ロドリオ村は、質素ではあるが豊かな村だった。
暖かい日差しの下で子供たちが遊んでいる。店に並ぶ色鮮やかな野菜は紛れも無くよく肥えた土から採れたもの。花屋には花が溢れ、魚屋には海産物が光を放っている。
アスガルドの凍った土地と比べると、それはまるで天の国のようにさえ見えた。
穏やかな瞳でその光景を眺めながら歩くヒルダに、アルベリッヒが皮肉な口調で言った。
アルベ「素晴らしいですね。まったく素晴らしい。アスガルドの雪を全てかき集めても、このギリシャの土一握りほどの価値もありませんな」
ヒルダは返事をしなかったが、その代わり彼女の隣に付き従っていたジークフリートが鋭い目を向けた。
ジーク「そんなにこの土地がいいなら永住すればどうだ。誰も引き止めはせん。アスガルドの雪に価値を見出せぬものなど、どこへなりとも消えるがいい」
アルベ「フン。雪に価値だと?ジークフリート、ならば貴様、その御大層な雪から麦をとってみせろ」
ジーク「なんだと・・・!」
トール「やめないか二人とも。ヒルダ様の前で」
フレア「まったくだわ!アルベリッヒ、ジークフリートは戦士なのですよ。雪に育つ麦なんていうバイオテクノロジーな分野は、むしろアスガルド一の頭脳を誇る貴方の方が担当すべきじゃなくて?惨めに他人の国を羨んでる暇があるならそれぐらいのものは作って欲しいわね!」
ハーゲン「フ、フレア様。火に油という言葉をご存知ですか・・・?」
止めに入ってますます煽りをいれるフレアをハーゲンがなだめる。
そんな彼らから少し離れた場所では、同じ顔した男が二人、何やら騒いでいた。
バド「見ろ、シドよ!魚がこんなにたくさん売っている!」
シド「に、兄さん、大きな声ださないで下さい・・・恥ずかしい・・・」
バド「・・・・恥ずかしい、だと・・・?シド、やはりお前、この兄をバカにしているのだな!?」
シド「!違います!そんなことは一切・・・!」
バド「うそをつけ!その田舎者を哀れむような目は何だ!フッ、所詮お前の目には俺など、兎を追い掛け回す野蛮人ぐらいにしか見えんのだろう。違うか?」
シド「何ということを・・・貴方がそんな風に私を思っていたとは知りませんでした。実の兄に信用してもらえないならば、このシド、もはや生きている価値もありません!一思いに貴方の手で殺・・・・」
ミーメ「やめたまえ、君たち。商売モノが原因で死者など出たら、店の親父が迷惑だろう。少しは彼のように大人しく都見物をしたらどうだ」
言ってミーメの指差すその先には、皆からかなり離れたところでぽつんとしているフェンリルの姿があった。
人とすれ違うたびにびくついている様子は非常に居心地が悪そうだ。
彼は時々地面の方へ癖のように視線を落としたが、そこにギングがいないことに気づくと、また途方に暮れて挙動不審になっている。
シド「・・・なんか人形が無いと人と会話できない腹話術師みたいだな・・・・大人しいのとは別だろう」
バド「・・・・・・俺もあそこまで妙ではない。なあ、シド?」
シド「そうですね。あれはちょっと、通報されても文句の言えない感じではありますからね」
そのフェンリルの元へ、アルベリッヒが近づいていくのが見えた。
どうやらフレアに負けたらしい。
アスガルド一の天才も、口では女にかなわなかったようである。
アルベ「なあフェンリル。お前はどう思う?」
フェンリル「どうって・・・・何が?」
アルベ「この土地を欲しくはないか?」
フェンリル「・・・・俺は狼がいればそれでいい」
アルベ「志が低すぎるぞ貴様・・・・しかも今の台詞だけ聞けば、なんだか危ない人みたいではないか。・・・・いや、台詞抜きでも十分危なそうなんだが・・・」
なら、言い方を変えようと彼はつぶやいて、
アルベ「その可愛い狼どもに、腹一杯食わせてやりたくはないか?毎日?」
フェンリル「なに・・・?」
アルベ「いつもお前のために尽くしてくれているギングとやらに、良い目を見させてやりたくはないかと聞いているのだ」
フェンリルの目が輝いた。
フェンリル「どうすれば良いのだ!?」
アルベ「この地上を手に入れれば良い。・・・・聖域を乗っ取ってな」
フェンリル「聖域を乗っ取るだと・・・?」
アルベ「そうとも。そうすれば、この豊穣な土地が手に入る。なんでも、望む物が得られるのだぞ」
アルベリッヒはそういって口の端に笑みを乗せた。
ジーク「・・・・ヒルダ様。アルベリッヒの奴が、また何かよからぬことを企んでいるようです」
ヒルダ「本当・・・・仕方の無い人ですね。悲しいことです。放っておきなさい。私が正気でいる以上、決して不始末は起こさせませんとも。ほら、聖域が見えてきました」
ヒルダが言って見上げた視線の先に、十二宮の荘厳な立たずまいが見えていた。
そもそもの始まりは、彼女が「アテナにお礼を申し上げなくては」と思い付いたことに始まる。
「アスガルドの戦いでは聖域の方々に大変な迷惑をおかけしてしまったのですもの。一度は御詫びを申し上げに行かなくてどうしましょう。名づけて、『聖域・お礼参りツアー』です、皆さん」
・・・・ネーミングに関しては神闘士全員の「いや、それはちょっと」という反対により没になったが、ツアー自体は決行されることになった。
そして今日。ヒルダとフレアと神闘士8人で、はるばるギリシアへとやってきたのである
ロドリオ村から歩くこと数十分。
辺りは草一本見当たらない不毛の地と化していた。
ハーゲン「・・・・まだしも雪のほうが麦を育てられるのでは、という気がしますね・・・」
フレア「ええ、水に変わる分、雪の方がマシっぽいわ。アスガルドだって、遅くても春はちゃんと来ますもの」
からっからに乾涸びた聖域周辺の岩地は、春も夏も秋も冬もなく、何というかこう「住めるもんなら住んでみろ」ぐらいの、嫌な勢いがあった。
フェンリル「・・・・アルベリッヒ。本当にこんな土地を手に入れて、ギングに食わせてやることができるのか?」
アルベ「・・・・・・・・いや・・・・なんか・・・・・・どこも大変なのだな・・・・・・」
ジーク「ヒルダ様、おみ足は痛みませんか。その靴ではお辛いでしょう。道が悪いゆえ、よろしければ私の腕をお貸しいたしますが」
ヒルダ「いいえ、ジークフリート。そこまでしてもらうわけには行きませんわ。ねえ、フレア」
フレア・ハーゲン『え?』
振り向いたその先には、しっかりお姫様だっこされているフレアの姿。
ヒルダ「・・・・・・・・・」
ハーゲン「やはりフレア様の華奢な履き物では、この荒れた道は耐えられなかろうと思いまして・・・」
フレア「お姉様もせっかくジークフリートが言ってくれてるのだから、甘えちゃえばいいんですわ」
ヒルダ「いえ・・・私は・・・・ハーゲン、貴方が何もフレアにそこまでしなくてもよいのですよ。おりなさい、フレア」
ハーゲン「そんな!ヒルダ様!私は決して不快になど思ってはおりません!フレア様がラクできて、その上私はとても幸せ!一体どこにやめる必要が!?」
トール「・・・・・・言っていて何か疑問を感じないのかその台詞・・・・・・」
思わず横から呟くトール。それにジークフリートも同調する。
ジーク「・・・確かに、何かがおかしいという気はしないでもない。・・・・だが・・・・・しかし!」
グッ!(握り拳)
ジーク「しかし気持ちは分かる!!分かるぞハーゲン!!」
トール「・・・・・(汗)」
ジーク「ヒルダ様!フレア様もああおっしゃっているのです!遠慮は要りません。ぜひ!」
ヒルダ「え?え?あの、ちょっと・・・・・きゃあ!」
半ば問答無用で抱きかかえられたヒルダは、慌てて男の襟にしがみついた。
ヒルダ「ジ、ジークフリート・・・!いいのです、おやめなさい・・・・!」
ジーク「私を思ってくださるのなら、どうかそのようなつれない御命令をなさらないで下さい。このジークフリート、今両腕にかかる重みを捨てるぐらいなら、この上に大岩を背負った方がましです」
ミーメ「・・・いわんとすることはよくわかるのだがロマンチックと思い切れないのはなぜだろう・・・大岩、って・・・・」
シド「所詮北欧の勇者も単なる武骨な男ということか。・・・不憫だ」
ヒルダ「ジークフリート・・・・すみません、私がきちんと用意をしておかなかったばっかりに。靴の」
ジーク「何をおっしゃるのです。ヒルダ様はヒルダ様のお好きな物をお召しになればよいのです。靴のごとき、私がいつでも代わりをいたします」
・・・・・・・・・・・
バド「・・・・・なあ、俺はこういうことはよくわからんのだが・・・・なんとなく、3歩進んで5歩下がるぐらいの進展度合いのような気がするんだが、間違っているか・・・・?」
シド「・・・さすが我が兄。慧眼です」
ミーメ「近づくほどに遠ざかる二人、か・・・・悲しいな」
アルベ「・・・俺にはむしろ笑うしかないように思えるが・・・・いや、ほんと嫌味でなく」
それぞれ、何か釈然としないものを胸に抱いた一行の前に、やがて白羊宮の姿が見えてきのであった。
十二宮の入り口の前では、一人の黄金聖闘士に付き添われて、アテナが出迎えに出ていた。
ヒルダは足早に彼女に歩み寄ると、地面に膝をついて頭を垂れる。
ヒルダ「アテナ。お久しゅうございます」
アテナ「ヒルダ、どうぞそんなにかしこまらないで下さい。立って、あなたの顔を見せて下さいな」
ヒルダ「もったいないお言葉・・・私があなたにかけたご迷惑を思えば、こうして御前に参ることすら許されぬ身分でございます。アテナ、今日はあなたとあなたの聖闘士に、語りきれぬ御詫びと感謝の思いをわずかでも伝えさえて頂くため参りました。このような事を申し上げられる資格が自分にあるとは到底思っておりませんが・・・・どうぞ、どうぞ私たちの思いにあなたの暖かい愛をお恵み下さらんことを」
アテナ「ヒルダ・・・・」
アテナの瞳にうっすらと涙が浮かぶ。
アテナ「もうよいのです。前にも申し上げたではありませんか。あの戦いでは、私よりもむしろあなたの方がずっと辛い思いをしたのですよ。私など、ただ氷山の上に立っていただけです」
デス「・・・・それ言ったらおしまいなんじゃないですかね・・・・」
彼女の隣に立っていた黄金聖闘士がぼそっと呟いたが、アテナは普通に無視して、
アテナ「それに比べてあなたは、指輪に操られながらも辛い現実を見せ付けられて・・・・挙げ句の果てにオーディーンソードで袈裟切りにされた身ではありませんか。ヒルダ、私からもお願いします。どうぞもう御自分を責めないで、大切にして下さい。あなたの愛するアスガルドのためにも」
ヒルダ「アテナ・・・」
見上げたヒルダの顔にも、熱い涙が流れていた。
見守るジークフリートとハーゲン、フレアの目からも滝のように涙が零れ落ちる。
感動の再会。
ミーメ「・・・・のはずなのだが、素直に感動できない私はやはりまだ人格に問題が残っているのだろうか」
バド「俺も、実の親を知らずに育った境遇がたたっているのだろうか」
シド「俺も感動しきれない・・・過保護に育てられたせいか・・・?」
フェンリル「・・・・人間を信じることが未だできていないということか・・・俺は所詮狼と共に暮らす身・・・」
トール「俺は・・・・なんだろう・・・・・とにかくなぜか泣くに泣けないんだが・・・・」
アルベ「・・・落ち着けお前ら。生まれ育ちの問題以前に、単に今の会話が微妙だったせいだろう。完全中立派の俺が公平に言わせてもらうが、おかしいのは向こうサイドだ」
特にアテナ、と指を差して言ったとたん、そのアテナが振り向いた。
アテナ「私が、何か?」
アルベ「・・・失礼。迷える馬鹿どもにちょっとした説明を」
アテナ「あなたのお名前は?」
アルベ「アルベリッヒです」
そのとたん、彼女はにっこり微笑んで手をぽん、と叩く。
アテナ「あなたが!あなたがあのアルベリッヒなのですか。あなたがあの!」
アルベ「・・・・どのアルベリッヒだか知りませんが、おそらくそのアルベリッヒだと思います」
アテナ「ちょうどよかった。ここにいるデスマスクも、あなたと同じ志を持つものなのですよ。時代の示す信ずるべき物と己の信ずるものとのはざ間に落ちながら、いささかも迷う事なく己の道だけを追求するという点において」
デス「・・・要するに裏切り者、と言いたいのでしょう。本当に性格悪いですよね、あんた」
アテナ「あらあら、性根の曲がった素敵な蟹に褒められてしまいましたわ。どうしましょう」
デス「っのクソアマ・・・っ」
男のこめかみに青筋が浮かぶ。
アスガルドからの客一同は、半ば茫然としながらその様子を見ていた。
ハーゲン「・・・・・・・・クソアマ・・・・・といったように聞こえたが・・・・・」
ジーク「いや、いくらなんでもそれは無いはず・・・・地上をおさめるアテナに対し、人もあろうに直属の戦士である黄金聖闘士がそんな言葉を言うはずが・・・・」
ヒルダ「ア、アテナ。あの、こんな事をお聞きして良いのかわかりませんが・・・どうしてその・・・そのゴーイングマイウェイな方がここに・・・?」
アテナ「ああ、それは単に、彼が買い出しのクジで負けたからです」
なるほど、デスマスクは両手にスーパーの袋を抱えていた。
アテナ「もっぱら、運と頭が悪い男ですから。気にしないで下さいね」
デス「・・・あんたよりはマシな頭してますよ。考え無しに行動して迷惑かけっぱなしなのは誰の方なんですかね」
アテナ「あなたが本当に利口なら、ハズレクジなんて引かないはずだったんですけどね」
デス「はぁ?・・・・・・・・おい、ちょっと待て。あんた、クジになんか細工しただろ!!そうなんだなこのクソ女神!!」
アテナ「フフフ今更気づくのは知恵の遅い証拠ですよ。パシリごくろうさまでした」
デス「〜〜〜〜っ!!!!」
怒髪天つくデスマスク。「ぶっ殺す!」と怒鳴って、両手が塞がってるので足で女神に蹴りを入れる。
アテナはあわやというところでひらりとかわし、さも楽しそうに笑っていたが、見ていた神闘士達は貧血を起こしかけていた。
ジーク「ど、どういうことなのだどういう関係なのだ・・・・!アテナに、アテナに蹴り・・・・!!」
シド「アスガルドでやったら即刻死罪だぞ!?せ、聖域って・・・・」
アルベ「・・・・それよりも、黄金聖闘士の本気の蹴りを笑ってかわしたアテナの能力の方が興味深いんだが・・・・」
フェンリル「・・・・・・・・・こんな油断のできなそうな世界は嫌だ・・・・ギングのところに帰りたい!!」
その時である。
アテナとデスマスクの後ろの白羊宮の方から、アスガルド一同にも聞き覚えのある声が飛んできた。
瞬「あー!デスマスク!遅かったじゃない!あなたがいないと料理が・・・・って、あれ?」
つぶらな目をした少年は、すぐにかつて拳を交えた友人達の存在に気づいた。
瞬「ミーメ!シドにバドに皆!ついたんだね!来てたんなら早く上に上がってくればよかったのに・・・もう、沙織お嬢さん、こんなところで足止めしないで下さいよ」
さ・・・沙織お嬢さん・・・・?
一瞬ほっとしかけた神闘士達の脳裏に、またも新たな疑問符が沸く。
アテナじゃなくて・・・お嬢さん・・・・?
ミーメ「・・・そうすると、あと30年ぐらいたったら沙織おばさんと呼ばれるようになるのだろうか・・・」
トール「そうだな、40過ぎて『お嬢さん』はいくらなんでも耳障り・・・」
ヒルダ「・・・やめなさい、あなた達。失礼なことを・・・」
デス「おい、このクソ根性悪バカ女神!!俺はもう行くからな!一生そこで突っ立ってろ!」
ジーク「(し、失礼過ぎる・・・・;)」
瞬「何?また喧嘩したの?もう、ほんと口が悪いんだからデスマスク・・・・」
瞬が仕方ないなあと呆れて溜め息をつく。
瞬「・・・まあ、それは良いけどさ、別に」
神闘士「良くねえ!!」
瞬「え、何?;」
シド「アテナだぞ!?地上の平和を守る女神!!そのアテナに向かって一体どういう口をきいているのだここの住人は!?」
瞬「あー、安心して。デスマスクは特殊なケースだから」
ハーゲン「そういうケースが存在すること自体が問題だ!!」
ヒルダ「シ、シド、ハーゲン。おやめなさい。そんな、瞬が困ってしまうではありませんか」
おろおろとなだめにかかるヒルダ。彼女もめいっぱい困惑している様子ではあったが。
デス「何ですか?俺が原因ですかね」
ヒルダ「あ、あの・・・申し訳ありません。悪気はないのです。どうかお気になさらないで下さい」
デス「・・・・・構いませんよ、別に」
男は苦笑した。
デス「あなたが、ヒルダ、でしたっけ?」
ヒルダ「はい・・・あなたは・・・」
デス「裏切り者と呼んでくれて構いませんよ。事実です。気を遣ってくれるのはありがたいが、ゴーイングマイウェイはちょっと古いですから。それに・・・」
とアテナの方を振り返り、聞こえよがしに、
デス「これから先もいつ裏切るかわからない人間ですからね!」
アテナ「いつでもおやりなさいな。心の準備はできています。せいぜい頑張って下さいね」
デス「・・・というわけです」
デスマスクはにやっと笑って背を向け、聖域に消えていった。
ヒルダ「・・・・・・・・」
フレア「・・・・悪い人ではないみたいね、お姉様」
ヒルダ「ええ」
ヒルダは優しく微笑む。
それを見て、アテナもいたずらっぽく笑った。
アテナ「悪い人ではないかも知れません。ただ、どうしようもなく馬鹿なだけで」
瞬「・・・お嬢さん、あなたも口が悪いよ。さ、皆。上に用意してあるんだ。早く来て下さい、皆待ってるんです」
ミーメ「用意・・・?」
怪訝そうに一同を代表して尋ねたミーメに、瞬はにっこり答えた。
瞬「うん!パーティーだよ」
一同は気づかなかった。その時、一足先にアルベリッヒとフェンリルがデスマスクの後を追ったことに。
いや、正確にはジークフリートだけは気づいたのだが、不審に思って追いかけようと踏み出した彼を、ヒルダがそっと引き止めたのだ。
ヒルダ「・・・・・お願いです。ジークフリート」
・・・その一言だけで、騎士は主の思いを理解した。
黙って肯くと、踏み出した足を引いて、二人の去るのに任せたのである。
聖域の最上階、教皇の間には盛大な立食パーティーの用意がされていた。
瞬「なんかさあ、この部屋って、教皇がいなくなってから単なるイベント会場と化してるよね」
星矢「ああ、広くて手ごろだからな。あ、トールがいるじゃないか!」
星矢は飛んでいって北欧の巨人に挨拶する。
トールは嬉しそうに星矢と握手をし、今までの事について語り合っている。
一方で紫龍が、部屋の柱の影に座り込んでいるフェンリルを見つけてさっそく話し掛けていた。
紫龍「フェンリル。久しぶりだな」
フェンリル「!」
紫龍「・・・・・なにもそうびくつくことはないだろう。まだ、俺を信用できんというのか」
フェンリル「い、いや・・・」
気まずそうに目をそらすフェンリル。
紫龍は仕方なさそうに笑って、
紫龍「まあ、長い間の習慣は中々抜けんものだ。俺もシャワーは冷水でないと落ち着かん。だがフェンリルよ、もう戦いは終わったのだ。俺達は少し・・・・友として歩み寄るわけにはいかんだろうか」
フェンリル「・・・・・・・・・」
狼少年はうさんくさそうな眼をして紫龍を見上げた。
フェンリル「・・・・・・ここに来る前に、ギングが言っていた」
紫龍「何と?」
フェンリル「信じられる人間もいるのではないかと」
紫龍「ほう」
フェンリル「ヒルダ様をお守りしろと」
紫龍「なるほど」
フェンリル「俺はどちらも下らんことだと思う」
紫龍「・・・そこでオチをつけるか・・・だが俺はギングに賛成だ。信じられる人間は、いるものだぞフェンリル」
フェンリル「・・・・・・・・・・・・・・・」
しばしの沈黙。ちらちらと上目遣いに紫龍の顔をうかがう。
そして、フェンリルは言った。
フェンリル「・・・・・・・・・・・頼みがある」
デス「本当に良いのかよ」
アルベ「フッ、それはこっちの台詞だ。今更臆したとでも言う気か?」
デス「誰が」
デスマスクは不穏に笑った。
デス「さすがはアスガルド一の頭脳だけあるな。いい計画なんじゃないか?アスガルドも地上も一気に手に入る、か。あのクソ女神、今に見てろよ」
アルベ「・・・毒の効果に間違いは無いだろうな」
デス「ああ、問題ない。100%確実なバラ毒だ」
アルベ「ならいい」
呟いて、アルベリッヒは面白そうに眼を細めた。
アルベ「後はフェンリルが上手くやってくれるだろう」
紫龍「・・・・・・これでいいか?」
紫龍のもってきてくれた皿の上の料理を見て、フェンリルはちょっとだけ肯いた。
フェンリル「・・・・・・・ああ」
紫龍「立食パーティーなんだから自分で取って食べていいんだぞフェンリル」
フェンリル「あんな人がザワザワしているところに出ていけるか!」
紫龍「人だと思うから行けないのだ。発想を変えてみろ。あれが全部狼の群れだと思えば何も抵抗無いだろう?」
フェンリル「・・・・・そう思えれば苦労はせん」
紫龍「仕方ないな・・・ああ、それとほら。頼まれた飲み物だ」
フェンリル「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
黙って受け取った。
紫龍「他に、何かあるか?」
フェンリル「・・・・・・・・・・もうない。向こうに行ってくれ」
紫龍「フェンリル・・・・」
フェンリル「・・・・・・・・」
紫龍はあきらめた。
だが彼が背を向けて歩き出した時、背後からくぐもった声でこういうのが聞こえた。
フェンリル「・・・・・・・ありがとう」
氷河はほとんど危機的な状況に陥っていたといってよい。
フレア「それでね氷河、その時お姉様ったらね」
氷河「・・・・・・・フレア、すまないが、その話は俺ではなく後ろの奴にしてやったらどうだ・・・・・?」
にこにこ笑顔でしゃべるフレアの後ろから、鬼のような殺気を飛ばしまくっているハーゲンを見つつ、氷河は言う。
が、
フレア「どうして?ハーゲンはもうこの話知ってるもの。ね?ハーゲン」
ハーゲン「いいえ全然初耳です。ヒルダ様が財布を忘れて買い物に行った話など、私は知りません」
フレア「・・・・・・・やっぱり知ってると思うのだけど・・・」
ハーゲン「断じて!聞いた事も見たこともありません!!」
氷河「ほらな?本人がああ言っているんだから、ここはやっぱりあいつを優先して話を・・・・」
フレア「駄目よ!だって、今話しておかなきゃ氷河には次にいつ会えるかわからないでしょう?ハーゲンはアスガルドに帰れば嫌でも毎日顔を合わせるのよ?」
ハーゲン「・・・・・・『嫌でも』・・・・?」
氷河「・・・・フレア・・・・頼むから言葉には気をつけてくれ・・・・」
一触即発な雰囲気の彼らの傍では、手にグラスを持った瞬がうろうろしている。
アフロ「・・・というわけなのだ」
ムウ「なるほど。色々と面倒ですね」
瞬「あ、ムウ。アフロディーテ。ヒルダがどこにいるか知らない?」
ムウ「ヒルダ?彼女ならあそこですよ」
ムウが示す方を見ると、アテナと一緒に黄金聖闘士に囲まれて色々話をしている彼女の姿があった。
アフロ「何か用でも?」
瞬「うん、さっきフェンリルに頼まれて、この飲み物を渡したいんだ。・・・フェンリルって、恥ずかしがりやなんだね。柱の向こうに隠れてるんだけど」
ムウ「・・・アスガルドも個性の強い方ぞろいですね。やれやれ」
ムウはちょっと肩を上げて溜め息をつく。
瞬はヒルダのところへやってきた。
瞬「ヒルダ、喉渇きませんか?これをどうぞ」
ヒルダ「まあ、ありがとうございます」
ヒルダは嬉しそうに微笑んだ。
サガ「何にせよ、アスガルドに平和が戻ったのは良いことです。もしもまた何かが起こった時は・・・もっとも、そんなことは無いに越したことないのですが、その時はいつでも私たちを頼って下さい」
アイオリア「・・・・・・・俺は余りこういうことは好きではないな」
アテナ「あら?あなたらしくも無い言葉ですね、アイオリア」
アイオリア「あ、いえ、これはその・・・・」
シャカ「確かに人に頼りきりはよくなかろう。どのような困難も、自国の問題であれば自国で解決する。その心意気は大切なことだと思うが」
アテナ「シャカまで。そのような事を言っては・・・」
ヒルダ「よいのです。アテナ、確かにこの方達の言う通り。私はまだまだ至りません。北の小国一つ守ることができないのですから・・・・・・ジークフリート、そんなに恐い顔をするものではありません。皆様が言って下さっていることは、真実なのです」
ジーク「は・・・・・・」
ヒルダ「私も強くありたいと願います。どんな物にも負けないくらい、強くなりたい。ですが・・・・やはりいつも誰かのお力をお借りすることになってしまうのですね」
淋しそうにヒルダが微笑んだ。
ヒルダ「すみません、皆さん」
瞬「何を言ってるんですか!だって、困ってる人がいたらできるだけの事をしてあげるのは当然の事だよ。違う?」
シュラ「そうとも言いきれん。困っている人間に見境なく手助けをするということが、決してためにならん時もある。だが・・・・」
と、シュラはちょっと照れくさそうに頬を掻き、
シュラ「それが強くあろうとしている方ならば、いくらでもお力添えをいたします。あなたには、それができるでしょう」
ヒルダ「・・・・・・・ありがとうございます」
ヒルダは少し涙ぐんだ。
そして、それを隠そうとするかのように、手に持った飲み物を唇に当てた。
瞬「あ、そうだ。ヒルダ、それはね・・・・」
フェンリルからだよ、と瞬が言おうとした瞬間。
ヒルダ「!っ・・・・!!」
ジーク「ヒルダ様!?」
グラスが彼女の手を離れて床に落ち、割れた。
すぐに続いて、ヒルダ自身の身体が床に崩れかけ、それはジークフリートがとっさに支えた。
ジーク「ヒルダ様!ヒルダ様!」
会場内の全員が振り返る。
紫龍「どうした!?」
ジーク「わからない!意識が・・・意識が無いのだ!!」
紫龍「とりあえず奥へ運べ!!」
ジークフリートがヒルダを抱え上げ、紫龍に案内されるまま奥の部屋へ運んだ。
後に残ったのは、ただならぬ雰囲気に飲まれた一同。
沙織「一体・・・・・・・どういうことなのです・・・?これは・・・・・」
サガ「さあ・・・・・」
アフロディーテがついと前へ出てきた。彼はかがみ込んで床に落ちたガラスの破片を指で摘み上げ、その匂いを嗅ぐ。
眉根が寄った。
ムウ「・・・・・何かわかりますか?」
アフロ「わからぬはずも無い。この匂いなら嫌になるほどよく知っている。・・・私のバラだ」
今までの騒がしさから一転、深海よりも深い沈黙が訪れる中、彼は周りを取り囲む人間を見回しながら容赦無く言ったのだ。
アフロ「誰だ?こんなものを飲ませたのは。五分ともたずに、彼女は死ぬぞ」
バド「・・・・なんなのだこれは・・・そもそも始まりはちょっとおしゃまなラブコメディだったはずだろう!?一体いつどこで火曜サスペンス劇場に変貌したのだ!!」
シド「兄さん・・・・あなたどうしてそんな日本の一定視聴率番組をマークして・・・・」
そんなことを言っても仕方が無い。現実に、ヒルダは毒を盛られ、そして倒れた。
立派な殺人未遂事件であり、五分もたてば未遂で無くなる危険性もある。
ミーメ「ヒルダ様にあのグラスを渡したのは・・・?」
瞬「ぼ、僕です・・・」
おずおずと手を挙げる瞬。
アフロ「あー、いかにもやりそうだ。大体、毒は女の武器と昔から相場が決まっているしな」
瞬「ぶっ殺すよあなた。・・・・僕は何も知らなかった・・・・まさか、毒が入ってるなんて・・・・」
ハーゲン「何も知らなかった、か。口さえあれば誰にでも言えることだ」
氷河「ハーゲン!」
瞬「僕じゃない!大体あのグラスは・・・・」
と、そこで瞬は言葉に詰まった。
カミュ「あのグラスは?」
瞬「グラスは・・・・・・・・・その・・・・」
フェンリルから頼まれたものだ、というのは簡単だが、それは即ちフェンリルを容疑者に仕立て上げることになる。
実際、「頼まれた」っていかにも怪しいし。
瞬は先天的にそういう事ができない性質であった。
瞬「・・・・・・グラスは・・・・・・」
ムウ「フェンリルに頼まれた、と言ってましたね」
きっぱり言いきるムウ。
彼は先天的にそこら辺をはっきりさせる人間であった。
ハーゲン「・・・フェンリルにだと?」
ムウ「別に瞬をかばってるわけじゃありませんよ。ヒルダが倒れる前に、彼ははっきりそう言ってました」
瞬「・・・・ねえ、そう言えばその時確かにアフロディーテも一緒にいたよね。っていうか、質問したの彼の方だよね。それでさっきの台詞・・・・って、ほんと殺っちゃっていいかな」
ムウ「後にして下さい。連続殺人は面倒ですから」
氷河「おい、それでそのフェンリルはどこにいるんだ?」
『そのフェンリル』はやっぱりまだ柱の影にいた。
ハーゲン「フェンリル!お前があのグラスをもっていかせたというのは本当なのか!?」
フェンリル「・・・・お・・・・俺は・・・・・・」
キョロキョロ
ミロ「むうっ。露骨に怪しい!挙動不審だ!」
ミーメ「神に誓っても良いが、彼はロドリオ村からあの状態だった。今に始まったことではないのだ。外見で判断しないでくれ」
サガ「だが、現実にグラスを運ばせたのは彼なのだろう。どうだ?」
フェンリル「・・・・・・・・・」
シュラ「・・・だまっていても始まらんぞ。そうなのかちがうのかぐらい言えんのか」
トール「おい、あまり責めるな。人間、たまには黙っていたい時だってある」
星矢「・・・・どうかとおもうなそのフォロー・・・」
そこへ、一つの声が割って入った。
アルベ「おいおい、あまり仲間をいじめないでもらいたいな」
ハーゲン「アルベリッヒ・・・」
ハーゲンが眉を寄せた。
アルベ「仮にフェンリルがグラスを運ばせたとしてだ。それで彼が毒を盛ったことにするのは少々短絡的なのではないか?第一、さっきそこの女のような顔をした彼が言ったではないか。あの毒はここのバラだと。フェンリルにそんなものを用意できるわけがあるまい」
アフロ「用意だけならわけはない。別にカギをかけてしまってるわけではないのだ。ちょっと双魚宮まで行けば誰でも手に入れられる」
アルデバラン「そういうずさんな管理を威張るなよ・・・しっかり持ち出し禁止にしておいたらこんなことは起こらなかっただろうが」
アルベ「しかし、俺達アスガルドの人間は管理の事など知らんからな。・・・・やはり、それ以外の人間なのではないか?実際、先の戦いで迷惑をかけられて、ヒルダ様を恨んでいる方もいらっしゃるだろう」
アルベリッヒの眼は、露骨にアテナを差していた。
彼女の手が震えた。
アテナ「なんということを・・・・」
サガ「・・・・聞き捨てならんな。貴様らの方こそ、またこの聖域を無意味に混乱させようという腹積もりなのではないか?」
ハーゲン「馬鹿な!そのためにヒルダ様に毒を盛る人間など、アスガルドにはいない!」
ミロ「言っておくがな。はるばる来た客を私怨で殺しにかかるような人間も聖域にはおらん。しかも相手は女性だ。そんな卑劣な輩がいたら、このミロがとっくに引導を渡している」
シド「ではその卑劣な人間とやらが、あくまでアスガルド側にいるというのか・・・?」
氷河「いるのではないか?不意打ちを得意としていたお前達の事だからな」
バド「っ!」
一気に高まる険悪なムード。
ハーゲン「大体、氷河!俺は前々からお前が気に食わなかったのだ!すかした顔して人の恋路によろめき出てきやがって・・・!!」
氷河「なるほど。いきなりそこから入るか。アスガルドの人間はヒルダのことなどどうでもいいと見える」
ハーゲン「黙れ!!」
氷河とハーゲンがぶつかり始めるかと思えば、こちらではアルデバランが腕を組み、
アルデバラン「・・・・フン、今日は得意の不意打ちはできんのだな」
バド「フッ、そんなことをしなくても、貴様ごとき余裕で倒せる」
アルデバラン「そのでかい口が何秒もつか、見物だな」
さらにその隣では、
シド「またお前か。こんどは俺も容赦はせんぞ」
瞬「へえ、この間は容赦してたんだ?むしろ僕の方が容赦しまくってた気がするけど?」
シド「・・・・お前、性格変わったな」
そして柱の横ではフェンリルがサガとシュラとに囲まれていた。
サガ「・・・・なんにせよ、物を言いたくないなら好きなだけ黙りつづけるがいい。吐かせてみせるまでだ」
シュラ「これで最後の警告だ。あのグラスを運ばせたのはお前か?」
フェンリル「・・・・・・・・」
無言のまま、彼は身構えた。
アテナ「・・・・・シャカ」
シャカ「はい」
アテナ「ちょっと気になります。私は一度この場をはずしますが、その間は任せますから、争いが始まるようでしたら五感を剥奪してでも止めて下さい。いいですね」
シャカ「は」
シャカが肯くと、アテナは音も無くひっそりと教皇の間を出ていった。
風雲急を告げる雰囲気の中で、一人アルベリッヒだけが笑っていた。
そうだ、つぶしあえ。
お互いに殺しあうがいい。
そして、自分が全てを手に入れる。
ミロ「・・・楽しそうだな」
アルベ「さあな」
敵と向かい合いながら、彼はどこまでも自分の勝利を確信していた。
今ごろ、あいつがあれを手に入れている・・・・
神殿へと続く道を駆け上るアテナの後ろから、追いついてきたのはアフロディーテだった。
アテナ「アフロディーテ。それではあなたも・・・・・」
アフロ「毒殺未遂犯に心当たりがあります。宴の始まる直前、私にバラをくれと言ってきた馬鹿が一匹いたもので」
アテナ「・・・・・・・」
アテナの顔が悲しそうに歪んだ。
いなければいい。いてほしくない。
だが、予感は悪い時に限ってよくあたる。
アテナ神の女神の像の前に、彼の姿はあった。
デス「・・・・・遅かったな」
アテナ「デスマスク・・・・」
男の手には、アテナの盾があった。
デス「これで後はニケだけだ。あんたが持っているんだな」
アテナ「・・・やはりそれが望みでしたか。そうまでして、世界が欲しいと?」
デス「世界が欲しいというより、あんたが要らないんですよ」
アテナ「っ・・・・」
アフロディーテが溜め息をついた。
アフロ「・・・・君は馬鹿だ。どうしていつもそういうことをするのだ?」
デス「さあな。面白いからだろうな」
デスマスクはそういって、不敵に笑みを浮かべてみせた。
フレア「駄目えっっ!!!」
力いっぱいの悲鳴と一緒に、まず動いたのはフレアだった。ハーゲンと氷河の間に割って入り、両手を広げる。
フレア「やめて!ハーゲン!」
ハーゲン「フレア様!また氷河の味方を・・・!」
フレア「味方も何もないわ!やめてったらやめて!どうしてこうなるのよ!いい、ハーゲン!あなたがそこから一歩でもこっちに近づいたら、舌噛み切って死ぬわよ!!」
氷河「・・・・・フレア、言っちゃ悪いがその台詞はTPOが大間違いなのでは・・・・・」
フレア「氷河!あなたもあなただわ!喧嘩は売られた方も買った方もクズよクズ!」
二人『う・・・・』
男達の胸には手痛い言葉を吐いて、フレアはがんと動かない。
一方で、バドvsアルデバランの戦いにも邪魔が入っていた。
星矢「よせよ、二人とも。アルデバラン、あんたいつまでも恨みを根に持つ男じゃないだろ。俺と闘った時なんか、笑って金牛宮を通してくれたじゃないか。バド、よせ。アルデバランは本気じゃない」
アルデバラン「星矢・・・・」
星矢「俺、やだよ。一度闘った相手と何度も闘うなんて。もう終わったはずだろ?」
バド「・・・・・・・・・・」
バドは驚いたような眼をして、しばし星矢を凝視していたが、やがてゆっくりと構えた腕を下ろした。
瞬とシドの間には、ミーメが止めに入っていた。
ミーメ「君たちもそこまでにしたまえ。アンドロメダ、無益な争いに泣いていたのは君ではなかったか?私の前で見せたあの涙は偽りだったとでも?・・・・そうは言って欲しくないな」
瞬「・・・・・・・うん」
ミーメ「わかってくれるなら、拳をおさめて。シド、君もだ。君もバドも、アンドロメダには借りがあるだろう?忘れたのか?恩知らずめ」
シド「・・・・・・・・フン。見損なうな」
そしてサガとシュラの前には巨人が割って入っていた。
トール「すまない。どうか・・・手を引いてもらえないか。フェンリルが話したがらないなら、それはそれなりのわけがあるのだ。俺があとできっと聞いておくから、無理に言わせないでくれ。時が来れば、必ず話してくれる」
サガ「・・・・それまで待て、と?」
トール「頼む」
男の真剣な目を見上げ、やがてサガはやすやすと身を引いた。
振り返って、シュラに言う。
サガ「だそうだ。心配はないようだな」
シュラ「・・・・うむ」
トール「・・・?」
そんな神闘士と黄金聖闘士達の様子を、アルベリッヒは内心焦りながら見ていた。
ミロ「どうした?余裕が無くなったようだが、何かアテでも外れたのか?」
アルベ「うるさい!」
怒鳴り返し、アメジスト・シールドの構えを取ろうとしたその腕を、誰かに後ろからわしっと掴まれる。
アルベ「!?」
ジーク「・・・・・・・・・終わりだ。アルベリッヒ」
掴んだジークフリートは静かに言って、彼を睨み付けた。
アテナ「・・・・どうしても、盾を返さないと?」
デス「返すつもりならはなからこんなことしないでしょうね」
アテナ「そうですか」
アテナが言った、そのとたん。
彼女からすさまじい小宇宙が噴き出し、辺りの小石を吹き飛ばした。
一つはデスマスクの頬をかすめ、傷を作る。
アテナ「ならば私も容赦はしません。ハーデスを仕留めた私の腕前、とくとごらんなさい!」
デス「!」
が、そのとき。
紫龍「デスマスク!」
大声で叫びながら、下から紫龍が駆け上がってきた。
アテナ「紫龍!ヒルダは・・・・ヒルダの様子は!?」
デス「・・・・・・ゲームオーバーかよ」
アテナ「・・・・え?」
振り向くと、デスマスクはうってかわったつまらなそうな顔で、女神の像に盾を戻すところだった。
ジーク「・・・・ヒルダ様に毒を持ったのは貴様だろう、アルベリッヒ」
アルベ「何を馬鹿な・・・」
ジーク「言え。貴様一体、ヒルダ様に何の恨みがある!?」
ジークフリートの剣幕は、周囲の人間をして圧倒せしめるものがあった。
アルベリッヒの胸座をつかみあげて絞め殺さんばかりだ。
アルベ「なんのことだかさっぱりわからん。その手を離せ」
ジーク「しらばっくれるな・・・全て知っているのだぞ!貴様がここに来る途中でフェンリルにデスマスクと打ち合わせてこんかいの茶番を目論んだこと・・・!!ヒルダ様を亡き者にしておいて、それを原因に聖域とアスガルドにつぶしあわせる気だったのだろうが!!」
アルベ「・・・・・」
ジーク「手駒が消えたところでアテナを襲い、盾とニケを奪うつもりだった・・・・違うか!?違うといってみろ、言えるならば!!」
アルベ「・・・・・・・フン」
アルベリッヒは鼻先で笑うと、自分を掴んだ手を力任せに振りほどいた。
アルベ「だったらどうだというのだ」
ジーク「どうだだと!?」
アルベ「そうとも。今更言ったところで始まらん。どの道、ヒルダは死ぬ」
ジーク「貴様・・・っ!!どうしてそうまでしてヒルダ様を!!」
アルベ「お前などにはわかるまい。俺はあの女がうっとうしくてたまらんのだ。なにかといえば耐えろ耐えろと口やかましく・・・・ギリシアの店を見なかったわけではあるまい?品の豊富な町の様子をな。何一つ建設的な手だてをとろうともせず、民を餓えたままに放っておく女など、とっとと死んだ方がよいのだ。俺は自分の能力を最大限に生かしたい。どんなアイデアを出しても、蓋をするように叱り飛ばしてくれるあのヒルダという女は、俺にとっては邪魔なだけだ」
ヒルダ「だったら、それを私の前で言えばよかったではありませんか」
突如聞こえた声に、アルベリッヒの身体が硬直した。
アルベ「・・・・・・・・!?」
ヒルダ「どうして私が生きているのかわからないと言う顔をしていますね。簡単な話です。私は、あのグラスの中のものを飲んでいなかったのですよ」
アルベ「・・・・飲んで・・・ない、だと?」
ヒルダ「ええ。飲み物を渡される前に、紫龍が教えてくれました。決して飲んでは行けない。飲んだフリをして倒れろと」
アルベ「どうして・・・・どうして奴がそれを知って・・・!」
紫龍「・・・・フェンリルから頼まれたのだ」
紫龍の言葉に、アルベリッヒは愕然とした顔をした。それから、隅に座り込んでいるフェンリルを睨む。
アルベ「お前・・・・!!」
フェンリル「・・・・・・・」
紫龍「フェンリルも相当迷っただろうな。曲がりなりにも、自分を信じてくれたお前を裏切ることになるわけだから。だが・・・・やはり黙っていられなかったらしい。そうだな、フェンリル」
フェンリルは返事の代わりにそっぽを向いた。
トール「なら、どうして皆に責められた時にその話をしなかったのだ」
フェンリル「・・・・・・・・それを言ったら、俺は二度もアルベリッヒを裏切ることになる」
ハーゲン「そのせいでお前が要らん濡れ衣を着せられたのだぞ!?弁明しろ少しは!」
ヒルダ「やめなさい、ハーゲン。彼は人に裏切られることの辛さを誰よりも知っているのですよ」
アルベリッヒがヒステリックに笑った。
アルベ「だが、どちらにしろ俺はその男に裏切られたわけだな」
ヒルダ「黙りなさいアルベリッヒ。あなたは自分が恥ずかしくないのですか?」
アルベ「なんだと?」
ヒルダ「あなた、私が普段叱った時に、一度として反論したことがありますか?何も言いたいことを言わずにいて、それを人のせいにして、そして影でこそこそと卑怯な計略を練って。私に文句があるなら好きに言いなさい!言って自力で私を納得させてご覧なさい!あなたはそんな事もできない卑怯者です!恥を知りなさい!!」
次第に激昂して、いまだかつて聞いたこともないほど激しい言葉で自分を罵るヒルダを、アルベリッヒは怒りよりもむしろ驚きで茫然と見詰めた。
ヒルダ「毒杯を知っていた私はその場でグラスを落とすこともあなたを名指すこともできました。そうしなかったのはあなたに本音を言わせたかったからです。どうです?人に騙されて罠にはめられる気持ちがすこしはわかりましたか!?わからないというなら、また何度でも私を卑怯に殺しに来なさい!その度ごとに、あなたを罠に落とし返してあげます!ええ何度でも!!」
そこで、ヒルダの声が急に崩れた。
ヒルダ「ここに・・・・・・この聖域に来た時・・・・・・・」
と洟を啜り上げ、
ヒルダ「入り口で・・・・・アテナが聖闘士の方と喧嘩をしてらっしゃいました」
ムウ「・・・それはまたのっけからお見苦しいものをお見せいたしました」
ヒルダ「聖闘士の方は・・・・本当に言いたい方題で・・・・・アテナに向かって馬鹿だとか色々ひどいことをいうのですけれど・・・・・蹴りもいれてましたけど・・・・・でもとても楽しそうで気持ちよくて!」
ヒルダは唇を震わせながらやっとの事で言った。
ヒルダ「私にはそれが死ぬほど羨ましかった・・・・・!」
そして、両の手に顔を埋めてしまった。
静まり返った一座に、彼女の啜り泣きの音だけが響いた。
しばらくの間。
と、突然フェンリルが跳ね起きると、ヒルダに駆け寄って腕を引いた。
驚いて見張った濡れた瞳の端を、狼式にぺろっと拭ってやる。
ヒルダ「フェンリル・・・・」
フェンリル「・・・・・・・・」
もう片方の涙も舐めてしまうと、ばつの悪そうな顔をして、「ギングがヒルダ様を守れと言ったから・・・」とかなんとかもごもご言うなりまた柱の影に隠れてしまう。
紫龍「・・・・内気なんだか大胆なんだかわからん・・・・・」
ヒルダ「ごめんなさい・・・・ありがとう、フェンリル」
その間、アルベリッヒはじっと黙って考えていた。
毒を知っていて、何もかも知っていて、そしてまた聖域中を面倒に巻き込んでヒンシュクを買うことも百も承知で、その上で自分に本音を言わせたいがために大芝居をうったヒルダ。
たった自分一人のために、これだけ全力でぶつかってきてくれる人がどこにいただろうか。
確かに考え方は気に食わない。いろいろ鬱陶しいと思うこともある。
だが、彼女にとっても自分はそういう存在・・・いや、もしかしたらそれ以上に手におえない存在だったに違いないのに。
それなのに・・・・・・・自分は彼女になにをしてやっただろう。
アルベ「・・・・・・・・・・・・わかりました」
視線を床に落としたまま、アルベリッヒは言った。
アルベ「あなたに比べれば俺は・・・・・・・全然未熟な人間ですね」
そっと膝をつき、深く頭をたれる。心から。
アルベ「・・・・申し訳ありませんでした。ヒルダ様」
一夜明けて、翌日。
帰途につくアスガルドの民を、聖域の住人は総出で見送った。
アテナ「・・・・ところで黄金聖闘士の皆さん。あなたがた、いつから真相に気づいてました?」
サガ「かなり始めの方から」
と、サガはちょっと唇に微笑みをのせて、
サガ「デスマスクが、バラをもらいに行った時にアフロディーテに全て話したので。で、アフロディーテがムウにまわして、それからは全員にテレパシーでまわりました」
ムウ「もっとも、私が聞いたのはヒルダが杯を手にするギリギリのところで。瞬、あなたがあれをもってうろうろしてたときですよ。それから皆にまわしたのです」
カミュ「・・・・ヒルダが体をはってアルベリッヒに挑むというのなら手助けして差し上げようと思い、以降は成り行きに任せました」
アイオリア「・・・・・俺としては好きではない計画だったがな。腹芸など」
アテナ「ああ、ではあの時のあなたらしくない発言はその事だったのですか」
シャカ「・・・・単細胞が口に出して言ったものだから、私はフォローに必死だったのだぞ」
アイオリア「すまん;」
シュラ「もう一つには・・・・神闘士達がどうするかも知りたかったので。本当に私たちと闘うつもりか、それとも無益な争いは避けるか。心配することはなかったようですが」
瞬「・・・・・ねえ、その連絡網って僕たちのとこまでまわってきてなかったよね・・・・?」
ムウ「もちろんです。神闘士とおなじく、君たちの反応も見てましたよ。星矢、紫龍は合格、あなたと氷河はまだまだですね」
氷河「・・・・・・俺の場合は結構不可抗力な気もするんだが・・・・・・」
アテナ「・・・・で。私も何も知らされてなかったわけですけど、それもテストなのですか?」
サガ「いえ、それは、デスマスクからの要望です。アテナには絶対秘密厳守、と」
アテナの眼がきらりと光った。
アテナ「ほう・・・・・デスマスク、どういうことです?なにか大事な理由でもありましたか?」
デス「ええ。クジの仕返しです」
アテナ「・・・・・・なるほど。あなた今月、減俸ですね」
デス「おい!それとこれとは話が別だろ!!!」
アテナ「別もくそもありません。フフフ、お金が足りなくなったらいつでも借りにいらっしゃい。利子は実労働でいただきますからお得ですよ」
デス「誰が行くか!!」
アフロ「・・・・デスマスク。あんまり怒鳴ると顔の傷が開くぞ。・・・まったく、本当に君は馬鹿だ。どうしてああいうことをするんだか・・・・・」
デス「面白いからだって」
デスマスクはそういって、笑った。
聖域をとりかこむ、荒れた土地を歩く。
ジーク「ヒルダ様、お疲れになりませんか?」
ヒルダ「大丈夫ですよ、ジークフリート。まだまだ平気です」
ジーク「もしお疲れになりましたら言って下さい。私が・・・・・」
運んで差し上げます、といおうとしたとたん、目の前でヒルダのからだが宙に浮いた。
ヒルダ「!」
アルベ「ご無理をなさらないように」
ヒルダ「ア、ア、アルベリッヒ?あの、私は何も無理など・・・・」
アルベ「しっかりおつかまり下さい。落ちても知りませんよ」
言って、彼はちらりとジークフリートを見やる。北欧の勇者は睨み返した。
ジーク「何だ」
アルベ「別に。うらやましいか?」
ジーク「っの・・・!お前、今度は何を考えているっ」
アルベ「俺の考えていること?そうだな・・・」
彼は生意気そうに笑ってみせた。
アルベ「お前が大っ嫌いだ、ということだろうな」
ジーク「!」
ヒルダ「アルベリッヒ。私が言いたいことを言うようにと言ったのはそういうことじゃなくてですね・・・・」
アルベ「どうぞお静かに。さもなければ実力で黙らせますよ」
ヒルダ「ど、どうやって・・・?」
アルベ「こうして」
ジーク「!!やめろっっ!!!」
アルベリッヒがたわむれにヒルダの唇に顔を寄せるのを、うしろから髪の毛をわしづかんでとめるジークフリート。
その様子を遠巻きに眺めながら、神闘士達は微妙な表情である。
フレア「・・・・・一難去ってまた一難・・・というのかしら。妙な三角関係になってしまったけれど・・・・」
ハーゲン「・・・今回一番わりをくっているのはジークフリートでしょうか。気の毒に・・・」
ミーメ「当分は関わらない方が身のためだろうな。フェンリル、挙動不審が治ったようではないか、少し」
フェンリル「・・・・・・挙動不審て・・・・・・・」
バド「どうする、シド?帰りに魚を買っていくか」
シド「・・・帰宅するまでに腐りますよ。買うんだったら干物にして下さい」
トール「おい、あそこ二人、とうとうヒルダ様の取り合いを始めてるようだが・・・・止めた方がよくはないか?」
ミーメ「言ったでしょう、関わらない方が身のためだと。止めたいのなら君が一人でいってくれ」
トール「いや・・・・それはちょっと・・・・・」
荒れ地の上に広がる空は、どこまでも青く晴れていた。