とまともにかち合った。小さな唇がふるふると震えて・・・・・
 ・・・・・・可愛い。

バド「っああああああ腹の立つ!!そんな顔で俺を見るな!!出て行け!!」
アフロ「!ししょ・・・」
バド「俺はお前の師匠なんかではないわ!!貴様は破門だ破門!!俺の気が妙な方向に変わらんうちに消えろ!!」
アフロ「!う、うわああああん!」

 アフロディーテは勢いを増して泣きまくったが、バドはもう振り向きもしなかった。

アフロ「師匠のばかぁ・・・」

 不明瞭な声で言い捨てて、子供はとぼとぼと家を出て行ったのであった。




 肩を落としてふくすんふくすん啜り上げている可憐な後ろ姿に、何人かの人間が声をかける。

「お嬢ちゃん、飴を上げるからおじさんと一緒に来ないかい?」
「いいところに連れてってあげるから車に乗りなよ〜」
「あらあらお嬢ちゃん、どうしたの?迷子?」

 その全てを平等にしばき倒して行くあたり、非常にタチの悪い罠と同じだったが、アフロディーテはこれまでバドから「声をかけてくる奴は誘拐だと思え」と言われて修行を受けてきたのだから仕方が無い。
 子供とはいえ曲がりなりにも聖闘士候補。彼がベソかきながら歩いていったその後には、意識不明の被害者が点々と残されていたという。
 うっくえっく、ひっくひっくぐすっ。
 涙は後から後からこぼれてきた。ぴーちゃんを無くしてしまって、バドにも嫌われてしまって。
 ひくっひくっ、ひぎくっぐえほっ!げほげほほうっ!!・・・すすん、すすん、ズズン!くしっへくしっぶえっくしょい!!
 しゃくりあげすぎてむせ返り、すすり上げすぎてくしゃみ大連発、となんだか忙しくなっていた彼は自分がいつしか深い森の中に迷い込んでいることなどまったく気づかなかった。
 気づいたのは、すこしばかりはなれた藪の中から「チイチイ」という小さな鳴き声が聞こえてきたときである。

アフロ「!ぴーちゃん!?」

 はっとして顔をあげ、藪にかけよった。
 すると、今度はもっと向こうで声がする。

アフロ「ぴーちゃん!」

 アフロディーテはどんどん声を追いかけていった。
 そうして4、50分ばかりも追いかけた末に、うっそうと茂るに囲まれた小さな藁葺きの屋敷を見つけたのだ。
 チイチイと言う声は、今はその中からしていた。
 そっと中を覗いてみると、綺麗に着飾ったぴーちゃんが可憐に舞を舞っている。

アフロ「ぴーちゃん!見つけた!」
ぴー「まあアフロディーテさん!」

 ぴーちゃんは微妙にイメージの違う口調になっていたが、ともあれアフロディーテの来訪を喜んで飛び出してきた。

アフロ「ぴーちゃん、ごめん。師匠がぴーちゃんに酷いことを・・・」
ぴー「いいえ、私は大丈夫。こんなところまでよく来てくださいました」
アフロ「師匠に追い出されたんだ」
ぴー「あなたも!?舌は!?」
アフロ「いやそれは大丈夫・・・・別に師匠、集めてるわけじゃないし」

 アフロディーテは座敷に通された。屋敷の中にはたくさんの綺麗な雀達がおり、下にも置かないもてなしをしてくれた。
 いろんなご馳走が出た。

アフロ「ぴーちゃん、これなに?」
ぴー「それは青虫の佃煮です」
アフロ「こっちは?」
ぴー「アゲハチョウの天ぷらと、アブラムシ混ぜ御飯です」
アフロ「じゃあそっちのは?」
ぴー「ミミズの酢の物です」

 そのどれもがおいしかった。

ぴー「アフロディーテさん、あなたさえよければ、ずっとこの屋敷にいてくださってもいいのですよ」
アフロ「・・・ん。ありがとう」

 しかし、ぴーちゃんがそう言ってくれはしたものの、アフロディーテはまだ幼い。
 時間が遅くなってくるとやっぱりお家が恋しくなってきたのであった。

アフロ「あの、ぴーちゃん」
ぴー「どうしました?」
アフロ「あのね、そろそろ帰ろうと思うんだ」
ぴー「帰る!?そんな!まさか!あんなクソ外道のところへお帰りになると言うのですか!?」
アフロ「いや、その・・・そりゃあ師匠は酷いことしたけど・・・ほんとはそんなに悪い人じゃないと思うし・・・」
ぴー「まあ!」
アフロ「師匠があんなに怒るのは、きっと私に力が無くてよわいから・・・」
ぴー「そんなこと!」
アフロ「それに冷静に考えて、そもそもあの家は私のものだったんだからこっちが出て行くのはおかしいと思うんだ」
ぴー「・・・・・・・・・そう言われるとまあ・・・それはそう・・・」

ぴーちゃんはしばし黙って残念そうにアフロディーテを見つめた。しかし彼の気持ちが変わらないのがわかるとため息をついてあきらめた。

ぴー「・・・わかりました。それではお土産を御持ち帰り下さい」
アフロ「おみやげ?」
ぴー「はい」

 うなずき、ぱんぱんと羽を打つ。
 2つの箱が座敷の奥から運ばれてきた。
 メキメキメキッ!ばりっっ!!

ぴー「大きなつづらと小さなつづら、どちらでもお好きな方を差し上げます」
アフロ「・・・。小さなのがいい」

 座敷の天井を破壊するほどでかい「大きなつづら」に恐れをなしたアフロディーテは、すこぶる謙虚にそう答えたのだった。




バド「こんな時間までどこで何をしていたのだ馬鹿者!!」

 帰宅したアフロディーテは玄関口で怒鳴られた。

アフロ「だ、だって、師匠は出て行けって・・・」
バド「出て行くにも限度がある!!隣の温室以上の場所には出て行くな!!」
アフロ「ふえ・・・」
バド「泣くなーっ!!」

 頭をはたいて無理矢理涙をひっこめさせたバドは、ようやく弟子が背中に背負っている箱に気がついた。

バド「何だその箱は。パンドラボックスではないか」
アフロ「ぱんどら?小さいつづらじゃないんですか?」
バド「小さいつづら?」

 アフロディーテは入手にいたる経過を説明した。

バド「・・・・・・なるほど。それで小さいつづらか。しかしこれは間違いなくパンドラボックスだ。こんなキンキラキンの箱を見間違えるはずもない。聖衣が入っているはずだが・・・この箱の柄だと、魚座か」
アフロ「!じゃあ、私は黄金聖闘士になれたんですね!?」
バド「愚か者。聖衣をてにいれたからと言って貴様のような軟弱者が聖闘士になれたと思うな。大体、小さいつづらを持ってくるところからして志の狭い!どうして大きい方を持ってこなかったのだ!!」
アフロ「だ、だって、大きい方は大きかったから・・・」
バド「小さいつづらにこれだけのものが入っているのだ!大きい方はもっといいものが入っているに違いなかろう!くそっ!・・・よし、俺が手本をみせてやる!アフロディーテ、スズメの宿はどこにある?」
アフロ「!」
バド「言え!大きなつづらを取ってくる!」
アフロ「でも、でも、師匠は舌切るから・・・」
バド「やかましい。吐け!」
アフロ「やだっ!」

 歯を食いしばる弟子の口を割らせようと、バドはもう一度怒鳴りかけた。
 が、一瞬のひらめきでそれをやめ、代わりにうってかわった優しい顔をしてみせる。

バド「・・・・安心しろ。スズメの舌を切ったことについては、俺も悪かったと思っているのだ。謝りに行って、ついでにつづらを頂くだけだ」
アフロ「・・・・本当?」
バド「本当だとも。心配するな」

 よしよし、と頭を撫でてくれる。
 所詮甘えたい盛りの子供であるアフロディーテは、ものの3分もしないうちに懐柔された。

アフロ「えっと、こう行って、藪の向こうを右に回って、木のところを曲がったらつくんです」
バド「そうか。行って来る。良い子で待ってるんだぞ」
アフロ「はい」

 バドは出て行った。
 10分でつづらを背負って戻ってきた。

アフロ「早すぎです師匠!!なんでそんなに早いんですか!?」
バド「簡単なことだ。スズメに見つからないようにつづらを盗って来るだけのことだからな」
アフロ「見つからないようにって・・・・・じゃあぴーちゃんに謝ってないんじゃ・・・・」
バド「つまらんことにかかずらわるな。それよりも見ろ!これが本来もらってくるべきつづらなのだ!」

 大きなつづらは、そびえたつほど大きかった。
 アフロディーテが座敷で見たときよりももっと大きく思われた。

アフロ「師匠・・・なんか恐いです」
バド「つづら相手にびびっているようでは話にならんな。もう一度破門されたいか」
アフロ「いやです!」
バド「ならばもう少しシャンとしろ!弱い人間は秒殺したくなる性分なのだ俺は!!」
アフロ「は、はい!」
バド「開けるぞ」

 バドはつづらに手をかけ、その蓋を開けた。


その昔、この世の全ての邪悪を封じ込めた箱があった。


ゴオオオオオオオッ!!!

 開けた瞬間に箱から飛び出してきたものすごい瘴気に、二人は思いっきりのけぞった。

アフロ「し、師匠ーっ!!何ですかこの黒いのはっ!?
バド「くっ!いかん!このパンドラボックスは本物だったらしい!!」
アフロ「え!?じゃあ私が持ってきた奴はニセモノですか!?」
バド「あれはパクリだ!って、こんなことを話している場合では・・・!」
アフロ「きゃあああ!」
バド「女みたいな悲鳴を上げるな!・・・あっ、こら待て!!逃げるなおい!!貴様それでも聖闘士志望か!?」

 しかしアフロディーテは隣の温室の隅まで逃げた。

バド「あンの軟弱ものがあああああっっ!!」

 頭にきたバドは、シャドウバイキングタイガーズクロウを連打して飛び交う悪を撃退する。
 ばしばしばしげしげしげしゅばしゅ!!
 すると飛んでる方も不利だと思ったか、狙いを温室のなかのチビに変えた。

アフロ「!!!うあああああん!!」
バド「阿呆!!泣いてる暇があったら貴様も何か攻撃しろ!!」
アフロ「師匠、助けて!」
バド「絶対嫌だ!!」

 スパルタ恩師の言葉は即答であった。

アフロ「師匠のばか!意地悪!!そもそもの原因のくせに!!」
バド「それが師に向かっていう態度か!?お前なんかさっさと食われて死ぬがいい!!」
アフロ「ふ、ふえ・・・」

 また泣き出しそうになったアフロディーテだが、丁度その時派手な音を立てて温室のガラスが割れたので、それどころではなくなった。
 悲鳴を上げて師匠を振り返り、助けを求める。
 バドは向こうで腕を組んでいた。本当に何もしてくれない。

バド「葬式ぐらいは出してやるぞ!じゃあな!」
アフロ「馬鹿ああああ!!」

 他人など頼りにできないのだ。所詮人間は一人なのだ。自分が強くなるしかないのだ。
 アフロディーテは唇を引き結んだ。泣いてなどいられない。
 目じりから涙を払い、押し寄せる悪を睨みつけると、ほとんど考えるまもなく手近の薔薇を引きちぎって相手に投げつけた!

アフロ「近づくなこのバケモノーーっっ!!」

 ばしっ!ばしゅっ!めしっ!

バド「おお!やればできるではないかお前!!」
アフロ「えいえいえいえいっ!!」
バド「どうせなら技の名前ぐらい叫んでみろ!・・・・よし、ロイヤルデモンローズ!これだ!」
アフロ「ろい?」
バド「ロイヤルデモンローズ!」
アフロ「ろ、ロイヤルでもんローズっ!!」
バド「そうだ!」

 ・・・師匠の喝采を横から浴びつつ、こうして少年は強くなっていったという。




パターン4・山羊の場合〜in語り口調〜

昔々、あるところに男の子がおりました。野山に混じりて物を斬りつつ、よろずの修行に励む少年でした。
名を「辻斬りのシュラ」と言いました。
 ある日のこと、彼がいつものように山へ木を切り倒しに行くと、たくさんの木の中に一本、根元の光っているものがありました。
 大変珍しく思ったので、さっそく斬ってみたところ、中から山羊座のバンドラボックスが出てきました。

シュラ「・・・・・。女神が俺に授けてくれたのか・・・・」

 微妙に釈然としませんでしたが、とにかくそれを家に持って帰ります。
 彼の家には居候が一人おりました。

シュラ「ジークフリート。俺はどうやら、一人前の聖闘士と認められたらしい」
ジーク「なに?」
シュラ「聖衣を得ることができた。これも貴方が聖闘士としての心得を俺に訓じてくれたおかげだろう。ありがとう」
ジーク「フッ、礼など。置いてもらっている身としてはそれぐらいのことしかできん。聖衣は、お前が毎日修行に励んでいた当然の結果だと私は思うが。どこで得たのだ?」
シュラ「山に行ったら木が光ってて、中に入っていた」
ジーク「それは神秘的なような・・・・逆にチープなような・・・」

 会話を聞いているのかいないのか、パンドラボックスは静かに輝いています。
 ジークフリートは眉間にシワを寄せました。

ジーク「光る木、か・・・・なんだか似たような話を聞いたことがある気がする。東洋の伝承で、『かぐや姫』というのが確かあった」
シュラ「どういう話だ?」

 そのあらすじを聞くと、少年もやはり眉間にシワを寄せました。

シュラ「では、この聖衣も満月の夜に月へ帰るということなのか?」
ジーク「一種の試練かもしれんな。月からの使者を撃退してこそ真の黄金聖闘士として認められるということだろう」
シュラ「・・・・撃退していいのか・・・?天使のようなものなのだろう?それは」
ジーク「どちらにしろ、お前はそのうちアテナの聖闘士同志で殺しあう人間になるのだ。今さら異教の使者の十人や二十人、数にもはいらん」
シュラ「・・・」

 嫌な予言を受けてしまった少年でしたが、ともあれもらったものの中身を確認するべく箱の蓋を開けてみます。
 用の無いときにあけると目が潰れるなどの忠告をしてくれる人がいなかったため、開けたい放題です。
 中には光り輝くヤギのプラモが。

シュラ「・・・・・これが聖衣?」
ジーク「どうした?入ってなかったのか?」
シュラ「入ってることは入っているが・・・鎧ではない。プラモだ
ジーク「プラモ・・・・ああ、お前はまだ聖衣というものを見たことがないのか。聖衣に限らず神闘衣も鱗衣も冥衣もみな何かの形を模しているものなのだ。そのパーツの一つ一つが外れ、プロテクターになる」
シュラ「そうなのか」

 少年は感心しながら、山羊の模型に手を触れました。
 そのとたん。

シュラ「!?な、なんだこれは!」
ジーク「む!?」
シュラ「手が・・・手がくっついて離れない!」
ジーク「なに!?そんな馬鹿な事があるか。どこか引っかかっているのではないのか」
シュラ「いや、本当にくっついて離れないのだ!ジークフリート、ちょっと引っ張ってくれ!」

 言われたジークフリートは、差し出された少年のもう片手をつかみます。

ジーク「こうか?・・・・・・って、待て!今度は俺がくっついた!」
シュラ「なっ・・・!くっついたって、俺にか!?やめろ!放せ!」
ジーク「だ、駄目だ!・・・おのれ、かぐや姫だとばかり思っていたが、実は金のガチョウパロディだったか!許さん!;」
 
 こうして。
 二人は聖衣にくっついたまま、離れることができなくなってしまいましたとさ。
 めでたしめでたし。


パターン5・乙女の場合



自分でもなにがなんだかよくわからないまま「天人様」として認定されてしまったミーメは、あのちょっと世間離れしすぎたきらいのある少年相手にてこずっていた。

シャカ「それでは天人様は十方世界を保つ五戒はあるがままにあれとおっしゃるのですか。ならば三尊の阿弥陀は・・・」
ミーメ「いやほんともう勘弁してくれ。私が知ってる神はオーディーンのみ!彼の言葉をヒルダ様が代行する!そういう極めてシンプルな世界観で育てられて来た私には、阿弥陀だけで三人もいる宗教など手に負えん!」
シャカ「三尊の阿弥陀とは阿弥陀が三人というわけではありませんよ天人様・・・・・三尊というのは釈迦如来・阿弥陀如来・大日如来様のことで」
ミーメ「黙りたまえ」

 突き放し、痛むこめかみを押さえる。

ミーメ「私は何も知らんと言っているだろうが・・・」
シャカ「しかし天人様は天から舞い降りて来られた、いと高き御方。この世の全てをご存知のはず」
ミーメ「私は天人などではない!単なる一介の人間だ!知らんものは知らんし、特別に扱われる覚えも無い!上から降ってきたのは、たまたま寺の屋根に落ちたらそこが腐っていただけの話だ!」
シャカ「寺の屋根に落ちるところからして常人ではありえません。ご謙遜なさらないで下さい」

 この調子で毎日が過ぎ、拝み倒される日々にミーメは心のそこからうんざりした。
 無意味だ。あまりにも無意味。
 自分はこんなところで大仏になっている場合ではない。アスガルドに帰らなければならないというのに、一言「出て行く」と言っただけでシャカは異常なほど取り乱して出立を阻止した。
 ならば隙を見て逃げ出そうとすると、それも100%の確率で見つかって捕獲された。

ミーメ「おのれ、なぜ気付くのだ・・・・;」
シャカ「言っておきますが、私は眼を閉じてはいても見えないわけではありません。見ていないと思えても確実に貴方の御姿は把握できているのでお忘れなく」
ミーメ「私よりもよっぽど君のほうが天人ぽいではないか!見えているのなら目を開けたまえ!」
シャカ「目を開けると力が抜けるんです」
ミーメ「なんだそれは・・・;とにかく、私は出て行く!出て行かせてくれ!」
シャカ「!駄目です!」

 行かないでくれと言い、さめざめと涙を流し、挙句の果てには寺院周辺にわけのわからない異空間を生み出してミーメの行く手をふさぐシャカ。
 本人意識してやったわけではないようだったが、それだけに恐ろしい。こんな幼い子供の内に一体どれほどの力が秘められているというのか・・・
 そして何より恐ろしいのは、そんな風にミーメを軟禁状態にしていながら飯抜きで扱うという破格の待遇である。

ミーメ「頼む・・・何か食わせてくれ・・・もう4日も食ってないのだ・・・・死ぬ・・・・;」
シャカ「ですが天人様には下界の食べ物は毒かと」
ミーメ「今なら毒でも食える!せめて水一杯だけでもいいから持ってきてくれ!」

 ならばとシャカは出て行った。数十分後、水が来た。
 差し出された器の中のそれは、底も見えないほどどす黒く濁っていた。

ミーメ「・・・・毒か?」
シャカ「神聖なガンジスの水です。この水ならば天人様の御体にもあいましょう」
ミーメ「・・・・・臭いがひどいのだが・・・・」
シャカ「ガンジス川ですから。飲用だけではなくあそこで洗濯もしますし、水浴びもしますし、葬式済みの死体も流しますから」
ミーメ「・・・・・・・・・・・・・ミネラルウォーターをくれ頼む」

 その後幸いにも寺の食物貯蔵庫の在り処を突き止められたので餓死することだけは免れたが、月の綺麗な晩、薄暗い倉庫へ忍び込んで盗み食いしている自分の身を振り返るとなんともいえない哀愁が心の中でたぎるのは確かであった。
 かつてはアンドロメダを相手に「戦いは虚しい」だのなんだの口走っていたこともあった・・・・しかし今の自分ほど虚しくはあるまい。倉庫の中で人目を忍んで生麦かじることに比べれば、親父の素性の一つや二つが何だというのか。
 まあそんな過去のことはこの際置いておくとしても、現在の軟禁状態をどうするべきかは真剣に検討しなければならなかった。
 倉庫の麦と芋があれば当分は生き延びることができるだろう。でも当分以上になったら死ぬだろう。
 なんとかしなければ。

ミーメ「シャカよ」
シャカ「はい?」
ミーメ「君は一体、私をどうするつもりなのだ。あがめられようが祈られようが、私には何もできん。何をさせようというのだ」
シャカ「天人様が空から降りてきてくださったということは、地上に幸福をもたらしに来られたということでしょう?ですから、貴方がいらしてくださればこの近辺は幸せになるはず」
ミーメ「そういう理由なら招き猫でも飾っておけ!いるだけで辺りを幸せにする力など私にあるわけなかろうが!」
シャカ「ならば、この世の悪を一掃するために天が御遣わしになられた裁きの使者でいらっしゃいましょう。世界には悪が多すぎます・・・とりあえず、この寺の上層部にも庶民から金を巻き上げて太り腐った僧侶とかいますから、奴らをポトリとやってくだされば嬉しいです」
ミーメ「いやそれもやらない・・・・・;」
シャカ「はっ!ではこの地域の人々に罰を下そうと流行り病をおこしに来た疫神!?だとすれば一刻も早く出て行ってもらわないと」
ミーメ「出て行けるのか!?ならばそれでい・・・・」
シャカ「ついでに貴方の行く先々の村に連絡して徹底的に追い払わせます!よろしいですか!?」
ミーメ「よろしくない・・・疫神はやめだ」

 ミーメはしばらくこめかみを押さえて考え込んだ。

ミーメ「・・・君は、つまり、この世界を幸せにしたいということか?」
シャカ「そこまでは申しません。ただ、私が感じる辺りの景色はあまりにも貧しく、悲しいので・・・人々の憂いを取り除いてあげたいのです」
ミーメ「ならば人に頼らず自分で何とかすればいいだろう」
シャカ「・・・・・・」

 ちょっとためらってから、シャカは答えた。

シャカ「そういうチャンスも一度ありました。貴方がいらっしゃる少し前に、ギリシャ聖域の教皇の使いと名乗る者が参りまして」
ミーメ「聖域?教皇だと?」
シャカ「はい。なんだか、私にはセイントとかいうものになる資質があるだとか言っていました。だから聖域に来いと」
ミーメ「聖闘士・・・」
シャカ「はい。地上の平和を守るため、アテナに仕える戦士なのだそうです」
ミーメ「それで・・・君はそのスカウトを受けなかったのか?」
シャカ「当然です。宗教違うじゃないですか。仏陀に背くようなことはできません」
ミーメ「・・・・・・・まあ・・・確かに・・・・・・。しかしそんなことを言ったら私だって宗教が違うのだ!私の信じているのはオーディーン!ブッダな君とは相容れないのだ、わかるか!?私はアスガルドに帰る!」
シャカ「アスガルドなどという国は聞いたこともありませんが。地図にも無いです」
ミーメ「なくても私はそこの出身なのだ!」
シャカ「ですから、天上のお生まれなのでしょう?ひいては天人様ということに」
ミーメ「話をそこにもっていくな!」

 ミーメはまたこめかみを押さえる。彼にはようやくわかった。シャカは絶対に意見を変えず、自分は天人以外の何者になることもできないのだ。
そして天人である限り、自由にしてはもらえない。
・・・・・・
・・・・・・・・いや。
 
ミーメ「・・・・・そうともかぎらないな・・・・」
シャカ「?何です?」
ミーメ「いや」

ミーメはその時脳髄をフル回転させ、とっさに戦法を変えたのであった。

ミーメ「君の言うことはよくわかった。ならば私ももはや認めざるを得まい。そう・・・・私は天人だ」
シャカ「はい!」
ミーメ「だが私がなぜ下界に降りてきたのか、君にはまだ本当のことがわかっていないようだな」
シャカ「え?」
ミーメ「私は君に告げに来たのだ。君が・・・他でもない君が、この世を救う救世主であることを!」
シャカ「救世主!?」

 ・・・・・・・・・・・

シャカ「・・・でもそれも宗教が違うのではないでしょうか。仏教にメシアはあんまり・・・」
ミーメ「いや正しくは救世主ではない。神の生まれ変わりだ!」
シャカ「か、神!?どの神です!?」
ミーメ「え?え、えーと・・・・ブッダ!そうブッダだ!!」
シャカ「仏陀!?しかし仏陀はそもそも来世への未練を断ち切ったからこそ神になったのであって、生まれ変わるはずがないのでは!」
ミーメ「うっ・・・い、いや、そこはあれなのだ。その断ち切った未練が転生して君になったのだ!」
シャカ「未練が!?それでは、私が中々悟りに辿り着けないのもその前世のせいなのですね?」
ミーメ「ああそうだ。何でもいい。しかし未練の生まれ変わりでも、君が神の転生であることは間違いない。すなわち、この世を救うために使わされたのは私ではない!君なのだ!」
シャカ「!!」

 言ってるミーメ本人にも怪しいことこの上ない話にしか聞こえなかったが、シャカはなぜか深い衝撃を受けたようであった。
 やがて、少年はかすれた声で言った。

シャカ「私は・・・・私は本当に仏陀の生まれ変わりなのですか・・・・?」
ミーメ「間違いない!」
シャカ「では、ではあの時聞いた声は本物だったと・・・・・?」
ミーメ「?あの時?」
シャカ「ええ、私が満2歳の頃、夜中に鏡で遊んでいたら中から黒い影が出てきて言ったのです。『あなたは選ばれた人間なんですよ。力を与えるから好きに使って下さいよ』と。そして甲高い笑い声を響かせて鏡の中へ帰っていきました」
ミーメ「・・・・・;」
シャカ「あまりに禍々しい雰囲気をまとっていたのでてっきり悪魔かと思いましたが、あれもやはり神の使者だったというのですね!」
ミーメ「いや、それは・・・・;」
シャカ「あのときから私は自分でもコントロールできない力を得てしまい、周囲近辺を破壊しまくって多大な迷惑をかけることになりました。・・・それが恐ろしくて、自ら両目を閉じて力を抑えていたのです。しかし全てがはっきりした以上、もうその必要もないということに!」
ミーメ「いやいやいや待て待て待て待て早まるな早まるな」

 全身から冷や汗が吹き出るのを感じたミーメは、あわててシャカを止めた。

ミーメ「き、君は今、一度に全てをわかりすぎて多少混乱しているのだ。ゆっくりと今一度自分を振り返ってみるのもいいかと・・・」
シャカ「段々思い出してきました。あの時の神のお使いは、『弱者に対する慈悲なんてどうでもいいじゃないですか』と言ってました。それがこの世の心理なのですね!?」
ミーメ「振り返るな。寝ろ。一晩寝て何もかも夢だったと思え」

 その日、ミーメは子守唄代わりのストリンガーレクイエムでシャカを無理矢理寝付かせた。




翌日。弟子の口調は変わっていた。

シャカ「おはよう。朝飯はまだかね?」
ミーメ「・・・・・・・一晩寝ながら一体どういう結論に達したんだ、君・・・・」
シャカ「フッ、考えてみれば結論など最初から見えていたのだ。私は仏陀の生まれ代わり。もはやそれは動かせない事実」
ミーメ「・・・動かしたいならいつでも動いていいが」
シャカ「そして私が神の現れならば、天人たる貴方は、神・すなわち私の下僕!そうではないか?」
ミーメ「・・・・・理屈では・・・・そうなるな」
シャカ「君が私の前に現れ、私は覚醒した!選ばれたものだけが持つ絶対の力を手に!ということは!この世の薄汚れた人間どもを根こそぎ打ち倒し、新しい世界を築けということに違いあるまい!」

 ・・・・とめた方がいいと思ったので、ミーメは彼を全力で殴り倒した。

シャカ「何をする!」
ミーメ「こっちの台詞だ。私が下僕なのは百歩譲って許すにしても、自らの力に溺れるその浅ましい思考は許せん。私の美学に反する。君が強いであろうことは私も感じている。しかし上には上がいるということを忘れているようでは、到底支配者の器ではないな」
シャカ「む。何だか初めて小難しいことを・・・・。貴方が人に頼らず自分でしろと言ったからこそ開き直ってみたまでなのに」
ミーメ「開き直るにもほどがある。つまり君は人に言われたことに一々左右されるばかりで結局は自分で何もできない子供なのだ。情けないとは思わないかね」
シャカ「う・・・。おのれ、下僕の分際で私に説教するとは!貴方はいつからそんなに偉くなったのだ!」
ミーメ「それもこっちの台詞だろう。いろんな意味で。・・・・まったく、馬鹿馬鹿しい。君には失望した。私は今度こそ本気でここを去らせてもらう。世界征服でも人類殲滅でも勝手にやるがいい。どうせアテナの聖闘士が止めに来る。ではな」
シャカ「!待て!」

 シャカが叫ぶのを背中に聞き流し、ミーメはさっさと寺を出て行った。
 途中、魑魅魍魎の幻覚が邪魔をしたようだったが、所詮まやかしだと思って気合を入れればたいしたことの無い技であった。




 寺を出たミーメは足を北に向けた。とにかく、わけのわからぬオリエンタルミステリーな土地とはさっさと縁を切り、アスガルドへ帰りたい。いくら自分の演奏が迷惑だったからといって、こんな流罪はあんまりだろう。帰ったらフレアに厭味の一つも言ってやるつもりであった。
 考え考えあるいているうちに、いつしか森の中へ迷い込んでいた。

ミーメ「・・・む?」

 茂った木立の向こうから、神聖な気配が流れているのに気づいたのはどれくらい歩いた頃だったろうか。
 暖かく、優しく、全てを包み込むような清らかな小宇宙。
 ミーメは誘われるように枝を分けていった。
 泉があった。
 いつぞや飲まされかけた濁り水とは違う、澄んだ輝きをたたえた泉が。
 そしてその淵に、一人の女性が佇んでいるのを見て、彼は息を飲んだのであった。

ミーメ「ヒルダ様!」
ヒルダ「あら。あなたまで」

 振り返ったヒルダは、ちょっと驚いたような顔をしたが、途方にくれている様子は無かった。口元に微笑を浮かべ、ミーメが駆け寄ってくるのを待っていた。

ミーメ「ヒルダ様、あなたがなぜこのようなところに!?」
ヒルダ「皆を探しに来たのです。貴方までこちらに来ているとは思いませんでしたけれど・・・・。でも見つかって良かったわ。他の人を探すのを手伝ってくれますね?」
ミーメ「え?え、ええ。私にできることでしたら、何でも。しかし、一体これはどういうことなのですか?フレア様に言われて部屋に入ったらいきなりここへ・・・」

 ヒルダがため息をついた。

ヒルダ「フレアったら・・・わるい子ね。あれほど言ったのに」
ミーメ「?」
ヒルダ「説明はまた後でさせてください。今ははやく他の人を・・・・」

 その時であった。
 今しがたミーメが木立を分けてきた方からにわかにがさがさという音がすると、少年が飛び込んできたのである。
 頬が染まっているのは怒りの証拠。そしていつも閉じられていたはずの両目がしっかりと開眼していた。

シャカ「逃がしはしないぞ私の下僕!」
ミーメ「シャカ!」
ヒルダ「?下僕?」
ミーメ「あ・・・・・すみません、ヒルダ様・・・・話すと長いのですがこれは」
シャカ「私に失望しただのと大口を叩いて出て行ったと思ったら、結局は女ができたというだけのことか!!不埒な!!それでも貴方は天人か!?」
ミーメ「不埒なって・・・前から疑問だったのだが、君は本当はいくつなのだ一体・・・・?」
シャカ「そこの女!不浄の身で私の下僕をたぶらかすとは言語道断!容赦はせんぞ!」
ヒルダ「まあ、難しい言葉をたくさん知ってて賢い子」
ミーメ「そんな呑気に微笑んでる場合では・・・・・・って、シャカ!やめろ!!」
シャカ「問答無用!」

 あくまで難しい言葉とともにシャカの手が一閃したかと思うと、衝撃がヒルダの体を跳ね飛ばした。

ヒルダ「きゃ・・・・・・・・!」
ミーメ「ヒルダ様!!」

 慌てて伸ばしたミーメの手は届かず。
 ヒルダは大きく宙に弧を描き・・・・落ちて・・・・・・・

 ずばっしゃん!!

 ・・・・泉から盛大な水しぶきが上がった。それからプクプクと泡が浮いてきた後、辺りの空気は静まり返った。

ミーメ「!シャカあああああっ!!君は何と言うことを!!」
シャカ「煩悩に身をゆだねた貴方が悪い!」
ミーメ「何を考えているのだ!あの方はそんな方ではない!今すぐ潜って探して来い!!」
シャカ「断る!」
ミーメ「ならば私が行く!」
シャカ「行かせん!せっかく沈めたのに!」
ミーメ「どけ!」
シャカ「断る!」

 二人の言い争う声は辺りにこだまし、泉の表を震わせた。
 その表がふと激しく乱れて。

 はっと気づくと、二つに分かたれた水の合間から見たことのない女性が一人、現れたのだった。

ミーメ「!」
シャカ「!」

 ヒルダではない。肌はもっと透き通るように青い。
 裾の長い服を着ているが、よく見るとそれは静かに流れ落ちる水である。
 何より、水面に立つなどということが生身の人間にできるはずも無かった。
 
シャカ「誰だ!」
女性「私は泉の精です」
ミーメ「泉の精・・・?」

 彼女はにっこりと二人に微笑みかけた。・・・・いや、はっきりとシャカに向かって微笑んだのだ。

泉の精「この泉に落し物をなさったのは貴方ですね?」
ミーメ「!そうだ!ヒルダ様を返してくれ!」

 しかし泉の精はミーメの言葉など聞いていないかのように、もう一度少年へ訊ねる。

泉の精「この泉に落し物をなさったのは貴方がですね?」
シャカ「・・・・・・確かに、私が落とした」
泉の精「では」

 と、透き通った両腕を水中に差し入れ、引き出したのは金のヒルダ。

泉の精「貴方が落としたのはこの金の乙女ですか?」
ミーメ「違う!ヒルダ様は金属質ではない!」
シャカ「・・・私が落としたのはそれではない」
泉の精「そうですか。ならば」

 と、もう一度水中へ手をつっこんで、

泉の精「貴方が落としたのはこの銀の乙女ですか?」
ミーメ「違うといっているだろうが!!」
シャカ「あなたは黙っていたまえ。・・・泉の精とやら。それも私の落としたものではない」
泉の精「そうですか。ならば、貴方が落としたのはこの銅の乙女ですか?」
シャカ「違う。私が落としたのは生身の女だ」

 シャカはきっぱりと答えた。
 それを聞くと、泉の精は再びにっこりと微笑んだ。そして言った。

泉の精「貴方は正直な人です。ご褒美に、この金の乙女を差し上げましょう」
ミーメ「本物を返せー!!」

 ミーメの絶叫は泉を越え森を越え、天高くまで響き渡ったという。



パターン6・羊の場合

 フェンリルが謎の一族とコンタクトを取れたきっかけは、それはそれは不穏なものだった。
 自活のために週に3,4匹の羊を狩っていたのがバレたのである。
 ある日、いつものように羊を追いかけ、追い詰め、今にも息の根を止めんとしているときに、横から飛んできた声があった。

ムウ「やめてください!」

 同時に目の前の羊が宙に浮いた。

フェン「!?」
ムウ「あなたなのですね、最近の羊連続惨殺事件の犯人は」

 声の主はたおやかな姿の少年だった。あの眉毛の丸い、謎の一族の人間だということにフェンリルは思わずひるんだが、少年は引き寄せた羊を逃がして彼のほうに歩み寄った。

ムウ「この辺りの羊は、全て近隣の百姓のもの。あなたが手にかけていいようなものではありません。なぜ泥棒行為を働くのです」
フェン「知らん!食っていくために山の獣を狩って何が悪い!」
ムウ「ですから、羊は山の獣ではないのです。この山には獣など、もとより生息していませんよ」
フェン「だからこそ羊を食うしかなかったんだろうが!」
ムウ「家に帰ってまともな職を持てば羊を狩る必要などないでしょう」
フェン「俺には家などない!」

 とフェンリルが怒鳴ると、初めてムウはおや?という表情になった。

ムウ「家が無い?家出ですか?」
フェン「俺は貴様ぐらいの年のころに捨てられたのだ」
ムウ「!」
フェン「そして色々あって宮殿仕えをするようになったが、どういうわけかこの間、仲間の飯があるという部屋に入ったとたんに、このわけのわからない場所へ出てきてしまったのだ。時空を移動したのかもしれん」
ムウ「・・・・ああ、つまり、全部冗談というわけですか。子供だからといってからかわないで下さい」
フェン「違う!本当の話だ!!」
ムウ「・・・・本当に?」
フェン「本当だ!」
ムウ「なら、手を見せてください」
フェン「手?こうか?」
ムウ「いえ、両手を揃えて・・・・そうそう」

 ガッチャン。

フェン「・・・・おい、この手錠は一体なんだ」
ムウ「羊泥棒の件につきましては、我が師シオンが帰り次第裁いていただきましょう。それまで囚人としてうちに泊ってて下さい」
フェン「騙したな!?」
ムウ「騙してません。捕まえないなんて、誰も言ってないじゃないですか。・・・暴れても無駄です。この手錠はシオンが直々に作られたものですから」

 少年はにっこり微笑んだ。

ムウ「私の名前はムウといいます。どうぞよろしく」




 ガキッ、ガチッ、ギリギリギリ・・・・

ムウ「・・・噛んだってはずれはしませんよ」

 部屋の隅にうずくまって鎖と格闘するフェンリルを、呆れたように眺めながらムウが言う。

ムウ「それより、晩御飯を食べてください。片付かないです」
フェン「手を縛られていて飯が食えるか!」
ムウ「食べさせてあげます。はい、あーん」
フェン「火箸を使うな!!」
ムウ「だって普通の箸だと手首まで噛み切られそうです」

 食事(無理矢理)が済むと、ムウは食器をきちんと片付け、机に向かって勉強を始めた。
 縛られたままのフェンリルはひとしきりうなっていたが、相手がまったく意に介さないようなのでやがてあきらめて横になった。
 窓から吹き込む風がすっかり夜の空気になり、ふと我に返った少年が部屋に明かりを灯す頃。
 フェンリルがぴくりと目をあげた。
 誰か、来た。

ムウ「・・・・誰でしょう。こんな時間に」

 ムウが気づいていたことに驚いたものの、鼻を鳴らしただけで返事はしない。
 ドアが小さくノックの音をたてた。
 少年はすばやく歩み寄った。

ムウ「どちら様ですか?主は出かけています。聖衣の修復はお受けできませんが」

 すると予期に反して外から聞こえてきたのは、優しい少女の声だった。

少女「修復ではありません。道に迷ったので一晩泊めていただきたいのです」
ムウ「・・・・・。この辺りで道に迷うには聖衣の墓場を越えてこなければならないはずですが」
少女「越えてきました」
ムウ「・・・・・どうぞ」

 ムウはそっと扉を開けた。
 立っていたのは色白につぶらな瞳の美しい少女であった。

少女「あの、私・・・・」

 と言いかけて、縛り倒されているフェンリルと目が合い、ビクッとする。

少女「あの、あれは・・・」
ムウ「ああ、気にしないで下さい。いつもああなんです」
フェン「嘘をつけ!!おい、臭いがする。この女は人間ではなムガっ!
ムウ「ほんとに気にしないでくださいね」

 にこやかに語り掛けつつ、手早くフェンリルにさるぐつわをかますムウ。
 どうぞ中へと怯えている少女を招きいれた。
 少女はおずおずと、フェンリルから一番はなれた部屋の隅に座った。

ムウ「道に迷ったのですか。大変だったでしょう」
少女「は、はい」
ムウ「今夜はゆっくりこの館でお休み下さい。大丈夫、この荷物は縛ったまま2階にあげておきますから。階段が無いのでおりてくる心配はありませんよ」
少女「あ、ありがとうございます」
フェン「ふぬふぬふぬ!!」

 そんなわけでフェンリルは2階に放り込まれ、ついでにムウも一緒にそこで休み、少女は下で一夜を過ごしたのであった。




翌朝。ムウが起きて窓から飛び降りてくると、一階ではおいしそうな朝ごはんのにおいがしていた。

ムウ「あなたが・・・?」
少女「はい。・・・あの、お台所を勝手にいじってしまっては申し訳ないかとも思ったのですけれど、私にできることといったらこのくらいで・・・」
ムウ「そんな。嬉しいです、ありがとうございます」

 料理は大層おいしかった。
 ムウの食べる姿を、少女は嬉しそうに見つめていた。

ムウ「まだ残り、ありますか?」
少女「ええ、おかわりならいくらでも・・・」
ムウ「あ、いえ、そうではないのですけれど・・・。2階の彼にも食べさせてあげなくては。死なせるわけにもいきません」
少女「お優しいのですね」
ムウ「貴方はこれからどうするのですか?道に迷ったとのことですが・・・明るくなって、道わかりますか?」
少女「あの・・・・・・それが・・・・・・ちょっとよくわからなくて・・・・・」
ムウ「そうでしょう。もし急ぐのでなかったら、ここに居てください。いずれ我が師シオンが戻りますから、きっとあの方なら貴方に道を教えてくれるはずです」
少女「ありがとうございます」
ムウ「では私は2階をのぞいてきますので・・・あ、すみません、火箸とって下さい」

 2階の居候は不機嫌であった。

フェン「ふぬふぬ!」
ムウ「御飯ですよ。いまさるぐつわ外してあげますから、ちょっと大人しくしててくださいね」

 外す瞬間に噛み付いてやろうと思ったフェンリルであったが、いまいましいことに、少年はテレキネシスを使ってさるぐつわを解いた。

フェン「枷をはずせ!」
ムウ「駄目ですよ。はい、御飯をどうぞ。あーん」
フェン「火箸をやめろ!」
ムウ「噛む気でしょう。箸は難しくてまだテレキネシスで使うことができないですけど、それができるようになったら火箸やめますね」

 フェンリルはまたうなった。それからふいに鼻にシワを寄せた。

フェン「・・・・・獣くさい」
ムウ「え?」
フェン「臭いがする。獣がいる」
ムウ「それは貴方でしょう。私はいつも清潔にしています」
フェン「俺が不潔だとでも言う気か!」
ムウ「好んで入浴してるようには見えません」
フェン「昨日きたあの女!俺にはあいつがひどく臭うのだ!あれは人間じゃない!」
ムウ「ひどいことを言わないで下さい。下に聞こえたらどうするんです。彼女はれっきとした人間ですよ。名前はメエと言うそうです」
フェン「明らか過ぎるほど明らかな名前だろうが。どう考えても、ひつ・・」
ムウ「いいからさっさと食べてください」

 ムウは穏やかに微笑みながら、火箸で彼の口に煮物をつっこんだ。
 
 平和な何日かが過ぎ、ある晴れた日のこと。
 少女メエが遠慮がちにムウに申し出た。

メエ「あの、お願いがあるのですが」
ムウ「なんですか?」
メエ「私に、部屋を一ついただけませんか。そして編み棒を一揃い下さい」
ムウ「ええ、構いませんが・・・何をするのですか?」
メエ「編み物です」

 館にはことごとく階段が無く、上の部屋をあてがうのも不便だろうと思ったので、ムウはテレキネシスで外に小さな石小屋をたててやった。

メエ「ありがとうございます!」
ムウ「気に入っていただけて嬉しいですよ」
メエ「それでは私はさっそくこの部屋で編み物をさせていただきます」

 少女はいそいそと部屋に入った。しかし、戸を閉める前に振り返ってこう言った。

メエ「私が出てくるまで、決して中は覗かないようにお願いいたします」
ムウ「わかりました」

 ムウは笑って頷いた。夕方ごろには出てくるだろうと思ったのだ。
 ところが、彼女はそれから3日もぶっとおしで部屋にこもりきり、その間中ひっきりなしに編み針のカチカチいう音が中から聞こえてきていた。

フェン「ああああうるさい!!あの近所迷惑な音は一体なんだ!」
ムウ「メエが編み物をしているんです」
フェン「嘘をつけ!昼も夜も全然やすまずカチカチ言っているではないか!」
ムウ「ええ、ですから私も心配しているんです。もう今日で3日も部屋にこもって、戸も窓も締め切って編み物をしているようなのです」
フェン「その音がどうして外まで聞こえるんだ!!」
ムウ「どうしてでしょう。渡した編み棒がオリハルコン製だったからでしょうか」 

そしてこもってから七日目。音がやんだ。
 心配で見守っていたムウの前で、部屋の戸がそっと開き、すっかりやつれた風情の少女が姿をあらわした。

ムウ「大丈夫ですか?こんなにしてまで、何を編んでいたのですか」
メエ「これを、あなたに・・・」

 か細い笑顔と共に差し出されたものを見て、ムウは息を呑んだ。
 輝くような純白と見事に揃った繊細な編み目。
 今だかつて見たこともないほど美しいそれは、手編みの靴下の片方だった。

ムウ「・・・・・・これに・・・・・7日も・・・・・・・」
メエ「ようやく片一方ができたので早く貴方にお見せしたくて。これからもう片方を作ります。それでは」
ムウ「あ、ちょっと待っ・・・!!」

 ぴしゃん。

ムウ「・・・・・・・・・・」

 開けてはいけない扉の前で、靴下片手に立ち尽くすムウであった。




フェン「なにいいいいっ!?それではまだあの騒音が7日も続くというわけか!?」

 経過を聞いたフェンリルは怒りくるって鎖に噛み付いた。

フェン「この枷をはずせ!!あの女を追い出してくれる!」
ムウ「貴方がそんなことをする権利はありませんから。それより、メエの体調が気になります。すごくやつれているんですよ」
フェン「だったら早くやめさせろ!」
ムウ「ですが・・・部屋の戸を開けないと約束したんです」
フェン「約束が何だ!些細なことにこだわって大局を見なければ必ず後悔するぞ。目の前の紫龍しか見ていなかったためにナダレに巻き込まれた俺のようにな!」
ムウ「・・・・何があったのかは知りませんが・・・・・・でも貴方の言う通りかもしれませんね」

 ムウはちょっと目を閉じて考えた。
 それから決然とした声で言った。

ムウ「わかりました。約束よりも命が大事です。何より、私も最近寝不足でしたし。やめさせてきます!」
フェン「行って来い!」

 メエの部屋の中からは、相変わらず猛烈な勢いでカチカチいう音がしていた。
 戸に手を掛けながら一瞬は迷ったものの、すぐに意を決してムウは入り口を開け放った。
 そして見た。

ムウ「メエ・・・・!」





 夜。膝を抱えた少年が、フェンリルの横で鼻をすすっていた。

フェン「・・・・・やはり羊だったのだな」
ムウ「・・・・・・・・・・・」

 ムウの小さな手は作りかけの靴下の片方を握っていた。
 耳にはメエの最後の言葉がこだまする。

 「決してあけないでと言ったのに・・・見られてしまったからには、もう全ておしまいです」

 部屋の中では羊が一匹、自分の毛を引っこ抜いては靴下を編んでいたのだった。

 「あなたと一緒にいられて幸せでした。せめて最後にこれを・・・・」

ムウ「メエ・・・・どうして」
フェン「・・・・・。きっと、お前が俺から助けた羊なのだろうな。恩を返そうとして」
ムウ「だからって・・・・だからってなにも黄金聖衣にならなくたって・・・!」
フェン「それは・・・・まあ・・・・・・そういう羊だったんだろう・・・・」

 ムウの隣で静かに輝いている金の聖衣。
 メエをそういう風にしてしまったのは自分にも責任の一端があるため、フェンリルもさすがにもごもご口をにごすしかなかった。

ムウ「自分を犠牲にしてまで恩返しだなんて・・・・・私はそんなことのために助けたんじゃなかったのに・・・・」
フェン「・・・・・・・動物というのは、人間よりもよっぽど誠実なものだ」

 バツが悪そうに呟く。

ムウ「・・・・・・・・」
フェン「・・・・聖衣を大事にしてやれ」
ムウ「・・・・・・・・・・。・・・・・・・・っ」

 頷いて、ムウは膝に顔を埋めた。





 次の朝、シオンが帰ってきた。

シオン「ムウ。ムウはいるか。今帰った。・・・・・・なんだそれは」
ムウ「フェンリルです。拾ったんです」
シオン「やたらに物を拾うなと言っているだろう。最終的に世話をするのは私なのだからな」
フェン「自分の世話は自分でできる!枷を外せ!」
シオン「ん?そこにあるのは黄金聖衣ではないか?ムウよ、お前はついに手に入れたのか」
ムウ「てにいれたというか・・・・・・・;」
シオン「うむ。丁度良い」
ムウ「?」

 いぶかしげに見上げた弟子の頭に手を置いて、厳粛な面持ちのシオンは言った。

シオン「サガやアイオロスと話し合ってきたのだがな。そろそろ黄金聖闘士候補生達を聖域に集めて訓練すべきだということで意見が一致したのだ。お前の仲間となるものたちが各国に散らばっていることは前にも話した事があろう」
ムウ「はい」
シオン「現状のまま修行をさせてもいいと私は思っていた。しかし、どうも最近は入ってくる中間報告が芳しくない。様子見にやった使いの者の話によると、不良になったり世界征服を目論んだりシベリアで女と同棲したりとロクな人間になっていないようなのだ。聖衣を手に入れたものも少なくないというが、その入手経路も実力に伴っているのかはなはだ疑わしい。お前は私が直々に鍛えたので大丈夫だろうが、グリーンランドにいる奴などスズメにもらったと言っているそうだ。ミロス島の少年に至っては藁一本から交換したという情報が入ってきている。畑に豆をまいて手に入れた奴もいるらしい。世界を守る力強き聖闘士がこんな有様では先行きどうなることやら。故に、いい加減で遠方修行をきりあげ、聖域で徹底的に鍛え上げようとなったのだ」
ムウ「・・・・・・・」

 メエのことが喉元まででかかったが、すんでのところで飲みおろしたムウである。

シオン「近いうちに聖域へ出発する。心しておけ、ムウよ」
ムウ「はい!」
シオン「家は長期無人となるだろう。ペットは放してやるのか?連れて行くのか?」
ムウ「連れて行きます!」
フェン「放してくれ!!」

 大暴れに暴れるフェンリルだったが、ムウは得意のテレキネシスで彼を風船のように宙に浮かべたまま、上機嫌で鎖を引っ張るばかりだった。
 ・・・・懐かれたらしかった。


 続く



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