私は何という失敗作を残してしまったのだろう・・・・




 貴鬼は不満だった。
 今日の昼で通算50本目のボツを出されたのだ。

貴鬼「ムウさまぁ!どうして?どこがいけないんですか?」
ムウ「自分で考えなさい」

 ムウが彼に修行課題として一塊の鋼を渡したのは半年ほど前のことだっただろうか。
その時出されたテーマが、「これで剣を作りなさい」
貴鬼はそれ以来一生懸命、鋼を叩いて伸ばして色々な剣の形にしてみた。
だが、どれも師匠の気にはいらなかった。

ムウ「こんなものを作るようでは、まだまだお前を聖衣に触らせるわけには行かないですよ、貴鬼」
貴鬼「でも、どんどんよくなってるでしょう?オイラ、今度は前より頑張って研いだもの!」
ムウ「いいえ。悪くなっています」
貴鬼「嘘だ!」
ムウ「私は嘘はつきません」

 静かに言って見下ろすその目を、貴鬼は悔しさで喉が痛くなりながら睨み上げていた。

貴鬼「・・・・・・わかりました。じゃあ、今の剣を返してください。それをもっとよくして見せるから、オイラ」
ムウ「その前に。貴鬼、剣とは何だと思いますか?」
貴鬼「剣は、切るための武器です」

 ムウはしばらく黙った。
 それから。

ムウ「・・・もう一度はじめからやり直すように」

 ぱきん。
 両の手で、弟子の苦心作を折り捨ててしまったのだった。




「ムウ様の馬鹿ーーっっ!!!!」

がんがらどんがらがっしゃん!!
ズタタタターーーーーッ・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・

シャカ「ムウ、いま洟をたらした小僧が全速力で飛び出して行ったが捕獲した方が良かったか?」
ムウ「いえ、結構です。・・・というか、あなた普通に登場してきましたけど、ここジャミールですからたった今来た客なんですよね?いらっしゃいませ、はるばる」
シャカ「フッ、かまうな。最上等の菓子と茶だけ出してもらえればいい。私の席はどこだ?」
ムウ「ありませんよそんなもの。・・・まあでも適当に座ってください」

言われたシャカは、当然ながら一番いい場所に陣取った。

ムウ「どうして貴方がこんなところへ?私に何か用ですか?」
シャカ「君ごときのを見るために私がこんなド田舎へ出向いてやるわけがなかろう。うぬぼれてもらっては困る」
ムウ「・・・ではなぜ」
シャカ「花見をしようと思ったら道に迷ったのだ。本当は上野に行きたかったのだが、気がついたら聖衣の墓場でな」
ムウ「間違えすぎじゃないですか?国違いますし・・・」
シャカ「世界地図は不親切で困るな。あんなものでは道など少しもわからん。引き返そうとも思ったが、墓場の亡霊が社員全員一列で出迎えて歓迎してくれたので来てやったのだ。中々礼儀を知った奴らだったぞ」
ムウ「そうですか。歓迎というか、単なる戦闘フォームなんですけどね。お気に召して何よりです。しかしこの辺に花見のできる場所はありませんよ。花など滅多に咲かない土地ですから」
シャカ「うむ、いかにも性格の歪みそうな土地だ。子供の情操教育には良くないのではないか?もっと開けた土地に越した方がよかろう」
ムウ「・・・貴方とそんな別居夫婦のような会話をする気はありません。貴鬼は素直に育っています」

 話しながら、ムウは床に落ちた何かを片付けていた。
 シャカが気づいて訊ねた。

シャカ「何をしているのだ?」
ムウ「貴鬼が、かんしゃくを起こして壊してしまったんですよ。花瓶ですが」

 「剣の課題」のことを話す。

シャカ「アテナの聖闘士ともあろうものが、武器を鍛えるのか」
ムウ「ええ。修復の本質を知るために。・・・貴鬼は昔の私と同じ過ちをしていまして。さっき、50本目の失敗作を持ってきたので駄目だしをして折ったら、いい加減我慢できなくなったようです」

 ムウ様の馬鹿!
 怒鳴るなり、貴鬼は折られた剣の柄の方を拾って、ムウに投げつけたのだという。

ムウ「私はかわせたんですが、さすがに花瓶は動けませんでしたね。命中して木っ端微塵ですよ。やれやれ・・・大事にしていたんですけどね」
シャカ「高価なものなのか?」
ムウ「ええ、もともとはいい物でしたよ。我が師シオンが大事にしていたもので・・・ですが、私が幼少時に落として割って見る影もなくなったのをセメダインでくっつけたので、価値はおそらく無いに等しいでしょう」
シャカ「だったらいいではないかそんな物・・・」
ムウ「貴鬼の作った失敗作、見ますか?」

 唐突にムウがそう言って、銀の欠片を差し出した。
 折れた剣の刃先の部分である。
 シャカはそれをしばし指で探っていたが、やがておもむろに、

シャカ「・・・見事な出来だな」
ムウ「そうでしょう」
シャカ「だが気に入らん」

 とんっ。
 彼が言葉と共に投げたそれは、壁に深々と半分以上も埋まって突き立った。
 ムウは答えた。

ムウ「同感です」




どうして、何が、ムウ様の気に入らないのかな。
日の沈みかけた荒野の岩陰で、貴鬼はしゃくり上げながら奥歯を噛み締めていた。
あんなに一生懸命作ったのに。
毎日毎日、刃が鏡のように輝くまで研ぎ澄ませた。柄のところだって指に合うように工夫した。
ナックルガードもつけたし、柄の部分は実は取り外し可能。中に飛び出しナイフをしこんであって、なおかつ底につけたポケットには万が一のときのための毒薬を装備。
あとは柄に巻く布を、刺激を与えると爆発する化学繊維で作れば完璧だったのだが、それはうまく精製できなかったので普通の布を巻いた。
ボツになったのはそのせいかな。
でもたぶん違う。

貴鬼「ムウ様のばか・・・・」

つぶやいて、腕でぐいと涙を拭いた。
きっとあの刃がいけなかったのだ。自分では気づかなかったけれど、曇りか歪みか、そんなものがあったのだ。
だからムウは、一目で駄目だと言ったのだ。
そうでなきゃ、もうわからない。
・・・貴鬼は立ち上がった。
明日の朝までに、もっともっといい剣を研ごう。今度こそは認めてもらえるように。




ムウ「・・・・シャカ、あなたは聖衣とは何だと思います?」
シャカ「?」

 目の前に置いた湯気の立つカップに視線を落としたままムウが言ったので、シャカは口元に茶を運ぶ手を止めた。

シャカ「なに、とは?聖衣は聖衣だろう」
ムウ「聖域には12体の黄金聖衣があります。あれは昔の聖戦の後、我が師シオンが修復を行ったものでしたが・・・あの中に一つだけ、彼の失敗作があると言ったら、あなたは驚きますか?」
シャカ「失敗作?」

 ほんの少し考えて、

シャカ「・・・・牡牛座の角か?
ムウ「・・・まあ、確かにあれはちょっと脆かったかなという気もしますが・・・ハズレです」
シャカ「わかった。蟹か」
ムウ「いえ・・・そりゃあ薄情なところはありましたけど・・・違いますよ」
シャカ「まさか私の聖衣ではあるまいな。許さんぞ」
ムウ「安心してください。それもハズレです」

 ムウはカップを取り上げて一口すすった。

ムウ「私は・・・私がまだ幼くて、シオンの下にいたときも、剣の課題が出されました。私は73回失敗しましたが、さすがに73回も駄目をもらうと頭にきましてね。さっきの貴鬼と同じように、師に食って掛かったんです」

 いえ、私の方がもっとひどかった、とムウは苦笑した。

ムウ「テレキネシスで部屋中のありとあらゆるものを浮かせて、シオンに向かってぶつけようとしたんですから。でも、ぶつけにかかる前に逆にシオンに宙吊りにされまして、壁に叩きつけられました」
シャカ「・・・結構激しい師匠だったのだな」
ムウ「厳しかったですよ。食事を残したら三日は断食させられましたし、修行で弱音を吐いたら3キロ先まで吹っ飛ばされましたし、この時代を見越しての指導でしょうが、それはそれは厳しかったです。シオンの口の端がちょっと笑ったのを見れただけで、向こう3日は私バラ色の気分でしたもの。この剣の課題のときも、だから本当に容赦なく、息が止まるぐらい思い切り壁に激突させられました」

あまりの痛みに目が回って、自分が宙に浮かせていた家具や小物が次々と床に落ちた。
その時に、あの花瓶も割れた。

ムウ「動けないでいる私に、シオンが聞いたんです。聖衣とは何か、と」
シャカ「君は何と答えたのだ?」
ムウ「主の身を守るためのものだ、と。そうしたら、では良い聖衣とは何かと聞かれました。私はそれは頑丈な、壊れない聖衣だと答えました」

 答えを聞いたシオンは、しばらくムウの瞳を見つめた。
 そして、こう言った。

 ムウよ。聖衣は戦に使う道具だ。
 頑丈な、壊れない聖衣は確かに主を守りはする。・・・だが、忘れるな。
 永い間壊れずにいる聖衣は、それと同じだけの永い時間、主に人を殺させる。・・・

シャカ「・・・・・・・」
ムウ「・・・言ったあとに、両手で私を助け起こして話をしてくれました。黄金聖衣の中に一つだけ、自分の作った失敗作がある。・・・・幼かった私は、それがとても信じられなくて。自分の尊敬する師に失敗作があるなんて、聞いても全然飲み込めなくて。でも」

 茶が冷めかかっていたが、二人は気にしなかった。
 ムウはポツリとつぶやくように言葉を落とした。

ムウ「それが、双子座の聖衣だったんです」




夜の闇が辺りを包んでいた。
貴鬼は気にしなかった。星の光は、ここではとても明るいから。
キン!キン!
鋼を打つ音が冷えた空気を震わせる。
両手は豆だらけだったが、そんなことはどうでもいい。
何としても、次に作るものだけは、ムウに認めてもらうのだ。
色々なカスタマイズを施すのはやめようと決めた。たぶん、ムウはそんなものを見てはいない。
ただ、刃。この刃だけ、輝かせよう。
腕が痺れるまで鎚を振るって、それから貴鬼は少しだけ休んだ。
・・・お腹が減ったな。
でも帰れないな。剣が出来るまで。
だって、ムウ様の大事な花瓶をわっちゃったし。
・・・・そりゃあ、あの花瓶は確かに、オイラが壊すまでも無くボロボロな感じだったし、水を入れたところでもれるだけだろうと思うけど、でも一応壷の形はしてたから・・・
それに、あんなにボロボロでも飾っておいたくらいだもの、きっとすごく大事だったんだ。
貴鬼は落ちつかなげに、視線を遠くへやった。
その先に小さく、ムウの館の灯が見えた。




すっかり遅くなってしまった。
貴鬼はあれきり、帰ってこない。

ムウ「どうします?今日は泊まっていきますか?」
シャカ「寝床はあるのだろうな」
ムウ「ありますよ。上に。入り口も無ければ階段も無いので、窓から飛び上がって行ってください」
シャカ「・・・どうしてそんな不便極まりない館を建てるのだ」
ムウ「設計段階が面倒で、手抜きしてしまったんですよね」
シャカ「手抜きしすぎだ!階段ぐらいつけたまえ!」
ムウ「まあまあ、慣れればそう不便でもありませんよ」
シャカ「テレポーテーションが使えればその言葉も言えるだろうな。・・・フン。いい。どちらにしろ、まだ休む気は無い」
ムウ「なんですか。御飯はさっきあげましたよ」
シャカ「その飼い犬みたいな言い方はやめてもらえるか?失礼千万だ」
ムウ「人の家の米を食い尽くしておいて何を言ってるんですか。犬ならとっくに捨ててます。まったく、その体のどこに入るんだか・・・」
シャカ「そんなに食ってはいない。腹八分といったところだ。というか、人の家の食卓にケチをつける気はないが、米しか出さない君もどうかと思う。せめて汁物ぐらいつけたまえ」
ムウ「品数が増えるほど文句も増える気がしましたので。それにあなた、生臭は食べてはいけないのでしょう?」
シャカ「言っておくがな。私はシャカと言う名前で技もあんなのばかりだが、別に入寺しているわけではないのだ。肉も食えば魚も食う!明日の朝はサラダと目玉焼きにベーコンをつけて、トーストにはバターとジャムを塗ってくれ。あとは味噌汁を頼む」
ムウ「・・・・。ベーコンなんかありませんよ」
シャカ「だったらタクアンを代わりにつけたまえ」
ムウ「要するに、食べるだけ食べてもグルメではないんですね。朝っぱらから胸の悪くなりそうな食い合わせですが・・・まあ、何とかしてあげましょう。用が済んだら上へどうぞ」
シャカ「まだ休む気は無いと言ったはずだ。話が終わっていないぞ、ムウ」
ムウ「話?」
シャカ「双子座の聖衣について、聞いていない」

 ムウはシャカを振り向いた。

ムウ「・・・・どうして聞きたいんですか、そんなこと」
シャカ「あれだけ気になる話の運び方をしておいてそれを言うか。話したいのは君だろう。私がたまたまここに来てやったことを生涯の最大の幸運だと思って腹の底から感謝しながら話すがいい」
ムウ「・・・・・・・・・・・・」

 いろんな意味で返す言葉が見つからず、再びそらしたムウの視線は部屋の隅で止まった。
 おや?とその口から呟きが漏れた。

シャカ「どうした?」
ムウ「いえ・・・割れた花瓶の欠片を、あそこに集めておいたはずなんですが」
シャカ「あれなら『人の米を食い尽くしておいて何を言ってるんですか』のあたりで窓の外へ飛んで行った。気づいていなかったのか」
ムウ「ええ」
シャカ「うかつだな。自分の弟子が外まで来ていたのも悟れんとは君らしくもあるまい。さっさと吐くものを吐いてさっぱりしたまえ」

ムウはため息をついた。

ムウ「そうですね・・・・」

 頷いたとき、彼の目は昔、自分がまだ幼かったころの情景へと戻っていった。




「12体の聖衣の中に、一つだけ私も失敗作を作った」・・・・
そんな言葉は信じられなかった。
自分を助け起こして、いまは膝の上に抱えてくれている、この大きな人が失敗作を作るなんて。
どんなに瀕死の聖衣でも魔法のように再生させることができるシオンの手。
その節くれだった手に、ずっと憧れていた。

ムウ「うそでしょう?シオン様」
シオン「信じられんか。人は万能ではなく、私も人だ。物を食べている最中に口の中を思いっきり噛んで口内炎に陥る・・・そんなことはしょっちゅうだ」
ムウ「・・・・・それはあの・・・デザート含めて2分で完食とかなさるから・・・」
シオン「ムウ。自分自身にすら打ち勝てぬ男が他人に勝てると思うか。私は常時己に問いただしている。このシオンはシオンに勝てるかどうか。一人早食い競争もその一環なのだ。やがてお前にもわかる日が来る」
ムウ「・・・・・・・」

 子供心にも、あんまりわかりたくないような気がしたが。

シオン「お前は先刻、壊れない聖衣が良い聖衣だと言ったな。私は壊れないのみならず、決して持ち主を裏切らぬ聖衣を作った。それが私の犯した唯一最大の失敗だ。聞くがいい、ムウ。匠の腕に溺れた、おろかな男の話をな」

 ・・・その時のシオンの顔があまりにも冷たかったので、膝の上のムウは恐かった。
 だがそれでも彼の遠くはせた瞳から目をそらすことが出来なかったのはなぜだろう。
 師の服の袖をつかんで、身じろぎもせずに聞いていた。



シオン「昔・・・聖戦という戦のあったことは話したな。敵も仲間もほとんどが死に絶えたその後、私と友人と二人だけが生き残った。何の弾みかアテナまで死んでしまったのは大きな誤算だったが、とりあえず地上を救えたことをよしとし、二人で次の時代までを守り抜くと誓った」

 やがて生まれるであろう新たなる聖闘士達のために、彼は聖衣の修復を始めた。
 長い、長い時がかかった。

シオン「・・・必要以上に時間のかかった理由は、もう一人の生き残りである童虎が何一つ役に立たなかったせいもある。戦闘能力と武器の扱いとその真っ直ぐな心の持ちように関してなら並ぶものの無い立派な男だった。しかしこと聖衣の修復においては奴は単なるガンだった。周りをウロチョロするだけならまだしも、修復技術を独学で会得しようとして私が直したばかりの聖衣を再びバラバラに分解したりした。聖戦で生き残っただけあって何度ふっ飛ばしてもすぐに蘇ってくるし、下手な敵より始末におえん・・・・・・まあ、それももう過去の話だがな」

無数とも思える破損した聖衣。
一体一体を直して、直して、そしてどれくらいたったころだろうか。
自分の心に、一点の影が差し始めたのは。

シオン「早い話、私は飽き始めたのだ。単調な修復の作業に。最終段階で黄金聖衣に手をつけるころにははっきりと欲を感じていた。直すだけではなく、新しいものを作りたい。私の腕ならば聖衣をもっと高い位に生まれ変わらせることが出来るはずだとな」

 そうして最後に手元に残ったのが、黄金聖衣12体中最も破損の激しかった双子座の聖衣だった。

シオン「私はこれを自分の作品とすることに決めた。何年ぶりかの新鮮な気持ちで作業に熱中し、最高の材料を使い、あらゆる技術を駆使して聖衣に念を吹き込んだ。決して壊れるな。決して裏切るな。主の全てを引き出し、永遠のものとなれ、と。・・・・・」

 双子座の聖衣は彼の手で熱心に磨かれ、彫刻され、完成に近づいていった。
 あとは正義の面を残すのみとなったある日。
 シオンは夜中にふと目を覚ました。喉が渇いたのか、何かの予感があったのか、それはわからないが。
 暗い月明かりとまどろみの中に、自分がこれまでに鍛え上げた双子座の聖衣があった。
 おもわず、しげしげと眺める。「完全」を備えた聖衣は夜の光を反射して実に美しく・・・・そして・・・

 暗く不吉に笑っていた。

シオン「・・・・・・・・・・その時初めて、私は戦慄した。ようやく悟ったのだ。この聖衣には慈悲が無い。武具というものに無くてはならぬ、容赦の心がないのだとな」




ムウ「・・・・・・・」
シオン「それから一月、私は全ての心を費やして正義の面を刻んだ。せめて救いを与えようと・・・・自分の育てた残酷に歯止めをかけようと・・・・・だが・・・・」

 その時、ほんのわずか、ムウを抱くシオンの手に力がこもった。

シオン「あのときその場で聖衣を壊すことが出来なかった私は・・・・結局己の腕に溺れていたのだ」

 私はなんと言う失敗作を残してしまったのだろう・・・・シオンは聞き取れぬほどの声で言った。
 ・・・・・ムウはまだ幼かった。
 難しい話はよくわからない。自分よりはるかに生きた人間の痛みも知らない。
 でも、振り仰ぐ目の前で、確かに歪んだ師の顔を見たら、そしたらどうしてか急に胸が熱くなって。

シオン「私の最低な仕事のツケは、やがて私に返って来るだろう。ムウよ、いずれは私も、お前を残していくことになるのかもしれんな」
ムウ「・・・・っ」
シオン「・・・どうした。何を泣く」

 なぜ泣くのか、答えられなかったけれど。
 子供は必死に師の衣をつかんで繰り返した。

 いかないで下さい、シオン様。ずっとここにいてください。
 ずっとここにいてください・・・・・・




ムウ「・・・・シオンは本当に死の前日まで、自分の行いを悔いていました」

 ムウが話し終わると、長い沈黙が訪れた。
 ややあって、客は無感動に言った。

シャカ「・・・くだらんな」

 カタン、と席を立ち、背を向ける。

ムウ「くだらない、ですか」
シャカ「くだらんとも。私は死んだ者の念など興味は無い」

 だが、そこでほんのちょっと言葉を切ると、彼は最後にこう言い残した。

シャカ「・・・シオンは君を育てて残した。それでいいではないか」

 そしてムウが言葉を失っているうちに、「寝る」と一言だけ吐き捨てて二階へ消えていったのだった。




翌朝。
朝食のテーブルには、トーストとバターとジャムと目玉焼きとサラダと味噌汁とタクアン、それに加えてささやかに缶詰の果物が添えられていた。

シャカ「どうした。昨日とは随分待遇が違うではないか」
ムウ「人の好意は黙って素直に受け取りなさい」

涼しい顔をして言うムウ。
彼はしかし、食事をしながら時々気がかりそうに窓の外を見やった。

シャカ「あの小僧が心配か?」
ムウ「・・・仕方ないでしょう、弟子なんですから」
シャカ「だったら一瞬テレポーテーションして見てきたらどうだ」
ムウ「それをやったら私は師匠失格です。教育者として一番大切なものは忍耐。その点、やはりシオンは偉大でした。待機最高記録402日。こっちの気が狂うかと思いましたね」
シャカ「・・・・・・;」
ムウ「そのくせ日常生活では短気で、役所の確定申告に10分待たされて責任者を呼ぶなんて当たり前でした。不思議な人でした」
シャカ「不思議というより、単に身勝手なだけなのではないか?
ムウ「あなたが言えた義理ですか。・・・・・それよりシャカ」
シャカ「なんだ?」
ムウ「パンの耳だけ残して食べるのはやめてください。貴鬼だってそんなことしませんよ。あなた一体いくつです」
シャカ「何をどう食べようと私の勝手ではないか。口に合わんものは残す。それが私の信念だ」
ムウ「レベルの低い好き嫌いを信念化しないでください。やめてくださいよ、残したら承知しませんからね」
シャカ「・・・・わかった。このパンの耳、油で揚げて砂糖をまぶしてくれたら食ってやろう」
ムウ「胸を張って言うことですか、いい大人が・・・・。やってあげますけど、少しは遠慮というものを知りなさい」

 即席かりんとうを食べると、シャカは満足したようだった。

シャカ「よし。それでは私はもう帰る。というか、花見に行く」
ムウ「まだあきらめてなかったんですか。方向わかります?日本は向こうですよ」
シャカ「いい。教えてもらってもどうせすぐに迷うのだ。聞くだけ無駄というものだ」
ムウ「・・・・自分でそこまで言われると返す言葉もありませんけど・・・・まあ頑張ってください」
シャカ「うむ。君、本当に私がここへ来てやったことに感謝したまえよ」

 ムウは苦笑した。

ムウ「ええ、感謝してますよ」




剣が出来た。まるで三日月のように、流星のように綺麗な綺麗な剣だ。
貴鬼は得意だった。
これだけ綺麗に研いだんだもの、ムウ様はきっと褒めてくれる。

貴鬼「ムウ様!」

館に飛び込んで、剣を見せた。
ムウは手にとって、じっと眺めた。

貴鬼「どうですか?今度はもっとよくなったでしょう?」

 だが、師匠は表情一つ変えずにこう言った。

ムウ「・・・まだわからないのか」

 そして、え?と固まる貴鬼の目の前で、自分の手に剣を突き刺した。
 魔法のように聖衣を直す、ムウ様の手。
 貴鬼がずっと憧れていた、その手に。
 鋭い刃は白い甲を突き抜けて光っていて・・・・・・

ムウ「お前が作ろうとしているものは、つまりこういうものなのですよ、貴鬼」

 ムウは血まみれになった手を、そのままこちらへ伸ばした。




びくんっ!

貴鬼「っ!!」

 思い切り体を震わせた少年は、その勢いで目を覚ました。
一瞬、自分がどこにいるのだかわからなくなって、慌てて飛び起きる。
ジャミールの荒野の岩陰に、貴鬼は寝ていた。

貴鬼「・・・・・・・・・・・」

 ああそうだ。昨日、自分は館を飛び出して・・・・剣を鍛えているうちに、くたびれて。一休みするつもりで、ぐっすり眠ってしまったらしい。
 すでに日は高い。雲の無い良い天気だ。
 だが、悪夢の名残が身につきまとって、貴鬼はもう一度体を震わせた。
 ムウ様の手が、血を流した。オイラの作った剣が、怪我をさせた。血。真っ赤な、血。
 自分の足元を見下ろすと、そこには大分研ぎ澄まされて鋭くとがった剣が転がっていた。
 急に恐くなった。

貴鬼「ムウさま・・・」

 早くムウ様の所に帰りたい。早く、早く帰りたい。
 貴鬼は震える手を伸ばして剣をつかむと、その切っ先を砥石に押し当てた。




その夕方。貴鬼が館に帰ってきたとき、ムウは明かりをつけることも忘れたまま、じっと椅子にかけて待っていた。

貴鬼「・・・ムウさま、これ」

 ようやくそれだけ言って新しい剣を差し出すと、暗がりの中から彼の師匠は立ち上がって、受け取った。
 全体は、鏡のように研ぎ澄まされている。
 だが、ムウが刃に指を滑らせても、薄皮一枚切れはしなかった。
 
ムウ「・・・貴鬼」
貴鬼「はい」
ムウ「剣とは何か」
貴鬼「剣は」

 貴鬼は真っ直ぐ前を見て答えた。

貴鬼「人を守るためのもの」

 ・・・・その時。
 この課題が出されて以来初めて、ムウの頬に笑みが浮かんだ。

ムウ「・・・よくできました」

 それが、合格の言葉だった。
 貴鬼の喉が詰まった。

貴鬼「ムウさま・・・」
ムウ「ああ、大分暗くなっていたんですね。明かりをつけましょう」

 何も食べてないでしょう?貴鬼。台所に良いものがありますよ。
 師の声を聞いて、目頭が急にあったかくなっていく。

ムウ「・・・・疲れましたか?泣かない。そんなところで」
貴鬼「はい・・・・・・・・。ムウさま」
ムウ「何です?」
貴鬼「これ」

 貴鬼は背後に隠していた物を突き出した。
 花瓶。
 そこら中にヒビが入り、穴のあいた花瓶だった。
 ムウはその場に固まった。
 彼の目に、再び過去が蘇る。

貴鬼「ごめんなさい、ムウさま・・・・」




ムウ「ごめんなさい、シオンさま・・・・」

 膝の上で取りすがって泣いた翌日。
 一晩中寝ないで直した花瓶を、ムウはシオンに差し出した。
 だって、これはシオン様が大事にしていたものだから。
 直ったのを見たら、昨日の悲しいお話も少しだけ忘れてくださるかもしれないから。
 上手くは直せなかった。元の位置にちゃんと戻ってない欠片もある。
 だがそれを見たシオンは、今までずっとムウの作った剣を折り捨てていた手で大切そうに受け取った。
 そして顔中で笑って言ったのだ。

 ああムウ、これはお前の一番の傑作だ。




ムウ「貴鬼、これはあなたの一番の傑作ですよ」

 あの時の師の言葉とおなじことを言える。
 それが、ムウは何よりも嬉しかった。




 ジャミールの日が暮れた。

貴鬼「ムウ様、これ、なんですか?」

 晩御飯の皿の上に乗せられたものをしげしげと眺めて貴鬼がたずねた。
 ムウは答えた。

ムウ「即席かりんとうです」
貴鬼「・・・・パンの耳に見える・・・」
ムウ「パンの耳です。それを油であげて、砂糖をまぶしたものです。おいしいですよ」
貴鬼「・・・・あの・・・晩御飯、これだけですか・・・?」
ムウ「他のものは全て食い尽くされました。残ったのはこれだけです。明日買出しに行ってきますから、今日は我慢してください」
貴鬼「・・・・・パンの、中の白いとこは・・・・?」
ムウ「今頃どこかで道に迷っていますよ」
貴鬼「???」

 貴鬼にはなんのことやらわけがわからなかったが、ムウはそれ以上話さずに晩飯をかじるばかりだった。



THE END  



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