日本ではバレンタインデーというと女性から男性へチョコレートをあげる日であるが、アメリカではその逆、ヨーロッパではどちらから何をやっても構わないことになっている。
 聖域は曲がりなりにもヨーロッパの一部であった。

デス「先に言っとくけど、俺は何にもやらねえからな」

 その朝、駆け込んでくるや否や枕を引っこ抜いて安眠妨害してきたアフロディーテに、デスマスクはきっぱり宣言した。
 出鼻をくじかれた侵入者は何か言おうと開きかけた口をそのままにしばし沈黙し、

アフロ「・・・・なんでわかったのだ?」
デス「何でもくそもあるか!てめえが朝っぱらからフザケたまねするときは絶対裏があるんだよ!」
アフロ「裏じゃない!私はただ、春の新色ルージュと夜の豪華ディナーを期待してきただけだ!」
デス「捨てろ。そんな期待」
アフロ「何も無いのか?バレンタインなのに本当に何も無いのか?」
デス「あぁ?一緒に寝るか?」

 べしっ!!

アフロ「しんでしまえ!!」
デス「痛ぇなあ。とっとと帰れ。失せろ馬鹿。てめえと一緒にいるぐらいなら他の女誘った方がマシだ」
アフロ「っ!!」

 あまりといえばあんまりな言葉だ。アフロディーテは怒りに身を震わせた。そして、

アフロ「もういい!絶交だ!!後で吠え面かくなよ!私にだって、その気になれば相手はいる!!」

 と問題発言をどでかい声で叫ぶなり、来た時以上の速さで部屋の外に飛び出していった。
 デスマスクは心底うんざりした顔で投げつけられた枕を元の位置に戻す。

デス「けっ。勝手にやってろっつーの」

 どさんと横になり、もう一度寝なおそうと眼を閉じた。が。

―――私にだってその気になれば相手はいる!!

デス「・・・・。・・・・・・・あ!!」

 嫌な心当たりがあることに気づいて、すぐに布団を跳ね除けたのだった。





 磨羯宮。

シュラ「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうか。今日は2月14日だったか。うかつだった・・・・・」
アフロ「?何か言ったか?」
シュラ「いや・・・。何でもいいが、どうせまたデスマスクと喧嘩して来たのだろう?俺に新作ルージュとディナーねだってる暇があったら仲直りしてきたらどうだ」
アフロ「嫌だ!私は何も悪くない!あいつが土下座しない限り絶対許さん!だから今日は君と過ごすことにする!」
シュラ「勝手に決めるな;俺の予定も気にしろ少し」
アフロ「予定あるのか?」
シュラ「修行」
アフロ「ああそんなバレンタインじゃない予定は全然駄目だ。私の勝ちだな。びっくりした、彼女でもいるのかと思った」
シュラ「・・・・・・・(痛)」
アフロ「で、どこに行く?」
シュラ「・・・・・・・・どこでもお前が勝手に決めろ」

 シュラ、やはり負ける。

アフロ「まずはアテネのブランド店回りだな。シャネルとか色々見たい。いくつまで買ってくれるんだ?シュラ」
シュラ「一つも買わんわ!!」
アフロ「一つも!?馬鹿な、何のために行くのだ!?」
シュラ「俺の台詞だ!!たかるのが目的なら他を当たれ!俺は知らん!!」
アフロ「だって、私だって君にプレゼント用意しているぞ?」
シュラ「どうせデスマスク用のお下がりだろうが」
アフロ「でも君にやるんだからいいではないか。ほら、これだ」
シュラ「?何だそれは?」
アフロ「大阪城のキーホルダー」
シュラ「いらん」
アフロ「あと、蟹座のパワーストーンとか」
シュラ「だからそれを俺にくれてどうしようと言うのだ!!今からでも遅くないからデスマスクのところへ行け!!」
アフロ「嫌だ!ルージュ買ってくれるまでは一歩も引かん!!」
シュラ「・・・・買ったら引くか?」
アフロ「引く」
シュラ「・・・・・・・・・・・じゃあ買ってやるからそれ以上は俺につきまとうな」

 シュラ、立派にたかられている。

アフロ「ならさっそく行こう。すぐ行こう。そのベロベロのシャツで隣に並ばれるのはイメージ悪いから、何かマシなものに着替えてくれ」
シュラ「・・・悪かったな、ベロベロで・・・・」
アフロ「あと、靴もちゃんとしたのを履け。時計も何か高いやつ。紳士淑女は靴と時計で素性が知れるのだ。適当な格好するのは許さんぞ」
シュラ「悪いがちゃんとした靴だの高い時計だのは俺はもっとらん!素性が知れようがなんだろうが知ったことか!大体、一般人に俺達の素性が見抜けるわけがなかろうが!」
アフロ「どうして靴と時計ぐらい持ってないのだ!?デスマスクは持ってたぞ!オメガの超高級品!前に大富豪殺して死体からもらったやつ!」
シュラ「・・・お前本当にそんな物持たせたいか・・・・?」
アフロ「・・・本当はそうでもない。でも、普段着だと特別な日という感じがしなかろう?」
シュラ「俺にとっては特別でも何でもない。毎度のことだしな。特別迷惑な日だというなら頷いてやるが」
アフロ「どうしてそう、いつもいつもノリが悪いのだ」
シュラ「いつもいつもノれないネタを持ってくるのは貴様だろうが!」
アフロ「・・・・・・そんなに怒らなくても・・・・」

 唇をとがらせかけたアフロディーテだったが、ふいにその言葉をぴたりととめた。
 彼の視線に気づいてシュラが後ろを振り返ると、磨羯宮の入り口に死ぬほど不機嫌な顔をしたデスマスクが立っていた。

シュラ「デスマスク・・・・」
デス「・・・・・・・よう」
アフロ「何しに来たのだ?謝りに来たのならその場で土下座しろ!」
デス「はぁ?誰がてめえに謝るか。シュラに迷惑かけてんじゃねえ。とっとと自分の宮まで帰れ」
アフロ「君に関係ないだろう!?シュラは私が迷惑だなんて一言も言ってない!!」
シュラ「いや言ったさっき;」
アフロ「それにシュラはちゃんとルージュ買う約束してくれたのだ!」
デス「・・・・本当か?シュラ」
シュラ「う・・・・・・・・・」
アフロ「君と違ってシュラは全然優しい!怒らないし怒鳴らないし私を大事にしてくれる!」
シュラ「俺は怒ってるし怒鳴りもしたしお前を大事だとも思っとらん!!自分の身を大事にしたいからルージュを買ってやると言ったんだろうが!!」
デス「・・・約束はしたんだな」
シュラ「させられたんだ!!」

 と、シュラは主張したが、デスマスクの機嫌は直らなかった。

デス「じゃあ余計なお世話だったな。てめえがさぞかし迷惑してるだろうから責任持ってそいつを追い払おうと思ったんだけどな。まあせいぜい仲良くやれよ」
シュラ「おい・・・・お前もいい加減に・・・・」
デス「じゃあな」
シュラ「デスマスク!」

 引き止める声も聞き流して、デスマスクは足音荒く出て行った。
 
アフロ「何だったのだあいつは!」
シュラ「・・・・見ればわかるだろう。早く追いかけろ」
アフロ「なぜ私が!?あの馬鹿、私を君から離して孤立無援にする気だったのだ!そんな奴を追いかけてやる義理はない!」
シュラ「阿呆。あれは嫉妬だ嫉妬」
アフロ「・・・・・・嫉妬だと?」
シュラ「それでなくてどうしてこんなところまで上がってくる。人の迷惑を考えるような出来た人間ではなかろうが。・・・まったく、こんなことを俺が言うのも馬鹿馬鹿しいが、もとからあれが素直な性格でないことぐらいお前も承知してるだろう?意地の張り合いしてないで、たまには大人らしく寛大にだな・・・」

 柄にも無く説教を始めたシュラだったが、しかしすぐに目の前の相手が全然話を聞いてないことに気づき、口をつぐんだ。
 アフロディーテはぽーっと磨羯宮の入り口を見ている。その頬には怒りとは違う朱の色がほんのりとさしている。

アフロ「・・・・嫉妬・・・・・・・・デスマスクが嫉妬・・・・」

 唇からこぼれる言葉もどこかうっとりとして。

シュラ「・・・・おい・・・・?」
アフロ「デスマスクが私たちに嫉妬したのだな?そうだな?」
シュラ「・・・・たぶん・・・」
アフロ「こんなことは初めてだ」
シュラ「・・・・・・・そうでも無いぞ。ローマでも俺は散々な目に
アフロ「嫉妬か・・・・素敵だ」

 アフロディーテは満ち足りた溜息をついた。そして曰く。

アフロ「じゃあもっと君と仲良くすれば奴はもっと嫉妬するはず」
シュラ「よせ!何をする気だ!!」
アフロ「シュラ、町へ行こう!腕組んで!」
シュラ「殺すぞ。馬鹿なことを考えとらんでさっさと仲直りに行け!!」
アフロ「駄目だ!せっかく奴の愛情を確かめる千載一遇のチャンスではないか!この機会を利用しないでどうする!」
シュラ「どうにでもしろよ。俺はお前といちゃつきながら買い物に出る趣味は金輪際持っとらん!!考えるだけで吐き気がする!!いい加減で俺に構うのはやめてくれ!出て行け!!」
アフロ「ピラニアンローズ!!」

 ざあああっ!!!

シュラ「・・・・・・・・・・・・・・」
アフロ「・・・私を単なる馬鹿だと思うなよ・・・!これでも十二宮の最後を預かる魚座の黄金聖闘士だ!本気を出せば君とだって対等に渡り合える!少なくとも磨羯宮ぐらいは瓦礫にする!!恋に狂った人間をナメるな!!」
シュラ「自分で言うか。・・・・なんなんだお前は・・・;」
アフロ「どうしても嫌だというならこの場で千日戦争だ!サガが飛んできたら全部君のせいだと言ってやる!ごねてやる!喧嘩両成敗で揃ってスニオン岬に放り込まれるだろうが私は全然構わん!牢屋の中でいちゃついてデスマスクを嫉妬させまくってやるから覚悟しておけ!!さあどうする!?私と来るのか!?戦うのか!?」
シュラ「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・行けばいいんだろう行けば・・・・・」

 果てしなく泣きたい気分でシュラはがっくりと降参した。





 「腕は組むな」とあくまで拒まれたので、アフロディーテもそれを強制するつもりは無かった。しかし。

アフロ「・・・・シュラ。どうして君はまっすぐ歩かないのだ?」
シュラ「お前が右から寄ってくるからだ。左に逃げたくもなる」
アフロ「違う!君がどんどん左に寄るから私がついていってるのではないか!たまに真ん中に戻っても、またすぐ左に行く!こんなに蛇行してどうする気だ。ちゃんとまっすぐ歩け!」
シュラ「だったら俺との車間距離を最低30cmは保て。いや、いっそもう隣を歩くな。後ろを歩け」
アフロ「そんなことをしたら、私が見たい店を見つけても君は気づかないフリして先に行くだろう?」
シュラ「・・・なら前を歩け」
アフロ「嫌だ。尾行されてるみたいだ。ムードの欠片も無いではないか」
シュラ「男同士で買い物するのに何のムードが必要だ!お前がそういうことを言うから俺が左に寄るんだろうが!」

 言い争いながらなおも蛇行を続ける二人。

アフロ「あ。待てシュラ。デスマスクがいた!」
シュラ「なに?」
アフロ「行くぞ。見せ付けてやらねば」
シュラ「タチ悪いぞお前・・・・」
アフロ「これぐらいが何だ。いつもいつも他の女と出歩かれて、私がどれだけ心を痛めたことか!もうボロボロなのだぞ!本当に!」
シュラ「・・・・とてもそうは見えんが・・・・もしも今も他の女と出歩いているのだったらどうする。一人だったのか?あいつは」
アフロ「たぶん・・・いや、他に女がいてもいい!私にだってシュラがいる!」
シュラ「・・・いないと思ってくれ」

 しかしアフロディーテはそんな風には思わない。シュラの襟をひっぱり、袖をひっぱり、裾をひっぱり、とにかくひっぱってひっぱって無理矢理同行させる。
 「ベロベロ」と称されたシュラの上着は、おかげでますますベロっベロになった。
 
アフロ「あそこだ。一人だ」

 なるほど、デスマスクは一人だった。
 何しに来たのか。まさか本当に嫉妬の余り後をつけてきたのか?シュラはいぶかしく思って眉をひそめたが、てんで何にも考えていないアフロディーテがずんずん突き進んでいくので逆らえない。遠慮無しに引っ張られる腕は下手に抵抗すると抜けそうである。
 どんなに外見がたおやかだろうと、やはり黄金聖闘士。馬鹿力な上に手加減という言葉を知らない人種であった。

アフロ「あんまりあからさまに見せ付けても、わざとやってると思われるだろうか」
シュラ「あからさまじゃなくてもわざとなんだが」
アフロ「じゃあこうしよう。デスマスクはたぶん、あっちに歩いていくつもりだ。だからまず、先回りをするのだ」

 二人は先回りをした。
 アフロディーテは辺りをキョロキョロ見回し、薄暗い枝道を見つけた。

アフロ「よし。ここにしよう」
シュラ「何を・・・?」
アフロ「私がな、こうして壁に背中をもたせかけているから、君は両脇に手をついて・・・いや、肘の方がいいな。それで私に向かって愛の言葉を囁くのだ。そしたらどこからどうみてもイチャついてるようにしか見えない」
シュラ「・・・すまん、脂汗が出てきた。勘弁してくれ!」
アフロ「こら!逃げるな!協力してくれる約束だ!」
シュラ「約束なんぞしとらんわ!そんなことをさせられるぐらいなら俺はこの場で自害するぞ!」
アフロ「いくじなし!ならいい!君が駄目なら私がやる!ちょっと君、私の前に立て!」

 無理矢理スタンバイさせられるシュラ。壁にもたれたアフロディーテは、甘えたな恋人よろしく両腕を伸ばしてその首に巻きつけた。

シュラ「やめてくれ!!!総毛だったぞ!見ろ、鳥肌が・・・!」
アフロ「君はそんなに私が嫌いなのか!?すごく傷つくではないか!」
シュラ「勝手に傷だらけになっていろ!俺はもうおりる!」
アフロ「待て!待てって・・・・待て!!」
シュラ「離せ!」
アフロ「待てといってるだろう!?待て!」
シュラ「わがままもいい加減にしろ!俺がいつもいつも甘い顔すると思うな!どけ!」

 ぱんっ!

 振り払った手が、そのまま滑るようにアフロディーテの頬を叩いた。
 あ、と思うシュラ。
 あ、と口を開けるアフロディーテ。
 だが、すぐにその口は閉じられた。青い眼にみるみるうちに涙が浮かび、末代まで祟りそうな恨みに満ちた小宇宙をみなぎらせ始める。
 くいしばった歯の間から唸りがもれた。

アフロ「ぶったな・・・・・・」
シュラ「う・・・;」
アフロ「無抵抗の人間を、君はぶったな」
シュラ「何がどう無抵抗だ。お前が・・・・」
アフロ「私の顔を君はぶった!」
シュラ「お前が鬱陶しく食い下がるからだ!俺が悪くないとは言わんが、それ以上に自業自得だ!」
アフロ「うるさい!頭ならともかく顔をぶったのだ!100%君が悪い!絶対許さん!!この・・・・・」

 そこでぱっと怒声がやんだ。
 シュラは一瞬いぶかしく思い、それから相手の視線が自分の後ろに注がれていることに気づいて、何だかさっきもこんなことがあったとデジャビュを覚えながら振り向いた。
 案の定、デスマスクが立っていた。
 歩いてきたそのままの姿勢で、顔をすこしばかり横に向けて。かすかに驚いたような表情をしてこちらを見ている。

デス「・・・・・・・・」
アフロ「・・・・・・・・・」
シュラ「・・・・・・・・・」

 とまる三人の間の空気。
 シュラはとっさに考えた。
 このまま彼にアフロディーテを押し付けてしまおう。自分では収集がつかない。こんな手に負えない荷物を引きずって歩くのはもう一秒たりともごめんだ。アフロディーテもこちらに怒っているようだし、これ以一緒に歩きたくなど無いだろう。現に今、彼は迷ったような顔をして自分とデスマスクとを見比べている・・・・・・・・・
 「おいデスマスク。こいつをなんとかしてくれ」
 シュラが言葉を絞りだそうとしたその時だった。

アフロ「っっ!!」

 突然、アフロディーテが身を翻した。
 続く動作で隣の友人の襟首をひっ捕まえた。
 そして痛いほどの勢いで唇を重ねてしまった。

 ちぅぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・・・・・・・・

シュラ「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そんなに彼氏が憎いかアフロディーテ。

 どうあってもデスマスクを思い知らすんだという気迫を口の上に感じ、怒りを通り越して何だか可哀想になってしまったシュラだった。
 ・・・・・仕方が無い。ここは黙って耐えてやろう。

シュラ「・・・・・・・・;」
アフロ「・・・・・・・・」

 それはわずか10秒ほどの時間であった。シュラにしてみれば十二宮戦での待ち時間よりまだ長い感じであったが。
 しかし、実際はごく短い間の出来事だった。
 ・・・・その短くて長い10秒後、くっつけた時とおなじぐらい勢いよく唇を離したアフロディーテは、どうだ!という気持ちを込めてデスマスクを振り向いた。
 シュラも、どうだろうといううんざりした思いを込めて同じ方を見やった。
 そして二人同時に思いもかけない物を目撃した。

 デスマスクの、とても傷ついた顔。

 男はふいと眼をそらして、そのまま何も言わずに立ち去った。






アフロ「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 頼んだ紅茶が来てもアフロディーテは飲まなかった。
 その紅茶が冷めてしまっても、じっと黙り込んだままである。さっきから石のように表情を硬くして椅子に腰掛けているのだ。
 昼時のにぎやかなカフェの中でも、彼とシュラが二人で向かい合っているこの一角だけは、暗雲立ちこめて人を寄せ付けない感じであった。
 シュラもまた黙っていた。
 アフロディーテが考えをまとめ、決心して口を開く時を待っていたのだ。
 そして、ついにその時が訪れた。
 たまらない表情を浮かべたアフロディーテは、やおら椅子を蹴立ててテーブルを叩くなり叫んだ。

アフロ「駄目だ!もうこんな本命でもない人と遊んでる場合ではない!!」
シュラ「随分だなオイ。・・・・お前が本当に女だったらさすがに俺も何かしてるぞ今の台詞・・・・・・」
アフロ「どうして私はあの時追いかけなかったのだ!?どうしてこんな馬鹿なことをしたのだ!シュラ、どうしよう、あいつにひどいことをしてしまった・・・・」

 本命ではないが相談役ぐらいのポジションは自分も確保させていただいているらしいと、シュラは心中ひとりごちた。
 アフロディーテはさらに「君なんかとカフェに入って落ち着いてみたのは間違いだった」と悪気なく言い放ち、「そもそも君なんか連れて来るべきじゃなかった」とさえも悪意なく言い切った。
 シュラはせめて「なんか」という言葉を取っ払って欲しいと思ったが、これも口には出さなかった。
 代わりにこう言う。

シュラ「・・・なら、今からでも遅くは無い。探しに行ったらどうだ?」
アフロ「駄目だ。きっとすごく怒ってる」

と、鼻をすすってアフロディーテ。

アフロ「もう私の顔なんか見たくないはずだ。もう、本格的に終わりだ。どうしょうもないのだ。どうしよう」

 どうしょうもないのにどうしようとは妙な言い回しだが、そのくらい混乱しているのだろう。
 肩を落としてしおれた花のようになっている姿を見ていると、あれだけ迷惑をかけられていながらどうしてこうも同情心が沸いてしまうのかと、シュラは不思議に思った。
 手をつけないアフロディーテの代わりに冷めた紅茶に砂糖を放り込んでかき回してやる。

シュラ「・・・・・飲め。腹に何か入れたほうが落ち着く」
アフロ「・・・・・・・・・うん」

 ひとたび落ち込むとすっかり素直になったらしい。アフロディーテは言われるがままにそれを飲んだ。
 乾したカップを下に下ろしたとたん、両目から涙がほとほととこぼれ落ちる。
 今飲んだものが全部眼に行ってしまったかのようだった。

アフロ「・・・・私は最低だ」
シュラ「そんなことはない」
アフロ「だって、ひどいことをした」
シュラ「あれぐらいがなんだ。デスマスクがいつもお前にやってることだろう?たまにはあいつが見せ付けられるほうに回っても罰は当たらん」
アフロ「けど、デスマスクは傷ついていたではないか?」
シュラ「あいつの勝手だ。お前が気に病む必要は無い」
アフロ「駄目だ。胸が痛くて死にそうだ」
シュラ「・・・・・だったら探してきて謝るなりなんなりすればいい」
アフロ「きっと話なんか聞いてくれない・・・」

 ほとほとほと

 ほとほとほと

 ほとほとほと・・・・・・


シュラ「ええい、くそっ!!俺が探して来てやる!!泣くのをやめてここで待っていろ!!」
アフロ「・・・・ありがとう」

 滅多に無い御礼の言葉を、シュラは背中で聞いたのだった。





 驚いたことには、店を出てすぐのところにデスマスクが立っていて、呑気な顔で煙草なんぞふかしていたのである。
 シュラは思わず自分の目を疑った。

デス「よう!」

 明るく声をかけられ、今度は耳を疑った。
 なんだ?さっきのこいつは偽物か?それともこっちが偽物か?

シュラ「デスマスク。お前・・・・・」
デス「あいつどうしてる?」

 泣いている、と答えると、デスマスクはいかにも満足そうな顔をした。小憎たらしい顔でにやっと笑い、

デス「どうだ、俺の名演技」

という。

シュラ「・・・・演技だと?」
デス「あたり前だろ。あの程度で一々うろたえるかよこの俺が」

 すぱー。

デス「こっちが妬いても喜ぶだけだろ?二度と似たようなことをやらせないには良心に叩き込むにかぎるねえ」
シュラ「・・・・・・・・・」
デス「別にあいつに執着してるわけじゃねえけどな。勝手なことをされるのはイラつく。これで当分、家で大人しくしてるようになるぜ」

 ・・・・・・・非常に珍しいことであったが。
 この時、シュラの胸には本気で怒りがわいてきた。

シュラ「・・・・・お前、最初からそのつもりで・・・・?」
デス「当然。じゃなければ何のためにここまでくるんだよ」
シュラ「アフロディーテは泣いてるぞ」
デス「いい気味だ」

 ぶん殴らずに済んだのは奇跡的である。シュラはやっとの思いでそれをこらえた。
 並々ならぬ自制心と、後はここで面倒を起こしたら店の中からアフロディーテが飛び出してきて結局自分が悪者にされるに違いないという聡明な考えの賜物だ。
 ギリギリのところで感情を押し殺しながら、

シュラ「・・・・・・あいつが待っている。連れていくと約束したのでな。来てもらうぞ」
デス「ま、潮時だな」

 デスマスクは煙草を投げて足で踏んづけた。
 シュラはそれ以上口を利かず、カフェへと彼をいざなった。





 デスマスクを見たとき、アフロディーテの顔が一瞬ぱっと輝いたので、シュラはますますやるせなくなった。
 どうしてあんなに愚かなのだろう。現実というものをまるで見てはいない。

シュラ「・・・・・・・つれてきた」
アフロ「うん」

 それだけ言うのがやっとなくらい緊張している。
 可哀想だと改めて思った。
 デスマスクへの怒りが油を注いだごとくに燃え上がり、何だかもう、腹がいえるならどんなことでもしたい気分になった。

デス「何の用だよ」

 最低最悪の友人は、気の無い白けた顔でアフロディーテの向かいに座る。その時、彼の目に一瞬走った感情が、シュラの行動を決定した。
 さて。どうして懲らしめてやろうか。
 デスマスクの眼はそう言っていたのだ。

アフロ「あ、あのな・・・・」

 アフロディーテがそれ以上言葉をつむぐのを、シュラは許さなかった。

シュラ「デスマスク」

 場の二人が思わず振り返ったほど、それははっきりした声音で。

シュラ「お前、こいつに執着してはいないといったな?ならアフロディーテは俺がもらう。消えてくれ」

 まん丸になった青い眼は見なかったことにした。
 シュラは何もわかっていない愛すべき友人の顎を片手で無理矢理押し上げ、かぶさるようにして唇を奪った。





デス「おい!どこに連れて行く気だよ!」
シュラ「お前には関係ないだろう。来い、アフロディーテ」

ぐい。

アフロ「・・・・・・・・・・たい」
デス「ふざけんな!こいつが用があるのは俺だろう!?お前こそ消えろ!おい、こんな奴について行くな馬鹿!」

ぐいっ。

アフロ「・・・・・・・・・・いたい」
シュラ「あの程度で一々うろたえるわけないと言ったはずだが?俺の聞き間違いか?」

ぐいっ!

アフロ「痛いっ」
デス「ああ!?うろたえてなんかいねえよ!てめえがムカつくだけだ!!」

ぐ・・・・・

アフロ「痛いといってるではないか!!引っ張るなっ!!」

 右から左から腕を引かれ、ついに逆上したアフロディーテが怒鳴ったので、両脇の二人は口を閉じた。
 が、どちらも掴んだ手を離そうとはしない。金髪越しににらみ合う。

シュラ「・・・・・離してやれ。嫌がっている」
デス「てめえが離せ!」
シュラ「こいつは俺がもらうと言ったはずだ」
デス「承知した覚えはねえ!誰がやるか!」
シュラ「話にならんな。行くぞ、アフロディーテ」
アフロ「ちょっと待て!なんなのだ君ら!?いつから私はこんなにモテモテだ!?デスマスク、君は私と一緒にいるぐらいなら他の女を連れ歩くと言ったではないか!シュラだってあんなに私を嫌がってたくせに!」
二人『覚えとらん!!』
アフロ「・・・・・・・・・・・・・変だぞ君ら;」

 両側からの剣幕に、もごもごと口を濁して小さくなるアフロディーテ。
 シュラとデスマスクは依然、睨み合ったままである。

デス「・・・・どういうつもりだてめえ」

と、デスマスクが言った。

デス「好きなわけでもないくせにこいつをどうする気だよ」
シュラ「なら貴様は好きなのか?大事にしてやるとでも?言ってみろこの場で」
デス「誰が!別に好きでも何でもねえ!」

 アフロディーテが眉根を寄せた。

アフロ「・・・・・・じゃあ、私はやっぱりモテてないのか?」
二人『黙っていろ!!』
アフロ「・・・・・はい;」

 シュラが、相手に目を据えたまま言った。

シュラ「お前、本気で俺を怒らせたぞ。こいつをあれだけ泣かせて一人で笑っているなど、万死に値する。殺されないだけありがたいと思え」
デス「うるせえ。てめえに何がわかるんだ」
シュラ「貴様こそアフロディーテをちっともわかっとらんだろうが!」
デス「知った口きくな!お前よりは100倍わかってるんだよ!」
シュラ「何の役にも立たない、外道なわかり方しかしていないくせによく言える!俺は二度とこいつを手放さんぞ。少なくとも貴様にだけは絶対返さん!」
デス「てめえにそんな権利があるか!返せ!」
アフロ「・・・・やっぱりモテモテなのだな?」

 ちょっとでも空気を和らげようと、アフロディーテがもう一度頑張ってみたが、今度は徹頭徹尾無視された。
 デスマスクが歯軋りをしながら言った。

デス「・・・・・・もう一回だけ言ってやる。返せ」
シュラ「ならこの場で謝れ」
デス「何をだよ!」
シュラ「わからんのなら連れて行く」

 言われて横を向くデスマスク。どうもその顔を見るなり、彼は何が原因でシュラがこんなに怒り心頭に発したのか、とっくにわかっていたらしい。
 やがてもう一度向き直った。

デス「・・・・・・・わかった」

と、非常に苦い口調で、

デス「謝りゃいいんだろ。けどな、あんなの冗談に決まってんだよ。お前は何にもわかってねえ!」
シュラ「アフロディーテにも謝れ。死ぬほど胸を痛めたらしいからな」
デス「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 これが彼には一番難しかったらしく。
 たっぷり3分間も沈黙した。
 歯噛みして舌打ちばかり繰り返す彼に、アフロディーテがおずおずと「もういいのだ」と言いかけたので、シュラはその口を手でふさいでやった。とたんにデスマスクの口から「悪かった」の言葉が吐き捨てられた。

デス「もういいだろ。返せ」
シュラ「二度とやるなよ」
デス「わかったから返せ!」

 アフロディーテをひったくる。

デス「行くぞ!」
アフロ「どこに?」
デス「新色が欲しいんだろうが!」
アフロ「!」

 涙の残る頬がぱっと染まったのをシュラは見た。

アフロ「夜のレストランも?」
デス「そのかわり、お前も俺に何か買え!」
アフロ「一緒に店を見よう。・・・・・・そうだ。ちょっと待っててくれ」

 立ち去りかけたアフロディーテは、何を思いついたか踵を返し、シュラのところへ駆け戻ってきた。

シュラ「どうした?」
アフロ「これは君にやる」

 と、手に押し付けたのは大阪城のキーホルダーと蟹のパワーストーン。

シュラ「・・・・・・・・・・・」
アフロ「私は君も大好きだぞ。ほんとだ」

 このくらいの重さでな、と、もらった小物を見つめてシュラは付け足した。心の中で。
 デスマスクはもっと重い物をもらうに違いない。
 それでも。
 苦虫を噛み潰している待ち人のもとへ走っていくアフロディーテを眺め、彼は少しずつ胸が軽くなっていくのを感じた。
 魔法がとけていくように・・・・・・

 ・・・・・そして同時に自分がしでかしたカフェでの一幕を思い出し鳥肌が立ち始める。

 半ば呆然としていたところへ、続いてやってきたのはデスマスクだった。

シュラ「・・・・まだ何かあるのか?」
デス「これだけだ」

 ぱんっ!

デス「・・・・あいつを殴った分」

 お前だって俺を本気で怒らせたぞ、と付け足して、デスマスクは答えも待たずに行ってしまった。
 アフロディーテと並ぶ背中。
 頬を叩かれて驚いていたシュラは、何だか無性に笑い出したくなってしまう。

デス「まったく・・・・・・・・・」

 きっとあまりに呆れたせいだ。
 聖域に帰ったら、何をおいてもまず口をゆすごうと彼は思った。
 




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