シュラの振り下ろした拳はデスマスクの耳元を掠めて大地を叩き割った。
相変わらず手加減と言うものを知らない。避け方を間違えれば腕一本持っていかれる。しかしデスマスクは完璧に避けた。
避けたと同時に相手の腹を狙って膝を蹴り上げようとしたが、間髪入れず左腕が心臓を狙ってきたのでとっさに地面を蹴って身を捻った。左の脇、背中に近い辺りから若干血が飛んだようだ・・・まあ避けきったと言っていい。とりあえずそのまま倒れこみ、右手一本で前転して足が地につくと同時に横に飛んだ。
案の定、着地したまさにその場所を疾風が凪いで行った。ほんとに手加減しねえな、と思った直後、視界に違和感を覚えて急ブレーキをかける。一瞬置いて鼻先の大地が弾け飛んだ。
おいおいおい・・・・
巻き上がる石と土煙から身を庇いつつ、笑うしかなかった。
殺気はすぐ背後に迫る。もう駄目だ。
デスマスクはぱっと両手を顔の横に広げた。
デス「ギブアップ。降参」
ぱらぱらぱらぱら。小石が辺りに落ちる。
風が吹いて埃くささがなくなるのと同時に、背中の気配も穏やかなものに変わった。
向こうからアフロディーテがかけて来る。
シュラはつきつけた手刀でデスマスクの後ろ首をとん、と叩いて言った。
シュラ「・・・・まあ、前よりはマシに・・・・・なったか?」
デス「気はつかわなくていい。聞いてくるぐらいならすっぱり弱いっつってくれて構わね・・・」
アフロ「デスマスクー!君、あれだ、すごい弱すぎる!」
デス「お前は少し気をつかえ」
とんできたアフロディーテの額を弾くデスマスク。アフロディーテはしばし蹲り、涙目になってから、
アフロ「弱いのを弱いと言って何が悪い!避ける一方で全然攻撃できてないではないか!へたくそ!」
デス「・・・下手かどうかお前で試すか・・・?」
アフロ「私はシュラと五分に戦えるぞ!なあシュラ?」
シュラ「まあ・・・な。五分というか、まあ・・・・俺の負けが多い」
デス「それ前から不思議だったんだけどよ。なんでだ?なんでこの馬鹿金魚がお前に勝ってるわけ?」
シュラ「・・・・・・」
シュラは居心地悪そうに目をそらし、渋い顔をして、
シュラ「・・・・こいつのバラ攻撃が苦手でな。特に大量に撒かれると・・・自分が薔薇に包まれて戦っているという状況が無性に恥ずかしくて手元が狂う」
アフロ「最近はピンクのバラも出せるようになったのだ。見て、デスマスク。ほら。ほら!」
デス「(無視)。状況が恥ずかしい、ってお前でも見た目気にするのか」
シュラ「気にしないように気をつけては、いる・・・・・が」
アフロ「そうなのだ。シュラは気にしないようにしてるようだから、私が気にさせてやっているのだ。『ほーらシュラ。皆君を見ているぞー。恥ずかしいなー情熱のバラ男』などとだな」
デス「どんな羞恥プレイだよ!!違う意味で恥ずかしいわ!!なにお前ら修行中にそんなことやってんの!?馬鹿じゃねぇ!?」
アフロ「戦いに恥も名誉もない。ただ生きるか、そして死ぬかだけだ」
デス「死ねよ。少なくともアフロ、お前はこれ以上汚れる前に死んだほうがいい。冥界波で飛ばしてやるから目瞑れ。大丈夫、優しくしてやっから」
アフロ「殺すのに優しいって一体・・・」
シュラ「ここで殺るのはやめておけ、デスマスク。俺も散々殺したくなったがそれだけは我慢した。一応・・・後輩の目も考えろ」
言われて初めて、デスマスクはああ後輩ね・・・と呟きながら辺りを見回した。
遠くに十二宮を臨めるこの荒地は聖域の修行場所である。当然、下級の聖闘士やその見習い達が多く集まって日々修行に精を出しているが、そんな彼らにとって聖闘士の最高位である黄金クラスの練習試合というのはめったに見られない生きた御手本というわけで、先ほどから皆手を休め、驚異と羨望の眼差しでこちらを見つめていたのだった。
もっとも、距離はかなり離れている。近づきすぎては危険である。そのため、三人の先輩の会話は部分的にしか聞こえない。
見習い達はひそひそと、「羞恥プレイ・・・?」「羞恥プレイってなんだ・・・?」と顔を見合わせていた。
アフロ「・・・・君がでかい声出すから」
デス「うるせえよ。つーか今更後輩とか言われてもよ。十二宮の戦いが始まる前なんか、俺らのこと知ってた奴がどれだけいたかねぇ。ムウなんかミスティに喧嘩売られたんだろ?樹海から星矢達助けたとき」
アフロ「あれは正体隠してたムウにも責任があると思う・・・・可哀想に、わかった後で怯えてたぞミスティ・・・・」
シュラ「よりによってムウだからな。俺もたまに聞くぞ、雑兵や見習いにとっては、教皇がサガだったという上のほうの事実よりも、アイオリアが黄金聖闘士だったという身近なドッキリの方がよほどびびったと」
デス「確かに・・・よく知らない奴らにしてみりゃ修行所で世話になった兄貴ぐらいの感覚だったろうからな。ちなみに俺としては、まだ老師が黄金聖闘士やってたことが何よりびびった。せめて今の半分の年齢越した辺りで誰かに譲れよ。死ぬ気が感じられねえよ。老師暗殺命令は善意の安楽死かと思ったぜマジで」
アフロディーテがくしん!とくしゃみをした。
アフロ「うう・・・シュラが見境無く地面を叩き割ったせいで埃がひどい。そうだ、それで思い出したが、もともとはデスマスクが弱すぎるという話だったではないか。そこに戻ろう」
デス「何のために」
シュラ「何のためにって・・・・俺達は黄金聖闘士だぞ。弱いということは許されない。はっきり言うがデスマスク、お前は修行をサボりすぎだ。前回俺と試合ったのは何ヶ月前だ?あの後誰かと修行していたのか?」
デス「全然。つーかお前ら俺の技考えてみろよ。接近戦でどうこうするタイプじゃねえの!隠れてこっそりが最大限俺を発揮できるやり方なんだよ。ナンバーワンよりオンリーワンを目指す方向で行きたい」
アフロ「積尸気が使えて裏切り者で蟹マスク。これ以上まだ弱いというオンリーが欲しいのか?欲張り過ぎないか?」
デス「蟹マスクは別にいいだろ!ほっとけよ人の聖衣のことは!!」
シュラ「ツッこむところはそこじゃないと思うが・・・・弱いのはいいのか弱いのは」
デス「んー・・・・別にいい」
と、デスマスクは気のない声で言った。
そして「いいのか!?」とツッコミたそうな顔をしている二人を残して立ち上がると、だるそうに伸びをして、
デス「どうでもいいわ、そういうの。ご大層に女神を守る気なんてねえし。強くなるなんてアホらしい」
シュラ「おい・・・・」
デス「今日は俺の負けってことで。じゃあな」
シュラ「デスマスク!」
シュラが慌てて立ち去りかけた男の肩をひっつかんだ。
シュラ「お前、不真面目もいい加減にしたらどうだ。冥界波を磨きたいというなら相応の相手になるぞ」
デス「別にそういうつもりも無いです」
アフロ「・・・何か不貞腐れていないか?どうした?」
デス「人をあれだけコケにしておきながらどうしたと聞くお前がどうしただよ。まあいいけどな。ほっとけ」
シュラ「ほっとけって・・・・まあ待てデスマスク。気に障ったなら謝る。しかし修行は・・・」
デス「うるせえんだよ」
パンッ!
デスマスクの腕がシュラの手を叩き落とした。
アフロディーテがデスマスク・・・と呟き、シュラの目が丸くなり、そして一瞬だけ時が止まった。
振り返った男は、顔に酷薄な笑みを浮かべていた。
デス「・・・大体さぁ、シュラ。お前そんなに強くなってどうするわけ?」
シュラ「・・・・どうする、とは?」
デス「仲間相手にも容赦ねえよなあ。・・・・・ほんと、『昔』から」
シュラは微動だにしなかった。
が、彼を知っている人間ならばそれとわかるほどに目つきが鋭くなった。
デスマスクは気づいたはずだった。彼は笑みをますます深くしながら、
デス「仲間以上に強くなる目的って一つしか無くねえ?大事な女神の為に、お前次は誰を・・・・」
・・・彼は終わりまで言わなかった。
言う前に、アフロディーテがその口にバラを詰め込んだので。
殺伐とした空気に乗って、場違いなほど甘い匂いがふうわりと香る。
アフロ「・・・・それ以上は言っては駄目だと思うな、私は」
声音もまた、場違いに優しかった。
デス「・・・・・・」
シュラ「・・・・・・」
アフロ「シュラ〜、動くな。今ここで帰ることは私が許さない」
背後の友人が一歩後ろに引いたのを牽制する声もあくまで穏やかだった。
しかし、その全身からは未だかつて誰も感じたことの無いであろう気迫がにじみ出ていた。
アフロディーテは眩しそうに目を細めてデスマスクを見る。
アフロ「・・・・子供か?君は。言っていいことと悪いことの区別もつかないのか?」
デス「・・・・・・・・」
アフロ「謝れ。シュラに」
シュラ「・・・・よせ」
と、シュラが重い口調で言った。
シュラ「謝られたところでどうすることもできん。そいつが俺に対してそういう見方をしているなら、勝手にしろと言うだけだ」
アフロ「そうか」
アフロディーテは笑った。それこそ花のほころぶように美しい顔で笑い、ひとしきり笑ってから、
アフロ「君も不愉快だっ!!」
と怒鳴っていきなりバラを投げつけた。
シュラはそれを紙一重で避けた。避けたがしかし、彼も、そして口にバラを詰め込まれたままのデスマスクも、夜叉でも降りたかと思うほどに表情を変えたアフロディーテの様子にはあっけにとられるばかりで。
アフロ「・・・・・こういうのは嫌いなんだ。腹が煮え繰り返って吐き気がする。君らの顔も見たくなくなった。さようなら」
と言い捨てられてその場からいなくなられた後も、しばらくは立ち尽くしていたほどだった。
・・・我に返ったのはデスマスクが先である。
デス「わけわかんねえよあいつ!!!!」
口からだばだばと花びらを噴出しながら彼は怒鳴った。
デス「なに!?これどういう展開!?つーか何でお前がキレられてんの!?俺ならわかるけどお前なんで!?」
シュラ「知るか!!!!俺もお前が切れられたまではわかるが俺が殺されそうになったのはどうしてだかさっぱりわからん!!!!あれのことでお前にわからない物が俺にわかるか!!はっきりわかったことはこれだけだ!本気で切れたらあいつは恐い!!!」
デス「お前なんか後ろにいたからまだマシだろ!!!俺なんか正面だぞ!!久々に鳥肌立ったぞ見ろこれ!!!」
遅れてきた恐怖で冷や汗まみれになった顔を突き合わせ、言い合う二人。
遠巻きに見ている後輩達のことなどもはや念頭に無い。
デス「やばいだろ、なんかすげえやばい気がするこれ。お前がアイオロス殺したときよりまだやばい気がする。ちょ、待て。冷静に考えようや。あいつは何であんなに怒った?」
シュラ「お前が人の古傷えぐるようなことを言おうとしたからだろう?まずそこはカタい」
デス「お前えぐられた?。いや、俺はえぐろうとしたんだけど」
シュラ「かなりキた。だがもう過去のことより今のことが問題だ。俺は確かにアイオロスを殺した。正直これから先も何をするかわからん。殺されたく無ければ腕を磨け、蟹」
デス「マジでどうでもいいわもう、お前に殺されるんならそんなに不名誉でも無いんじゃね?シュラ強いから仕方ないよ、ってそういう雰囲気で皆慰めてくれるよ。蟹弱いし、って」
シュラ「お前ほんとにそれでいいのか・・・?」
デス「だからいいって言ってんだろがあああああ!!!なんなのお前ら!そんなに俺に強くなって欲しいの!?親心も大概にしろよ!!いつから親だよ!!」
シュラ「わかったもういい。その話は後だ」
デス「もうしたくないんだっつーのその話!!空気読めよ!!場の空気読めって言ってんじゃないんだぜ!?俺一人の空気読んでくれって言ってんだよ!!何も難しいことじゃねえだろうが!!!」
シュラ「俺だってただ強くなれと言ってるだけだ。難しいことではないだろうが」
デス「難しいわ!!!お前自分がどれだけ強ぇか自覚持てや!!!!」
シュラ「ふ。俺などまだまだ未熟な聖闘士にすぎん」
デス「最高にムカつくから!!!俺お前のそういうところ大っ嫌いだから!!」
シュラ「ほざけ。なんだかんだで絡んでくるくせに何が嫌いだ。お前とアフロディーテに巻き込まれたおかげで俺がどれだけ聖域からイロモノとして扱われるようになったか」
デス「俺らがいなかったらお前なんかハブだっつうの!蔵馬がいなかったら飛影だって仲間になれてねえんだよ!!!わかってねえよ!!」
シュラ「わかってないのは自分で蔵馬だと言ってはばからないお前の方だろう。それはどうでもいい。アフロディーテの話に戻るぞ。あいつをどうする」
デス「どうするって・・・・・」
二人は顔を見合わせた。
そしてその顔を同時に十二宮の方へ向けた。
デス「・・・・仲間ってのは、苦しい時にこそ頼りになるもんなんだよな、シュラ」
シュラ「ああ。今回ばかりは俺達だけで対処できそうにないしな、デスマスク」
ダッシュで駆け出す彼らの姿を、後輩達が不思議そうに見守っていた。