目が覚めているときはわざとつれないフリをして。わざと気の無いフリをして。わざと他の人間と遊びに出かけて。そうしてじりじり嫉妬させるのを楽しんでいる。
 激昂して怒鳴り込んでくるのを籠絡し、ベッドの上で苛め、耳を、目を、唇を、その体全てを汚すのが好きなのだ。
 だが、眠っているときだけは違った。そのときだけ、デスマスクはいくらでも優しくなれた。
 アフロディーテが眠っているときだけは。
 昼間の喧騒が嘘のようである。真夜中を過ぎた暗闇の中で、彼はじっと腕の中の寝息に聞き入っている。それはどんな音楽よりも心地よく、澄んだ水のように胸を満たしてくれる。いつも、どんなときも。

「・・・・・ん・・・」

 アフロディーテが小さく呟いて寝返りを打った。
 デスマスクは腕を緩めて好きにさせてやった。が、相手が再びむにゃむにゃと静かになってしまうと、すぐに抱きしめ直した。金の髪の中に唇をうずめて、うっとりと甘い匂いを呼吸した。

「・・・なあ」

と、囁く。乱れた金髪を指でかきわけ、そこからのぞく白い耳に唇を触れさせて。

「・・・そんなに浮気、してないぜ」

 街で誰かと歩いていても、あんなのはただ・・・・・今腕に眠る人を妬かせたいだけの遊びで。本気のわけは無いのに。
 妬いてくれると安心する。自分はまだまだ愛されているんだと思う。他の誰がどれだけ自分を厭おうと構わないが、アフロディーテのことだけは折に触れ確かめずにはいられない。
 だから。

「・・・お前こそ浮気するんじゃねえぞ」

 つぶやいた時、ふと脳裏に磨羯宮の主の顔が浮かび、腕に力が入った。

 シュラ。あの仏頂面で無口な実力主義の男。三白眼で気のきいた話もできない性格が逆に「しぶい」とウケる男。その気になれば絶対女にモテるはずだが、今はその気にならずにむしろ同性をして「かっこいい」と言わしめる男。 
 自分と正反対のあの友人のことを考えるたび、平静でいられなくなる気持ちがある。アフロディーテは同性だし。
 それに、自分と喧嘩するたびに彼は必ずシュラを頼って行く。
 今朝だってそうだった。

「君は最低だ!いい、もう君なんか知らない!こんなところ出て行く!シュラのところへ行く!」

と出て行かれた時の何ともいえぬ腹立たしさ。説明するのも面倒くさいいつもどおりの喧嘩だったが、最後の一言は思いっきりこたえた。アフロディーテにしてみれば、行き先をはっきり告げておいたら追いかけてきてくれるかもしれない、というささやかな期待があったのだろう。
 だが、それならなんで「磨羯宮」と言わずに「シュラのところ」と言うのか。「磨羯宮」より「シュラのところ」の方が字数が一つ多いではないか。わざわざ一文字分面倒くさい言い方をしてまでシュラの名前を言いたかったのか。そんなにシュラが好きか。

 アフロディーテを抱くデスマスクの腕は、また少しきつくなった。

 結局、今日はいてもたってもいられずに昼過ぎて友人宅へ出向いてしまった。「他人に迷惑かけるんじゃねえ!」の口実でアフロディーテを無理矢理取り戻し、巨蟹宮まで引きずってきたのだ。
 たぶん、シュラは気づいている。
 彼の顔は「妬いて人のうちに押しかけるぐらいなら最初から手放すな」と如実に語っていた。
 それがまたムナクソ悪い。
 優しくしてやればアフロディーテが飛び出していかないことは自分だってちゃんと知っている。機嫌のいいときは絶対そばから離れないし、嬉しそうにわがままを言って一日中でも甘えている。
 しかし、デスマスクはそんな彼だけでは満足できないのだった。怒っているのを見るともっと怒らせて見たくなるし、泣いているのを見るともっと泣かせてみたくなった。自分のために怒ったり泣いたりして欲しい、というのが偽らざる本音である。
 そう、自分のために。
 だからシュラのところへ駆け込むのは反則なのだ。
 あんまり苛立っていたものだから、巨蟹宮へ戻ってからもまた盛大に喧嘩をした。アフロディーテは何度も飛び出していこうとしたのだが、デスマスクは絶対にそれをさせず、万が一にも相手が巨蟹宮から足を踏み出すようなことがあれば即刻積尸気に送ってやろうと思っていた。最悪の場合は一端相手の意識を飛ばし、魂が黄泉帰りしてくるまえに体だけでもテゴメにしておく、という非常かつ非情な手段すら辞さない構えであった。幸い、向こうに静止を振り切ってでも出て行く意志がなかったので実行には至らなかったが。
 日暮れになるとアフロディーテもぐったりしてきたので壁に押さえつけて窒息寸前までキスをしてやり、その後は寝室に連れ込んでうやむやのうちに仲直り、というわけである。
 今、腕の中でぐっすり眠り込んでいるところを見ると、相当に疲れていたのだろう。寝顔が可愛い。頬に涙の後が残っている。

 ・・・ふと不愉快な考えがうかんだ。シュラはこの顔を知っているだろうか?

やけを起こしたアフロディーテが磨羯宮で酔いつぶれることはよくあることだ。シュラに限って弱みにつけこんで手を出すということは万に一つもないだろうけども、真面目に体を心配して自分の寝床を明け渡してやるぐらいはするだろう。こいつを抱えて運んだだろうか。

・・・。やめてくれ。触るな。
 これは俺のものだ。

「・・・お前、もうあいつのとこ行くな」

デスマスクは目の前の白い耳に唇を押し付け囁いた。こうして睡眠中に吹き込んでおけば、潜在意識に刻まれて行動に反映するかもしれない。

「今度いったら・・・・・」

今度行ったら。どうしよう。

「・・・・とにかくゆるさねえからな」

 具体的な報復手段が見つからず、迫力の無いおどしになってしまった。
 何だか一人でモヤモヤしている自分に嫌気が差し、はあ、と溜息をついたそのとき。

「・・・・・ん、うん・・・」

 柔らかい喉の音がした。サラサラと金髪が崩れ落ちる。腕の中の体がみじろぎして、そこでようやく、デスマスクは自分の両腕が思い切りアフロディーテを締め付けていたことに気づく。
 これは苦しかっただろう。あわてて力を緩めた。
 そして視線を戻すと。
 とろんとまどろんだ青い目がしっかりこちらを向いていた。

「・・・・・・・」
「・・・・・・・」

・・・ひょっとして、今まで言った言葉全部聞かれていただろうか。
 浮気をするなとか。
 あいつのところに行くなとか。
 嫉妬心見え見えの台詞が全部聞かれていたのか・・・?
 
 最悪。

 デスマスクは半ば本気で舌噛んで死んでやろうかと思った。
 しばしの時が流れる。硬直と、沈黙。
 やがて動いたのはアフロディーテの方だった。とろんとした顔のまま、ゆっくり両腕をのばして男の肩にまわした。
 そのまま唇を寄せて・・・・

 ちゅ。

・・・・・・・。

・・・そしてまたモソモソと丸まって寝入ってしまった。

「・・・・・・」

何だったんだ、今のは。
 聞いてたのか?いや、聞いてなかったよな。ぼーっとしてたし、単に寝ぼけてただけで記憶も自覚も無いはずだ。ずいぶん可愛い寝ぼけ方だが・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・シュラにやってねえだろうな?これ。

「おい!アフロディーテ!起きろ!」
「んあ・・・?」
「お前、俺だけだろうな今の!」
「???」
「とぼけてんじゃねえ!他の奴にやってたらゆるさねえぞコラ!」
「な、なに・・・?」
「っの誘い魔!くそっ、おい、上向け!」
「なんだ?私が何をし・・・・って、ちょっと待て。今何時だと思ってるのだ、私は眠いのだぞ。今日はもう十分しただろう?やめろ。・・・やめろっ。おい、やめろ!嫌だと言ってるのだ、聞こえないのか!?やめ・・・!」
「黙れ!」

デスマスクはやめなかった。




 ・・・安眠妨害されたうえ朝まで寝かせてもらえなかったアフロディーテは、口をきこうともしない。

「おい」
「・・・・・・・・・・」
「返事ぐらいしろよ、おい」
「・・・・・・・・・・」
「おいっ!」

怒鳴って腕をひっぱって、ようやく振り返った。目つきが剣呑だった。

「・・・なんだ?鬼畜」
「そんなに怒ることかよ」
「あたりまえだろう!?私は嫌だといったのだ!人の体を無理矢理・・・!」
「だから悪かったっつってんだろうが!」
「全然誠意がない!どうせ君なんか私のこと都合のいい玩具ぐらいにしか思ってないのだ!でなければあんなことしない!不潔!最低!」
「ああ俺は不潔で最低だよ!けどな!お前だって相当最低だと思うぜ俺はっ!」
「なにが!?」
「自分で考えろ!寝ぼけ魔!」
「なっ・・・私が何をした!?寝ぼけて夢でも見たのはそっちだろう!私は大人しく寝ていた!君と一緒のときはいつだってぐっすり眠っているはずだ!」
「そりゃ当然だ、俺があれだけ大事に抱い・・・違う!だからそういう自覚の無いところが最低なんだコラ!」
「なにをわけのわからんことを・・・もういい!君の顔なんか見たくもない!シュラのところへいく!」
「積尸気冥界波!!!」


 ・・・言ってはいけない一言と、やってはいけない一撃が出てしまったおかげでその後も問題はもこじれにこじれた。
 揃ってあの世の入り口まで魂を飛ばした二人は三日三晩意識不明のままだったという。





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