異変。
そう・・・それは異変と言うしか無かった。



聖域の空にはうっすらと雲がかかり、日差しも弱かった。一度は稲光も走ったようだったが、雷雨になることもなく平和な午後を迎え、あるものは自室でのんびりし、あるものはぶらぶらと散歩をし、あるものは修行に励んでいた。
アフロディーテは散歩組の一人で、聖域の階段を上がったり下がったりしつつ、間の宮を覗いては住人に話し相手を強制していたのであったが、途中でデスマスクとすれ違ったのだ。
 ・・・・そのことは別にどうと言う事も無い。
 彼は何か用でもある風だったので、立ち話をさせるのはあきらめた。そして軽く挨拶を交わし、すれ違った時・・・・
 肩がぶつかった。
 アフロディーテは既に別の事を考え始めていたので、少しばかりよろめいた。
 すると。

デス「あ、すまん」
アフロ「ん?」
デス「肩ぶつかっただろ?今。悪かったな。痛くなかったか?」
アフロ「は?え?あ?・・・いや?」
デス「転ぶなよ。大丈夫か?ごめんな。注意してなくて」
アフロ「・・・・・・え?・・・・え?どうした??」
デス「何が?」
アフロ「何がって・・・なんでそんなに親切なのだ?」
デス「当たり前だろ、友達だろ。どこに行くんだ?送ってってやろうか?」
アフロ「ぜ、全然いい・・・」
デス「そうか。じゃあ、足元気をつけろよ。悪かったな」

呆然としているアフロディーテににっこりと・・・・そう、柔らかくにっこりと微笑みかけ、デスマスクは歩いていった。




スダダダダダッ!がばたんっ!

アフロ「サガーーーーーっっ!!!」
サガ「ぶっ!」
アフロ「君のせいか君のせいかあんまりだあれはあんまりだ!!」
サガ「な、何だ!?」
アフロ「確かにデスマスクは救いようの無い不良だったかもしれん!でも何も幻朧魔皇拳かけてまで更正することなかろう!?返せ!もとの適度にあくどいデスマスクを返せ!!」
サガ「何の話だかさっぱりわからんが・・・;デスマスクがどうした?」
アフロ「とぼけるな!!」

 本当にわからないのだと繰り返し、サガは何とかアフロディーテをなだめた。

サガ「落ち着いて説明しろ。デスマスクに何があったのだ」
アフロ「善人になっているのだ!」
サガ「・・・・・・・・誰が?」
アフロ「デスマスクが!」
サガ「・・・・・・・・・・」

 サガはしばし絶句し、

サガ「・・・・何かの見間違いではないのか?」
アフロ「見間違えるか!あんな異様なもの!」

 アフロディーテは先ほどの蟹の様子を克明に報告した。

アフロ「どうだ!変だろう!?」
サガ「確かに変だ。悪い物でも食ったのだろうか・・・・それとも熱があるのだろうか」
アフロ「病気なら今すぐ医者にかけてくれ!手遅れかもしれん!!治療費は経費で落とせるだろう!?もうあれは国家予算で落ちてもいいぐらい危機一髪だ!」
サガ「言いすぎだろう。ちょっと親切になったぐらいで。というか、喜ぶべきことではないのか?二十歳過ぎて取り返しがつかなくなったツッパリのようなあの男が真人間になったのだから」
アフロ「喜べない喜べない!」

 怒鳴ったそのとき、にわかに宮の入り口が騒がしくなって他の住人達が我先にと駆け込んできた。

ムウ「すみません、サガ。あの、言いにくいんですけど、幻朧魔皇拳をやたらに無駄撃ちするのやめてもらえます?」
リア「蟹が何をしでかしたのだか知らんが、気に触ったのなら異次元に飛ばす方でやれ!」
シャカ「サガ。ふざけた冗談もたいがいにしたまえよ。デスマスクが善にしか見えないとは、エイトセンシズが狂ったと思ったではないか。死体の一つや二つ私が適当に用意するから、さっさとあの男を正気に戻せ、縁起でもない」
サガ「なんで総じて私のせいになっているのだ・・・。アフロディーテにも言ったところだが、私は全然関係ない!蟹一匹に奥義を披露してやるいわれなどないわ!濡れ衣を着せるな!」
ミロ「サガのせいではない?ならあれは何だったのだ。ニセモノか?はっ!まさか敵が奴になりすまして潜入しているのか!?」
シュラ「潜入ならこんなに話題になるような真似はしないだろう。記憶喪失の類かもしれん」
バラン「だが、俺の顔は覚えていたぞ。いつも最前線を守ってくれてありがとうと言われて鳥肌が立った」
カミュ「人間、死期が近くなると人柄が丸くなるという・・・・。奴もそろそろかもしれんな。サガ、葬式屋に連絡しておいた方がいい」
サガ「・・・とにかく、事情がわからんことには対策の立てようが無い。誰か奴をここへ呼んで来い」

 蟹が連れてこられた。
 こういう場合、普段の彼なら間違いなく仏頂面をしているはずが、きょとんと爽やかな微笑みすら浮かべている。
 さすがにサガも一見して異変を感じ取った。

サガ「デスマスク。皆が言うにはお前の様子が変だというのだが・・・・何かあったのか?」
デス「変?僕が?」
全員「変だーーー!!!;;」
アフロ「ちょっとのうちに磨きがかかっているではないか!しっかりしろデスマスク!」
サガ「いかん、誰か!休日でもやってる病院を探せ!!」
ムウ「救急車を呼びましょう。黄色いやつ」
デス「おい、僕が何かしたのか?何で皆そんな顔をしてるんだ?」
シャカ「黙りたまえ。混乱する一方だ」

 一時の錯乱の後。

サガ「・・・では落ち着いて事情を聞こう。デスマスク、何があった?」
デス「何って、なにが?」
ムウ「あなたが気分一新するような出来事が今日これまでにあったかと聞いてるんです」
デス「んー・・・あのことかな?」
サガ「何だ!?」
デス「いや、今朝な。散歩のついでにアテナ神像の前まで行ったらさ、雷の反射光が僕に直撃したんだよ。それから何だか気分がいいんだよな」
全員「・・・・・・・・・・・・」

 アテナの盾は邪を払う。それはかつてのサガの一件で周知の事実となっていた。

アフロ「どうしてそんな危険な場所に行ったのだ!サガなら半分でも、君だったら全身消し飛んだかもしれないではないか!馬鹿!」
ムウ「まあまあアフロディーテ。零点何パーセントかはわかりませんが、こうして残ってるんですから良しとしましょう」
シュラ「善の心などあったのだな・・・・めでたいことだ」
リア「原因がすんなり判明したのは不幸中の幸いだ。これからどうする?元に戻そうにも、戻し方が・・・・」
カミュ「このままでいいのではないか?」

 と言ったのは、無表情で小首をかしげたカミュだった。

カミュ「せっかく善人になったのだ。悪い方に更正する事もあるまい。今は多少気持ち悪いが、そんなものはそのうち慣れる。本人も気分がいいと言っているのだし、聖闘士として申し分の無い状態だと言える」
アフロ「嫌だ!本人が良くても私が嫌だ!」
シュラ「いや、お前が駄目でも本人良ければいいだろう・・・落ち着け;」
アフロ「こんなのデスマスクではないではないか!デスマスクはもっとヨコシマで極悪で外道な奴だった!!ちょっとぶつかったぐらいで謝ったり、爽やかに笑顔振りまいたりする奴ではなかったのだ!」
バラン「そんな奴に戻って欲しいかお前・・・・?」
アフロ「欲しい!皆もそうだろう!?」

 しかし返事はなかった。
 皆沈黙のうちになにやら考えて、やがてムウがついに口に出した。

ムウ「まあ・・・・良くなったのなら確かにこのままが一番いいですよね。気色悪いのは我慢するとして」
アフロ「ムウ!」
ミロ「そうだな。性格変わったって、デスマスクに変わりはないしな」
アフロ「変わってるから問題にしてるのだろうが!君は何のためにここに来てるのだ!!」
リア「善人デスマスクか・・・・聖闘士らしくなったのだし、それは喜ぶべきことかも知れんな。うむ。今のままでいい」
アフロ「アイオリア・・・・!」
バラン「幻朧魔皇拳ではなくアテナのお力による浄化なのだ。元に戻すのは女神への裏切りになるし、何より他人のためにならん」
サガ「まったくだ。今までアテナに無礼千万な口を利いていたこいつだ。素直になったついでに、今度謝罪旅行に行かせよう」
シャカ「蟹のために更正方法を探すなど面倒な事この上ない。放っておこう」

 異変への驚きの波は驚くほど急速に引いていった。全員が冷静に考え、考えた結果、駆け込んできた時とは一変して元に戻す必要は無いと言う事に落ち着いてしまった。
 デスマスク本人は不思議そうに様子を見ているばかり。
 そのうち黄金聖闘士達は熱の冷めたような顔をして、一人また一人と帰り始めた。

ムウ「慌てて損しましたよ。本当に人騒がせな男です。・・・でも、今後はこういう事ももう無いでしょうね。良かった良かった」
バラン「さて、戻るか。あまり宮をあけておくわけにいかんしな」
ミロ「じゃあな、デスマスク。元気でな」
カミュ「やれやれ・・・」
アフロ「待て!薄情だぞ君ら・・・・っ!!」

 アフロディーテが叫ぶも、振り返るものは無く。サガも肩をすくめて自室に戻ってしまい、双児宮には寂しい隙間風が吹く。
 残っていた最後の一人も今、そっと背を向けて出て行こうと・・・・・

 がしぃっっ!!!

アフロ「シュラ・・・・・まさか君は見捨てまいな・・・?」
シュラ「・・・・・・・・・・・・・・・(滝汗)」
アフロ「デスマスクがこのままなんて許されるか!絶対もとに戻す!な!?」
シュラ「いや・・・・俺は・・・・・;;;」
アフロ「断る気か!?冷たいぞ!同期だろう!?」
シュラ「そんなドライな強調されてもな・・・;好きで同期に生まれたわけではない。というか、選べるものなら絶対違う時期に生まれていたはずだ。なぜいつもいつもいつも面倒なことは俺にばかり回って来るのだ」
アフロ「だって、私達3人の中で一番頼れるのは君ではないか」
シュラ「いつからトリオになったんだ・・・?今回ばかりは俺も面倒見切れん!デスマスクが善人になったならそれはそれでいいだろう」
アフロ「良くない!・・・待て。じゃあタダとは言わん、薔薇を100本やる」
シュラ「タダ以下だそんな物。つり銭にエクスカリバー100回もらいたいならよこせ」
アフロ「じゃあ・・・・じゃあ、今度君が困ったときには力になるから!」
シュラ「俺は今困ってる」
アフロ「シュラ・・・・」
シュラ「・・・・・・・・・・・・・・・」
アフロ「・・・・・・・・・・・・・・・」
シュラ「・・・・・・・・・・・・・・・」
アフロ「・・・・・・・・・・・・・・・」
シュラ「・・・・・・・・・・・・・・・」
アフロ「・・・・・・・・・・・・・・
シュラ「わかった・・・・わかったから妙な秋波を飛ばすのはやめてくれ・・・」
アフロ「(勝った!)」

 こうしていつものようにシュラは無理矢理協力させられることになった。

シュラ「しかし、元に戻すと言ってもどうすればいいのか全然わからんのだろう?」
アフロ「以前聞いた話によると、サガが盾の光を浴びたときには悪の心が空へ飛んでったそうだ。だからデスマスクの心もどこかに飛んでいったのだろう。それを捕まえてきて戻そう」
シュラ「想像するだに厄介そうだな。どこへ飛んでいったのかもわからんし」
アフロ「そこは本人に聞く」

 アフロディーテはデスマスクに向き直った。

アフロ「聞いていただろう?わかるか?」
デス「何が?」
アフロ「君の心がどこへ飛んで行ったか教えてくれ」
デス「さあ・・・」
シュラ「どの方角へ行ったのかぐらい覚えてるだろう。言え」
デス「うーん?なんだかよくわかんねーや。ハハハ」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シュラ「・・・・・変わる前より馬鹿になっていないか・・・?」
アフロ「それは仕方あるまい。デスマスクは悪知恵だけの男だったのだから、悪が消えたら知恵も無くなったのだろう」
シュラ「・・・・;」
アフロ「デスマスク、君が光を浴びたときにだな、何かこう、黒っぽい煙みたいなものがどこかに飛ばなかったか?」
デス「さあなあ」
アフロ「思い出せ。大事なことなのだ」

 それから30分以上も脅したりすかしたりしたあげく、ようやく二人は彼から『そういえばあっちの方が急に暗くなったように見えた気がする』という頼りない言質を取るにこぎつけた。
 デスマスクの言う『あっち』とは、どうやら南西の方角にあたるようだ。

アフロ「ものは試しだ。行ってみよう」
シュラ「向こうは、たしかロドリオ村がある方だったな。ところでアフロディーテ。もしもデスマスクの心があったとして、それをどうやって捕まえるのだ?手でつかめるようなものではあるまい」
アフロ「安心しろ、これがある」

 パン、と叩いて見せたのはパンドラボックス。

アフロ「アテナ像から盾も借りていく。盾の反射光で上手くこの中に追い込んで閉じ込めるのだ。名づけてボーダーコリー大作戦
シュラ「そうか・・・・頑張れ」

とりあえず、シュラはそれだけ言っておいた。






 二人がロドリオ村に入ってまず目に付いたのは、焦燥して怯えきった住民達の様子だった。
 空気には怪しげな香の匂いがたちこめ、妙な数珠だの玉だのを服のあちこちにジャラジャラさせた祈祷師らしき女達が通りをうろついて得体の知れない粉をそこかしこ撒き散らしている。
 家の床にはエクソシストが聖書片手に巨大な魔方陣を描き、そして窓からは人々の悲痛な叫び声やら意味の判然としない呪文がひっきりなしに聞こえていた。

「女と子供は地下室へ非難しろ!」
「ママー、恐いよー!」
「タタリじゃああ!!人類は滅びるのじゃああ!!」
「エロイムエッサイムエロイムエッサイム!!」

アフロ「・・・・・来てはいけないところへ来てしまったような気がする・・・どうしたのだろう、一体」
シュラ「何があったにせよ、十中八九は蟹のせいだろう。胃が痛くなりそうだ;」
アフロ「あそこの人に聞いてみるか」

 二人は街角で飾り立てた木の枝をバッサバッサやってる婆様を一人捕まえて尋ねた。

アフロ「そこのしなびた人。ちょっと聞きたいことがあるのだが、いいか?」
婆「他所の者じゃな。こんな時に何の用かの」
アフロ「村の様子がおかしいが、何かあったのか?」
婆「・・・。おぬしらも運が悪いのう・・・よりによって今この村にやってくるとは。今日の昼前に魔王が復活したばかりなのだぞ」
アフロ「魔王!?」
婆「東の空より黒い雲が出でて、恐ろしい声でこう言いおった・・・『明日までに供物として七人の娘を差し出せ。さもなくば村に災いが訪れるだろう』と」
アフロ「野郎、浮気か・・・しかもそんなにたくさん・・・」
婆「娘を人身御供になど、親が承知するはずもない。しかしこのままでは村がどんな目にあうやら・・・皆必死に悪霊払いをしておるが、どこまで効果があるかのう。ああおそろしや・・・」
シュラ「そ、それで、その魔王とやらは消えたのか?どこへ行ったかわからんか?」
婆「あの山の向こうへ去っていきおった。おそらく他の村も同じような目にあうのじゃろう」

 もうこの世は終わりじゃぁ!と嘆き悲しみ、老婆は再び枝を振り回し始めた。
 アフロディーテとシュラは顔を見合わせ、

シュラ「・・・・行くか」
アフロ「うむ」

山の方へと足を向けたのだった。





 二人が次の村に入ってまず目に付いたのは、やたらに大忙しそうな住民の様子だった。
 空気には香ばしい匂いがたちこめ、エプロンをした奥さん達がでっかいカゴをぶら下げて魚屋へ殺到している。
 家の前には平たい板が並べられ、どういうわけだかその上には所狭しとイカが貼り付けいていた。

「おら、ぼやぼやしてねえで手伝え!」
「ママー、臭いよー!」
「イカじゃあ!イカがいるんじゃあ!!」
「オクトパスオクトパス!!」

アフロ「オクトパスはタコだろう・・・本気で何があったのだ」
シュラ「これも蟹のせいなのか・・・?なんでそんなに海産物づくしで・・・;」
アフロ「あそこの人に聞いてみるか」

 二人は魚屋から帰りかけの女性を捕まえた。

アフロ「そこの十人並みの女。ちょっと聞きたいことがあるのだが、いいか?」
女性「他所の人ですね。こんな時に何の用ですか!?」
アフロ「村の様子がおかしいが、何かあったのか?」
女性「間が悪いったらありゃしませんよ貴方たち!よりによって今この村にやってくるなんて!今日の昼に魔王が復活したばかりなんです!」
アフロ「魔王・・・・それでどうしてイカが・・・・?」
女性「山の向こうから黒い雲が出てきて、恐ろしい声でこう言ったんです!『明日までに供物として七輪とスルメを差し出せ。さもなくば村に災いが訪れるだろう』と!」
アフロ「・・・・・・・・;」
女性「スルメぐらいならいくらでもやりますけど真意がさっぱりわかりません!このままでは村がどんな目にあうやら・・・皆必死にスルメを焼いてますけど、何に使われるというのでしょう!ああおそろしい!」
シュラ「そ、それで、その魔王とやらは消えたのか?どこへ行ったかわからんか?」
女性「南の方へ去っていきました。おそらく海辺の村でイカを集めるつもりです」

 もうこんな時間だわ!と女性は慌てて家に帰っていった。
 アフロディーテとシュラは顔を見合わせ、

シュラ「・・・・どういうつもりだあの野郎・・・・」
アフロ「うむ・・・。たぶん、パワーダウンして口が回らなくなってるとみた」
シュラ「・・・。・・・行こう」

南の方へと足を向けたのだった。





 海辺のとある町。一見したところ平和な雰囲気である。

アフロ「ここは違うのだろうか。何かが出没した形跡はなさそうだが」
シュラ「しかし、道筋は間違っていないはずだ。どこかで壁に落書きとかしているのでないか?探すぞ」
アフロ「うむ」

 二人はスルメの一件から後、いくつもの村や町を抜けてきた。どこでも必ず怪奇現象の話は聞いたが、そのスケールは聞くごとに小さくなっており、もはや魔王というより単なるゴロツキと言った感じの破壊行動を行っているようだった。
 ここへ来る一つ前の町ではラーメン屋の食い逃げをやったという。

アフロ「本体から離れてどんどん弱っていってるということか・・・。馬鹿なことをやってないでさっさと帰ってくればいいものを」
シュラ「お前本当に帰ってきて欲しいのか食い逃げ犯に・・・?俺としてはこのまま大人しく消滅を待ちたいんだが」
アフロ「嫌だ!デスマスクをもとに戻すのだ!消滅なんてそんな・・・」
シュラ「!おい、あれではないか!?」
アフロ「む!?」

 シュラが指差す通りの向こう。
 そこではなんだか黒いもやもやした物が、年頃の女性を追い掛け回して遊んでいた。

「きゃー!何これ!」
「気持ち悪い!きゃー!」
「いやだ、こっちこないで!!」
「誰かー!」

アフロ「酔っ払いのおっさんと変わらん・・・・・・おのれ、どうしてくれよう」
シュラ「だからどうもしないで放っておこう・・・?あんなの捕まえに走るの、俺はもう嫌だ」
アフロ「だがあのままにしておくのはもっと嫌だ!」

 友人が止めるのも聞かず、アフロディーテは盾を携えて通りを駆け抜けた。

アフロ「デスマスクっ!!」
デス心「!?」
アフロ「貴様、女の尻を追い掛け回している場合か!さっさと本体に戻れ!帰れ!」

 怒鳴ると同時に盾をかざす。
 邪心はうろたえて空中高く舞い上がったが、アフロディーテも地面を蹴って飛び上がると後ろに回りこんだ。そして、

アフロ「シュラ!!」
シュラ「・・・・でかい声で呼ぶな、恥ずかしい・・・・」

 ぶつくさいいつつも自分の役割をちゃんと心得てパンドラボックスを構えるシュラ。
 そこへ追い込むべく、邪心に向かってもう一度盾をかざそうとするアフロディーテ。
 ・・・・・が、しかし。

デス心「シャーッ!!」
アフロ「わっ!」

 突然、邪心が真っ黒な霧を吐き出したので計画は狂った。

アフロ「なんだこれは!っ、げほっ!えほっ!」

 激しく咳き込んだ瞬間バランスを崩し、まっ逆様に下へと落ちる。

 どさんっ!!

アフロ「くっ・・・・・」
シュラ「おい!しっかりしろ。なんだこの霧は」
アフロ「デスマスクがいきなり吹き付けてきたのだ。くそっ!シュラ、奴はどこへ行った!?」
シュラ「また飛んで行った。追うのか?」
アフロ「もちろんだ!」
シュラ「そうか・・・・。まあそれはとにかく、さっさと下りろ。お前を抱えて歩く気は無いからな」

 よくできた相棒は苦虫を噛み潰した顔でアフロディーテを腕から下ろし、腹の底から溜息をついたのだった。






 デスマスクの邪心を追って、最終的に行き着いた先はギリシャの首都・アテネだった。
 大都市ゆえ探し出すのに苦労したものの、『ゴミを漁ってるカラスがいる』との声に出向いてみれば奴だった。

町人「このっ!しつこいカラスめ!ゴミを荒らすな!」
デス心「カァー!」

アフロ「染まっている・・・鳴き声までカラスに・・・;」
シュラ「ついに来るところまで来てしまったか;」
アフロ「もう一刻の猶予もならん。今度しくじれば奴は逃げた先の台所スリッパに叩かれて死亡とかするに違いない。そうなったらおしまいだ」
シュラ「ああいろんな意味でな」

 気を引き締めて二人は盾と箱を構える。
 だが、近づくより先にカラスのほうがこちらに気づいてしまった。

デス心「カァ!」
アフロ「あ、こら待て!!待てと言うに!」

 軒下に逃げ込む邪心。いよいよもって本格的にただの鳥。

シュラ「警戒心が強くなってるらしい。家を破壊するわけにもいかんし、どうする?」
アフロ「・・・・・・・フッ。任せておけシュラ。名案を思いついた」
シュラ「どんな案だ」
アフロ「とりあえずはこの場を去ろう。もう嫌になったフリをして向こうへ行くのだ」
シュラ「フリなどするまでも無く俺は本当に嫌だが・・・」
アフロ「いいから早く」

 カラスの目の届かない場所まで移動した後、アフロディーテはそこらの出店で食べ物を少しばかり買い込み、ついでにどこかから棒と長い紐を見つけて拾ってきた。
 何につかうのだといぶかしげに見守るシュラの前で、地面にばらした食べ物を撒き、その上にパンドラボックスを被せてつっかえ棒で傾ける。

アフロ「餌につられたデスマスクが箱の下に入り込んだところでこの紐を引っ張れば、棒が倒れて奴を生け捕りに出来るという寸法だ!見事なものだろう!」
シュラ「・・・これは・・・・成功すればいいと思うべきか、それともこんな罠にかかって欲しくないと思うべきか・・・」
アフロ「安心しろ、奴ならきっとひっかかる」
シュラ「・・・・・・;」

 そして30分後、本当にひっかかった。

アフロ「どうだ!捕まえたぞ!」
シュラ「・・・・ああ・・・・捕まえたな・・・」

 ガサゴソいってるパンドラボックスを得意満面で押さえつけてるアフロディーテに、シュラは力なく同意するしかなかった。

シュラ「それで、これの蓋をどうやって閉じるんだ?」
アフロ「え?」
シュラ「蓋を閉じるには箱を持ち上げなければならんが、持ち上げたらデスマスクは隙間から逃げるだろう。どうやって閉じるのだ?」
アフロ「・・・・・・・・・・・」

 アフロディーテはシュラを見た。
 それから箱を見た。
 それからもう一度シュラを見た。

アフロ「・・・・・・それは後で考えよう」
シュラ「今考えなければならんだろうが!ええいくそっ、どけ!」
アフロ「どうするのだ?」
シュラ「斬る!」

 怒鳴るやいなや、右手で箱の口に合わせて石畳をざっくり切り取るシュラ。その地面ごと箱をひっくり返して紐でがんじがらめに縛りつけると、

シュラ「これでいい!帰るぞ!」
アフロ「・・・常人に見えて君も結局非常識な奴だな・・・」

 lこうしてボーダーコリー大作戦はネーミングと関係の無い形で、苦労の割にあっけなく幕を閉じた。
 大穴の開いた道路を放置したまま二人の聖闘士は帰途についたのだった。






アフロ「デスマスク!デスマスク、帰ったぞ、いるか?」
デス「・・・アフロディーテ・・・!」
シュラ「デスマスく・・・・って、おい、何があったお前;」

 巨蟹宮に入るなり二人をぎょっとさせたのは、両目からはらはらと涙を流して宮の真ん中に佇む友人の姿だった。

デス「今、壁の死に顔たちと話をしていたんだが・・・・・うっ、僕は、僕は何てひどいことをしてきたんだ・・・・!」
アフロ「ロイヤルデモンローズ!!」

 ザアっ!!

シュラ「何もいきなり昏倒させなくてもだな・・・;」
アフロ「聞かん。良心の呵責に耐えかねてるデスマスクなんて見たくないわ!さあ、早く元に戻れ!」

  パンドラボックスを開くと、カエルぐらいの大きさにまで縮んだ悪の心がピョンピョンと出てきた。アフロディーテは容赦なくそれを捕まえて、のびているデスマスクの口に突っ込む。
 しばしの静寂の後。

デス「・・・・・んん・・・?」
アフロ「デスマスク。正気に返ったか?」
デス「・・・・・・?なんだぁ・・・?」
シュラ「おい、元に戻ったろうな。これで戻らなかったらタダではすまさんぞ貴様」
デス「?何だよお前ら。何しに来たんだ、に何か用か」

 「俺」。
 アフロディーテとシュラは同時に安堵の溜息をついた。
 よかった。元に戻った。

シュラ「一件落着だな。・・・・気の抜けたところで俺は帰る。盾は返しておくから二度とアテナ像の前に行くなよデスマスク」
デス「は?」
アフロ「は、じゃないだろう。一言ぐらい礼を言ったらどうだ。君のせいでこっちは大変だったのに」
デス「あン?何が?」
アフロ「馬鹿!」
デス「なんだよてめえ。・・・・あー、何か気分悪ぃなー・・・」

 眉をしかめたデスマスクは、二三度頭を振ってぼやくばかりだった。






 翌日。

サガ「アフロディーテ!!アフロディーテ、ちょっと来い!!」
アフロ「な、何だ?」
サガ「これは一体どういうわけだ!?」

 サガが指差すアテナの像は、大量の薔薇に埋まっていた。

アフロ「だって、またデスマスクが近づいて事故ったら危険だろう?バリケードを張っておいたのだ」
サガ「神聖な像を危険物扱いするな!!今すぐに片付けろ!」
アフロ「そんな!」
サガ「そんなではないわ!当たり前だろうが!」
アフロ「どうしてだ!?供え物だと思えば問題あるまい!」
サガ「供え物にも限度があるわ!首しか見えないほど供えてどうする!いいからとっとと片付けろ!!」

 アフロディーテはしぶしぶ片付けにかかった。
 良かれと思ってしたのに何と言うことだ。昨日の一件だって、デスマスクはちっとも感謝してくれないし、宮の住人達も全然誉めてくれないし、まったくもって不満である。

アフロ「大体、サガはいつもいつも機嫌悪すぎなのだ。もう一回盾にあたって性格更正したほうがいいのではないか?ええい、面白くない!」

 バサバサバサ!
 怒りに任せて薔薇を払う。下から盾が出てきた。

アフロ「元はといえばこれがあるからいかんのだ!何がアテナだ。こんな盾ぶっこわして・・・・・・・ん?」

 カッ!!

アフロ「!!?」

 気づいた時には遅かった。
 目のくらむ閃光に包まれて、アフロディーテの邪悪な心(主に鬱憤)は空のかなたへ飛んでいった。






 友人が磨羯宮に駆け込んできたとき、シュラは昨日一日滞った分も含めて地道な鍛錬の真っ最中だった。

アフロ「シュラ!」
シュラ「・・・・またお前か。今日は何の用だ」
アフロ「あなたに一言謝りたくて。昨日は無理矢理つれまわして悪いことをしました。ごめんなさい」
シュラ「なに・・・・?」
アフロ「私が空から落ちたとき、受け止めてくれてありがとう。貴方はやっぱり一番頼りになる人ですね。私、迷惑ばかりかけてしまって・・・」

 シュラの顔から血の気が引いた。

シュラ「お前・・・・まさか・・・・・」
アフロ「どうしました?先ほど盾の光を浴びてから気分がいいのですけど、それが何か?」
シュラ「ちょっと来い!!」

 問答無用で手首をわしづかむなり、彼はアフロディーテを巨蟹宮まで引きずって行った。

シュラ「デスマスク!!いるか!?」
デス「なんだ?朝っぱらから・・・」
シュラ「もとはと言えばお前のせいだ!これをどうにかしろ!!」
デス「あ?」

 目の前に押し出された友人を、デスマスクはわけがわからないまま見つめる。アフロディーテはぽっと頬をそめて、慌ててシュラの影に隠れなおした。
 もじもじと目だけ覗かせて小さな声で、

アフロ「あの・・・おはよう、デスマスク。今日はいい日です・・・・ね」
デス「・・・・・・。何だこれ・・・悪いもんでも食ったのか?」
シュラ「盾のせいだ盾の!!」
デス「盾?」
シュラ「アテナの盾の光に当たって邪心が飛んだらこうなったのだ!お前も昨日はそうだったくせに!!」
デス「そうなのか?ふむ・・・」

 デスマスクはアフロディーテの方へ回ろうとする。アフロディーテは反対側へ逃げる。
 シュラをはさんでぐるぐるぐるぐる。
 だがようやく手を伸ばして捕まえると、アフロディーテは胸を押さえて顔をうつむけ背け、

アフロ「!は、はなしてください!」
デス「何だてめえ、俺が痴漢みたいじゃねえか」
アフロ「そ、そんなこと・・・!やだ、恥ずかしい・・・!」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シュラ「今すぐこいつの邪心を探しに行くぞ。何としても元に戻す!」
デス「なんで?このままでいいだろ、可愛いし」
シュラ「お前はそれでも同期か!?」
デス「いや、そんなドライな強調されても・・・・」

 事件はまだまだ終わりそうに無かった。



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