今から243年前のこと。シオンと童虎は現役の黄金聖闘士として聖域に住んでいた。
 当時は仲が良いとは言えなかった。否、はっきり言うと悪かった。

童虎「・・・・なんじゃ貴様。さっきから人のことをジロジロ見おって」
シオン「被害妄想だろう。私はただ、よくまあそんな無駄な運動を飽かずせっせとやるものだと感心しているだけだ」
童虎「無駄!?人の修行にケチをつける暇があったら貴様も少しは鍛錬せい!」
シオン「私が鍛錬していないとでも言う気か?私は私なりに修行している。お前のように指回し健康法で大汗をかくというような馬鹿な方式はとっていないだけだ」
童虎「そんなことを言って、要は怠けているだけじゃろう!フン、話にならんわ」
シオン「まったくだな」

 決裂の原因は定かではない。シオンが「耳障りだからそのなんちゃってジジイ口調をやめろ」と言ったのが悪かったのかもしれないし、あるいは童虎が「お前こそ目障りなその団子眉毛を全部剃れ」と言ったのが悪かったのかもしれない。
 しかし、それよりなにより根底にあるのは、歴史の上に築かれてきた民族対立なのだろう。
 中国とチベット。うなぎと梅干どころか、塩素系洗剤と酸性洗剤ほども食い合わせの悪いお国柄である。

童虎「シオン!!どういうことじゃこれは!!」
シオン「・・・・どういうこととは?」
童虎「このヘッドパーツ!!なんでこんなむっさい形になっとるんじゃ!!」
シオン「直せといわれたからお前のむっさい顔に合わせて直してやったまでだ。礼は言われても文句を言われる覚えは無い」
童虎「ふざけるな!散々人を待たせておいて・・・・!デザインセンスの欠片も無いなら聖衣修復の看板なんぞおろせ!」
シオン「フン、いくら天才彫金師の私だとてモデルが悪くてはどうにもならんわ。人の仕事に文句つける前に鏡でも見て己の反省したらどうだ?」
童虎「貴様ぁっ!!」

 ・・・殴り合いの喧嘩も何度したかわからない。そのたびに止めに入るのは年上の聖闘士達である。

水瓶「オーロラエクスキューション!!・・・・・・・さて。今度ケンカをしたらただではおかんと30秒前に言ったばかりの筈だが」
双子「人の話をまるで聞いていなかったということだな。仕方が無い。言ってもわからんならスニオン岬だ。来い、二人とも!」
 
 後にいろんな意味で恐れられる存在になる童虎とシオンの二人組も当時は所詮18歳。年季の入った先輩達にどつかれれば、なす術も無く監禁されて塩水飲んで死に掛ける。
 それでも懲りずに小競り合いを繰り返す彼らは先輩聖闘士にしてみれば手のかかる面倒な後輩であったが、しかし一部で「なかなか根性のあるガキだ」と評価され、獅子座あたりにウケが良かった。

獅子「存分にやるがいい。男同士の友情は拳でつちかう物。余計な言葉は必要ない。ただでさえ技の名前だとか効能説明だとか己のポリシーの吐露だとかを戦闘時にやって、『男の喧嘩の割に口数多い』と言われている俺達だ。これ以上話し合いで解決するなど言語道断。力尽きるまで殴り合え」

 かくして若干名ではあるものの理解者を得た二人はほぼ毎日力尽きるまで殴りあった。
 そして、いつも力尽きたところで決まって駆けつけてくれるのが、正義と平和を愛する女神アテナなのであった。
 
アテナ「まあ・・・また喧嘩をしたのですか?」
童虎「だってこいつが!」
シオン「お前が!」
アテナ「喧嘩は両成敗ですよ。昨日治療したばかりの傷がまた開いているではありませんか」
童虎「こんなもの何でもないわ!」
アテナ「いけません、バイ菌が入ったら大変でしょう?ちゃんと傷口を洗ってお薬で消毒しましょうね」
童虎「わしらを何歳だとおもっとるんじゃ!!舐めとけば治る!邪魔をするな!!」
シオン「童虎!アテナに対してなんという・・・・お前は口のきき方も知らんのか!?」
アテナ「さあさあ、二人とも。じっとして」

 女神の包み込むような笑顔を向けられると、それまではいくら暴れていた二人だとしても、とたんに心が穏やかになった。前世のアテナにはそんな何かがあったのだ。ずっと昔に失くした、懐かしい匂いを思い出させるようなものが。
 童虎もシオンも、喧嘩をする理由の中には「アテナの笑顔を見たい」という気持ちがあったのかもしれない。心労をかけさせてはいけないと思う一方で、自分たちのために飛んできてくれる彼女が嬉しかった。だから一端喧嘩をするとなれば、できるかぎり早く女神の耳に届くように盛大にやったものだった。
 ・・・いつまでも殴り合っている場合ではないと気づく日は必ず来るけれど。




 時代が過ぎ去ったことを知り、思い出を見送る時が、二人にも突然訪れた。
 聖戦の勃発である。
 アテナの聖闘士は88人いるが、ハーデスの冥闘士は108人。何より命令系統は向こうの方がしっかりしているので、聖域側は圧倒的に不利であった。

乙女「顔も見たことない青銅の小僧とかが普通にいるからな・・・協力しろと言われても」
魚「おい、蟹の奴がさっき出て行ったまま戻ってこないぞ。死んだのか?」
双子「いや。金牛宮まで来た奴らの中に見覚えのある小宇宙が混ざってたから、たぶん寝返った」
獅子「あの野郎;・・・・。で、迎え撃った牛はどうした?」
双子「・・・合掌だ」
獅子「・・・・・・・・・;」
双子「それはさておき、いかがいたしますかアテナ。とりあえず敵の軍勢は双児宮でぐるぐる回らせていますが、いつまでもこのまま水族館のマグロになっていてくれるとは思えません。差し向けた者が帰ってこないとなればハーデスも黙ってはいないでしょう。何と言っても相手は冥府の神。取るだけとって絶対返さない男。手駒の虫一匹でも消えようものなら目くじら立てて怒ること必至です」
アテナ「そうですね・・・」

 女神は眉を寄せた。
 わきに控えていた童虎は、彼女と先輩聖闘士たちの真剣な様子に口を挟むこともできず、生まれて初めて味わった「世界の危機」をただ焦燥の念に駆られて眺めるのみだった。

シオン「アテナ!大変です!」

 偵察から帰って来たライバルの声で、安堵をおぼえた。

アテナ「どうしました?」
シオン「ハーデスの軍勢が体勢を立て直して一斉攻撃に打って出るようです。非常に短絡的な思考だとは思いますが、聖闘士には有効です」
アテナ「そうですか・・・・確かに数で圧されるとこちらとしては苦しいですからね。ロクな参謀もいませんし。せいぜい愛の力で撃退するぐらいでしょうけれど・・・そう、皆さん、ですよ。左手に指輪はめているぐらい甲斐性のある人がいればよかったのに」
双子「・・・いないんですから仕方ありません。とにかく、愛とか恋とか若い人の幻想に頼るのはやめましょう。どうせ結婚してから現実に向き合うんですよ、亭主が秘書と浮気したりして」
魚「それで女房を殺そうと画策したあげく間違って浮気相手か自分が死ぬというのがよくあるパターンだな。ふっ、愛など脆いものだ。ロミオなんか第一幕で別の女にぞっこんだったくせに、ジュリエットを見るや否や鞍替えして5日のうちに心中だ。あの世でも浮気しまくってるに違いあるまい。愛とは、かくも脆く儚い」
獅子「ああ、まあ言いたい事はわかるがな。しかしアテナの聖闘士がそこまで愛をボロクソ言っていいものなのかどうか・・・・」
アテナ「どうでもいいですよ。そんなことよりハーデスをどうするかが問題です」

とアテナが言ったので、無駄な時間を五分以上に延長せずに済んだ。そもそものネタを振ったのは女神だったのだが、幸い誰もつっこまなかった。

乙女「私に一つ考えがあります」

と、乙女座の聖闘士が言った。

乙女「敵が一斉攻撃を仕掛けてくるということは、その間、冥界は手薄になるということ。ハーデスは自らの肉体を溺愛するあまり冥府の最深部に閉じこもっているちょっと微妙な存在です。私たちがここで敵をひきつけてできるだけ時間を稼ぎますから、アテナ、あなたは冥界に赴きハーデスを倒すのです。統べる者がいなくなれば、この聖戦は終わるでしょう」
アテナ「・・・やはり、それしかないのですね」

 アテナは溜息をついた。自分のいない聖域は、きっと死の戦場になるだろう。そこに残る聖闘士たちは・・・・・・一体何人が生き残ってくれるのか。
 しかし事態が切迫していることはわかっていた。一刻も早く戦いを終わらせることが全人類を守る女神の務めであった。
 彼女は決意をしたように顔を上げた。

アテナ「わかりました。行きましょう、あの世へ」
双子「その言い方はどうかと思いますが・・・・。童虎、シオン。お前たちはこの御方を最後までお守りするのだぞ」
童虎「え?」

 急に話を振られて童虎は戸惑った。その脇でシオンの顔がすっと青ざめる。彼は一歩前に出て訴えるように言った。

シオン「私は、ここに残って戦います」
双子「それは駄目だ」
シオン「なぜ!」
双子「アテナをお一人で敵陣に行かせるわけにはいくまい」
シオン「ならば私ではなく、もっと力のある方が・・・例えば貴方が!」
双子「私たちでは行けない。冥府へ行くには究極の小宇宙、エイトセンシズを必要とする。愛に限界を感じている私たちにはもう無理だ」
シオン「そんな・・・・!」
双子「童虎、お前はわかるな?アテナはお傍を守るものが必要なのだ」

 それは名誉ある重要な使命であるように思われたので、童虎は素直に頷き、はい!と言った。
 シオンが振り返ってこちらを睨み付けた。

シオン「童虎!お前は・・・・・」
双子「やめろシオン。この期に及んで喧嘩も無いだろう。お前たちにはこの先、仲良く力を合わせてくれなければ困るのだぞ」
シオン「私は・・・・私はここに残って・・・・!」
双子「シオン」

 ・・・・双子座の先輩の言葉には微妙な響きがあった。
 童虎はようやくそれに気づいて、そしてわかった。
 周りにいる自分とシオン以外の黄金聖闘士たちが、遠くを見るような、別れを告げるような目で二人を見ている。

双子「・・・・死に急ぐな、シオン」
シオン「・・・・・・・」

 優しく言われた友人の肩が、がっくりと下がるのが見えた。






シオン「童虎、お前というやつは・・・・!」
童虎「言うな!!」

 冥界に着くや否や怒鳴ってきた友人を、童虎はそれ以上の音量で怒鳴り返して黙らせた。

童虎「わしだって己の愚かさが憎いわ!!戦が終わったら、お前に殺されたって構わんわ!!」
シオン「童虎・・・・・・」
童虎「一生・・・絶対・・・・わしはわしを赦さん・・・!」
シオン「・・・・・・・・・」

 歯を食いしばってうつむく童虎。
 あの時、みんなの表情を見てようやく知ったのだ。他の黄金聖闘士が自分たちを生かそうとしてくれたこと。死の戦場からせめて遠ざけようとしてくれたこと。先に知っていたら何が何でも反対したはずの、理不尽な優しさ。
 だが、今さらどうすることができよう。自分たちはアテナを託されたのだ。
 きっともう二度と会いまみえることが無い仲間達に。

童虎「・・・・・・・」
シオン「・・・・・・・」

 背を丸めた友の姿を、シオンはしばし黙って眺めていた。・・・が、やがてフンとそっぽを向いてこう言った。

シオン「・・・・・・・・・・・まあ・・・・・・抗ったところで御前程度の力量なら結果は同じだっただろうがな」
童虎「なに・・・?」
シオン「無駄に迷惑をかけなかっただけ、馬鹿になっていたほうがマシだったということだ」
童虎「なっ・・・・!」
シオン「情けなく自己嫌悪に浸っているお前なぞ、見ていて気味が悪い。さっさと立ち直れ」
童虎「っ!言われんでも立ち直るわ!」
シオン「フン」

 頭から湯気を立ててたちどころに元に戻った童虎を、シオンはつくづく単細胞だという風に見やった。
 童虎ははったと睨み返し、

童虎「わしだって、お前が考えてるほど馬鹿ではないわ!」
シオン「・・・どうだろうな」
童虎「その証拠に、今度はちゃんとわかったからの!礼を言ってやる、ひねくれ者!」

 いまいましげに言い放つ童虎の姿は、どことなくユーモラスである。
 こんな場合にもかかわらず、シオンは口の端をつりあげて思わず笑う。

シオン「・・・・別にそういうつもりはない。思った事を言ったまでだ」
童虎「わしだって思った事を言っただけじゃ!」
シオン「そうか。なら、この話は終わりにしよう。私たちはアテナの供につかねばならん。アテナはどちらに・・・・」

 ・・・・そこで二人は初めて気づいた。
 女神がどこにもいないことに。





シオン「童虎!!お前というやつは・・・っ!!」
童虎「言うな!!貴様だって気づかんかったくせに!!」

 今度は本気で相手を殺しかけながら、大音声を張り上げつつ冥界を走り回る二人である。

童虎「アテナ!!どこじゃ!!返事せい!!」
シオン「言葉遣いを直さんか!!」
童虎「そんなこと言ってる場合じゃなかろうが!!」
シオン「ええい、らちがあかん!一度落ち着いて考えるぞ!止まれ!」

 二人は足を止めたものの、落ち着くには程遠い心境で、

童虎「くっ!こうしている間にアテナにもしもの事があったら・・・わしらはなんと言って仲間に詫びればいいんじゃ!」
シオン「詫びたぐらいではすまんだろう。とにかく一刻も早く彼女を見つけ出さねば大変なことに・・・・・はっ!そうだ!」
童虎「なんじゃ!?」
シオン「冥界はこれだけ広いのだから、一同に伝達事項を伝えるにはそれなりの設備が必要なはず。すなわち放送室。まずはそこをジャックして館内放送でアテナを呼び出せば!」
童虎「おお!!冴えておるなシオン!!」
シオン「よし!そこらの冥闘士をとっつかまえて放送室の場所を吐かせるぞ!」

 ・・・彼らが通りすがりの下級冥闘士を尋問する様は、どんな地獄よりも地獄っぽかった。

冥闘士「だ、だから知らないって言ってるじゃないですか!」
童虎「知らなくても言ってもらわなければ困るんじゃがなぁ?」
シオン「良いのか?そこに転がってる奴等の仲間入りをしても」
冥闘士「ひー!;;」

 転がってる奴らの仲間どんどん増えたが、一向に場所を知っている冥闘士には出会わない。
 ひょっとしたら放送室なんて存在しないんじゃないだろうかという危惧が胸のうちで膨らんできたし、こんなことなら放送室よりアテナの居場所を聞いて回ったほうが早いのではないかとも思えてきた。

童虎「シオン!あれを見ろ!」

と童虎が叫んだのは、二人がいい加減うんざりしながらカエルの変なのみたいな冥闘士をしばきたおした直後のことであった。
 彼が指差す方には、聖域の神殿によく似た構えの建物がある。
 あれだけまともな門戸を構えるからにはそれなりの人物が住んでいるに違いないひょっとしたら交番かもしれないという童虎の主張により、道を聞くために揃って中へ足を踏み入れた二人である。

シオン「・・・童虎よ。相手が冥闘士だからといって、ここは一応他人の家だ。くれぐれも失礼の無いようにな」
童虎「わかっておる!」

 ごめんください!と声を張り上げると、さっきまでの冥闘士とはいかにも物腰の違う、格も品もありそうな男が出てきた。

バルロン「・・・・何ですか、騒々しい」
童虎「すみません、うちのアテナ知りませんか」
バルロン「・・・アテナ?アテナがこの冥界に来ているだと?馬鹿な、彼女は今地上にいるはず」
童虎「わけがあってついさっきこっちに来たはずなんです」

 ばらしてどうする童虎。

バルロン「わけとは・・・・まさかハーデス様の首を狙って・・・・・!」

 当然のことながら、二人を見る男のまなじりは吊り上がった。

バルロン「貴様らは聖闘士か!!ハーデス様にはむかう不貞の輩どもめが、ここで始末をつけてくれる!!」
シオン「待て。私たちはお前と争うつもりは無い。アテナの居場所を知りたいだけだ」
バルロン「知らん!」
シオン「ならば放送室の場所を教えてくれ。直接アテナに呼びかける。この館で待ってますと」
バルロン「ここは私が上司から預かった神聖な裁きの館だ!敵の待ち合わせ場所に貸せるわけがあるか!!大体、放送で呼び出したりしたらアテナが潜伏していることが全土に知れるぞ!それでいいのかお前たちは!?」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はっ!

二人『言われて見れば確かに!!』
バルロン「気づけ!もっと早く!」

 しかしもう遅い。アテナを探して大声で呼びまわってしまった後でもある。

バルロン「死者でも無い人間が裏口から入ってきたからおかしいと思ったが・・・・お前たちは一体いつどこからこの冥界に侵入した!?」
シオン「どこから入ってきたのか、そんなことが私たちにわかるわけがあるまい。初めて冥土に来たのだからな。落ちたところから始めただけだ。最終的にハーデスの元へ辿り着ければ出発点はどこでもよい」
バルロン「辿り着くと行っても、この裁きの館に裏から入ってきたのだから・・・言っては悪いが逆方向に来ているぞお前たち」
二人『!?;』

 バルロンの冥闘士から発せられる言葉はなかなか衝撃的な事実ばかりである。平気そうな様子をよそおいつつも思わず浮いた視線が、二人の戸惑いを表わしていた。
 それを見て、こんな奴らは相手にするまでも無いと踏んだか、くるりと踵を返すバルロン。

童虎「待て!どこへ行く!」
バルロン「決まっているだろう。地上にはアテナがいないことを仲間に知らせるのだ」
シオン「なっ・・・させるか!スターダストレボリューション!!」

 シオンの放った必殺技は雨のように敵の頭上へと流星を降らせる。が、ターゲットは瞬時に出した右手を一閃させ、そのことごとくをはじき散らした。
 手にはいつのまにか一振りの鞭が握られており、振り向いた顔は端正な造りにも関わらず戦士としてのあるべき表情に歪められて殺気をみなぎらせている。
 
バルロン「聖闘士ごときが冥界で勝手をできると思うな!」

 再度のシオンの攻撃もすべて打ち砕く。

バルロン「このバルロンの鞭の前には貴様ごときの技など遊戯も同然。そっ首かいて地獄の底に叩き落してくれるから覚悟しろ!」
シオン「くっ・・・・!丸腰の人間相手に武器とは卑怯な!」
バルロン「お前は丸腰のうちに入らんわ。流星降らして人殺そうとする奴が図々しいことをぬかすな!・・・さあ、今度はこちらから行くぞ。くらえ!ファイヤーウィップ!!」

 振るわれた鞭のうねりがシオンに迫る。とっさに身を退けたものの、予想以上に長いリーチが彼の体を絡めて動きを封じた。
 舌打ちするシオン。
 敵の目が満足そうに細くなる。

バルロン「死ぬ前に言い残すことは無いか?」
シオン「・・・・・・・」
バルロン「恐ろしさに声も出ないか。では黙したまま死ぬがいい」
シオン「・・・・どうだろうな」

 バルロンがその手に力を込めた瞬間だった。目の前の聖闘士の姿が掻き消え、やおら手ごたえを無くした鞭は虚しく空を切った。

バルロン「なっ・・・!」
シオン「残念だが悠長な攻撃は私には通用せん。テレポーテーションのプロを甘く見てもらっては困る」
バルロン「・・・・なるほど。武器よりよっぽど卑怯だな。まあよい、ならばもはや手加減せず、一瞬にして葬ってやろう!ファイヤーウィップ!」
シオン「無駄だ!」

 シュン!(←芸の無いテレポーテーション音)

シオン「手加減無しはこちらの台詞だ、スターダストレボリューション!」
バルロン「くっ!」

 バシバシバシバシ!

バルロン「通用しないと言ったはずだ!死ね!ファイヤーウィップ!!」

 シュン!

シオン「貴様こそこれが最後だスターダストレボリューション!」

 ばしばしばし!

バルロン「ファイヤーウィップ!!」
シオン「スターダストレボリューション!!」
バルロン「ファイヤーウィップ!!」
シオン「スターダストレボリューション!!」
バルロン「ファイヤーウィップ!!」
シオン「スターダストレ・・・・」
童虎「もうよいわ」

 ・・・・・童虎の手が仲間の後ろ襟首をひっつかんで思いっきり引っ張ったので、永遠に続くかに思えた無駄の応酬は終わった。

シオン「何をする!」
童虎「いいから退けい。お前に任せておいては何も進まん。この程度の敵など、わしの一撃で終わらせてやる」

 ずい、と一歩前に出る彼は必殺兵器を握っている。シオンが眼を見張った。

シオン「!それはライブラの武器!童虎、アテナのお許しがなければ使ってはいけないものだぞ!」
童虎「今使わんでいつ使うのじゃ。アテナだって許してくれよう。わしらが一刻を争っていることを忘れたのか、シオン」
シオン「童虎・・・・」
バルロン「フン、得物の一つや二つで私を倒せるとは随分大層な物言いではないか、小僧」
童虎「大層かどうか、すぐにわかることじゃ」
バルロン「・・・・・ほう。ならばわからせてもらおうか」

 鞭を構え、童虎に向き直るバルロン。対峙する青年は虎の双眸で彼を睨みつけ、腕の武器を握り締める。
 そして、

童虎「行くぞ!!」

 千の光が冥界の闇を割った。






 ・・・・・・・・・瓦礫の山を前にして、童虎は無言であった。
 しかし傍らの友人は決して無言ではなかった。
 
シオン「・・・確かに一撃で終わったな。お前の言った通りだ童虎」
童虎「・・・・・・・・・・;」
シオン「だが、やる前に一言あってもよかったのではないか?予告も無しに建物丸ごとぶっこわすとは意表をつくにもほどがある。もちろん、お前が狙ってやったのだということは私にも十分にわかっているがな?ターゲットから90度それて大黒柱に直撃するなどということは、狙わない限り起きないミスだものな?」
童虎「やかましいわ!!文句があるならはっきり言え!!」
シオン「言われる前に土下座しろ!!瓦礫がいくつ私の後頭部を直撃したと思っている!!ハゲが残ったら訴えてやるから覚悟しておけ!!」
童虎「仕方なかろうが!!ライブラの武器なんぞ、今の今まで封印されてたんじゃ!わしだって使ったことなかったわ!!」
シオン「だったら剣とか槍とか使いやすい物から使え!いきなりトリプルロッドなんぞ、使えるわけがないだろう!!」
童虎「あれが一番鞭に似てたんじゃ!」

 ・・・・しばらくの間、どうしようもなく言い合いが続いて。

シオン「ええい、馬鹿に構ってる暇は無い!こうなったら貴様とは手を切って私一人でアテナを探す!」
童虎「勝手にせい!わしはもうアテナもお前もどうでもいいわ!このままハーデスのところまで乗り込んで首をあげてやる!」
シオン「先走ってせいぜい惨めに死ね!!」
童虎「貴様こそ血の池にでも沈んどれ!!」

 怒鳴りあいながら同じ方向に突き進む。

童虎「なんでこっちに来るんじゃ!お前はアテナを探しに行くのだろう!?こっちはハーデス方面じゃ!」
シオン「アテナはハーデスを倒しに行かれたのだから向こうにいらっしゃるはずだ!つべこべ言うなら貴様が別の道から行け!」

 ずかずかずかずかものすごい勢いで歩く二人。途中何人かの雑魚冥闘士を蚊を叩く要領でひねり潰したが、あんまり気づいていないようである。
 エジプトっぽいレリーフを通過し、花畑の花を踏み潰し、天敗星の何とかが出てきたところは名前を聞く前に昏倒させ、暗黒の沼のいかだ下りでどっちが漕ぐかまた揉めたもののとにかく向こう岸まで辿り着き、何だかんだいって二人一緒にジュデッカまでやってきた。
 その間、約30分。異様に速い。

童虎「くそっ、また贅沢な家が・・・・まさかこれも裏口ではなかろうな?」
シオン「その心配はあるまい。見ろ」

 シオンは入り口を挟んで立っている、羽の生えた化け物の彫像を示す。

シオン「稲荷神社だって狐がいるのは正面だ。ここが表玄関に間違いない。・・・お前は二度と武器を使うなよ。また生き埋め寸前になるのはごめんだからな」
童虎「やかましい」

 建物の中はまたしても薄暗く静かであったが、しばらく歩くうちにどこからともなく音楽が聞こえてくるのに二人は気づいた。
 竪琴の音である。
 何者かがいるのがわかって緊張が走る。聖闘士的思考としては、竪琴=糸でがんじがらめする武器なのだ。油断はできない。どうもさっきの鞭といい竪琴といい、冥界はサディスティックなところだ、と口にはださねど同時に思った二人である。
 慎重に足音を殺すようにして長い廊下を渡り、いくつもの扉のあいだをすりぬけてとうとう大きな広間に辿り着いた。
 彼らはそこに、思いもかけぬものを見た。

童虎「・・・・女?」
シオン「女だな・・・・」

 「竪琴」という武器から連想されたフル装備で顔面美形で長髪の男の予想はあっさりと裏切られた。そのうえ、音を奏でていたのは竪琴というにはでかすぎるグランドハープだったので、いくら冥闘士が根性を据えたとしてもこれを振りかざして攻撃してくる馬鹿はいなかろうと思われた。
 楽器を細い指で爪弾いていたのはたおやかな少女。素直で長い黒髪の、どこか憂いをのせた表情が印象的である。
 ・・・・童虎がぼうっとしかけているのにシオンは逸早く気づいた。

シオン「見惚れている場合か。しっかりしろ」
童虎「!見惚れてるわけではないわ!ただ、ちょっと美人だと思っただけじゃ!」
シオン「ああ、黒髪長髪はお前の趣味だからな。だが私にいわせればあの程度の女、十人並みを多少足抜けした程度だ」
少女「・・・・何か申したか、そこの男」

 目の前で品定めされたのはさすがに不快だったか。
 手を止めてその場にすっくと立ち上がった少女は、シオンの評価がはっきり不当であるほどの整った目鼻立ちをしていた。

少女「お前たちはアテナの聖闘士だな。女神を追ってきたのだろうが、早々に立ち去るが良い。もはや何者の力をもってしても、彼女を救うことなどできぬ」

 耳障りの良い声で聞き捨てならぬことを言う。
 童虎が気色ばんだ。

童虎「どういう意味じゃ!」
少女「アテナは恐れ多くもハーデス様を倒しにエリシオンへ向かったのだ」
童虎「どういうことじゃ!」
少女「この奥にある嘆きの壁の向こうがエリシオンへ通じる道。そこへは神以外立ち入れぬ。いくらアテナの聖闘士とて追うことはできぬのだ」
童虎「だからなんじゃ!」
少女「・・・・・・・・だからもう無駄なので帰れ」
童虎「できんわ!」

 きっぱりはっきり言われた言葉にきっぱりはっきり言い返し、童虎はふんと胸を張る。

童虎「立ち入れぬかどうかはやってみなければわからん!その壁とやらのところまで案内してもらうぞ!」
少女「・・・・なぜ私が?ハーデス様のお命を狙うお前たちなどに、力を貸す言われはない」
童虎「ならば退け。勝手に通る」
少女「できかねる」

 少女は床に置いてあった槍をそっと持ち上げ、構えて見せた。

少女「なぜあんな女などに忠誠を誓うのだ?女神とは名ばかり、何もできそうにないただのひよわな人間ではないか」
シオン「愚弄するな!アテナは大いなる力を持っておられる!」
少女「・・・・・・とてもそうは見えなかったが。あの程度の力なら、わざわざハーデス様がお目覚めになるまでもなく、いずれ消えていただろう」
童虎「そう思うなら目覚めなければよかったんじゃボケ」
シオン「アテナのお力を感じられぬなら所詮その程度の雑魚ということだ。どういうつもりか知らんが、得物を持ったところで私たちを止められると思うな。死にたくなければ脇に退いていろ!」
少女「たとえ身が朽ちてもこの場は通さぬ。お前たちがエリシオンへ行くことは絶対にできぬが、これ以上ハーデス様のお耳に障るような蛮行は姉として止めなければならぬから」
二人『姉!?』

 男達の声がはもった。

シオン「姉・・・とは、ハーデスの姉ということか!?ならば、お前もまた神なのか!?」
少女「私は人間だ。恐れ多いことを言うな」
童虎「?なんでそれで兄弟になるんじゃ?」
少女「決まっておろう。血の繋がりがあるのだ。親を同じくし、幼い頃から共に育った」
童虎「むう・・・ハーデスがそんな庶民の生まれだったとはのう」
少女「庶民ではない!我が一族はハプスブルグ家の正当な末裔なのだ!家柄が良いからこそ、ある日物置の古い箱から死と眠りの神・タナトスとヒュプノスが現れて『冥府の王が誕生されるから面倒を見るように』と私に告知されたのだ!お前たちが及びもせぬ高貴な血統!もっとも、ハーデス様がお生まれになったときに両親・召使・その他家畜から庭木に至るまで全て死に絶えたが・・・」
二人『騙されてるぞコラ』

 ツッコんだ童虎とシオンの視線は、いまや一抹の同情すら湛えていた。

童虎「ハーデスはおぬしの母を拠り代にして現世の復活を果たしたのじゃろう。神と人の間に血の繋がりなどあるはずもない、おぬしの家族はただ利用されただけじゃ」
少女「そんなことはない!私だって何かおかしいと思ったから一応確認したのだ!そうしたら、タナトスは『人間も神も同じコウノトリが運んできたらそれは兄弟なのだよ』と!!」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シオン「・・・・・・・・・・。娘、お前、年はいくつだ?」
少女「16だ!」
童虎「16か・・・・・どうするシオン。R指定は18禁じゃが」
シオン「微妙なところだな・・・・しかし、どうせ世間一般では16ともなれば友達同士で大体の知識は得ている歳。状況が状況だし仕方あるまい。娘、紙とペンを貸せ!この世の常識を教えてやる!」
少女「・・・・?;」

 何か、決死の覚悟をした風な聖闘士の様子に、少女はいぶかしく眉をひそめたが、好奇心は沸いたらしい。
 「ちょっと待っていろ」と言って奥から筆記用具を持ってきたのだった。





 ・・・・・1時間後。
 図と解説で清く正しい性教育を受けた少女は、半狂乱に陥っていた。

少女「嘘だ!!そんなのは嘘だ!!こんな・・・・こんな汚らわしいっ・・・・!!」
シオン「・・・泣いたって叫んだって事実は変わらん。絶滅危惧種のコウノトリが全人類相手にそんな暇な仕事をしていると思うな。あっちは自分の子孫を増やすので手一杯だ」
少女「お前たちは私を陥れるために嘘をついているのだ!!変態!ゲス!!ダンゴ眉毛!!」
シオン「実施研修されたいか小娘・・・・?」

 ・・・童虎は仲間の頭を力いっぱいどつき倒した。

童虎「わしらだって好きでこんな授業してやってるわけではないんじゃ!とにかく、これでわかったじゃろう!?おぬしはハーデスの姉なんかではない!そのタナトスとヒュプノスとやらに騙されて利用されていたんじゃ!おぬしの親を殺した張本人がハーデスじゃ!」
少女「嘘だ!」
童虎「嘘ではない!」
少女「だって、だってそれではタナトスがいつもニンフをはべらせて夜中に自室に連れ込むのは・・・一緒に絵本を見るのだと言ってたのに・・・・!」
童虎「・・・・・・・・・・;」
少女「いや、違う!タナトスがそんなことをしてるはずがない!あの人は、私が大人になったらお嫁にもらってくれると約束したのだ!」
童虎「・・・・・・・・・・・・あらゆる嘘でおぬしをたぶらかしとるな、そいつ・・・・・」
少女「もう帰ってくれ!お前たちの顔なんか二度と見たくない!」

少女が叫んだときだった。 
 ジュデッカの入り口がにわかに騒がしくなり、空気がざわめくのが感じられた。
 はっとして童虎とシオンは振り返る。

童虎「なんじゃ・・・?」
少女「・・・・・・他の冥闘士たちが帰って来たのだ。お前たちが来る前に、アテナが地上にいないことを私が伝えておいた」
童虎「なっ・・・・・!」
少女「お前たちはもう終わりだ」
シオン「くっ・・・!急ぐぞ、童虎!」
少女「通さぬと言ったはず!」

 この期に及んで槍を振り回そうとした少女を、

シオン「いい加減にしろ!」

と一喝して張り飛ばす。

少女「!」
シオン「これ以上お前などに関わっている暇はない!力も無いくせにふらふらでしゃばるな!消すぞ!」
童虎「シオン、よせ。この者は何もわかっておらんのじゃ。・・・・・娘、おぬしがハーデスを守るように、わしらもアテナを守らねばならん。それはわかるな?そしておぬしの力ではわしらを止めることはできん。それもわかるじゃろう?こいつを見れば」

 ・・・シオンの体は苛立ちのあまりものすごい小宇宙を発散して気流の渦を作り、一部には劇画の背景効果よろしくでっかい角と前足を振りあげた凶悪な人相している羊まで浮かんで、無駄無駄無駄ァ!と言っていた。
 少女は二つの質問に、うつむきながら頷いた。

童虎「だったら退いてくれぬか」
少女「・・・・・・・・・・・・私が退いても、嘆きの壁は越えられない」
童虎「それはやってみなければわからん」
少女「絶対に無理だ。壁を破壊することは決してできぬし、万一穴を開けられたとしてもそこから先は次元が違う。お前たちは足を踏み入れたとたんにバラバラに砕け散るだろう。あそこは神しか通れぬ道なのだ」
童虎「しかし・・・・・・」
少女「・・・・・・・これを持っていけ」

 チャラン。

童虎「なんじゃこれは」
少女「タナトス達にもらった首飾りだ。それをつけていれば冥界はどこへでも自由に行ける。嘆きの壁も越えられよう」
童虎「・・・なぜそれをわしらに?」
少女「試しているのだ」
童虎「試す?」
少女「ハーデス・・・と、タナトス達が本当に私を大切に思っているなら・・・・・」

 そこで彼女の声は途切れた。
 いぶかしく思い、先を促すように顔を覗き込んだ童虎は、血の気の失せた頬とびっしり浮かんだ汗の玉を見て息を呑む。
 次の瞬間には目の前で崩れ落ちた体を抱きとめていた。
 彼女が何を試そうとしていたのかおぼろげにも察しがついた。
 首飾りを自分に渡したとたんにこの有様・・・・ということは、この首飾りはまさか・・・・

童虎「生命維持装置か!!心の臓の病じゃろう!?道理で色が白いと思ったわ!病なら病と早く言えばい・・・・・」

 ・・・・先ほどの仕返しとばかりにシオンが彼をどつきたおし、腕からぐったりした体を奪い取った。
 真面目な顔で仕切りなおす。

シオン「・・・娘。これがお前への、神の制裁か」
少女「・・・・・・・・」

 彼女はかすかに頷いた。
 腕の中の体が急激に力を失っていくのがわかる。つぶらな眼に涙の幕がかかっている。

シオン「・・・・・すまなかったな」
少女「・・・・・・父と母の仇を・・・・」

 それが最期の言葉だった。
 胸がゆっくりと上下し、瞼が落ちて、そして二度と動きはしなかった。






 ・・・・・次第に冷たくなっていく体をどうしても床に放り出すことができず、二人はしばらくの間立ちすくんでいた。

シオン「・・・・・冥府の神は、たやすく姉を殺すものだな」

 つぶやくシオンの声にはどうしようもない苦さがある。
 童虎が拳を近くの柱にたたきつけた。

童虎「わしは絶対にハーデスを倒すぞ!タナトスもヒュプノスも、冥界の神なんぞ皆殺しじゃ!!」
シオン「・・・ああ、そうしろ」

 途方も無い憤りとやるせなさは、彼らの視界を現実から遠ざけていた。
 先ほどジュデッカの入り口にあった喧騒が、部屋のすぐ外まで迫っていることに、二人は扉がこじ開けられるまで気づかなかったのだ。
 バン!!
 という破裂音で首を返せば、そこには数人の冥闘士を従えて、一人の眉毛の繋がった男が息を切らしていた。
 
ワイバーン「貴様ら!!その方に一体何をした!!?」

 ・・・一瞬のブランクの後、シオンの腕に抱かれた少女の死体について問われているのだと気づいた童虎は、慌てて誤解を解くべく向き直り、

童虎「違う!これはわしらじゃなくハーデスが・・・・・」

と言いかけたが、しかしその足先が床の上に散らばっていた紙の束を蹴り飛ばしたので、事態はますます悪化した。
 冥闘士たちの眼前に披露される、保健体育的図解。

冥闘士『何をしやがった貴様らあああああっ!!!!』

 ・・・・・・・・「違うんです。そうじゃないんです」という弁解は、もはやどうやっても聞き入れられそうになかった。
 
ワイバーン「おのれ!警備の手薄なのをいい事に不埒な真似を!!いくら聖域の女に魅力が無いからといって他人の家で犯罪するまで堕ちたか貴様ら!!」
童虎「誰の魅力が無いんじゃコラ!!聖域にだっていい女はいっぱいいるわ!なあシオン!」
シオン「・・・ノーコメントだ」

 正直者・シオン。

童虎「同意を求めてやったのにその返事はなんじゃ!少しは合わせてくれても良かろうが!!」
シオン「聖闘士以前に私も一人の『男』だからな。そういう事で嘘や見栄は言いたくない。冥闘士どもよ、素直に認めてやるぞ。聖域には女などいなかった」
童虎「シオン・・・;」
シオン「強いて言うなればアテナだが、あの方を『女』として見るにはやはり少々抵抗が・・・・」
ハーピー「何の話だ。馬鹿なことを言って誤魔化そうとしてもそうはいかんぞ!死ね!!」

 冥闘士たちはいっせいに床を蹴って二人に襲い掛かかった。
 シオンが素早く前に出て技を放つ。

シオン「クリスタルウォール!!」

 一瞬であらわれる光の壁。

シオン「童虎!」
童虎「任せろ!廬山百龍覇!!」

 しかし怒涛のごとき竜の牙によって、内側から破壊される光の壁。
 ・・・まったく連携がなってない。

シオン「このド阿呆がああああっ!!」
童虎「お、おぬしの技が惰弱なのが悪いんじゃ!あれしきの攻撃で壊れるなど・・・・」
シオン「跳ね返っていたら私たちが即死だろうが!!いい加減にしろお前は!!」
童虎「そんな言い方せんでもええじゃろうが!!」

 慌てて建物の奥へ退却しながら、敵よりもむしろ味方に殺意を燃やす二人である。

シオン「大体私は太古の昔から貴様の非常識さが気に食わなかったのだ!ちっとも頭で考えないくせにやりたい放題し放題!活動的な馬鹿ほど始末におえん存在は無いとつくづく・・・・」
童虎「ああああやかましい!!わしだって貴様の、人を見下した優等生面が目障りで仕方なかったわ!隠し芸が多い程度でいい気になりおって!ぎゃあぎゃあ喚かれんでもこの場の始末ぐらいわしがつけるわ、見ておれ!ツイン・ロッド!!」
シオン「やめろ!お前は武器を使うなーっ!!;」

 幸いにも偶然にも、その一撃はちゃんと真っ直ぐ飛んで無事に冥闘士の一人を葬り去ったが、このまま第二・第三の攻撃が続くと手に負えないことになるとふんだシオンはそうなる前に武器をひったくった。

童虎「何をするか!」
シオン「黙れ!」

 ひた走る二人の後ろからは黒い暗殺者達が追ってくる。
 しかし童虎もシオンもダッシュの目的が「敵から逃げる」より「二人でゆっくり喧嘩できる場所を探す」になりかけているので、あまり後方の動きは見えていないようである。
 アテナのことはそれ以上に念頭に無い。
 走って走って、もういいからここら辺で喧嘩しようかという気になり始めたころだった。
 視界が急に開け、目の前に巨大な壁がそびえたった。

童虎「これが・・・」
シオン「あの娘が言っていた嘆きの壁か」

 さすがに足を止めて見上げたほど、それは人を圧倒する迫力を持っていた。まさしく神の壁。汗がついと背中をすべった。

シオン「なるほど。言われたとおり一筋縄ではいかんようだな」
童虎「ああ。・・・・・と、そういえば、あの子の遺体はどうした?」
シオン「逃げる途中で邪魔になって捨てた」
童虎「貴様はそれでも人間か!!?」
シオン「仕方ないだろう!担いで走って墓でも作る気か!?そんな暇がどこにある!」

 喧嘩をしている暇も、本当は、ない。

ワイバーン「フン、仲間割れをしている場合ではあるまい」
ミノタウロス「この期に及んで見苦しい奴らだ」

 追いついた冥闘士達からも実にもっともな言葉を賜った。

ワイバーン「もはやどこにも逃げられんぞ。ここを貴様らの墓場にしてやる!食らえ、グレイテストコーショ・・・・」

 どおおぉぉぉぉん!!

 凄まじい揺れが一同を襲ったのはそのときであった。
 童虎とシオンは「これが『グレイテストコーショ』か!?」と思い、特に童虎は咄嗟の脳内変換で「グレイテスト高所」としてしまって、おそらく天高く大地が隆起しそれはそれはものすごい高所になるのだろうという技の予想を立ててみたが、よくみれば冥闘士の方も慌てているようなので、この地震が単なる自然現象であり、技のせいではないのだとわかった。
 ・・・いや。
 自然現象ではない。

ワイバーン「これは・・・!いかん、神々の戦いが始まったのだ!ハーデス様がアテナに襲われている!!」
童虎「・・・・やめてくれんかそういう言い方・・・」
シオン「童虎!ツッコミは後だ、行け!」

 シオンが怒鳴って技を繰り出した。
 うろたえていた敵の数人を地に転がす。

シオン「アテナが戦っておられるとあらば一刻も早く加勢に行かねばならん!命に代えてもあの方をお守りしろ!」
童虎「わ、わしがか!?」
シオン「お前以外に誰がいる!!」

 我に返った冥闘士の放つ技を間一髪クリスタルウォールでさえぎって、彼は仲間を振り返った。

シオン「娘のくれた首飾りは一つしかないのだ。ライブラの武器を持つお前の方がなにがしか役にたつだろう。私はここに残って敵を食い止める。早く行け!」

 童虎が青ざめた。
 敵の猛攻に耐えられなくなったクリスタルウォールが砕け散り、シオンの体が弾き飛ばされた。

童虎「シオン!」
シオン「私のことは放っておけ・・・・早く、アテナを・・・!」

 叩きつけられた壁から、幽鬼のごとく立ち上がる。
 だが童虎は牽制の一撃を敵に向かって放つなり怒鳴り返した。

童虎「お前を一人で残して行けと!?死ぬのがわかっている場所に仲間を置いていけるか!!」
シオン「今さら肩を組んでも仕方あるまい。いいから行け」
童虎「いやじゃ!!」
シオン「行け!!」

 怒鳴り声とともに鋼のような意志が見えない力と化して友人の体を絡め取った。
 テレキネシス。
 童虎は信じられないような眼をし、シオンは壮絶なまでの笑みを浮かべて彼を見やる。

シオン「・・・首飾りはもう、お前の手にあるのだからな」
童虎「貴様・・・・・よせ!!わしは行かん!!」
シオン「アテナを頼んだぞ」
童虎「シオン!!」

 わめくのが精一杯であった。一体どこに隠していたのかと思うような念の力で、シオンは暴れようとする童虎の動き一切を封じ、石でも投げ込むかのように壁の中へと放り込んだ。

 それが首飾りの力なのだろう。石はあっさりと異世界へ消えた。

 彼は飲み込まれる最後の瞬間まで叫んでいた。

童虎「死んだら許さんぞシオン!!お前を殺すのはわしじゃ!!」

 壁を背にしてほんのわずかに眼を細め手を振った戦友。その姿が童虎の眼の奥に焼きついた。





 エリシオンの花も逃げ惑う妖精も、もはやわずらわしいものでしかなかった。
 童虎は花を蹴散らし暖かい風を切り裂いて走った。
 一刻も早くアテナの元へ。
 ここに来てようやく彼は女神の小宇宙をはっきりと感じた。人類の愛と平和を担う、あの小宇宙。
 まあ、場合が場合だけに、普段は「慈愛」みたいなものだったものが今は「略奪愛」とも言うべき何か別種の不穏な愛に変化しているようだったが、愛は愛である。
 そんなことよりも気になるのは、走っている途中でみつけた二つの遺体だった。
 髪の色が金と銀とで違うほかは背丈・顔立ちから額の星マークにいたるまでそっくりだった男の死体。
 胸をぐっさり貫かれており、妖精たちが「ヒュプノス様!」「タナトス様ーっ!」と泣きすがっていたのであれが噂に聞いたたぶらかしの神かと見当をつけたものの、何が起こったのかはわからなかった。
 だが犯人の心当たりは一つしかない。
 何をしたんだアテナ。想像以上に強すぎるんじゃないかアテナ。
 童虎の心中は複雑である。
 行く手にハーデス神殿が見えてきたときには、自分が行っても足手まといになるだけなのではないかとすら思って前進をためらったほどである。
 だが・・・・・彼は足手まといにはならなかった。
 
童虎「アテナ!!」
アテナ「あら・・・来てくれたのですね、童虎」

 彼が神殿に駆けつけたとき・・・・
 戦いはすでに終わっていたのだから。





ハーデス「・・・・今回は余の負けだ・・・・しかし次は・・・・必ず・・・・・覚えておれアテナよ・・・・!」

 崩れ去っていくハーデスの最期の言葉を聞きながら、童虎はひたすら無言であった。
 なるほど、確かに途中時間を食った。間に合わないかもしれないと焦りもした。
 しかし本当に間に合わないとは思わなかった。
 いつまでも、あると思うな親と神。
 そんな言葉が脳裏をよぎる。

童虎「・・・・アテナ・・・・一人で倒したのかあれ・・・?」

 ハーデスが最後のひとかけらまでなくなってから、童虎は訊ねた。

アテナ「ええ・・・だって、貴方達がいなくて・・・・てっきりやられてしまったのかと・・・・」
童虎「・・・・すまんかった」
アテナ「いいんですよ。私はアテナなのですもの、戦うために生まれてきた神なのですから」

 貴方が生きていて良かった、と微笑む女神は、地に倒れていた。
 肩口から反対の脇腹にかけてざっくりと斜めに傷が開き、血がとどめようもなく流れて童虎の手を濡らした。

アテナ「・・・・相打ちになってしまいました」
童虎「・・・・・・・・」
アテナ「でも、聖戦は終わりましたから・・・・冥界も今しばらくは大人しく・・・・・いずれハーデスが復活することがあれば・・・・その時には私も転生して・・・・・」
童虎「もういい。しゃべるな」
アテナ「いいんですよ。私は十分生きました・・・・・あとは、童虎。貴方が地上の平和を・・・・・見守って・・・」
童虎「約束するからしゃべるな」
アテナ「・・・・・・・・・貴方にお願いがあります」

 女神はそっと腕を伸ばして少年の肩を抱きしめた。

アテナ「私の、最後の力を・・・・・受け取って下さい。・・・・・・地上の、未来のために・・・・・」
童虎「ちから・・・?」
アテナ「手を・・・」

 かざされた細い手。童虎は言われるがままに自分の掌を重ねた。
 触れ合った皮膚から熱い小宇宙が自分の中に流れ込むのを感じた。

童虎「・・・なんじゃこれは・・・?」
アテナ「これは・・・・古来より伝わる女神の術・・・心臓の鼓動を遅くし・・・・・人を一時的に不老不死の体にするのです」
童虎「な・・・・!」
アテナ「鼓動が遅くなっているので人並みに動くこともできず・・・・・不老と言っても外見は順調に年老いるので200年ぐらい後にはものすごい外見になり・・・・・時期が来て術を解いたときに体は若返りますが・・・・・そのためには脱皮しなければならないので人前でやると友達を失う羽目に陥るという・・・・恐ろしい術です」
童虎「実は恨んどったな、遅刻したこと」
アテナ「まあそういうわけですから・・・・・・・頑張って地上の平和を見守って下さい・・・・・・・・」
童虎「・・・・・・・・;」

 衝撃的な告白を残して、女神はそのまま儚くなった。





 ボスが倒されたらその根城が崩壊するというのはこの世の常識であり、またあの世でも常識であった。
 ハーデスというよりどころを失って、冥界は一気に破滅の道を辿った。
 だが童虎は、崩れ落ちる寸前の嘆きの壁の前でも、見つかるまで友人を探し続けた。

童虎「シオン!!どこじゃシオン!!」

 友人は縦横無尽に傷つきまくって瓦礫の下に埋もれていた。
 まだ息があるのを知ったときにはどれほどほっとしたかわからない。

童虎「シオン、終わったぞ。ハーデスは倒した」
シオン「そうか・・・」
童虎「帰るんじゃ。急げ、ここももう崩れる」
シオン「・・・・・・・・・・・・・構うな」

と、シオンは瀕死のまま言葉をつむいだ。

シオン「私はもう駄目だ・・・・・・・・・・・お前だけでも・・・・・・生きろ」
童虎「馬鹿を言うな!」
シオン「アテナは・・・・?」

 童虎は懸命に瓦礫を退けながら、ただこう言った。

童虎「・・・・わしはもう、誰も死なせたくないんじゃ」

 シオンは口をつぐんだ。
 童虎が肩を貸して立ち上がらせたとき、彼は強く強くその手を掴んで眼を閉じた。
 失われた者へ、黙祷を捧げるかのように。





 地上に戻ったときにはほとんど虫の息だったシオンだが、童虎が必死に看病し、得体の知れない中国4千年の漢方薬などを食わせまくったおかげで、なんとか一命をとりとめた。

シオン「もう大丈夫だ。本当にもう大丈夫だからその薬はやめてくれ頼む」
童虎「しかし・・・」
シオン「大丈夫だと言っているだろうが、見ろ!」

 トカゲを炭になるまで焼いて石臼でひき潰している看護人に恐れをなしたらしく、本来の3倍ぐらい元気に振舞うシオンである。
 聖域には他に誰もいない。
 帰って来たときには、皆死んでいた。
 長年自分たちを育ててくれた、あの黄金聖闘士たちも。

シオン「・・・いつまでも寝てはいられんからな。おめおめと生き残った私たちは、聖域を復興させねばならん」
童虎「・・・・うむ」

 童虎の顔はふさいでいる。彼はしばらくぼんやりと視線をさまよわせた後、

童虎「・・・・・・・シオン。わしがもっと早く行っていたら、アテナは死なずにすんだじゃろうか」

といった。
 シオンはまたか、という顔をした。

シオン「今さらそれを言ってどうなるものでもないだろう」
童虎「・・・お前はあきらめが良いのう」
シオン「あきらめたのではない。前向きに考えているだけだ。私とて、やるせなさはある。何の役にも立てなかった自分を殺してしまいたいとも思う。だが・・・・・おそらくこれで良かったのだ」
童虎「本当にそう思うか?」
シオン「今はな。冷静に考えてみれば、アテナは10余年前に米寿を迎えられた方だった。先輩もまたとっくの昔に赤いちゃんちゃんこを卒業されていた。生きていたとてそろそろ寿命。地上を守り、戦いの中の殉職とあらば、聖闘士としては本望な事と言えるのではないだろうか」
童虎「そうかのう・・・というか、ドライじゃなお前・・・;」
シオン「・・・・それに、去る身よりは残される身の方が辛いしな。彼らが生きて・・・・・それを喜んだと思うか?」
童虎「・・・・・・」
シオン「私はまだ喜べない」

 真顔で呟く彼の前には破損した聖衣が山のように積まれている。

シオン「・・・・聖域も建て直さなければならんし、何よりアテナ含めて87人分の墓作りが待っている。その後は新しい聖闘士候補を探して修行させて・・・・・・それを全部二人でやるのだぞ。対して亡くなった方々のその後だが、冥界が崩壊した以上地獄に落ちることは決してない。行き先は100%天国。これ以上の老後があるだろうか。どう思う、童虎」
童虎「今すぐ死にたい」
シオン「そうだろう。だからもう気にするな」
童虎「・・・・・・ああ」

 聖域をわたる埃っぽい風の中に、故人の笑い声が聞こえる気がした。




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