安心して温泉にでも行っててくれ、とカミュは言った。
 が、素直にそれに従うような男はこの場に一人もいなかった。

デス「・・・どういうことだか説明してもらっていいか?なんでおたくの友人がうちのアフロディーテを監禁してるんだ?アァ?」
ミロ「俺に言われても・・・・
シュラ「待て、デスマスク。あの状態のアフロディーテを監禁する意味がわからん。一緒にいても気を使うだけだ」
ムウ「そうですよ。それより、むしろアフロディーテの方がカミュを脅して人質に取り、心にも無いことを言わせているのだとしたら・・・」
ミロ「待て、ムウ。普通の状態のカミュを人質に取る意味がわからん。一緒にいても気が滅入るだけだ」
デス「じゃあ何か?カミュとアフロディーテが意気投合して本気で共同生活始めるとでも言う気か?ありえねえだろ」
ミロ「ありえないとは言い切れん。現に昨日も氷河が独り立ちしてしまった寂しさを8時間程度語られた。アフロディーテが何かの事情で今のあいつを頼ったとしたら、寂しさから間違いなく次の生徒として受け入れるだろう」
デス「空の巣症候群じゃねえか!!誰も頼らねえよそんな教師!!」
ムウ「まずいですね。アフロディーテがあのキグナスのようになったとしたら、もう誰の手にも負えないシロモノに」
ミロ「・・・お前もさらりとひどいことを言うなムウ・・・」

 苛立っているデスマスク。困惑しているシュラ。何かの危機感を感じているらしいムウとミロ。
 彼らの後ろでは他の面子が貴鬼のお守りに逃げている。

リア「ほーら高い高い。ははは、楽しいなあ」
シャカ「貴鬼、何か食べるかね?精進料理でも作ってやろうか」
バラン「お前ら・・・・ちょっ・・・貴鬼が本気でおびえて・・・・」
ムウ「シャカにアイオリア!何をしているんですかこの一大事に!キャラ変わってますよ!
リア「何って・・・お前の弟子の相手だろう」
ムウ「そんなことはアルデバランに任せてこっちに来てください!貴鬼はもう立派なお兄さんなんですよ、甘やかしたら氷河みたいになるじゃないですか!」
シャカ「安心したまえ。このシャカ、生まれてから常に神仏と対話してきたが、あんな変なのを輩出できた聖闘士の話など他に聞いたことが無い。常人には無理だ」
ミロ「お前ふだん神仏と何話してるんだ」
デス「その変なの輩出した奇跡の魔術師に仲間が捕まってんだよ!少しは協力しろよ、蚊帳なら俺が買ってやるから!
シャカ「・・・本当かね?」
デス「本当本当!なあシュラ!
シュラ「俺に出させる気だろうお前。ふざけるなよ、アフロディーテが元に戻るなら買うこと自体に異論は無いが、代金は折半しろ。お前には貸しすら作りたくない」
デス「わかったよ、うるせえな」
シャカ「話は決まったかね?買うのかね?神仏に誓うかね?
デス「買う買う!お前の好きなの買ってやる!神サマにも誓います!」

 デスマスクがやけくそ気味に返事をすると、シャカはよし、と頷いた。
 そして、

シャカ「ならば行って来る」
デス「・・・・・あ?」

 思わず全員が彼を振り向いた。

ムウ「行く・・・って、どこへ・・・?」
リア「まさか宝瓶宮へか?」
ミロ「正気か!?」

 ざわめく一同。焦った顔をしながらも、その眼には一抹の感嘆と賞賛の色がある。
 さすが最も神に近い男!さすがまったく空気を読まない男!やることが清々しいまでに問答無用だ!ここまでの俺達は何だったんだ!
 そんな言葉にならない仲間の叫びを一身に背負いながらも、しかしシャカは静かに首を横に振った。

シャカ「宝瓶宮ではない。私がそんなところに行っても無意味だ」
シュラ「なら・・・・どこに行く気だ?」
シャカ「温泉」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

全員『〜〜〜〜っっ!!!!!』
シャカ「何かね!カミュも行っていろと言ったし、私は蚊帳さえあればいいと最初から・・・!」

 彼がシャカでさえなければおそらく場の全員が殴りかかっていたであろう。しかし彼はシャカである。

シャカ「アフロディーテのことはここでやかましく言っていても解決などできまいよ。良いかね、私の留守中に下手につついてこれ以上面倒を起こさないようにしてくれたまえ。旅行帰りはゆっくりしたいから。ではな」

 以上を挨拶に、本当に旅立って行ってしまった。
 行き場の無い怒りを全員が白羊宮の床にぶつけまくったのも、やはりご愛嬌だったと言うべきだろう。






カミュ「・・・茶請けが無いが」

とカミュが置いてくれたカップを、アフロディーテは両手で包むようにして啜った。
 少し笑う。

アフロ「温かい飲み物はありがたいな。この宮は寒い」
カミュ「よく言われる」

 カミュも少しだけ笑った。

アフロ「あそこに飾ってあるのは・・・」
カミュ「氷河の写真だ。下に並べてあるのは氷河のアルバム。その下に積んであるのは氷河の成長を記録したビデオ。きちんと片付けなければと思っているのだが、毎日見ているとつい戻すのが手間で・・・。他にも氷河のためにつけた日記氷河のための積み立て貯金の通帳などもあるが、何が見たい?
アフロ「いや何も。よくそこまで色々な物をつぎ込めるな・・・氷河が大事なのは鬱陶しいほど良くわかった。しかしいつも思っていたのだが、アイザックについては何も無いのか
カミュ「・・・・」

 カミュは辛そうな顔をした。

カミュ「アイザックは・・・彼は、私の元から去ってしまったのでな」
アフロ「それきりというわけか」
カミュ「ああ・・・・。しかし第一子だったのであの海難事故より前の物なら氷河の3倍以上ある。二度と手に入らない物ゆえ万一の場合に備えて全てフリージングコフィンで固め、専用部屋に永久保存してあるが、あなたがどうしても見たいと言うのであれば出し・・・・」
アフロ「いらない」

 速攻で断って茶を飲むアフロディーテ。相手がうらめしそうな顔をするのも無視して、視線を俯きがちに、しかし遠くに落としながら言う。

アフロ「弟子が可愛くて仕方ないのだな。ほとんどどうかしているな
カミュ「よく言われる」
アフロ「嬉しそうにするな。褒めてない。君はどうかしている。本当に・・・・・どうかしている」

 その青い目が針のように鋭くなっていくのに気づいて、カミュは黙った。
 黙ったまま、静かに彼が話し出すのを待った。
 手元で、カップが冷えていった。

アフロ「・・・・・どうして憎くならないんだ」

 と、客人は言った。

アフロ「氷河は君を殺した。アイザックは君の教えに反してポセイドンの下に走った。君が手塩にかけて大事に大事に育てた弟子は、二人とも君を裏切ったではないか。君は二人に敵と言われた。悪だと見られた。君が長い時間をかけて培った絆など、彼らにとっては簡単に切り捨てられる程度のものだったのだ。そうだろう?どうして憎まない?どうして恐ろしくならない?彼らはいつまた君を敵とみなすかわからないのに。彼らにとって一番大事なのは、もう君では無いのに」
カミュ「・・・・・・」
アフロ「君のしたことは君にとって無駄だった」
カミュ「・・・無駄か」
アフロ「無駄だ。・・・・そう考えれば、彼らを少しは憎くなるかな?」

 言葉とは裏腹に、試すような声音は少しも無かった。彼はただ聞きたくて尋ねただけで、そこに何かの救いを求めてるようにさえ感じられた。
 なのでカミュは正直に答えることにした。

カミュ「不思議とな。憎くはならないものだ」

 そしてまた少し微笑んだ。






デス「すげえ憎いんですけどあの処女宮の人!!もうこれは怒りとかじゃねえよ!憎しみだよ!!今俺が死んだら間違いなく処女宮の壁に顔が出るよ!!!」
ムウ「速攻で悪霊退散されると思いますけど・・・」
デス「今は負ける気がしねえ!!」

 ガンガンガン!!

 引き続き、白羊宮の床に八つ当たりしまくっている蟹である。
 他の面子はいい加減憂さ晴らしも終え、貴鬼と一緒にお昼寝タイムに入っているが、彼だけは未だ落ち着かなかった。

ムウ「ちょっと!もういい加減にしてください!貴鬼が起きるじゃないですか!」

 床の状態についてはとうに言及をあきらめた家主である。

デス「この程度で起きるようじゃこの先聖域でやってけねえよ!」
ムウ「勝手なこと言わないで下さい!貴鬼はこんな環境の悪いところから遠ざけて育てるつもりなんです!」
デス「カミュと一緒じゃねえか。氷河みたいになるぞ。お前の弟子も」
ムウ「一緒にしないでください!」

 問題の弟子は、聖域から遠ざかって育ったといってもさすがに聖闘士の卵なだけはあり、爆音にもびくともせずに寝入っていた。
 体を丸め、汗ばんだ額にもつれた髪をからませ、アルデバランとアイオリアの間に挟まれて安らかに寝息を立てている。
 その様子はまるで、何かの間違いによってセイウチの隣に寄り添ってしまったコウテイペンギンの雛のようであった。

デス「・・・潰されるんじゃねえかなそのうち
ムウ「貴鬼!スターライトエクスティンクション!!」

 まばゆい光がセイウチ二体をいずこともなく運び去って。

ムウ「よし、と。これからどうするんですか?デスマスク」
デス「んー・・・・まあ仲間がアテにならないことはよくわかったから、自分でなんとかするしか無いだろうな。宝瓶宮にでも行ってきますか」
ムウ「放っといた方が良いのでは?カミュはそう言っていたそうですけれど」
デス「嫌だ」
ムウ「・・・・・過保護ですね」
デス「お前ほどじゃねえよ。・・・?そういえばシュラはどうした?あいつも寝てるのか?」

 彼は寝ていなかった。デスマスクが周りを見回したちょうどその時に、白羊宮の上手側出口からなにやら考え込んだ顔をして戻ってきた。

シュラ「俺はここだ。今、宝瓶宮に行こうとしたんだが、ちょっと妙なことに・・・・」
デス「最強の過保護がここにいるよ。お前それ抜け駆けだよな?ア?抜け駆けしようとしたわけだよなコラ?」
シュラ「仕方ないだろう。ここで話していてもどうにもならんと思っただけだ。だが・・・・・・」
デス「どけ!俺が先に行く!」
シュラ「いや、ちょっと待・・・・」
ムウ「待ってください、デスマスク。私も行きます」
デス「は?何で?」
ムウ「あなた何しにここに来たんですか。助力を得るためではなかったんですか」
デス「・・・ああ、まあそうだったんだけどな」
シュラ「お前ら人の話を・・・」
デス「もう気が変わったんだよ。ムウ、お前はやめとけ。首絞められるほどあいつに嫌われてるんだ。近づかないほうがいいぜ」
ムウ「だからこそ私も行くんですよ」

 きっぱりとムウは言った。まっすぐにデスマスクを見返す彼の眼に迷いの色は無く、何か伝えようとしているシュラの影もまったく映っていない

ムウ「あの馬鹿騒ぎの中、私は私なりに考えていたんです。どうしてアフロディーテがこんなことをしたのかと。どうして・・・私はこんなことをされたのかと。でもわからないんです。どうしても。この上は彼に会って話を聞くほか無い」
シュラ「その前に俺の話を聞いてく・・・・」
デス「行って素直に話してくれれば誰も手ぇ焼かずに済むけどな。そうは行かないだろ」
ムウ「・・・難しいかもしれません。ですがせめて伝えてたいことがあります。確かに別に好いてはいませんが、彼を憎むようないわれは今の私には無いんです。本当に、そんな気持ちは無いんです」
デス「それだけでも伝えたい、ってか」
ムウ「いけませんか」
デス「フッ・・・いつになく熱くなってるじゃねえかムウ。仕方ねえな、熱気の冷めないうちに十二宮突破と洒落込むか!」
ムウ「はい!」
デス「いい返事だ!!行くぜ・・・・」
シュラ「だから人の話を聞けよ!!!!盛り上がるな!!!どんどん出づらくなるわ!!!」

 シュラの高速の蹴りにどつき倒されて、ようやく会話は一時停止した。
 崩壊して状態の悪くなっている床に倒れこみ、余計な傷をこしらえるデスマスクとムウである。

デス「何しやがるんだてめえ!空気読めよ!!」
シュラ「俺を読めよ!!さっきっから何回声かけてると思ってるんだ!!」
デス「何回って・・・・2、3・・・・5回。あ、今の入れたら6回か」
シュラ「聞こえてたか。無視していたんだな?今までな?そうか。どうする。どうされたい。開きか。ミンチか」
デス「いや・・・その・・・・ほら、蟹って基本、丸のままが一番喜ばれると思うよ?」

 しかし割ってある方が食べやすい。

ムウ「抑えてくださいシュラ。今度はちゃんと聞きます。何かあったんですか?」
シュラ「何かもクソも・・・」

 うんざりした表情で、シュラは白羊宮の奥、金牛宮へと続く方向を指差した。
 見ればわかる、と言って。







 アフロディーテは今、どこを見ているともわからぬ目の中に、涙を一杯に溜めていた。

アフロ「・・・・私は憎くてたまらない」

 後悔する必要なんて無いはずだ。仲間を責めたりする必要なんて無いはずだ。
 あの夜の刺客がどんな思いで闇を走ったか知っている。見送った者がどんな思いで時代と決別したか知っている。
 誰にも詫びる必要など無い。それだけの覚悟をあの時にしたのではなかったか。
 そうでなければできるはずの無いことでは無かったのか。
 ・・・・アイオロスを殺すなど。

アフロ「私たちを見捨てて向きを変えた、時代という奴が憎い。何もかも終わったことだと言って私たちを許そうとしている奴らが憎い。今が平和で幸せだと笑っている奴らも・・・・憎くてならない」

 まるで私達のしたことなど無かったかのようだ。
 きっと悔いているから傷には触れないでおこう。彼らももはや悪ではないのだから。今はもう仲間なのだから。そうして皆があの時代から目を逸らす。
 そんな奴らが仲間なものか。
 共に奈落に落ち、心のなくなった胸に潰れるほどの闇を詰め込んで、何もかも擦り切れるまで歩いた。あの道にいたのはお前達じゃない。
 あの苦しみを知っているのはお前達なんかじゃない。
 誰にも渡すものか、私達だけは死ぬまでこの痛みを抱いていく。それが仲間の証なのだから。

アフロ「なのに・・・・・シュラが後悔している。デスマスクも、悔いている。だから二人は争い始めた。あの行いが悪だったと認め始めた。私はそれを言ってしまってはおしまいだと知っているから、だから止めたかった・・・・でもきっともう、ばらばらになっていくだろう。彼らには止まるつもりなんかないのだ。私は彼らと一緒なら平気だったんだ。どんな苦しみも苦しくは無かったんだ。だが・・・・・」

 ばらばらにほどけてしまった後に、いつまでも後悔できない者が取り残されるだろう。
 とうに擦り切れてなくなってしまった体の代わりに、狂うほど飢えた闇を引きずって、たった独りであの道を歩き続けなければならないのだろう。

 それが、アフロディーテにはたまらなく恐ろしかった。

アフロ「・・・独りでは耐えられない」

 呟きは、背中を丸めて膝に押し付けられた金髪の奥からかすかに聞こえただけだった。
 しかしカミュは確かにそれを聞いた。彼が今まで一度も聴いたことの無い、アフロディーテの弱い声。その声をどう受け止めればよいのかわからず、彼はカップを手に取り、また置き、また手にとって指先でもたもたと回した。
 そして、

カミュ「そう簡単に・・・・・独りにはならないものだ」
アフロ「・・・・・・・・」
カミュ「私が氷河やアイザックを憎んだりできないのは、共に過ごした時間の重さを私自身が知っているからだ。それは誰かによって塗り替えられるような物ではない。彼らが何度私を殺しても私は彼らを憎みはしないだろう。時代がどう変わろうと決して朽ちないものを、私達は既に築いて分かち合っている。それを私は知っているから、彼らの中に同じ物があると感じる限り、何をされても裏切りだとは思わない」
アフロ「・・・・・・・・」
カミュ「・・・・そういうものが、あなた達にもあるのではないだろうか」

 言っている意味がわかりづらかったら申し訳ない、とカミュは言って、またカップを回した。
 






デス「最強に意味不明だろこの光景・・・」

 白羊宮の出口に佇んだまま、三人は呆然としていた。
 彼らの前に、あるべきはずの道は無い。階段も無ければ、すぐそこに見えるはずの金牛宮の姿も無い。
 あるのはただ、巨大な仏陀と異次元空間だけだった。

ムウ「白羊宮が掌サイズですね・・・・私たちをここから出したくないというわけですか」
デス「じゃあ何か!?シャカが旅行から戻ってくるまでこのままでいろってか!?」
ムウ「彼の考えではそういうことになってるようです。・・・・・一体何を考えて・・・・」
シュラ「おい、はるか向こうの次元の歪んだ辺りを浮遊しているのはアイオリアとアルデバランじゃないのか。どうしてあいつらあんなところに!」
ムウ「さあどうしてでしょうね。こうなってると知っていればスターライトエクスティンクションなんて使わなかったんですけどね」
デス「どうでもいいけど仏陀の扱いが番犬代わりだよな・・・・バチあたんねえのかな」
 
 目の痛くなるようなド派手な空間を前にして、当然足を踏み出す勇気など出るはずも無い。
 頬をひきつらせ、額に汗を浮かべたまま、三人はただただ仏陀の顔面を見上げるばかりであった。





つづく