春と冬の境目の、とても愛しい季節。
「私、この季節が一番好きだわ」
と、傍らのフレアが言う。だが、それを横で聞いているハーゲンにしてみると、彼女は今まで、一年を通してどの季節でも同じ言葉を口にしていた。
 要するに、いつでも「好きな季節」なのだ。
「私、この季節が大好き。だって、これから春になるんだなあって、すごく感じるから」
「・・・フレア様。しかしあなたは去年、初夏の前に『これから夏になるんだなあってものすごく感じるから』好きな季節は夏だと・・・」
「それに」
 フレアが話を続けたので、ハーゲンは口をつぐんだ。
「それに・・・・この季節はあなたに似ているわ、ハーゲン。冷たくて、暖かくて、わくわくするところがあなたにそっくりよ」
「・・・・・・・・・・・」
 さすがに、ハーゲンは照れた。
「・・・私も、この季節は天気がころころ変わるあたりがフレア様にそっくりだと・・・」
「まあ、綺麗なお花!」
 それが幸か不幸かはわからねど、ハーゲンの微妙な台詞をフレアはまるっきり聞いていなかった。
 青年の胸の中に、虚しさの風が吹く。
「・・・・・・本当に綺麗な花ですね・・・」
「ハーゲン、あなたはこういうお花、好きよね?私は大好きよ。ハーゲンも好きでしょう?」
「ええ、好きですよ」
「摘んでいくわね」
 でも私がこの花を好きなのは、花が綺麗だからというより、フレア様がこの花を好きだからです・・・・という愛の告白をハーゲンは飲みおろした。また流されたら哀しい。
 フレアは口元に微笑みを浮かべて花を摘む。
「強いお花ね・・・雪の下から顔を出すの。ねえハーゲン、やっぱりこの季節はあなたにそっくりよ。私、この季節が大好き」
「フレア様・・・・できればもっとこう、『私→季節→ハーゲン』ではなく、『私→ハーゲン』という風にダイレクトに来て欲しいのですが・・・」
「覚えているかしら、ハーゲン。小さい頃、私が落ち込んだ時にはあなたはいつもちっちゃい花束を作ってくれたのよ」
 覚えている。忘れるものか。
 ハーゲンは微笑んだ。
「ええ。どんな花でも、フレア様はそうすれば笑って下さいますから」
「・・・一度、花束の中に毛虫が入ってたことがあって、私、泣いて叫んで花をあなたの顔にぶつけたことがあったわ」
「・・・・・・・・ありましたね」
「私、悪いことをしたと今でも思っているのよ」
「フレア様・・・」
「だって、あのあと貴方、毛虫にかぶれて3週間ぐらいひどい顔になってたんだもの」
「・・・・・そんなこともありましたね」
「なのに私ったら、その顔に怯えて一度もお見舞いに行かなかったのよ。ほんと、悪いことをしたと思うわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・よしましょう、その話・・・・・いろんな意味で古傷ですから・・・」
 視線を逸らせつつ、呟くハーゲン。
 フレアはしばらく口を閉じた。花を摘んだ細い指が、今度は木の枝を丁寧に折り取った。
 彼女は花束を作っているのだ。
「・・・・・・・ハーゲン、私ね」
「はい?」
「お姉様のようには強くなれないわ」
 ハーゲンははっとした。人気の無いワルハラ宮の中に佇むヒルダの姿が思い起こされた。
 そして・・・・星になってしまった仲間達のことも。
「ジークフリートがいなくなって・・・・皆いなくなって・・・・お姉様はそれでも、この土地を治めていかなければならなくて」
「・・・・はい」
「きっととても辛いわ。私だったら・・・・耐えられない」
 フレアは瞼を閉じた。
「そりゃあね、たとえばアルベリッヒだけ残られたりしてもそれはそれで辛いわよ?始末に困るし、それぐらいならいっそすっぱり全員消えろって感じ?」
「・・・・・・・・・(汗)」
「でも・・・こんなことを言ってはいけないのかもしれないけど・・・私はね、ハーゲン。あなたさえいてくれればそれでいいの」
「フレア様・・・」
「あなたさえいてくれれば、他は二の次三の次、よ」
「・・・・・どうしてそういう不穏な言い回しになるのかわかりませんが・・・嬉しいですよ、フレア様。しかし・・・」
 ヒルダ様には言ってはいけませんよ、と続けようとしたハーゲンの言葉は、フレア自身によって先に言われてしまった。
「こんなこと、お姉様には言えないけど」
「・・・そうですね。きっと、一番お辛いのはあの方ですから」
「・・・・・私、ひょっとしたらお姉様を恨んでもいいのかもしれないわね」
「!何をおっしゃるんですフレア様!!」
「もちろん冗談よ?けど・・・でも、こんな悲しいことが起こったA級戦犯は一応お姉様だし・・・」
「違います!!悪いのはポセイドンでしょう!?」
「実行犯はアテナの聖闘士なんだけど・・・大丈夫よ。私、決して恨んだりなんかしないわ。ちょっと言って見たかっただけ。もう、悲しいことはいや。私は・・・・・・・・幸せになりたいの」
 フレアは瞳を閉じた。
「ハーゲン。あなたなら・・・私を幸せにしてくれるわね?」
「・・・え?」
 少女のささやきを思わず聞き返すハーゲン。
「フレア様、今のは・・・」
 だが、彼女はすぐに眼を開けると、泣くような照れたような微妙な笑顔でぱっと振り返り、
「小さい頃はあなたとよく、かくれんぼをして遊んだわね!」
「・・・また話題を変えてしまうのですね・・・そういうのを日本では『蛇の生殺し』と言うんだそうですよ。余談ですが」
 気持ち的にかなり生殺されているハーゲンは、また一つ切ない溜め息をつく。
 一体いつになったら聞きたい言葉をあの唇から聞かせてくれるのだろう。
 自分が「好き」だと一言だけでいい。言ってもらいたい。
 そんな事はないとわかってはいたが、ハーゲンとしてはフレアが意図的に意地悪をしているようにしか思えなかった。
「フレア様、あのですね」
「私が鬼になるといつも真っ先にハーゲンが見つかるのよね。だってハーゲン、私が泣いたらどこに隠れていてもすぐに飛んできてくれるんだもの」
「・・・・逆に私が鬼になった時はフレア様は情け容赦無く隠れてしまわれましたけどね・・・」
「しょっちゅう泣きまねしてあなたを騙してたわ。でもハーゲンもハーゲンよ。100回も騙されたら普通は騙されなくなるものじゃない?」
「それは、まあ、そうです」
 ハーゲンは苦笑する。
 幼い頃、顔を伏せて背を丸めて、泣きまねをしていたフレアを思い出す。隠れている自分は、それが泣きまねなのだとは十二分に知っていた気がする。
 だが、もし真似ではなく、本当にあそこで一人で泣いているのだったら?
 そう思うとどうにも心配でしょうがなくなって、茂みに隠れていれば茂みから走り出たし、木の上に隠れていたのなら枝から飛び降りてフレアのところへ駆けつけた。
 そしてまあ、大概は「う・そv」と笑われて終わったわけなのだが・・・
「・・・でもあなたが泣いていないとわかればそれだけで安心したものです」
「いつもそう。ハーゲンは、私には優しすぎるほど優しかったわ」
「いまでも優しいでしょう」
「・・・今は意地悪よ。小さい時は、私を幸せにしてくれるってしょっちゅう言ってくれてたのに」
 フレアはまた一輪花をつんだ。
「わかる?意地悪!最低!最悪!それが今のあなたよ」
「フレア様・・・・そんな、理不尽な体育教師のノリでいきなり怒られても・・・・」
「自分が何したかわかってる?わかってないでしょう、どうせ!ハーゲン、ひどい人だわあなたって!氷河の方が100倍マシ!!」
「それを言われると殺意すら沸くんですが」
「嫌いよ!ハーゲン、あなたなんか嫌い!」
「き、きらいですか?」
「大嫌い!!ほら見て!花束ができたわ!」
フレアは支離滅裂なことを叫んで両手を高々と差し上げた。
 ハーゲンはその手に掲げられた花束を見ていう。「ああ、本当に綺麗な花束ですね」
 そして、それを見上げている少女の空色の瞳が、一杯に湛えられた涙を零さないように懸命に見開かれているのを見つける。
「それでもどうしてかしら・・・・私、やっぱりあなたがいればそれでいいの。あなたがいてくれないといやなの・・・・ハーゲン、花束ができたのよ。綺麗でしょう?あなた、好きでしょう?」
「ええ、好きですよ」
 見ていられなくなって、ハーゲンは顔を背けていた。
 フレアはかすれた声で虚空に呟く。
「これからあなたに会いに行くわ。ハーゲン・・・・・」



 朝も昼も夜も、ずっと側で見守っている。
 だが自分の墓参りをしている彼女にだけは、彼は近づこうとしなかった。
 それはあまりに辛いから。辛くて辛くて気が狂いそうになるから。
 だから離れたところから、その間は一心に祈るのだ。
 どうか。
 どうか自分の大切な人が、これ以上涙を流さぬように。
 全てを忘れてしまってもいいから、どうか幸せになってくれますように・・・・



「・・・まだ、あなたが側にいるような気がするの」
 物を言わぬ十字の墓標を前にして、フレアは独り言を呟いた。
 全て、独り言だ。彼がいなくなってから。
「ねえハーゲン、私、あなたさえいればいいの。私を幸せにしてくれるって言ったじゃない・・・・」
 胸の内で思いが一気に込み上げた。
 立っていられなくなって、フレアは土に体を投げ出し、白い指で墓標にかじりついて泣いた。
「だからお願い!お願いだから帰ってきて!帰って来て!帰って来て・・・!」
 名前を呼んで、叫んで、散々慟哭した。
 冷たい風が、細い肩をなでて吹きすぎた。この墓の場所には陽もあたらない。花も咲かない。
 喉が、寒さで嗄れていった。少女はささやくようにうめいた。
「・・・・私が泣いたら、すぐに出てきてくれるのではなかったの・・・?ハーゲン・・・・」
 本当に泣いているのよ、と呟いて、フレアはぐったりと墓標にもたれたまま目を閉じる。
 いっそ自分も死んで、この土の下に埋まることができたら。
 そう思った時、頬に何かが触れた。
「・・・・・・・・?」
 雪だった。
 春と冬の境目の、とても美しい季節。春の空から舞い下りる、雪。
 まるで、彼のようだ。
「・・・・・・・ハーゲン?」
 フレアは瞳を上に向けた。だが、そこにあるのはただ広く冷たい空と風だけで。
「・・・・・・・・好きよ、ハーゲン」
 涙と一緒に転がり落ちた言葉は、もう誰も聞くものがいなかった。


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