あなたにあいたくて
星の子学園での無謀なバイトを終えた聖闘士一同。その後は各々、聖域に帰るなり異国見物するなり行動が別れたが、その中で紫龍はひとまず、五老峰へ帰郷することにした。
紫龍「シュラ。このまま別れるというのもなんだし、もしよかったらこれから一緒に五老峰へ来ないか?海底神殿でも冥界でもあなたには世話になりっぱなしだった。一度ゆっくり礼がしたいのだ」
シュラ「礼などするには及ばんが、お前ほどの男を育てた五老峰にはぜひ一度行ってみたいと思っていた。老師にも相談したいことがあるしな。しかし良いのか?」
紫龍「何をいまさら。良いに決まっているではないか。春麗も一度会ってみたいと言っていたのだ。歓迎させてもらうぞ」
そこへ、デスマスクが紫龍を探してやってきた。
デス「いたか紫龍。ちょっといいか?」
紫龍「ああなんだ、デスマスク」
デス「いや、お前がこれから五老峰に行くと聞いたんでな。同行してもいいかと聞きに来た」
紫龍「?別に構わんが、五老峰に何か用でもあるのか?」
デス「大したことじゃないんだけどよ・・・・その、ちょっとな」
その様子はどうも歯切れが悪い。しかし、特に悪いことを企んでいる風でもなかった。
デス「迷惑なら別にいいが・・・」
紫龍「何を言う。お前にだってこの紫龍、嘆きの壁の前では世話になった恩がある。ぜひ来てくれ。春麗も腕を振るってご馳走してくれるぞ」
デス「・・・・・・・・・・俺はあの娘を滝に落とした前科があるんだが・・・・」
紫龍「安心しろ。あれがお前のせいだとは彼女には話していない」
デス「言ってないのか!?」
紫龍「当然だろう。言ってどうなるものでもないし、それにお前はこうしてアテナの聖闘士として生まれ変わっているのだ。言わずにおいて正解だ。さあ、そうと決まればさっそく出発だ。シュラ、デスマスク、用意はもういいのか?」
デス「あ、ああ・・・」
シュラ「問題ないぞ。行くか」
紫龍「うむ!」
かくして三人は中国へ向けて出発した。
しかしこの飛び入りの客人のおかげで、紫龍の身に前代未聞の大いなる不幸が降りかかるのだということを彼らはまだ知らなかった。
× × × ×
中国、五老峰。
紫龍「老師。ただいま戻りました」
老師「おお、紫龍。春麗が首を長くして待っておるぞ。それにまた、珍しい客を連れてきたものじゃの」
シュラ「老師。ご無沙汰しておりました」
老師「そうかしこまらんでも良い。おぬしには紫龍が散々世話になったしのう。わしからも礼を言うぞ。ゆっくりして行け」
シュラ「は」
デス「老師、お久しぶりでございます。その節は大変失礼を」
老師「ほう、いつぞやのバカ者が立派になって帰ってきたもんじゃ。ホッホッ、どうかの、あれ以来悪い虫は起こさんか」
デス「・・・・いや、できればもう、そこら辺のことには触れないでいただきたいぐらいです・・・・申し訳ありませんでした」
老師「いいんじゃよ。若い日の過ちは誰にでもあろう。歓迎するぞ」
デス「ありがとうございます」
紫龍「二人とも、こっちだ。部屋を案内する。では老師、御前失礼いたします」
老師「うむ」
老師の前を下がってから、シュラとデスマスクはいきなり紫龍に詰め寄った。
シュラ「紫龍!一体どういうことだ!」
紫龍「何がだ?」
デス「とぼけるな!老師が老師じゃねーか!」
紫龍「言っている意味が良く分からんが・・・・」
シュラ「老師は聖戦で脱皮したはずだろう!?なんでまた皮を被って老人になっているのだ!?」
それを聞いた紫龍はしばし硬直し・・・・・
紫龍「はうあっ!?そう言えば!!」
デス「気づいてなかったのかお前・・・・変だなとか少しは思えよ!!」
紫龍「な、なんというか、老師はあの縮んで皺になった状態が老師で、それ以外の形態がある等とは考えもしなかったのだ。言われてみれば、どうして老師があそこにいるのだ!?」
シュラ「俺に聞くな!誰か、誰か知っている者はおらんのか?」
春麗「紫龍ー!おかえりなさい!」
紫龍「春麗!」
春麗「今日帰ってくるって言うから、ご馳走作っておいたのよ。あら?この方達は?」
紫龍「ああ、紹介しよう。ほら、彼がシュラだ。前に話したことがあっただろう?」
春麗「ええ、思い出したわ。あなたがシュラさんなのね。涅槃と介錯を知っていながら真剣白刃取りを知らなかったせいで紫龍に負けた、なんでもバラバラにする人でしょう?」
シュラ「・・・・・・・・紫龍・・・・・・」
紫龍「いや、こういう説明をしたつもりはなかったんだが・・・・ほ、ほら春麗。それでこっちが蟹座の」
春麗「・・・待って。私、この人知っているわ。・・・・この人・・・・前に老師を殺しに来て紫龍を滝壷に落として自分も滝から帰って行った人じゃない?」
デス「・・・・・・・間違ってはいないが、それだけ聞くとなんだか俺が愉快な芸人の様だな・・・・」
春麗「そんな人がなぜここに?まさか、また紫龍を・・・」
紫龍「違うんだ春麗。彼は今はもう俺達の仲間だ。客としてきてくれるよう、俺が呼んだんだ。安心していい」
その言葉を聞くと、春麗はほっとしたように微笑んだ。
春麗「そう。良かったわ。それなら、すぐにお料理追加しなくちゃいけないわね。ゆっくりしていってくださいね、シュラさん、それと・・・・」
デス「デスマスクだ」
春麗「まあ、面白い名前」
紫龍「そ、それはともかく、春麗。君にちょっと聞きたいことがあるんだが」
春麗「なあに?」
紫龍「老師のことなんだが・・・・・あの方がこの間五老峰に帰ってきた時、君はここにいただろう?その、何か変わった様子はなかったか?」
紫龍のこの問に、少女は不思議そうに首をかしげて、それからころころと笑い出す。
春麗「おかしな紫龍。老師はいつでも老師だわ。何も変わったことなんか、なかったわ」
紫龍「そうか。やっぱりあの老人の格好だったのだね?」
春麗「?当たり前でしょう。老師が若かったら老師じゃないじゃない。何かしら、あのキノコのような形態が見ただけで人を安心させるのよね。癒し系っていうのかしら」
紫龍「いや、それは多分違う」
春麗「私、それまで一人でお留守番してたのだけれど、変な男の人が来たことがあって恐かったの。眉毛が濃くて、顔が熱血系で、一人称が『わし』なのよ?おかしいでしょう?しかもその人、私に向かって『ただいま、春麗』ってなれなれしいの。あんまり怪しかったから、家中戸締まりをして絶対なかに入れなかったわ。そしたら次の日にはいなくなってたけど・・・・だから老師が帰ってきたときは本当にほっとしたのよ」
紫龍「・・・・・・・・・」
シュラ「・・・・・・・・・」
デス「・・・・・・・・・」
春麗「あ、いけない。はやくご飯の支度をしなきゃ。じゃあ、またあとでね、紫龍」
紫龍「あ、ああ・・・・」
いそいそと駆け戻っていく春麗を眺めながら、三人の男達はしばし無言であった。
ややあって、デスマスクがぽつりと一言呟く。
デス「強い女だ・・・・」
シュラ「ああ、童虎に締め出しを食らわせるとは・・・強すぎるぐらい強いな。いろんな意味で」
紫龍「老師が皮を被った理由・・・・・そういう事だったのか」
デス「ちょっと切ないな」
紫龍「ああ、ちょっとな」
しかしそのちょっと切ない環境で、彼らはこれから数日を過ごすのである。
自分達の置かれた未知の境遇に、やや戦慄を禁じ得ないシュラとデスマスクであった。
× × × ×
紫龍とその客が五老峰に来てから一週間が経過した。
シュラ「まだできんか、紫龍」
紫龍「くっ・・・出来ん!」
シュラ「お前はこのシュラのエクスカリバーを継いでから何年になるのだ」
紫龍「そ・・・そろそろ一年になる」
シュラ「やれやれ。一年も学べばヒナも獲物を斬るぞ」
紫龍「し・・・しかしこれは無理だシュラ!」
シュラ「無理?」
紫龍「そうだ。人間の力でこの廬山の大瀑布を叩き切るなど、天地の法則に逆らった行い!神技をもってせねばとうてい人間の力では及ばないはず!!」
シュラ「フッ・・・天地の法則など、何も上から下へ、高き所から低き所へなどと決まっているわけではない。あのモーゼでさえ、大海を分けたではないか」
紫龍「いきなり旧約聖書を引き合いに出すな!!俺達の世界とは神話が違うだろう!?」
シュラ「だまれ紫龍。俺はれっきとしたカトリックの国、スペインの生まれなのだ。大体、神技をもってせねば不可能というが、その神技を身につけた者が聖闘士ではないか」
紫龍「う・・・」
シュラ「この十年、宇宙の真理を学んだお前に出来ぬはずはあるまい。やれ。この大瀑布を斬ってみせろ紫龍」
廬山の瀑布を望む―――と詩仙・李白の詩にもある。
飛流直下、三千尺疑うらくは銀河の九天より落つるかと。
そうだ紫龍よ。まるで天から地へ流れ落ちるようなその大瀑布を、虚空にかえしてやれ!
それができた者にこそ、聖衣を受け継ぐ資格があるのだ!
あの山羊座の聖衣をな!!
紫龍「・・・・・ちょっと待ってくれ、シュラ」
シュラ「なんだ?」
紫龍「山羊座の聖衣を受け継ぐとは・・・・一体何の話だ?」
シュラ「案ずるな。ここについたときに既に老師には直談判してある。一月の内にお前がエクスカリバーを完全習得できたら、天秤座をやめて山羊座の聖衣の後継者にすると」
紫龍「老師に話があったとはそのことか!?本人の進路希望を無視して勝手に話をつけるな!!山羊座継承の話ならバイト中に断っただろうが!」
シュラ「代々の山羊座の聖闘士は最も忠誠心の厚き男と決まっている!お前以外にもはや考えられんわ!!」
紫龍「逆切れはやめてくれ・・・・大体、その話を聞いてしまった今、俺は修行に励んでいいのかいけないのか・・・」
シュラ「こんな事で鍛練をおろそかにする男でもないだろう。さあ、続けろ紫龍。なんだったら、天秤座の聖衣と掛け持ちでも俺は構わん」
紫龍「お前が構わなくても他が構うだろう・・・・頼む、考え直せシュラ」
シュラ「断る」
紫龍「シュラ・・・・;」
困り切った顔の紫龍と、ややふて腐れ始めたシュラ。
そこから少し離れた場所では、のんびり鍬を担いだデスマスクが畑仕事にせいを出していた。
デス「あー、シュラの奴、本気で紫龍に惚れ込んでるな・・・・・頑張れよ、紫龍」
完全に人ごとの調子である。
彼の耕している畑の脇には、傘をかぶった老師がちょこんと座ってお茶をすすっている。
デス「・・・・・じいさん。あんたも何とか言ってやれよ。困ってんじゃねーかあんたの弟子」
どうでもいいが、さすが蟹。一週間の内に、すでに老師とタメ口だ。(というか、タメ口以上だろう)
老師「ホッホッ。シュラに見込まれるとは、紫龍も立派になったもんじゃ」
デス「なごんでどうする。あんた聖戦終わってハーデス見張る必要無くなったとたん、完全に単なる隠居老人に成り下がったろう・・・・っていうか、見張る必要ないんなら、たまには天秤宮守ったらどうだ・・・?」
老師「おぬしの方こそ。この一週間、せっせと畑を耕しつづけているようだが、一体何のためにこの五老峰に来たのじゃ?」
デス「うっ・・・・・・」
なにやら痛いところをつかれたらしく、デスマスクはひるんだ顔をした。
視線を明後日の方へ向け、
デス「俺だってこんなに長くここにいるつもりじゃなかったんだが・・・・・くそっ、こうなったのも紫龍がきちんと話を通しておかんから!」
老師「?紫龍がどうかしたかの?」
デス「何でもねえよ!」
猛然と鍬を振るい始めるデスマスク。
その畑の向こうに、小さな人影が現れた。
春麗「デスマスクさーん!」
デス「ん?ああ、あんたか」
春麗「遅くなりましたけど、はい、お昼ご飯です。紫龍とシュラさんは・・・」
デス「いつもの滝の前で修行しているぞ。先刻ちょっと微妙な問題が浮上していたが・・・・連れていってやるか?」
春麗「え?」
デス「あそこまで登るのはあんたには大変そうだからな。ほら、つかまれ」
春麗「え、あの、きゃ・・・!」
戸惑っている春麗を軽々と横抱きに抱え上げると、そこは腐っても黄金聖闘士、光速で崖を駆け上り、次の瞬間には紫龍達のすぐ脇に春麗をおろしていた。
春麗「あ・・・・あ・・・・」
紫龍「春麗?デスマスク?」
デス「お前らに昼飯届けに来たんだとよ。紫龍、帰りはお前が送ってやれ。じゃあな」
春麗「あ、デスマスクさん・・・!」
礼を言われる前に、デスマスクは再び光速で姿を消した。
春麗「・・・・・・・・」
紫龍「どうした、春麗?」
春麗「あ、ううん、あのね、あの人なんだか・・・最初会った時とはイメージが違うから・・・」
紫龍「フッ、彼もアテナの聖闘士。いつまでも悪に染まっている身じゃないさ」
シュラ「というかあいつの場合、初登場時と比べるといつでもイメージが違うのだがな」
春麗「・・・・・あ、そうそう。お昼ご飯。はい、紫龍。シュラさん」
紫龍「ありがとう、春麗」
シュラ「いつもすまんな、春麗」
春麗「いいえ、いいんです。それじゃ私これで」
紫龍「ああ、待ってくれ。送って行く」
春麗「ううん!いいの。下りは楽だし・・・修行の邪魔はしたくないの。一人で平気よ」
紫龍「しかし・・・・」
春麗「大丈夫。いつも通ってる道だもの。じゃあね、紫龍。また後で」
早口に言うと、彼女はすぐに下り道を駆けていった。
まるで、紫龍から離れようとしているかのように・・・・・
そう。変化はすでにこの時に始まっていたのである。