「やめねえよ!!?」

・・・と、蟹は泡を吹かんばかりに喚いた。

「『やめねえよ』?」

と、拍子抜けした顔でアテナも反復した。
ところはギリシャ聖域。巨蟹宮の午後3時のことである。

「え?あら?やめねえよですか?日本で手紙を受け取って仰天、取るものもとりあえずプライベートジェットを駆ってこの薄気味悪い宮まで駆け上って来ましたのに、あなた聖闘士やめねえのですか?」
「当たり前だろうが!!何が取るものもとりあえずだ、思いっきりでかいビニール袋ぶら下げやがって!」
「これは!あなたと会うのが最後になるかもしれないと思って…!せめてご挨拶をと…」
「中身は?」
「紅白饅頭。お赤飯。あと、鯛。尾頭付きが欲しかったのですが、急いでいたのでまあ切り身で。そう、急ぐあまりスーパーの半額シールを取り忘れるほど、あなたの事を思っていました」
「…俺が割とアジアの風習に詳しいこと知ってます?」
「『狡兎死して走狗煮らる』でしたっけ。ホホ、確かに多少はご存知のようですけどそんな齧った程度…」
「その前に『飛鳥尽きて良弓蔵され』がつく」
「…まあ詳しい」
「帰れ」

デスマスクは女神に背を向けた。
本当は相手を締め出したいところなのだが、十二宮には玄関という設備が無いので、自分が引っ込むしかないのである。
しかし。

「デスマスク!いるか!?」

引っ込もうとしたその奥から、前門の女神とはまた別のやかましい声が雪崩れ込んで来たので、男は呪詛を吐いて諦めた。

「来たよ金魚が…」

アフロディーテである。輝く髪を翻してまさに泳ぐように入ってきたのである。
彼は同僚の顔を見るなり猛然とまくしたてた。

「いたかデスマスク!ちょっと聞いて欲しい、いやむしろ聞きたい。朝から会うやつ会うやつ全てのご近所に『蟹が聖闘士やめるって本当か?』と聞かれまくっているのだが、私は君のなんなのだろう?」
「知らねえよ。…で、お前なんて答えた」
『私を置いて行くわけない』と」
「行くわ。いや行かねえけど遠慮なく行くわそういう時になったら」
「ひどい…!」
「何が!?っていうか、じゃ逆に聞くけど、お前は俺の何よ!?」
「…。改めてそう言われると困るのだが、あんまり皆が聞いてくるから、なんかもうこれ彼女なのかなって」
「ねえよ!」

怒鳴ってツッコミにすら疲れる蟹。せめて椅子に座ろうと不機嫌に移動するも、その椅子には女神が座り、饅頭の紅い方を食っていた。

「…おい」
「あ、デスマスク。お茶出ます?」
「出ねえよ!!つうかなに勝手に食ってんの!?それ俺への土産だろうが!!」
「だって、お祝いかと思ったら違うみたいですし…。アフロディーテ、ごきげんよう。白い方どうぞ」
「どうも」
「食ってんじゃねえよ!おい、祝いっつったな。今確かに祝いっつったよなあんた!」

帰れ!!と椅子を引っこ抜こうとするデスマスク。嫌です!と抵抗するアテナ。これは茶が欲しくなるな…と呟いて部屋を漁りだすアフロディーテ。
三者の騒ぎは、女神の身を案じた下の階の面々が上ってくるまで続いた。

「デスマスク。アテナがこちらに来られたと思うのですが…」

ムウと。

「随分騒々しいな…」

アルデバランと。

「せめて床に落ちてる死に顔くらい片付けたらどうかね」

なぜかシャカの顔も覗いて。

「!あ〜れ〜!」

と女神が椅子から転がり落ちる、ここまでがワンセット。
…歪なアテナエクスクラメーションが組まれるまでに、瞬き一つの時間もかからなかった。

「…では、言い遺すことはないな。散れ、蟹」
「なあ、俺何か悪いことしたか?明らかに煽ってきたのこいつだし、明らかに今ワザと落ちたのもこいつじゃね…?」
「シャカ、私が口を挟むのもなんだが、中央はアルデバランに譲ったらどうだろう。見た感じ左右非対称過ぎて、多分撃ったら曲がる気がする」
「シャカ!ムウ!そしてアルデバラン!どうか拳をおさめて下さい。私のことは心配ありません。卑劣!なデスマスクに手酷く!いじめられたくらいで、地上の女神たる私の心はくじけない」
「ああいいやいいや撃てよお前ら。俺も今すぐ女神殺して割に合わせる」
「戯れが過ぎますよデスマスク」

あわや襲いかからんとした男の鼻先で、少女の体はふわりと浮き、そのまま構えを解いたムウの腕の中に収まった。

「…あなたもですよ。アテナ」
「すみません」

諌められて、それが蟹ではないからか、素直に頷く女神であった。

「一体、何があったんだ?」

と、アルデバラン。誰も答えない。ここまで、説明するほど中身のある事柄は一切なかった。
シャカが立ち上がった。

「アフロディーテがいるのは都合が良い。聞きたいことがある。君、単刀直入に問うが、デスマスクが聖闘士やめるというのは本当かね?」
「本人に聞けよ。俺に単刀直入しろよ目の前に居んだろが」

デスマスクはアテナ持参の赤飯を摘みはじめた。そうでもしないとやり切れなくなったらしい。

「・・・大体、なんでお前が下にいるんだよ?処女宮上だろ」
「混乱されたアテナの小宇宙を感じたので、出迎えに下りていた」
「へぇ。気づかなかったぜ。いつ通って行った?」
「通っていない。階段を降りるのが面倒なので、異次元に飲まれてからムウに引っ張り出してもらった」
「私の面倒も少しは考えるように。それでデスマスク。どうなのですか、実際のところ?」
「何が」
「あなたが聖闘士をやめるという怪文書が出回っている件です」

怪文書ぉ?
デスマスクの眉が跳ね上がる。

「そう言えばこのアマが手紙だとか言ってたな」
「『アテナ』とお呼びするように」
「いいのですよ。蟹になんと呼ばれようと私は気にしません。手紙は、確かこの辺に…」

女神はビニール袋をガサゴソやって、底の方からくしゃくしゃの紙を引っ張り出した。一緒にレシートも出てきて落ちた。

「これです」
「なあ俺絶対『アテナ』とか無理だわ。これ全部千円以内で買ってポイントまで貯めるような奴、『このアマ』としか言えない」
「!やめて下さい、人のレシート勝手に見るなんて。あなたは今日の日本をわかっていないのです。どんだけ要求されると思っているのですか、Tポイントカード見せろと」
「はいはいはい、その話も後にしましょう。今は手紙に集中集中。宜しいか」

皺になった紙を丁寧に開いて伸ばすムウ。

「…そう。この書面です。デスマスク、これを書いたのは本当にあなたではないのですね?」
「見せろ」

男は忌々しげにそれを取り上げ改めた。
安っぽいチラシの裏に、先の丸まった鉛筆で、でかでかとこう書かれていた。

『デスマスクです。セイソトやめます。』

「これのどこをどう見て俺が書いたと思った貴様ら!!?」
「いえ、あまりにもあったま悪そうなのでつい」
「ついどういうことだよ!!先輩に対する敬意一つも無いなお前!」
「金輪際ないです」
「あァ!?」
「デスマスク、もうやめてください。ちゃんとわかっていますとも。『ン』の書き順を間違っただけ。意味は通っています。頑張りましたね」
「ぶっ殺すぞクソアマ!!俺じゃねえって言ってんだよ!何が女神!?部下のこと何もわかってねえだろ!」
「マンモスごめんなさい。反省してますっP」
「死にたいんだな。積尸気冥…」
「デスマスク、このチラシは中々面白いぞ」
「お前も死ね金魚」
「茶化しているのではない。ほらちゃんと見ろ」

怒りで茹だる蟹にアフロディーテがひらひらと紙を振ってみせた。

「君が書いたのではないというなら尚更だ。犯人の手がかりになるかもしれないではないか」

犯人。
部屋の熱気がわずかに冷める。蟹いじりに手一杯だった現場へ、新たな概念をもたらす一言であった。

「調べなくていいのか?ん?」
「・・・・」
「目的が何かはわからんが、とにかくこれを書いた者がいるのだろう?君が自ら書いたのでないなら、君を陥れる目的で誰かが偽造したという事ではないか」
「・・・・」
「実際今、君はかなり陥れられている。このままアテナに何か危害を加えてみたまえ。間違いなく罰せられて、君を辞めさせようとしている犯人の目論見通りになるぞ?良いのか?」
「・・・っ」

デスマスクは歯ぎしりをして固まっている。こめかみの青筋は、金魚ごときに正論かまされたのが納得いかねえと如実に語っている。
ムウが機をを逃さずに割って入った。

「アフロディーテの言うとおりです。我々が優先すべきは混乱をもたらした犯人の特定。せっかく集まったんです、知恵の一つも出し合いましょうたまには。単純に考えれば、デスマスクに恨みを持つ者の犯行でしょうが…」
「ふむ、それでわかった。聴け犯人よ。一片の慈悲も持たぬこのシャカだが、3秒くらいは猶予をやらんでもない。跪き、地面に額を擦り付けてこの私に詫びよ!では行くぞ、3…2…1」

・・・・

「・・・名乗り出んか。仕方ない。手近の死顔から潰していくぞ」
「あ、死顔に言ってたんですか今の。何の電波を受信したのかと思いました」

壁の顔、全員心底震える。

「シャカ、今更ですが色々無理です。死顔が手紙を書くのも、地面に額を擦り付けるのも、あなたに謝るのも意味がわからない」
「恨みとは限らんかもな」

と、考え込みながらアルデバランが言った。

「恨んでいるならもっと攻撃的な手口になってもいい気がする。この文面からは、デスマスクに危害を加えたいというよりも、デスマスクを聖闘士から遠ざけたい意思を感じないか?例えば、デスマスクに何か弱みを握られている者などが…」
「はっきり言いたまえ。サガかね?それともシュラかね?」
「やめなさい。あの二人のアレなら今更知られてどうなるものでもないでしょう。まともな者なら仲間殺しの謗りより、この手紙を書いたという恥のほうを避けます」
「君らはちっとも頭がないな。チラシを良く見ろと私は言ったのだ」

アフロディーテが焦れたようにまた紙を振った。

「犯人像など想像しても仕方がない。サガも別にまともな方ではないし、動機で探そうとしたら上はサガから下はダンゴムシまで範囲に入れねばならないぞ。モノがデスマスクだということを忘れるな」
「…何が言いたいんだ?アァ?」
「私が言いたいのはチラシだ。手紙の裏の。極めてローカルなものではないか、注意してみればどの土地で配られたかぐらいわかるだろう」
『!』

冴え渡る金魚の推理。絶句する一同。なぜそんな簡単なことに気づかなかったのだろう。なぜよりによってアフロが気づいたのだろう。馬鹿な!
・・・仲間のびっくりリアクションに気を良くしたのか、アフロディーテは可愛らしい笑みを口元に浮かべ、小首なんぞをかしげて見せた。そしてチラシに向かって睫毛を伏せて、

「面白い内容だぞ。とてもユニークだ。『元気で可愛い子牛、3歳雌。小麦粉二十袋にて交換』『生きてる人間、7歳雌。小麦粉三袋にて交換』。フフ、通貨が小麦粉なうえ、人の方が畜生より安い!あはははは!」
『やべえ!!』

チラシの内容、それを見てケタケタ笑う魚、どっちも相当やばかった。

「お前大丈夫か!?なんかもう色々!」
「?死顔部屋に住んでる君に大丈夫とか言われたくないのだが。それともそんなに心配するということは、まさか私を彼女と認めて…?」
「ねえよ。例えお前が絶世の美女でも絶対ないわ、怖すぎる」
「ま、まあでも、これは確かに特徴のある内容ですね。帰って、グラード財団の調査班に調べさせましょう。ありがとう、アフロディーテ…」
「アテナ。それはデスクィーン島です」

突然、断定の声をあげたのはシャカだった。
え?と目を瞬かせる女神に向かって彼はきっぱりと、

「少女一匹小麦粉三袋。その物価には些か覚えがございます。間違いなく、デスクィーン島です」

・・・

「・・・ほぉぉぉお」

デスマスクの浮かべた笑みは、闇が深かった。

「聞き覚えがあるなあ、その島。なあ女神様?日本帰るなら俺も連れてってくれません?お話を、お伺いしたい奴がいるんで」






星矢。紫龍。そして瞬。
城戸邸に呼び出された少年達が見たものは、お馴染みの白いドレスに身を包んだ沙織お嬢様と、黒すぎるほど黒いスーツで武装した御付きのマフィアであった。

「お嬢さん、一体どういう…」

元気と勢いでできているはずの星矢も、いつになく小さく語尾をぼかす。
アテナも何かを言おうとして、結局口をつぐむ。
締め切った部屋の天井に、男のふかす煙草だけが一枚一枚積み重なって、やがてそれが他の全員を押しつぶしそうなほど分厚くなった時、ようやくマフィアが言った。

「いらねー奴らまで来やがったな」

紫龍が来客用ソファから立ち上がった。

「デスマスク!用があるのは俺だろう。二人を巻き込むな!」
「いや何一つ用は無いお前には。直行便で羽田に到着してアンドロメダに呼び出しをかけたのに、お前はどんな自意識過剰で中国から飛んできたのか逆に聞きたい」
「飛んできたのではない。大陸上空をとてつもない殺気に満ちた小宇宙が通過していったので、何事かと全力疾走で後を追ったのだ。九州までは龍飛翔で海を割り、そこから先はJRと並走だ。先に言っておく。人を傷つけるような真似はこの紫龍が断じて許さんぞ!」
「地球をだいぶ傷つけてやって来たお前には言われたくないわ。…だから着いたらさっさと必要な奴だけ捕まえに行けっつったんだよ俺は」

灰皿で煙草を潰してジロリと隣のアテナを睨む蟹。女神は悲しそうに、

「だって到着したのが朝の4時ですよ。そんな時間に出歩いて、職質にかけられたらどうします。同行すると申し出てくれたシャカに、『私は私の聖闘士を信じています』と大見得を切って出てきたのです。私には貴方の犯罪を防止する義務があります。まだわかっていないようですが、貴方の指紋を拭きながら歩くのは本当に疲れる事なんですよ。中一日休み入れなきゃやってられません」
「それのどこが俺を信じてると!?むしろ犯罪のアシストだろうがこのクソアマ!!」
「見得を切ったといいましたよね!?誰が本気で信じていると言いました!?」
「おま…!」
「ちょっと!もういいでしょう?用があるのはつまり、僕にってことですよねデスマスク」

瞬が声を張り上げて、二人の争いを終わらせた。
・・・余談だが、この場に集まった青銅は三人のみ。北の果てすぎて最近あまり連絡を取っていない氷河は、本日も圏外の扱いである。
デスマスクが舌打ちした。

「まあそうだけどな。お前にっつーか、お前の兄貴に用がある。フェニックスの居場所教えろや」

ジャララララッ!

「・・・兄さんに蟹ごときが何の用なのかな…?」
「瞬、さすがに、目的のわからんうちから床も見えないほどネビュラを敷くのはどうだろう…俺たちも一歩も動けないし」
「ごめんね、紫龍。でも返答次第では蟹をここから帰すわけにはいかない。この部屋で動くものは全て電気ショックの餌食になるから、みんな気をつけてね。今日のチェーンの電圧はピカチュウとかメじゃないよ」
「面白え。こっちも積尸気絶好調で、妖怪ウォッチが裸足で逃げ出すほどあの世との距離近いんだよ。死にたいなら送ってやるぜ?」
「悪いけど、ジバニャンじゃ力不足なのはポケモンGOが証明しましたよね?所詮、模倣しかできないコンテンツに先駆者は倒せないよ」
「余裕かましてるとまたガチャガチャのポスターから消えることになるぜ?一時期随分追いやられてたよなあ黄色いネズミさんよ」
「お前ら一体何を張り合ってるんだ…」
「お嬢さん、一体どういうことなんだよ。一輝に何かあったのか?」

不毛な争いにさりげなく見切りをつけた星矢が言った。

「実は、こんなものを受け取ったのです。・・・・。・・・届きませんね。ちょっと待ってください、紙飛行機に折ってそちらに飛ばしますから」

折って飛ばしたそれは、しかし二人を隔てるネビュラチェーンのど真ん中に落ちた。

「ヘッタクソ!何?女神様ってもっと器用なもんじゃねえの!?」

こういうときだけ見ている嫌な奴・蟹。

「側から見ても先が鈍角だったぞオイ!」
「仕方ないでしょう!?こんな足場の悪い中で立ったまま折ったんですよ!でかい図体の誰かさんが横でぶくぶく煩いから集中力が乱れたんです!上手くいくわけないではありませんか!」
「逆ギレか。ちょ、待てって!取りにいかんでいいから!作り直せなんて誰も言ってねえだろ、危ねえからじっとしてろアホ!」

涙目のままネビュラに踏み込もうとする女神を腕一本でとっさに抱え、落ちた紙飛行機をテレポートさせて星矢に渡してやるデスマスク。
色々優しいが、「星矢の前で不器用みたいに言われた」思春期の恥と恨みは終生女神の胸から消えない。

「デスマスク・・・!」

紫龍のみ感動しているが。

「まさかお前がアテナの御身を庇うとは…!瞬、大丈夫だ。この男はもう以前のデスマスクではない。春麗を滝に突き落とした攻撃的テレポーティションで、こんなにも優しく紙飛行機を扱えるのだ。彼もまた、愛に満ちたアテナの聖闘士に生まれ変わった。…フッ、もうデスマスクとは呼べんな。これからは愛と正義の聖闘士、ラブマスクとでも呼ぼうか」
「絶対やめてくれるか殺すぞお前。家帰って検索でもしてろ、自覚なくとんでもねえ単語言ってるから。…ああクソッ、これだからあったま悪いガキの相手は嫌なんだよ!」
「・・・お前に人のことが言えるのか?」

星矢の呟きであった。低い声の異様さに、デスマスクはもちろん、紫龍と瞬も振り返った。そして

「!これは…!」

目に入る皺くちゃの紙。

【デスマスクです。セイソトやめます】

『うわあったま悪っ!!』
「自分はンとソの区別もつかないくせに人のことだけ悪し様にいう!俺はお前を絶対に許さないぞデスマスク!」
「違うわ!!誰がこん…!」
「デスマスク、いくらなんでも23歳でこれは。もしかしてお前、日本に来たのはその辺を少し勉強するため…?」
「あ!そうか、兄さん難しい単語いっぱい知ってるから!」
「違うわああああっ!!!誰が書くかこんなもん!!つーか何なの!?何で疑いもなく俺がやったと思うわけ!?」
「日頃の行いでしょうねえ」

蟹の腕で寛ぎながら女神。

「てめえは降りろよいつまで抱かれてんだよコラ!!」
「あなたが抱えあげたりするから私のいた場所もチェーンで埋まったんじゃありませんか。ひどい蟹ですこと。別にいいですよ?降ろしても?私の身に何かがあって、シャカの逆鱗に触れるのが怖くないなら全然別に」
「・・・・」

こめかみ引きつらせて蟹は黙った。怖いらしい。
そうでなければあなたが私を庇うはずありませんものね?、と涼しい顔でダメ押しし、アテナは首だけ回して手紙にどん引いている星矢たちを見る。

「星矢。その手紙は、信じがたいことですが、デスマスクが書いたのではありません」
「な、な、何だってぇえ!!?」
「驚きすぎだぞペガサスこの野郎…」
「手紙をよく御覧なさい。裏のチラシを。書いてあるでしょう、幼い少女に小麦粉3袋と。そう、この価格は、あのデスクィーン島のものなのです」

ジャララララララ

「・・・仰りたい事はわかりました。死んでくださいお嬢さん」
「待てえええ瞬!!落ち着け!!」
「一輝事案で逆上しすぎだぞお前!今今はたぶん蟹よりタチが悪い!」
「だって!だって…っ!兄さんが、こんな…っ!」
「わかる!気持ちはわかるって!一輝はこんなの書く奴じゃないよな!?」
「そうだよねっ星矢?兄さんは、他人の名前を騙るような卑怯者じゃないよねっ?」
そこ…?あ、いや、当たり前だろ!?卑怯者でもないしンとソを間違ったりもしないさ!なあ紫龍!?」
「む、無論だ!」

彼らを眺めやりながら、デスマスクはイライラと額を掻いている。

「あー話が進まねえ。おい、アンドロメダ!当人に聞けば白黒はっきりすんだよ、フェニックスはどこにいる?」
「兄さんは関係ありません!」
「あるかないかは俺が判断する。答えろ」
「嫌です!第一、兄さんがどこにいるかなんて、僕の方が常に知りたい!」

デスマスクそれは本当だ、あいつの居場所は誰にもわからないし、ぶっちゃけ今どのくらい人間の形をしているかもわからない、一輝はそういう男だ・・・と星矢たちも一生懸命補足した。
蟹が苦々しげに唸った。

「…クソッ、手掛りなしかよ」
「当然です。兄さんはこんな手紙を書いたりしない。手掛りになりようがないんだ。今どこにいるかはわからないけれど、いつだって僕が危ない時には必ず助けに来てくれる、とても男らしい人なんだから…」
「ほぉ?」

お前が危ない時には?

男が目を細めた。
天井にたまった薄煙が、異様な震えの紋を描いた。

「…つまり、お前を傷めつければフェニックス一輝のご登場ってわけか。そりゃあわかりやすくて助かるなあ」
「!やめなさいデスマスク…!」
「あんたはどいてろお嬢サマ」

ぶんっ!と腕の一振りで、女神を投げ捨てる。

「お嬢さん!」

咄嗟に星矢が受け止めて、

「デスマスク!」
「一昨日からくだらん無駄口ばっかりで体が鈍ってたところだ。丁度いい。さぁアンドロメダ、あの世を見る準備はできてるか?」

底冷えするような異様な小宇宙が部屋に広がった。
「死」そのものが下りてきたような、冷たさ。
対峙した少年は奥歯を噛んだ。身を守るようにチェーンを構え直す。

「くっ!言ったはずだよ、一歩でも動けばネビュラチェーンが容赦しない。聖衣もないあなたに勝ち目はないよ!」
「ああ聖衣ねえ」

デスマスクはニヤニヤと笑って、ゆっくりその場に屈み込んだ。

「最近出してねえからな。宮のどこかにはあるだろ。まあでも…」

バチバチバチバチッ!

「…一万ボルトだか十万ボルトだか、生身の俺にも効かねえけどな、こんなもん」
「!?そんな…!」

電撃を散らしてネビュラチェーンを掴みあげた、その手を呆然と眺める瞬。
デスマスクは構わずに言葉を続けて、

「忠告しといてやるよアンドロメダ。お前もあんまり勝手な使い方してると、そのうちこいつに見限られる、ぜっ!!」

一閃。
凄まじい音とともにチェーンが跳ねた。
壁にめり込み、窓ガラスを叩き割り、天井のシャンデリアを落として音と破片が部屋を串刺しにする。 
・・・もし瞬が、反射的にチェーンから手を離していなかったら、彼もまたこの破壊の一部と化していたところであった。

「瞬!」
「だ、大丈夫だよ…危なかったけど」

見る影もなくなった部屋、埃と煙がまだおさまりのつかぬ中、少年はなんとか体勢を立て直していた。

「…カンだけはいいなぁクソガキ」

つまらなそうにデスマスクが言う。

「星矢、紫龍、怪我はない?」
「あ、ああ問題ない。星矢、お嬢さんは?」
「大丈夫、かすり傷だ!」
「良かった!」
「良くねえよ傷つけんなよアテナに!!俺が後で責任問われるんだよ!ペガサスおい、お前はちゃんと女神を守れる奴なんじゃなかったのか!?」
「守ってるけど、お前のせいで怪我したんだからお前が責任取るのあたりまえだろ!何言ってんだよ!」
俺はこれでもそっちにチェーン行かないようかなり気を使ったわ!お前が身を呈してなんとかしてりゃなんとかなったんだよ!」
「デスマスク。僕が言うのもなんだけど、大事なものは星矢に預けない方がいいよ。星矢は人が命がけで直してきてくれた聖衣を、すぐなくしたりするタイプ」
「マジか…」
「違うのです、瞬!星矢はちゃんと!しっかり!完璧に!私を守ってくれました。この傷は…そう、さっき、デスマスクに捕まえられていたときについたものだった気がしますなんとなく」
「ふざけんなよ人の冤罪増やしやがって。俺は薄皮一枚傷つけてねえぞ。毛の生え揃わないガキに女の抱き方で遅れをとるかよ」
「なんだとデスマスク!よし、今度は俺が相手だ!馬鹿にされて黙ってられるか!…お嬢さん、悪いけど、重いから一回おろすぜ」
「その一言で勝負見えたからもういいよ星矢。もとの話に戻ろう。ええと…なんの話をしてたんだっけ」
「…デスクィーン島のことだが」
と、破壊された部屋の片隅で黙ってガラス片を壁際にまとめていた紫龍が言った。
「ここで話していても埒があかん。現地に行ってみるしかないのではないか?」

瞬も星矢も目を丸くした。

「紫龍、でも」
「いや、俺も一輝がやったとは考えていないが、デスクィーン島に鍵がある可能性は確かに高い。他に手がかりが無い以上、行くしかあるまい」
「…そっか。そうだね。行ってみよう」
「待て。別にそういう事ならお前ら来なくていいわ。俺が一人で行くからクソアマを家まで送っとけよ」
「駄目だよ。絶対いないと思うけど、万が一兄さんがいたら大変な事になるもの。関係ないと信じてるけど、もしかして兄さんがンとソの区別ついてなかったら、あなたどうするつもりですか?」
「…お前実は信じて無いだろ兄貴のこと」
「信じてるよ!」

事の真偽はともかく、こうしてデスマスク、アテナ、瞬に星矢に紫龍までが、悪名高い地獄の島へ乗り込む事になったのである。
・・・部屋の片付けは辰巳に任せることとなった。ここまでで唯一、まともな仕事をした人かもしれなかった。



デスクィーン島。
赤道直下、南太平洋に浮かぶ灼熱の島。大地は熱く焼けただれ、一年中火の雨がふりそそぐ様はまさにこの世の地獄…

『しかしそんな恐ろしい景色も近年では逆に注目され、世界自然遺産への登録が検討されている。また、この島に現代まで残る小麦粉本位制経済のシーラカンスとも呼ばれ、人類の商取引の歴史を知るための重要な研究対象となっている。他方、政府というものがなく法律も税制も存在しないことから究極のタックスヘイヴンとされ、多くの企業や富裕層が所得隠しおよびマネーロンダリングに利用していると言われている。昨年のデスクィーン文書の流出によりその実態が一部明らかとなったのは記憶に新しい』だそうです」

最新の『地上の動き方』を片手に瞬が言った。

「小麦粉本位制なのに銀行口座作れるって凄いよね。やっぱり小麦粉に換算して預金するのかな」

飛行場と言う名の空き地に降り立った一行を迎えたのは、見渡す限り続くゴツゴツした不毛の大地と、熱く乾ききった風だけであった。
入国審査もなく、そもそも空港建物もない。銀行も、それに似たものすらも勿論見当たらない。
ただ、中華料理屋はあった。

「…なんでだよ」
「昔、ある戦場カメラマンにお聞きしたことがある。どんな戦場であっても、必ず中華料理屋は存在する。頗るハイリスク(命をかけて)・ハイリターン(800円くらいで売る)でやっていると。逆に言えば、中華料理屋が進出できない場所はハイリスクすぎて戦場カメラマンも近づけないと。そういうことだ」
「・・・」
「あらでもこれ、結構美味しいですね。馬鹿にできませんよ」
「確かに。普通の中華とは違う独自のアレンジが加えられているような」
「このパンなんて、外はカリっと、中はフワフワですっごく美味しいよ」
「俺まだ食べられる!追加でこれも頼んでみないか、お嬢さん」
「ふふ、良いですね。賛成です」

一行はたらふく食べた。代金は、

「デスマスク、ごちそうさまでした」
「ごちです先輩」
「すまないな、好きに食べてしまったが…」
「誰が奢るっつった!?」
「だって私、小麦粉なんて持っていませんし…」
「俺だって持っとらんわ!」
「いい歳の大人が女子供に払わせるのですか?それでもあなたは黄金聖闘士?」
「関係ねえだろ!…つうか真面目に、小麦粉無ければ食い逃げしか無いんじゃね・・・?」

だがなんとかなった。店員に交渉したところ、小麦粉半袋の代わりにユーロで500でもまあ許すと言ってもらえたからである。

「高ぇよ!!両替できてねえ客からぼったくって成り立ってるだろこの店!」
「抑えて、デスマスク。食べてしまった以上払わないわけにいかないし、ここだけの話、僕たちそんなにお金無い」
「お前らに払えるとは誰も思っとらんわ!そこのクソアマが払えばい…」
「ああまさかVISAもMASTERも使えないなんて。困りました、いつもカードで済ませているから手持ちが…」
「嘘つけや俺の餞別小銭で買ってたくせに!」
「デスマスク、あとで老師に事情を説明してうちの家計から返済するから、ここは持ってくれんか。すまん…」
「紫龍、無理だよ。老師が許しても、多分春麗さんが許さないよ」
「そうだぜ紫龍。ここは素直に、デスマスク先輩にご馳走になろう」
「何が先輩だコラァ!!」

しかし蟹が払うしかなかった。あるところから出すしかないのである。
積尸気冥界波で店員を飛ばすという選択肢は、技の価値が大体六万円以下だと認めるも同然になるため、避けられた。

「お前らほんっと覚えとけよ…」
「まあでも男を上げたではありませんかあなた。クーポンも使わず現金でビシッと払えるなんて、素敵すぎて今度一緒にお買い物に行きたいくらい」
「ごめんすぎて蹴り倒したいくらい。クーポンなんかあるわけねえしなこの店」

さて、その店を出て、問題はどこへ行くかである。街か村を見つけて聞き込みをするべきか、しかし聞き込むといって何をどう聞けばいいのか。
腹満ちたのち改めて明るすぎる陽の下にあの怪文書を引っ張りだしてみると、こんな所まできてそんな事するかこのために、という気がしてくる五人であった。

「・・・僕、思ったんですけど」

と、つきものの落ちた顔で瞬が言った。

「絶対に兄さんが犯人ではないけれど、ここはひとつ兄さんかもしれないと仮定しておいて、次に会った時にその辺聞いてみるということで、もう今日はみんな帰ったらどうかな」
「何しに来たんだお前。本当に兄貴が大事なのか・・・?」
「なあ俺、薄々思ってたんだけどさ。この変な手紙って、デスマスクが気にしなきゃいいだけじゃないのかな」
「言うな星矢!それは皆思ってる!」
「お前も黙れ長髪。俺はついて来いなんて頼んでねえぞ!むしろついて来るなって言っただろうが!勝手についてきておいてグダグダ言うんじゃねえ!」
「そんな風に言う事ないでしょう。星矢たちは、なにはともあれ貴方のためについてきたのですよ?少なくとも女神のために来た人はここまでゼロ」
「・・・俺もそれは気付いてたわー。アテナを心配する気配欠片も無かったわー。もう少し人望あると思ってたわー女神様って」
「ああっ、蟹の暴言で心が痛い・・・!来る前に傷つけられた頬も今になって痛み出して・・・!」
「だからそれ俺以上にペガサスのせいだろうが!!・・・よりによって顔かよ、絶対殺される帰ったら」

デスマスクがもう一生この島に住もうかと考え始めた、その時であった。

「!チェーンが・・・」

瞬の背負っていたナップザックからアンドロメダチェーンが飛び出し、持て余されていた証拠品の怪文書を奪って宙に舞い上がったのである。

「・・・なあ、お前いつもそのチェーン持ち歩いてるのか?」
「ええ。アンドロメダ担当になるとわかりますけど、このパーツだけは本当に便利なんで。そのために新しいバッグ買いましたからね僕」

スクエアチェーンは捲きとった文書に三角の先端を押しつけ、しばし震えた。

「匂いを嗅いでるんだと思います」

そして文書を放り出すや、一直線に島の中央に向かって走り出した!

「犯人を嗅ぎつけたんだ!」
「いやお前のチェーンって一体何なの!!?」
「急ぎましょう、たぶんいつまでたってもアホな会話を続けてる僕らを見て、自分がやるしかないと思ってくれたんです。応えないとチェーンまでやる気をなくしてしまうよ!」
「知らねえよ!!」

しかしとにかく彼らは走った。今の自分達は大した小宇宙も燃やせないし、明らかにチェーン以下だとわかっていたからである。
一歩目で足をくじきかけた沙織お嬢はデスマスクが抱えあげた。

「!デスマスク、やはりお前はラブマスクにな・・・」
「なってねえ!!意味わかって無い奴が口に出すなそれ!!おいクソアマ、なんでこんな場所にピンヒール履いてきた?」
「セレブなのでつい」
「場違いな正装してくる奴はセレブじゃなくて成金つーんだよ田舎者!」

チェーンはデスクィーン島にそびえたつ火山の頂へと延びている。
犯人が、あそこにいる。

「あ、そうか!バカと煙は高いところに登りたがるって昔から言うもんな!」

今まさに山肌を登っていた全員の足が止まりかけたが、決して登りたくて登っているわけではないと各自自分に言い聞かせて事なきを得た。
バカの集団であった。



スクウェアチェーンは、人に刺さっていた。

「いたよ犯人!死んでる!」
「やったぜ!これでもう全部済んだな!」

山頂は喜びに沸きかえった。一人を除いて。

「ふざけんなよ。俺の気が済んでねえ」
「お前の気はどうでもいいだろこの際」
「飯おごってもらっといてよくそこまで酷い言葉が出るな。冗談じゃねえぞ、死んでたらあの世から連れ戻す!おら、起きろ犯人コラァ!!」

死体の襟首を掴んでぶん殴りにかかるデスマスク。

「!やめなさい!あなたの力で殴ったら本当に死んでしまいます!ここは女神である私が!」

と、咄嗟に飛び降りピンヒールで犯人の顔を踏むアテナ。

「・・・う、ぐっ・・・」

目を覚ますまだ死体ではなかった男。

「どうです。わかっていただけましたか、この場にこの靴を履いてきた私の深い思慮を」
「アホか・・・」
「さすがだぜ!そのカカトでお嬢さんの体重じゃ、そりゃ目も覚めるよな!」
「星矢。言い方」
「・・・・フフ、お、面白い冗談ですね星矢」
「おいペガサス。ここまで誰よりもアテナ傷つけてるのお前だからな?俺じゃねえからな?サガが何か言ってきたら絶対自己申告しろよてめえ」
「や、やだよ。なんで」
「貴様ら・・・なぜここに」

と、せっかく目を覚ましたのに流れで無かったことにされかけていた犯人が呻いた。

あれ、と瞬が声をあげた。

「僕、この人見た事がある!」

え、とその他四人も改めて犯人を見る。

「そう言えば俺も・・・」
「俺もだ。見覚えがある気がする」
「変ですね、私もどこかで・・・」
「俺はねえな。なんだ、青銅の坊ちゃん方の因縁のお客サマだったか?」

皮肉な口調でデスマスク。星矢達は顔を見合わせる。確かに、このメンバーで見覚えがあるということは、どこかで闘った敵であろうとは思うのだが・・・
しかしその男の顔は、思い出そうとすればするほどむしろ忘れていきそうなくらい特徴に欠けていた。
こんな影の薄い奴いたっけか・・・困惑する女神と少年達である。

「・・・思い出せないか。無理もない」

空気を察したか、男の方がついに自己紹介を始めた。

「俺が実際闘った相手は白鳥座の聖闘士だったからな。お前達が俺を記憶していないのは道理だ。フ、しかし、暗黒フェニックスと言えば少しは思い出してくれるかな?」
『暗黒フェニックス!?』

四人は思い出した。

・・・と、言えるのかどうか。

「おいおいまともに名のある敵だったんじゃねえか。覚えて無いって、お前らそれでも聖闘士か?アテナか?俺でさえ殺した敵の顔ぐらいは覚えてるぜ?」

呆れたように煽る蟹。彼は暗黒フェニックスが五人一束300円くらいの相手であった事を知らない。

「仕方がないさ。あの時はマスクをしていたからな。むしろ見覚えがあると言われた方に驚いたぐらいだ」

取りなしてくれる暗黒フェニックス。彼もまた、マスクとかそういう問題ではないという事をわかっていない。

「ちなみに、下の店で店員をやっていたのもこの俺だ。あの時は気付かなかったようだな」
『いやむしろその見覚えだよこれ』
「デスマスク!あなたは、実際代金を払った当人のくせに覚えがないなんて!それでも聖闘士ですか?」
「俺でさえ敵の顔は覚えてるぜ、とか言いました?さっき」
「うるせえ!!殺した敵の顔はっつったんだよ!下の店のあれは殺してねえし、ある意味俺の方が殺されたと言えるだろあの額!つーかお前!」

若干耳を赤くしながらわめいて、デスマスクは暗黒フェニックスの胸倉をつかみ上げ、全てを誤魔化しにかかった。

「3秒も覚えられんほど地味なくせに俺の名前騙って嫌がらせとはどういうつもりだ!?あァ!?言っとくがな、俺はキャラ立ちだけは凄ぇから!」
「デスマスク。自分で『だけ』とか言わないように」
「ロクな立ち方でもないしな・・・」
「黙れ外野!!」
「ぐっ・・・人違いだ。俺は貴様の名前など、騙りはせんっ・・・!」
「嘘つけ!!」
「嘘では無いっ!しょ、証拠はあるのか?俺が騙ったという、根拠はなんだっ・・・!」
「ほーぉ、あくまでシラ切る気か?じゃあお前書いてみろや今すぐここで地面に『セイント』って書いてみろやこの顔面モブ野郎が!!」

酷い言われようだったが暗黒フェニックスは黙って堪えた。そして書いた。指で地面に『セイント』と。
・・・・・

「・・・ちっ。なんだよマジで人違いかよ紛らわしい。わかったよ、行け」
「待って待ってちょっと待って、レベルが低過ぎてついていけない。え?なに、ただそれだけで容疑者から外れるんですかこのゲーム?」
「仕方ねえだろ、『ン』だぞ」
「いやそんな誰かに指摘されたら2秒で直せる癖よりも僕は自分のチェーンを信じるよ。暗黒フェニックス、あなたこの文書に見覚えがありますよね?」
「フッ、知らんなそんなも・・・」
「そうですか。十万ボルトから行きましょうか」
「と思ったが見覚えがある気がする!確かに!あれは中学の頃の下駄箱・・・」

火花。

「・・・なあ瞬。そのチェーン、何万ボルトまで出るんだ?」
「今から試すからちょっと待ってね星矢」
「おい正直に答えたほうがいいぞ暗黒フェニックス。死ぬぞ」

 暗黒フェニックスは、しかし、もはや答えられる状態ではなかった。死んではいないが、煙い。
 瞬がため息をついた。

「・・・ここまでだね」
「いや何が?お前だろここまでにしたの」
「はっ!またチェーンが緊張してる!」
つうか何なのこいつ、聖闘士のくせに堂々と凶悪な武器使いすぎだろ。注意しろよクソ女神」
「今さらですから」

誰にも注意されなかったので、チェーンは再び自由自在にすっ飛んで岩を二つ三つ粉砕し、遠くの方でまた誰かに刺さった。

「あそこまで行くのめんどくせえな」
「誰のためにやってると思ってるんですか?行くよ!」

一行が駆けつけてみると、背中を押さえてうずくまっていた人影が、忿怒の形相で立ち上がるところだった。

「貴様ら…久しぶりに会ってみれば他人の土地で好き放題暴れおって・・・」
「あなたは!・・・えーと」
「なに、こいつも店の中にいた奴か?」
「違います。えーと、そうだ!確か暗黒アンドロメ…」
「フッ、バレては仕方ない。そうよ、この俺が、下のトルコ料理屋の厨房を預かっていた男よ」

そこは何もかもバレていなかった。

「あれは中華料理屋ではなかったのか。道理で、俺がいつも食べている味とはいささか系統が違っていた」
「さすが本場を知る男は違うようだなドラゴン紫龍よ」

と、皮肉に笑う顔は、以前の戦いの時のままである。無数の黒い蛇を操り、足を引っ張る星矢と共に瞬を窮地に陥れた男。
ただの厨房料理人ではないその証拠に、彼は一瞬の隙をついて五人から間合いを取った。そして言った。

「正直、俺は素直にトルコ料理屋として開きたかったのだが、やはりどこにでもある感じにカモフラージュをするとなると中華料理屋の見た目以上のものはなくてな」
「絶対あると思うんだけど他の選択肢」
「フン、貴様の考えの甘さは未だに変わらんか、アンドロメダ。言いたいことはお見通しだ、マクドナルドかスタバにすればいいというのだろう?馬鹿な。カモフラージュにせよあんな店の看板を掲げることはこの俺のプライドが許さん。人間はまともな飯とコーヒーを摂るべきだ」
「・・・」
「中華料理屋も、外見こそ借りたとはいえ中身は俺の祖国の味だ。不味くはなかったと思うが?」
「いや、それは確かに美味かったぞ。暗黒アンドロメダよ、まずはその点、礼を言わせてくれ」

紫龍が丁重に言うと、暗黒アンドロメダは照れ臭そうに横を向いた。

「フン…貴様らが英米あたりの観光客なら、これでも食っとけと塊のままのハムでも出していたところだがな。中国・イタリア・日本から来たとなると、こちらも腕を振るわざるをえんわ。特に食の大国、中国からの賛辞は格別だ。ありがたく受け取っておく」
「フ、俺も中国育ちとはいえ、そう贅沢な食事はしておらん。いつも春麗の手料理ばかりだが」
「謙遜するな。結局のところ、どこの国でも家庭の味が一番だろうさ」
「はは、違いない。ときに、話は変わるがこれに見覚えはあるか?」
「ん?ああそれか。見覚えどころか、それはキャンサーのジャンゴ様ががぐぶっ!!」
「・・・あーマジ本当いつまで続くのかと思ったぜガキの無駄話」

デスマスクであった。暗黒アンドロメダの顔面を掴み上げる、その手に青筋がくっきり浮いていた。
いや、青筋どころか、薄青い小宇宙まで匂うように浮き始めていた。
口の端だけは笑みの形に吊り上っていたが、眉と目と鼻と歯と顎は大体殺すと言っており、全体的に見れば引きつっていた。

「キャンサーの、ジャンゴって、誰よ?」

一語一語区切って唸る、その速度に怒りが籠っている。

「答えろよオラ。潰すぞ」
「ぐっ・・・ぎっ・・・・!」
「デ、デスマスク。そんなにきつく締めあげては答えようもないのでは」
「こいつも聖闘士なんだろ?だったら目ぇ潰されても見えるし耳潰されても聴こえるし喉潰されても喋れんだろ」
「馬鹿な!聖闘士とはいえ生身の人間だぞ!無茶なことを言うな!」
「その無茶をやり続けたお前が言うな」
「ていうか、暗黒聖闘士って別に聖闘士じゃないんだろ?アテナが認めてないって聞いたし、自分で勝手に聖闘士を名乗ってるだけなんだからさ。あんまり酷い事をするなよデスマスク!」
「お前のデリカシーのなさの方が酷いわ。ほんと一体お前誰に育てられて…っと、クソっ!」

突然毒づいて、デスマスクが手を離した。
ザッ!
足が地面に着くや、物も言わず駆け去る暗黒アンドロメダ。
デスマスクは片手首を抑え苦悶と怨嗟の表情で、

「この野郎!」
と吐き捨てるなり後を追う。残りも続く。
と見せかけて沙織お嬢が遅れる。

「待ってください…きゃっ!」

ガッ!ずべし!ビリっ!

「ああ、蟹のせいで満身創痍…悲しい。このままでは何処かの誰かが私のために責任取って死ぬ羽目に」
「だからァ!なんで全部俺のせいになるわけ!?あんたがクソみたいな靴履いて来るせいだよな!?自業自得だよな!?」
「ちょっとお洒落をしてきただけなのにこの言われよう。あなたが彼を逃さなければ誰も走らずに済んだと言うのに、なんて酷い」
「ぐ…仕方ねえだろ古傷が痛ぇんだから」
「お前脛以外に古傷なんてあるのかよ」
「なあこのペガサスなんなの。俺の何を知ってるの」
「いや、デスマスク、星矢に悪気はないのだ。今のは多分、俺が折ったお前の足のことで」
「だったら尚更言い方考えろよ」
「古傷っていうのは手?大丈夫ですか、傷口がひらいたとか?」
「いやお前のチェーンにやられた火傷だろうが」
『だったら古くないだろうが』
「それかよ!なんだよ!どうでもいいじゃん!」
「どうでもいいとはなんだコラァ!」
「どうでもいいよ。古傷とか言うから何かちょっといい話でも聞けるかと思ったよ。『・・・一万ボルトだか十万ボルトだか、生身の俺にも効かねえけどな、こんなもん』。一言一句間違えずに言えるほど直近のどうでもいい話だった…」
「傷つけた張本人がそこまで言うか!?大人にはなあ、体面ってもんがあんだよ!効いてねえわけねえだろが!」
「おい、お嬢さん先行ったぞ。おおもうあんなに遠く」

馬鹿な言い合いをしている場合ではなかった。今更だが。男達は再び走り出す。
この先にいい加減終わりがあると信じたかった。

 



「ジャンゴ様」
「アンドロメダか。戻ったか」
「は」

暗黒アンドロメダは片膝をついて最敬礼した。
地は熱く、空気には硫黄の臭いが立ち込めている。眼前にはマグマの煮えたぎる噴火口があり、その前には、道で知らない顔に遭遇したら片っ端から「おまえ、どこ中よ?」と聞いていそうな感じの男が立っていた。ジャンゴである。

「こうるさい奴らが来ているようだな」
「さすがの御明察。青銅聖闘士が来ています。そしてアテナと、あの男も」
「・・・ついに来たか。いつか来るとは思っていた」
「はい」
「様子はどうだった」
「ざっと見る限り、アテナのATMをやらされていました。かなりの吹っかけにもキャッシュ一括で精算を」
「哀れな事よ」 

ジャンゴはため息をつき首を振る。まったくもって外見に似合っていない所作だが、まだツッコミに回る人間が到着していないので容認された。
暗黒アンドロメダがちらりと噴火口に目をやった。

「あちらの御様子は」
「案ずるな。いささかの動揺もない。たとえ奴らが登って来たところで、真の正義とは何かを見せつけてやるだけよ。このキャンサーのジャンゴの手によってな!」
「てめえがそれか」

どげしぃっ!!

こめかみに膝をくらって白目を剥くジャンゴ。
ツッコミの到着である。

「いーぃ場所にいるじゃねえかー。あれなに溶岩?今すぐ溶かして下さいっつってるようなもんだなあ。ほら落ちろほら骨まで溶けろオラオラ。落ちろっつってんだろうがこのクソがァ!!」
「デスマスク、ちょっと、凶悪過ぎるから落ち着きませんか。蹴ったりしなくてもうんと押せばちゃんと落ちるからこの人。ほら」
「押すなぁっ!!貴様らそれでもアテナの聖闘士か!?ジャンゴ様ーっ!!」

半ばまで転げ落ちていたジャンゴは健気な部下の救助によってなんとか溶けずに済んだ。
デスマスクは穴のふちで例の紙をぴらぴらさせている。

「これに見覚えあんだろ?あんだろ?よーし、もう一回落ちろ」
「いい加減にしろよ貴様!大の大人がそんな落書き同然の紙一枚でどこまでしつこくいびる気だ!他にやること無いのか!?どんだけ暇だ!?」

暗黒アンドロメダ、ついに切れる。
図星をつかれたデスマスクもますます青筋立てて、

「うるせえ!そもそもの発端はお前らだろうが!こんなもんまき散らされて俺がどれだけ迷惑したと思ってる!」
「なら言ってみろ、お前が受けた迷惑とやらを一から百まで言ってみろ、どうせ他人にお祝いされたとか地味なショック受けた程度の話だろうが!日頃の行いだバカめ!!」 
「俺の日頃の行いをアナタはどれだけご存知なんですかーぁ?もしかしてまだアテナの命狙ってるとか思ってませんかーぁ?はいハズレー!!俺は何にもしてませんから!自慢じゃねえが最近は食って出して寝る以上のことはなんっにもしてませんから!!完全ただのニートです!!こんなあったま悪い字で聖闘士やめるとか書かれる筋合いねえんだよ!!」
「すまんむしろ傍から聞いても筋合いしかないぞデスマスク・・・頭の悪さも聖闘士やめるべきさもフルコンボだぞ」
「外野は黙ってろ!」
「・・・・」
「はいはい黙ります黙りますごめんなさいませハイハイハイ。さ、皆さん、後ろからこの蟹を突き落として全部終わりにしましょう」
『はい』
「お前らァ!!」

蟹が怒鳴って振り向いた、その時だった。
彼の背後、沸き立つ噴火口から一条の光が上がった。

『!!』

 誰もがあまりの光量に直視できず目をかばう。

「まさか、噴火!?」

ではなかった。
強烈な発光の後に、それは昇る太陽のごとくマグマの中から現れた。

 蟹座の黄金聖衣が。

「てめえデスマスク!嘘つき!宮のどこかにあるだろとか言ってたくせに!」

責めずにいられない星矢であった。

「知らねえよ!腹のパーツで鉄板焼きやった時以来出してねえのに、なくなってるなんて思うかよ!」
「一度見放されてるのにその使い方して大丈夫だと考える方がどうかしてると思うんだけど」
「は?なら俺はどうすればいいわけ?闘ってもダメ、鉄板焼きもダメ、八方塞がりじゃねえか。売っぱらってホットプレート買えってか」
「・・・もういいよ」

蟹聖衣は宙に浮いたままキラキラと震えている。主の駄目すぎる姿に泣いているかのようである。
・・・いや。今現在の主はもはやデスマスクではないのか。

「キャンサーのジャンゴ、ということは、蟹座の聖衣は新たな主を選んだということなのでしょうか」

アテナが不思議そうに、暗黒アンドロメダに支えられている男を見た。

「・・・あんまり変わらないように思うのですけれど」
「全っ然違うだろうが!俺の方が絶対ハンサム!」
「と言ってくれる彼女を早く見つけられるといいですね。もう聖闘士ではないのですから、私に遠慮することはありませんよ、名もなき一般の人」
「ふざっけんなよ、何が名もなき一般の人だ!つうか、名もなき一般の人を守るのがあんたの使命なんだよな?俺をお守りくださる決意表明ってことでオーケー?」
「自分が聖闘士の時はビタ一文私を守らなかったくせによくそんなことが言えましたね。あなたへの人類愛は紅白饅頭と赤飯で使い果たしましたよ。これ以上何をたかろうと言うのです」
「・・・クックック。無様な奴らめ」

と言ったのは、意識を取り戻したジャンゴであった。
大口開けてなおも女神に言い募ろうとしていたデスマスクはただちに矛先を変えて、

「なんだこらァ!」

と、完全にただのチンピラである。
ジャンゴは暗黒アンドロメダの肩から離れ、若干よろめきながらもはったと彼を睨みつけた。

「無様だと言ったのだ。自分の置かれた状況を知らず、まだおめおめと女神にすがろうとするとはな」
「別にすがる気はねえよ。この薄情さが頭きてるだけの話で」
「同じことだ。無意識の依存、それこそが抜け出せぬ暗黒そのもの。お前も、そこにいる青銅聖闘士達も皆、女神にいいようにこきつかわれるだけの存在だということよ。それに気付かぬとは愚かな奴らめ」
「気づいてるだろとっくに。ペガサスはどうだか知らんけど、他二人は気付いてる顔してるぞ、よく見ろよ。大体、新・蟹座の聖闘士のお前だってこれからこき使われる存在になるんだからな。せいぜいがんばれよ」
「フッ、誰が蟹座を継ぐと言った?」

ジャンゴの顔に浮かんだ不敵な笑みはいささかも褪せない。むしろさらに自信を増すようですらある。

「そもそも、蟹座の聖闘士などというものは最早どこにも存在せんのだ。なぜなら、蟹座の聖衣はあの通り『お蟹様』としてこの暗黒聖闘士の守護神になられたのだから!」

キャシャー!
呼応するようにきらめいてなんか音を出す蟹座の聖衣。

「そしてこの俺は、お蟹様に仕える第一の使徒、キャンサーのジャンゴと言うわけよ!わかったか馬鹿ども!!」
『お前だよ大馬鹿』

ほとんどその場の全ての人間の蹴りが炸裂し、再び噴火口へすっ飛んで行くかと思われたところを、唯一蹴らなかった暗黒アンドロメダがまたしてもフォローに入ってジャンゴの命は救われた。

「貴様ら!ジャンゴ様にこれ以上無礼を働くとお蟹様の罰が当たるぞ!」
「当ててみろや!!何『お蟹様』って!人の聖衣何に使ってんだ馬鹿野郎どもが!!」
「鉄板焼きに使うお前に言われたくないわ!っ、お蟹様!この不遜な男にどうか罰を!」

キャッシャーっ!

こころなしさっきより気合の入った音を出して、蟹聖衣はさっと前脚を振りあげる。
いつのまにか右脚にはペン。左脚にはチラシ。 
そしてぎこちない動きで書いた。

 『デスマスクです。セイソトやめます』

「犯人てめえかあああああああっ!!!」

紙飛行機になって飛んできたそれを見るなり元蟹は絶叫した。
再び意識を取り戻したジャンゴが満足そうににやりと笑う。

「フフ、ようやく気付いたか。そうよ。お蟹様の書かれたあの文書をこの俺が各地へばら撒いてやったのよ。それもこれも全ては世界の平和と健康のため!思い出すが良い!俺達暗黒聖闘士という組織が、もともと聖闘士の聖闘士による聖闘士のための労働組合であったことを!」
「知るかあああああっ!!思い出すも何も聞いた事ねえよそんな話!!なに!?そうなの!?労組あったの聖闘士に!?」
「さあ、私に聞かれましても・・・」
「アテナに聞いても無駄な事よ。女神など所詮ブラック企業の総元締め。我らの存在を公認するわけもない。暗黒聖闘士が神から見放された存在と呼ばれる所以よ」

知らなければ教えてやろう、とジャンゴは語りだした。
その昔、聖闘士の中でも末端の、力も無ければ顔も頭もそんなによくない男たちがいた。女神のためにという理由で日々過酷な任務を背負わされ、しかし給料は上がらなかった。そんな待遇に疑問を感じぬほど、彼らは聖域に洗脳されていた。
だが、ついに立ち上がる者が現れた。おかしいのではないかと声を大にして叫び、適正な雇用条件を求めて上層部へ訴え出たのである。それはまさに労働者たちの鎖を断ち切るナイフであったが、同時に神へ向ける禁断の刃でもあった。聖域はただちに彼を迫害した。
男は任務と聖衣を取り上げられた。スニオン岬に幽閉され、刺身の上に菊の花を乗せる作業を日夜やらされるはめになった。しかし、決してくじけなかった。
ある日、男に奇跡が訪れた。剥奪されたはずの不死鳥の聖衣がなおも彼を主と求め、牢に現れてその枷を解いたのである。
男は脱出に成功した。
その後の人生は困難に満ちていたが、男は紆余曲折の末、最終的にデスクィーン島に落ち着いた。彼はここに、聖闘士の労働組合の結成を宣言した。もちろん聖域はそんなものを認めず、組合員は全て聖闘士から追放するという暴挙に出た。
そこで労働組合は自らを「聖域の暗黒と戦う聖闘士」略して暗黒聖闘士と名乗り、組合費で独自に聖衣を調達。不屈の精神を示す不死鳥の聖衣をシンボルとして掲げ、以来、聖域が聖闘士を酷使していると報告があれば、様々な形の反アテナデモを繰り広げて聖域の横暴を牽制してきたのである。。。

「この俺も一時は不死鳥の加護を得た組合長だったのだがな・・・就任早々、現れた一輝によってその座は奪われた。そう、お前達も良く知っているあの不死鳥一輝は、我らの三代目組合長だったのだ」
「やめてくれませんか兄さんを三代目 J Soul Brothersみたいに言うの」
「つうか浅くね?歴史・・・」
「しかし俺は気付いたのだ。組合長になった一輝と、それにつき従った結果倒されていく暗黒聖闘士達を見て、これはもはや労働組合ではないのではないか、と・・・!」
「・・・・」
「不屈の精神と言えば聞こえは良いが、要はブラック企業が求める労働者の姿勢そのものではないのか?我々は聖域と言う巨大な闇を倒すつもりが、いつのまにか自らが闇に染まっていたのではないか?どんな高尚な組織も、代を重ねれば朽ちて行くものだ。三代目 J Soul Brothersも黒いではないか。色んな意味で」
「いや、まあ、確かに黒いけど・・・色んな意味で」
「そうこうしているうちに一輝が『己の命を犠牲に職務を遂行する』という究極のブラック行為に走った。組合長自らが聖域の酷使に甘んじるとは前代未聞の不祥事だ。労働組合の根幹を揺るがす大問題と言える。急遽、組合員による臨時投票が行われ、奴は破門、再び俺が組合長に返り咲くこととなった。同時に、新たなるシンボルの選出が重い課題となった。一輝の悲劇を繰り返さぬためにも、不死鳥はもう使えない。しかしだからと言って他に何があるのか。我々が悩んでいる間にも、ポセイドンが大洪水を起こしたりハーデスが太陽を隠したりと、聖闘士が酷使されうる神災が次々に起きていた。気ばかりが焦った。早く・・・早くシンボルを決めなければ!」
「俺達が大変な思いしてる時に心底どうでもいいことしてたんだなお前ら・・・」
「どうでもいいとは何だ!大事な事だろうが!もしも自国でオリンピックを開催することになって大々的に発表したエンブレムに後からケチがついたら貴様らどう思う!?後始末が大変だとは思わないか!」
「・・・いや、うん・・・」
「堂々と聖域に対抗するためのシンボルだ。パクリだの手抜きだのと余計な物言いがついてはいかん。焦りながらも熟考に熟考を重ねた結果が、あのお蟹様というわけよ。わかったか!」
「他人の聖衣パクってんじゃねえよ」

即座にどつき倒したデスマスクであった。

「パクリっつーか本気の窃盗りだろうが!意味がわからんわ、返せ!」
「わかるだろうが!横暴な雇い主についていけなくなったら時と場合を考えずに即時ストライキに入るその精神!どこからどう見ても労組の理想だろうが!」
「お前ら聖闘士のために活動してるんじゃねえの!?なんで聖衣の味方になってんだ!」
「はいはいちょっともう落ち着いて下さい二人とも。殴り合ったって話が馬鹿みたいな方向に行くだけではありませんか。一回離れて冷静になりましょう、はいはい」

心底面倒くさそうな顔をして割って入るアテナ。
他の四人も協力し、今蟹と元蟹を引き離した。
聖衣はというと、まだしっかりペンとチラシを握りしめ、デスマスクが何かしたら速攻書いてやろうという姿勢を崩さないでいる。困ったものである。

「・・・さて」

と、女神はため息を一つついて言った。

「あの手紙を書いたのは蟹座の黄金聖衣だと言うことはわかりました。しかし、なぜです?ただ暗黒聖闘士のシンボルにジョブチェンジしたいだけなら、黙ってここに居れば良かったではありませんか。どうせ無くなったことにも気づかない飼い主ですよ」
「しかしそれでは誰にも気づかれないまま聖闘士でもないニートが聖域に居座り続ける事になってしまう。お蟹様はその点で責任を感じておられたのだ。結局、多少強引ではあるが辞表を代筆すると言う事で話は落ち着いた」
「落ち着いてねえよ!」
「愚か者め。お前のためでもあるのだぞ。お前は聖闘士になって、一体何を得た?権力争いに巻き込まれ、パシリにされ、汚れ仕事をやらされ、挙句デスマスクだの蟹だの死に顔仮面だのと馬鹿にされただけだ。さらに、お前のせいで全国の蟹座生まれの人々が理不尽な自信喪失に追い込まれた。違うか?」
「ふざけんな!大体合ってる!」
「だろう。哀れな事よ。聖闘士などというクソブラックな職種に就職してしまったがために、命を捨ててもまるで報いられぬはめになる。これでもまだ己の愚かさがわからんと言うのか。酷使されてなおその下に甘んじるほど馬鹿な話は無い。お蟹様はお前のそんな哀れな姿を見るに堪えず、丁度良い機会だからと自由にしてくださるおつもりなのだ。どうだ、お蟹様のこの広い慈悲の心がお前にもわかっただろう」

キラーン。

勝ち誇った調子のジャンゴの言葉に合わせて、宙の蟹聖衣も輝きを増す。そうだそうだと言っているかのようである。
デスマスクが口を閉じた。
それを見て、傍らの暗黒アンドロメダも嘲りの笑みを浮かべ、青銅少年達に向き直った。

「お前達も考え直した方がいい。そこのアテナとやらにこれ以上ついていくのをな」
「なんだと?」
「見ただろう。男の財布をあてにして散々飲み食いする浅ましい姿を。ロクな女ではない。お前達もいずれ固定収入を得る身になったらATMにされるのが落ちだ」
「な・・・お嬢さんを馬鹿にするなよ!あのくらいの食事代、男が持つのは当たり前だろ!」

自分が払ったわけでもないのに男気を見せる星矢。

「星矢・・・」

感動するお嬢。

「払ったの俺」


いつまでも器の小さいデスマスク。

「まだ言ってるのかよ!そりゃあまあ、俺だって、ちょっと食べすぎかなとは思ったけどさ。気をつけないとますます太るぜお嬢さん」
「いや気をつけるのお前!どんだけアテナをサンドバックにしたら気が済むんだよ!」
「い、いいのです。私のために星矢を怒るなんて、やめてくださいデスマスク・・・ぐすっ」
「なんで俺が泣かしたみたいになってんだああああ!!」
「ほら見ろ、ロクな女じゃない。ピーピー泣いて見せれば男が慌てふためくことを知っててやっている。これでもまだアテナについていく気か?馬鹿どもが」
「うるせえよ」

デスマスクが唐突に足元の小石を蹴り飛ばして暗黒アンドロメダの顔面を撃った。

「がっ!」
「!アンドロメダぐわっ!」

駆け寄ろうとしたジャンゴの面にも一発。
さらに、

「てめえも食らいやがれ!」

と、あろうことか蟹座の聖衣にまで一発蹴り飛ばした。
カン!と良い音がした。

「ったく。気に入らねえなお前ら。さっきから大人しく聞いてりゃ馬鹿だの愚かだの良い気になりやがって」
「・・・いつ大人しかったお前・・・?」

紫龍のツッコミは無視する。

「確かに聖闘士はブラック業かも知れんわ。環境最悪だし上司も最悪だし仕事も最悪、そりゃのうのうと暮らしてる奴から見りゃ立派なブラックだろうよ。だがな、お前らのその『のうのう』は、聖闘士やってる奴らがいるからできてる『のうのう』なんじゃねえのか?聖域で働いてる奴がいなかったら、お前らは今頃海の底か地獄の中なんじゃねえのかよ」

地面に膝をついたジャンゴと暗黒アンドロメダが驚いた顔で振り仰いだ。
見返すデスマスクの目は冷たかった。

「それをなんだ、何にもしねえ奴が圏外から馬鹿だのなんだのと。働く奴を酷使する奴がブラックなら、働く奴の働き甲斐を潰して追い詰める奴も十分ブラックなんじゃねえの。正義ヅラして偉そうな口叩いてんじゃねえよ。まずは感謝しろよ。アホみたいな神様作って拝む暇があるなら、真面目に働いてる人間を拝んでみろや」
「・・・・」
「白けたわ。労働組合でも何でも勝手にしろよ。誰ももうお前らなんざ相手にしねえよ」

そしててめえも!ともうひとつ石を拾って蟹聖衣に投げつけ、

「こいつらの神様やってたいなら好きにしろよバーカ」
「・・・・」

蟹聖衣から気のせいか得意そうな輝きがなくなったように見えた。

「おら、帰るぞ」
「え?あ」
「お、おお」

突然ふられて、デスマスクの急変化についていけずとまどう青銅達。さっさと歩きだす彼に倣って慌てて踵を返す。
誰も振り返りもしない。
・・・と思われたが、ふと、沙織お嬢だけが足を止めた。

「ジャンゴ。それとあなた、暗黒アンドロメダ、ですか」
「!」
「は、はい」

気圧されるように彼らは返事をした。

「それからあなたも」

アテナは宙に浮かぶ蟹聖衣へも呼び掛けた。

「もう、あのような手紙は送らないで下さいね。デスマスクは聖闘士をやめる気などありません。あなた達は誤解しています」

微笑む顔は美しかった。

「聖闘士は確かに辛く危険な仕事ですけれど、その分の手当はキャッシュで出していますから」

 ・・・・

『・・・え?』
「特に黄金聖闘士は、デスマスクですらあの歳で、年収××××万円は下らないはず」
『っなにいいいいいい!!!?』
「ホホホホ、そうでもなければ誰がやりたがりますこんな仕事。聖域勤めは究極のハイリスクハイリターン。あなたの吹っかけにも一括で応じたあの時に気付くべきでしたね。破格の収入は一度味わったらおいそれと足を洗えるものではありませんよ。それに、有休はオフの間にまとめてとってもらってますし、福利厚生だってそれなりに」
「馬鹿な!聖闘士が・・・聖域がホワイト企業だっただと!?」
「俺達のこれまでの活動は一体・・・!!」
「おい、クソ女神!置いてくぞ!」
「お嬢さーん。どうしたんだよ、とうとう靴が壊れたとか?」
「・・・今行きます」

熱い土に拳を打ち付け苦悩のマグマへと沈んでいく暗黒聖闘士達を後に残し、女神と、そして聖闘士達は夕陽の向こうへと去っていったのであった。





南太平洋上空。プライベートジェットの中で。
主に気疲れからぐっすり寝込んでいる「ガキども」とは対照的に、デスマスクはいつまでも起きたままでいた。

「どうぞ」

振り向くと、女神が危なっかしく揺れるワイングラスを差し出していた。

「これも餞別ってわけですかね?」
「そう言えば、お酒はあの中にありませんでしたね。紅白饅頭より祝杯をあげるべきでした」
「減らねえなぁ口が」
「お互い様です」

チン、とグラスを合わせて、自分の分を飲むアテナ。
デスマスクも、いかにも不味そうに含んだ。

「・・・酒じゃねえし」
「だって私のジェットですもの。アルコールは置いていません」
「ガキの相手はこれだから嫌なんだ」
「いい歳して聖衣に逃げられる大人の後始末も大変ですけど」
「減らねえなあほんと!」
「お互い様ですと言ってるでしょう。ポセイドン編でもハーデス編でも何もやってなかったあなたが、まさかあんな立派な説教食らわせるとは思ってもみませんでした。『まずは感謝しろよ』って、何ですか、誰にですか。え、まさか、あなたに?」
「うるせえな!わざわざそれ弄りに来たのかあんた!」
「はい」
「うわ最低。ほんと性格悪い。ブラックの権化だわこの女神。誰も俺のことだとは言ってねえだろ。あいつらの・・・」

とちらりと寝ている少年達の方を顎で指して、

「・・・ために言ってやっただけだろが。女神サマにこき使われた挙句馬鹿にされるのは可哀想だなぁ、当のアテナは知らん顔だしぃ、と思って言ってやっただけだ。おわかりですか?クソアマ」
「よくわかりました、クソ蟹」
「ならどっか行けや。俺はもう寝んだよ」
「あらそうですか。では私は、隣で静かにJPOP音漏れさせますね」
「なんで?なんで意味もなく俺の邪魔をするの?どっか行けって言ってんだろがああああつうかもう俺蟹じゃねえし!」
「あ」
「あァ!?」
「ほら。見てください」

アテナが指さすのは窓の外。
雲の合間を突っ切って、一筋の金色がジェットに並走している。
蟹聖衣である。

「・・・・」
「蟹座復帰おめでとうございます」
「・・・ホットプレートは買わなくて済みそうだな。おい、そういえばあんた。あの500ユーロは経費で落とさせろよ」
「はい?年収××××万の男が何しみったれたこと言ってるんです?」
「桁一つ違うわ!!出すわけねえだろ聖域がそんな額!」
「あら。そうでしたっけ。ちなみにデスマスク、この出張、あなたの有休充当ですから」
「ふざ・・・!」
「福利厚生は今年も、アテネ・アクロポリスの丘2泊3日半額割引」
「ほとんど聖域じゃねえか!誰が金払って行くかそんなとこ!」

 真実を乗せて、ジェット機は一路、日本へ・・・そしてギリシアへと帰って行くのだった。



END