---ミロよ。来てくれないか、ミロよ。

宝瓶宮からのテレパシーにミロはすぐ反応した。最近、聖域の様子がおかしい。なんだか世界に散らばる聖衣が片っ端から日本人の手に落ちているという噂はミロも聞いていた。ギリシアの宝たる聖衣が極東のよくわからない民族に持っていかれるのは、生粋ギリシア人のミロにとっても少々不満なことだった。
 だが、あいつら9時に出社して24時までとか本当に働くらしいぜ昼寝抜きで、という話を聞いたときには持っていかれても仕方ないと思った。7社に1社は月の平均残業が100時間を超えるという・・・それはもう黄金聖闘士の位まで高まっていると認めていい。
 ともあれ、ミロは宝瓶宮に駆けつけた。
 友人は一目見て困りきっていることが知れた。

「なんで便箋に埋もれているのだカミュよ」
「便箋に埋もれているのになぜと訊くか・・・手紙を書いているからに決まっている。いや、正確には・・・手紙を書けないから埋もれている」

 ミロは足元に転がっている紙の一枚を広げて読んだ。『拝啓、氷河様』とだけ書かれている。

「日本語で書いているせいじゃないのか?」
「やはりお前もそう思うか。まったくこの言葉は拝啓だの背景だの・・・信じられるか?『元気か』と『お体に変わりはありませんでしょうか』が同じ意味なんだぞ。『元気』が『お体に変わりはありません』で、『か』が『でしょうか』に変化したんだぞ。わかるかそんなもの!しかし師である以上、私がおかしな文法を使うことなど許されん。仕方ない、ロシア語で書くか・・・」

 ため息をひとつついて、カミュはさらの便箋に向き直った。黙々と書き始める。
 ミロは俺への用はこれだけなんだろうか、と立ち尽くしていたが、さすがに少しは邪魔していいだろうと思って後ろから覗いて見た。

「何を書いているのだ。近況報告か」
「いや。白鳥座の聖衣を授けてよいとようやく許可がおりたのでな。大変だった・・・また日本人かなどと言われて・・・半分はロシア人だと主張してなんとか通ったのだ。聖闘士の資格を授けておきながら聖衣を着せてやるのがこんなに遅くなってしまって・・・氷河には可哀想なことをした。あいつは他のどんな聖闘士と比べても、勝りこそすれ劣るところなどなかったのに・・・試着に私が立ち会ってやることもできない。せめて写真は撮って送るように書いておこう」
「・・・・・。まさか聖衣を国際便で送るつもりではあるまいな。宅配されるパンドラボックスなどありがたみの欠片もないぞ」
「そんなわけがあるか。白鳥座の聖衣はシベリアの永久氷壁に眠っているのだ。今の氷河なら取り出すことなど造作もなかろう。場所はこれから書いて教えてやる。ええと、白鳥座の、聖衣は、シベリアの・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・。ぐ」
「ぐ?どうしたカミュ。忘れたのか場所」
「いやそれははっきり覚えている。行けと言われればここから歩いて行けるほどに。しかし目印がなさすぎて手紙に書きようが無い。あんなただ白くてだだっ広い場所をどう表現しろというのだ。どうするミロ!」
「どうするミロ!?いや、永久氷壁だというだけではいかんのか?そいつはシベリアにそんなにたくさんあるのか?」
「割と。シベリアを舐めるなよ。私も若い頃、氷の聖闘士としてどこまで天然氷に近づけることができるかというテーマにはまったことがある。その時のフリージングコフィンの残骸が結構あちこちにあってだな」
「シベリアじゃなくてお前が原因だろうが!!聖衣が入っているのが天然氷ならどこか見分けはつくだろう!」
「私をそんな雑な聖闘士だと思っているのか」
「何を偉そうに・・・なら仕方あるまい、ムリにでも目印を思い出せ。何でもいいから近くに何かなかったのか?枯れ木だの、森だの、池だの・・・」
「池?・・・・む、待て。思い出しそうだ」

 カミュは眉間にしわを寄せて考え込んだ。頬杖をつき、あごに手をやり、瞑目する。
 ミロはどこかに腰掛けたかったのだが、あたり一面書き損じの便箋に埋もれているのであきらめた。友人の悪意なき失礼は今に始まったことではない。怒る気にもなれない。
 やがてカミュがはっと顔をあげた。

「思い出したぞ!あの近くに、MAMAがいる!」
「・・・・なにがいるだと?」
「MAMAだ。客船の事故により船ごと海へ沈んだ氷河の母親だ。氷河は今なお海底で眠りつづける彼女に会いたいと・・・その為には海面の氷を砕かなければならないと、それで聖闘士になったのだ。無事に合格した今、あいつは毎日通いつめているはずだ」
「おい聖衣やるなそんな奴に」
「これなら話が早いぞ。MAMAの頭が向いてる方角にまっすぐ進んだ氷壁だと書いてやればいい。よし、今まで散々邪魔な存在だったが、初めてMAMAが役に立った」
「・・・・・・」

 ミロはやっぱり座ることにした。紙くずを適当にどかしてスペースをあけると、はーよっこらしょという気持ちで腰をおろす。
 カミュはまだ何か書いている。その真剣すぎる横顔に、ミロはつい苦笑してしまう。どれほど杜撰にもてなされても、彼を嫌いにはなれないだろう。
 しばらく黙って眺めていた。
 口を引き結んだり、小首を傾げたり、ペン先を指で叩いたり、と忙しい。表情の変化を見ているだけでもなかなか面白いものだ。
 ややあって、眉根をぎゅっと寄せて片手を額にあてながら独りごちた。

「はて・・・・ロシア語で抹殺はなんと言ったか・・・・」
「ちょっと待てお前何を書いている」
「ん?ああ、教皇の指令だ」
「は?」
「多数の聖衣が日本に持ち去られたのはお前も聞いているだろう。グラード財団の城戸沙織という娘がその聖衣を集め、聖闘士たちに見世物の試合をさせているらしい」
「・・・・本当か?」
「おそらく」

 聖闘士は決して私欲や私闘のために聖衣をまとってはならない。それは正義を愛する女神の意志に背くことを意味する。
 ミロもカミュも忠実に守ってきた。黄金聖闘士としての自負もあったし、そもそも平時に着られる衣装ではない。何より、掟を破った者に対して聖域は厳罰を持って臨んだ。

「しかし日本人とはなんというかこう、世界で同胞が認められることに対して過剰反応を起こすらしくてな。日本の子供が伝説の聖衣を持ち帰ったというのでマスコミは連日連夜大騒ぎしたそうなのだ。ワイドショーで取り上げられるわ聖闘士各個人に主婦層のファンがつくわ・・・ペガサス王子などという呼称まで飛び出して新聞紙面を賑わす始末。さすがに教皇も捨て置けなくなったのだろう、銀河大戦と銘打った今回の私闘祭りを開催するに至って、ついに関係する聖闘士たちの抹殺指令が出たというわけだ」
「・・・・・なるほどな」
「私の氷河はしっかりしている。そのような愚かな出し物には参加せず、母親のそばで大人しくしていた。それが逆に聖域の目を引いたようだな。・・・さて、これでいい」

 カミュは便箋にもう一度目を通して、丁寧に折りたたんだ。
 ミロは友人を見つめる。

「氷河がやるのか。その抹殺を」
「・・・・・仕方あるまい。聖衣を得たなら、いずれ闘いは避けられんさ」
「そうか。封筒を隠してやろうか?」
「よせ」

 カミュは少しだけ笑った。
 最後まで丁寧な手つきで手紙を完成させると、彼はそれを立ち上がったばかりの客人の前へ突き出した。

「すまんが、出しておいてもらえるか?」

 この封書を受け取った瞬間から、氷河の、聖闘士としての本当の闘いが始まる。
 ミロはなぜ自分が呼ばれたのかがわかった気がした。

「ああ」

 ごくさりげなく預かって、宝瓶宮を後にする。
 本当に隠してやろうか、と少しだけ思った。
 きっとまた、「よせ」と言われるだろうけれど。





 しばらくの時が経った。
 聖域の緊張はますます高まり、白銀聖闘士達が呼び出されては各地へ赴いていった。青銅聖闘士が叛乱を起こした、という。その罪人の中に氷河の名も連なっている。

「・・・・・どこへ行く?」

 ある日、久しぶりにカミュが上から降りてきて、天蠍宮を抜けていこうとした。
 ミロもカミュもここ最近は黄金聖衣をまとい続ける日々が続いている。万が一に備えて、ということだったが、しかし今友人はその装いのままどこかへ出かけようとしている。
 聖衣を得たなら、いずれ闘いは避けられない。彼自身が言った言葉だ。

「シベリアへ」
「何をしに?」
「野暮用だ」

 そこで足を止めてカミュは振り返った。その表情から、心のうちは読み取れない。が、読むまでも無かった。

「ミロ、同情はいらない。弟子に裏切られた哀れな男と思ってるだろうそうだろう」
「思ってない!!正直昨日あたりまで思ってたかも知れんが今はそんなこと思ってないから安心しろ!!」
「なぜ思っていない?」
「哀れむとお前はますます落ち込むから」
「・・・・まあそうかもしれん。だが、今回の私は落ち込んでなどいない。ミロ、聞いたか?あの私闘祭りの主催者、城戸沙織が自身をアテナと名乗っているそうだ」
「聞いた。前代未聞の詐称だ」
「詐称だろうか」
「は?」
「氷河はその娘の側についたのだ」

 カミュの口調は静かだった。確かに、落ち込んでいる者の声音ではなかった。
 彼の中に、何かに対する不思議な確信があるかのようだった。

「バカにしてくれて構わん。しかしあれを導いた師としてこれだけは言える。氷河はどんな聖闘士と比べても、勝りこそすれ劣るところのない立派な男だ。それは私や、もちろんお前と比べても、ということだ」

 また悪意無き失礼かと思ったが、友人の瞳は真剣だった。その真剣さの前では、腹を立てることなどできないのだ。
 ミロは黙って聞いている。

「その氷河があの娘を守るという。私の言いたいことがわかるだろうか、ミロ。もしかしたら、間違っているのは私達の方かも知れない」

 二人はしばし視線をぶつけあった。
 ミロは氷河を知らない。だから、この友人ほどの確信を持つことはできない。
 それでも否定はすまいと思った。彼は氷河は知らなかったが、カミュという男を知っていた。

「・・・だとしてもお前はお前だろう。俺はそれでいい」

 これがミロの答えだった。
 カミュは笑う。そうだな、と。

「私は私だ。あれの師として、互いにどんな立場になったとて指導に手を抜くようなまねはするまいよ。お前の言うとおりだ、ミロ」

 どんな立場になったとて。
 この友人がきっと言葉通りに実行するのが今からでも予感できる。そういう男なのだ。
 ミロは横を向いた。
 行け、カミュ。

「早めに帰れよ」
「ああ」

 二人もまた巻き込まれていく。神話の再生をめぐる闘いの渦に。
 宮から見下ろす聖域は、静かに、動き出す時を待っていた。
 




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