・・・・・毎度毎度思うのだけれども、デスマスクは勝手な男である。
 約束は破る。浮気はする。したいことだけしてやりたくないことは放り出す。
 一に自分、二に自分、三四も自分で五ぐらいにやっと他人のことを考えてくれるのだ。ああ、お前いたっけな、と。
 勝手だ。
 そしてその勝手さの真骨頂が今現在の状況なのだ。
 草木も眠る丑三つ時。アフロディーテはぐっすり寝込んだデスマスクの下にいる。

「・・・・・重い」

 呟いたが、返って来たのは深い寝息だけである。
 この男は夕方頃にふらりとやってきて、こちらが散々厭味を言っても笑って聞き流し、コーヒーを淹れろと抜かした挙句晩飯までここで食った。 その上食後はアフロディーテを寝室に連れ込み、こちらもすっかり平らげた。
 そこまではいい。最低だが、そこまではまあ許す。今日はいつもみたいに苛めたりしてこなかったからアフロディーテも存分に甘えられた。
 問題なのはその「夜食」が終わった後、こちらの上に乗っかったまま熟睡していることである。
 余韻から抜け出たアフロディーテは何度もじたばたしてみたが、男の体は漬物石にでもなったかのごとく動かなかった。
 両腕でしっかり抱きしめてくれているぶん、石よりよほどたちが悪い。動けない。
 一瞬どこぞで聞きかじった「サクリファイス」の文字が頭に浮かぶ。

「重いのだ。デスマスク、退け」

 じたばた。

「・・・君、本当は寝てないのだろう。ひきょうもの」

 じたばた。

「苦しい。重いっ。退いてくれ」

 じたばた・・・・・・ばた。

「・・・・・・疲れた」

 どうやらデスマスクは本当に眠っているようだった。びくともしないが、イタズラをしているわけでもないらしい。
 服にしがみついたまま寝てしまう子供のようだとアフロディーテは呆れた。このまま寝たらきっと何かに押しつぶされる夢を見るのだろう。
 デスマスクは、そんな彼の憤懣やるかたない胸に顔を押し付けて気持ち良さそうに寝ている。
 息苦しくないのかと思ったが、心配してやる必要はなさそうである。
 アフロディーテはささやかな復讐として、男の鼻をつまんでみた。
 ・・・・5秒・・・・・・10秒・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1分・・・・・・・・・・・・・
 10分経過しても何の反応も無かったので、死んでるのかと思ったら口が開いていた。
 頭の上から見下ろしていたので気づかなかったのだ。それ以前の問題かもしれないが。

「・・・卑怯者め」

 憮然として呟き、それならこれはどうだとあいてる口に指をつめてやった。
 しかし20秒経過したあたりでデスマスクが歯軋りしたため、悲鳴をあげてひっこめた。

「歯型がついた!」

 自業自得である。
 さすがにしゅんとして、しばらくのあいだ痛めた指を自分の唇で癒し、が、そのうちまた退屈になってきたので、今度は男の背中に指文字を書いて遊び始めた。

 で、す、ま、す、く、の、ば、か。

 ・・・・・・・・・・反応が無い。

 あ、ほ。 ま、ぬ、け。 ひ、き、ょ、〜、も、の。

 ・・・・・・・・・・やはり反応が無い。

 か、に、ど、う、ら、く。 み、そ、な、し。 た、ら、ば、が、に。

 ・・・・・・・・・・全く反応が無い。しかも自分で何をやりたいんだかわからなくなってきた。

「・・・・・つまらん」

 と、溜息をついて、次の遊びを考える。
 「寝る」という選択肢は無い。こんな重たい布団では寝られない。
 眼は知らず知らずに薄闇の中をさまよい、何か手ごろなものは無いかと探していた。
 ベッドの脇のサイドテーブルの上に、メモとペンと手鏡が置いてあった。

「!」

 ぴんときたので、頑張って腕を伸ばしてペンと鏡を手に入れる。
 鏡は上にかざすとデスマスクの背中が映る。アフロディーテはおもむろにペンの蓋をとると、楽しくラクガキを始めた。
 鏡の中では左右が反対になるし、相手の背中に腕を回して描くので絵は逆さまになる。手始めにハートや星型などのファンシーなイラストを描いて、コツを掴もうとするアフロディーテである。
 失敗。失敗。あ、今度は上手く行った。
 デスマスクの腰の辺りがチューリップや蝶やミッフィーちゃん等のあらゆる和み系イラストで埋まる頃にはすっかり逆さ書きにも慣れたので、上機嫌で本番に入るべく腕を下ろして一休み。
 本番は十二宮の図にするつもりなのだった。





 ・・・・・それは恐るべき絵であった。
 12の宮はどれもこれも見分けのつかないくちゃくちゃした塊で・・・というか鉄格子以外の何物でもなく、ただ星座のマークだけが横に添えられているのがせめてもの救いであった。
 マークのほかに、住人のイラストも添えられている。
 ムウは卵に水をぶっかけたような有様で、アフロディーテとしては眉毛は良くかけたと思っていた。
 次のアルデバランは全然うまくいかなかった。潰れたダンボールみたいである。申し訳のように折れた角を強調して描いたら、ますます救いようが無くなった。
 それからサガ。サガには他の住人達の倍の時間をかけて丁寧に描いた。他よりはずっと上手くできたが、到底満足はできなかった。アフロディーテは殊勝にも、自分の画力のなさを残念に思ったのだ。
 サガに時間を割いたので、次のデスマスクは面倒くさかった。どうせキャンバス自体がデスマスクなのだから丁寧に描く必要も無かろうと、砂浜を走るあのカニのイラストですましてしまった。不本意なことに、これが一番上手く書けた。
 それからドングリのようなアイオリアを描き、顔の全部が線でできてるシャカを描いて、天秤宮まで来たときにふと困った。
 老師には会ったことが無い。
 前にデスマスクは何と言っていたか。たしか・・・・そうだ、『キノコみてえなジジイだったぜ』と言っていたのだ。
 アフロディーテはキノコを描いた。
 ミロはエビフライのようになったが、アイオロスはちゃんと人の顔にかけた。覚えている、あのバンダナもきちんと描いた。
 あと、シュラ。これは髪を黒く塗って目つきを悪くしたら大体そっくりになったので大いに満足である。
 カミュは駄目だったが・・・・・まあいい。横に「絶対零度」と描いておけばカミュになるだろう。
 最後に自分をやたら可愛く描いて薔薇を持たし、アフロディーテは満足した。
 手を下ろしてペンに蓋をする。鏡と一緒にテーブルに戻そうと、またうんと手をのばした。
 そのときだった。
 胸の上のデスマスクが身じろぎした。
 退いてくれるのかと思ったアフロディーテだったが、男はそうはしなかった。
 逆に、サイドテーブルへと向かう体を取り戻そうとするかのごとくますますしっかり抱きしめ、深い息をついて眠りの淵へと戻っていった。
 アフロディーテはしばらくじっとしていた。もうペンを戻す必要は無い。今ので鏡ともどもベッドの下に落ちてしまったから。
 ・・・なんと勝手な男だろう。
 絶対に離れさせないつもりなのだ。

「・・・・・別に、どこにも行かないぞ」

 アフロディーテは呟いた。声に愛しさがこもるのを抑えられなかったのが悔しい。

「ずっと君のそばにいる」

 胸の上の頭をそっと抱きしめる。
 カニにしなければよかった。もっとちゃんと描いてやればよかった。夜が明けたらもっと色々な色彩のペンを買ってくるのだ。
 まず最初に、この髪と同じ銀色のペンを。
 
 頭の中のスケジュール帳を楽しい想像で埋めていきながら、アフロディーテはいつしか眠りに落ちて行った。


×         ×         ×          ×          ×




 一晩中しがみついて眠っていたなどという事実は男としての沽券にかかわるというのがデスマスクの結論であった。
 ゆえに、彼はアフロディーテが起きてくる前にさっさと服を着て双魚宮を後にした。未練など欠片も無いという風に。
 本音を言えば起きたてにもう一度あの体を揺らしてやりたかったのだが、プライドは僅差で欲望に勝った。
 乱れた髪をがりがりかきむしりながら磨羯宮まで下りてきた時である。
 シュラがもの言いたげな視線を向けてくるのはいつもの事だったので無視するつもりだった。が、素通りしたとたん、その友人が「おい」と言った。

「・・・なんだよ?」
「お前、後ろに何か書いてあるぞ」
「は?」

 シュラは自分の首筋を人差し指でとんとんと差し、ここのところだと教える。
 反射的に振り向くデスマスクだったが、それで見えるはずも無く、

「なんて書いてある?」

と友人に聞いた。
 シュラは答えた。

「・・・・『ムウ』」
「ムウ?」
「ああ、ムウと書いてある。まて、他にも何か」
「なにぃ?」

 シュラがデスマスクの後ろ襟首をひっぱって中を覗いた。
 一瞬の沈黙。そして次の瞬間にこの無愛想な友人は声を上げて笑っていた。

「なに!?なにが書いてあるんだこら!!」
「お前、自分で見て来い!」

 目じりに涙すらためて笑いまくっている。デスマスクが憤然としてシャツを脱ぎ捨てると、それはますますひどくなった。
 洗面所に駆け込んで鏡に背中を映し、デスマスクは絶句した。
 なんだこれは!

「あんのやろぉ・・・・っ!」

 首から腰まで逆さまに書き込まれた十二宮の図は圧巻である。
 まだ笑いながら、シュラが洗面所に首を突き出した。

「傑作だな」
「ふざけんな!笑ってんじゃねえ!」
「アフロディーテにやられたのか。油断しただろう」
「なんてことしやがるんだあいつ・・・・!つーか、下手だ!誰だこれ!名前書いてなきゃわかんねえぞ!」
「お前は一目瞭然だがな、カニ」
「うるせえ!お前、自分がそこそこマシな絵だからいい気になってるだろアァ!?」
「妬くな」

 ぜってえサガは丁寧に書きやがったなと絵を講評してデスマスクが言う。

「おい、アフロディーテだ」

とシュラが言って、足早に迎えに出る。
 デスマスクもとっさに手近のタオルを肩からひっかけ、後を追う。

「アフロディーテ。やったな」
「?なんだ?シュラ。何かいいことがあったのか?」
「アフロディーテ!!てめえこれどうしてくれんだオラ!!」
「!」

 この剣幕でアフロディーテは察したらしかった。すぐににこにこと二人に笑いかけて、

「上手いだろう?」
「下手だ!!人の背中で遊ぶんじゃねえ!!どうしてくれんだよ!!」
「どうもしない。今朝見たらあのペンは油性だったから、当分は落ちんのだ」
「自慢げに何言ってやがる!」
「私はこれから色のついたペンを買ってくる。そしたらもっとちゃんと塗れるぞ。塗るか?」
「アホ!くそっ、もう二度とてめえと一緒に寝ないからな!!」
「それで他の女と寝るとでも?その背中で?笑われるぞ?」
「・・・・てめ・・・・!」
「浮気は駄目なのだ。なあシュラ?」
「ああ」

 笑いを噛み殺しもせずに頷く友人を横目で睨みつけて。
 デスマスクは嬉しそうにしているアフロディーテを片腕でひっとらえ、頭をぎゅうと締め付ける。

「いたたた!」
「思い知れっ」
「やだ!」

 得意げな笑い声。聞いているデスマスクの唇にも笑みが浮かぶ。

「お前なあ!こんなの書いてる暇があったら大人しく寝てろ!」
「だって、寝かしてくれなかったのは君だ。動けもしなかったのだ。動けたら、君の足から始めて額に教皇の間を書いて、全身地図にしてたのに」
「白羊宮が足の先で?金牛宮が脛あたりか?」
「そう」
「で、双児宮が太腿で、巨蟹宮が×××か。やらしいな、この欲求不満」
「なっ!バカ!!」

 アフロディーテが頬を染めてもがく。
 ちなみに横で見ていたシュラもこれは大馬鹿野郎だと思ったが。

「そんなことしない!」
「とにかく責任とってもらうぞ。お前、今日からこの絵が消えるまで、俺の背中を流せ!」
「そんなことをしたら、また寝かせてもらえなくなる」
「ああ?そんなもん、利子だ利子」
「いいのか?今度は聖域の相互関係図を書くぞ?」
「っ、のバカ!」
「いたたたた!」
「おい、シュラ、風呂貸せ!こいつ全然反省してねえ、一編きっちり仕置きする!」
「なに?いやちょっと待て。俺の風呂場をそういう目的につか・・・・」
「笑った罰だ!貸せ!」

 シュラを押しのけて、デスマスクは腕の獲物をそのままバスルームに連れ込んだのだった。


 ・・・水音を待たずして、不憫な宮の主が外出したのは言うまでも無い。
 デスマスクの背中の地図は、たっぷり1週間も消えなかったという。