・・・不思議。この気持ちは一体何なのかしら。
 あの人は特に何をしてくれるわけでもないわ。ただ毎日畑を耕しているだけ。
 それなのに、
3時間で17ヘクタールを耕しつくすあの人の姿に、私の心はなぜかときめくの。
 もうもうと上がりまくる土煙の中、粉塵にきらめく銀の髪に、どうしても目を奪われてしまうの。
 一度聞いてみたい。
そんなに耕してどうするのか。
 大根を植えるの?それともカブ?
 どっちにしろ、植えたところで世話しきれるわけも無いわ。1ヘクタールは10キロ平方メートルなのよ。
 なのに、それでも頑張るあの人が、私・・・・
 



ガラッ

紫龍「春麗?」
春麗「!きゃっ!」

 突然背後からかけられた声に少女は飛び上がった。

春麗「し、し、紫龍!?」
紫龍「・・・なぜそんなに驚くんだ?俺が何かしたのか?」
春麗「なななんでもないわ!」

 あわてながら、後ろ手で今し方書いていた日記を閉じる。

春麗「もう、紫龍。女の子の部屋はちゃんとノックしてから入ってきてって言ってるでしょう?」
紫龍「あ、ああ。すまん」
春麗「どうしたの?何か用?」
紫龍「用というか・・・春麗、晩御飯は・・・・?」
春麗「え?あ!きゃあ!!」

 春麗は部屋を飛び出した。
 いけない!鍋を火にかけっぱなしにしてたんだったわ!
 紫龍も老師もシュラさんも、真っ黒焦げの煮物出したくらいじゃ文句の一つも言わない人たちだけど、しかも塩と砂糖間違えるどころか麺つゆとコーラを間違えてソウメン出しても何も言わずに食べてた人たちだけど、でも、でもあの人にだけは・・・あの人にだけはそんなものを食べさせたくない・・・・・・!

 ばんっ!!

デス「・・・・何やってたんだ、あんた」
春麗「あ・・・・」

 台所に飛び込んだ春麗の目に映ったのは、オタマで鍋をかきまわしている銀髪の男の姿だった。

春麗「デスマスクさん・・・・」
デス「ダシはとっといてやったぞ。つけっぱなしで出て行くんじゃねえよ」
春麗「す、すいません」
デス「あとは任せたからな」

 デスマスクはそれだけ言って、さっさと台所から出て行った。


あのひとは 鍋の火を止めてでていったの
さよならも告げずに・・・・
イモは焦げなかったわ
でも
私の心は焦げたの
         
         春麗、心のポエム


紫龍「春麗?」
春麗「・・・紫龍・・・・」
紫龍「どうしたんだ?ぼうっとして。最近何か変だぞ。熱でもあるんじゃないか?」
春麗「違うの・・・・ただちょっと、最後の『焦げたの』っていうのは自分でも微妙だと思っただけなの・・・・」
紫龍「?焦げた?」
春麗「いいの・・・すぐに晩御飯にするわね」

 春麗はそういって、弱々しく笑った。





 絶対何かおかしいと、紫龍は思っていた。
 変だ。ここ2週間というもの、春麗の様子がどんどん上の空になっていく。

紫龍「なあ、シュラ。春麗が変だと思わないか?」

 彼がとうとうその思いを口に出したのは、鍋焦がし未遂翌日の昼。シュラとの修行の一時休憩でのことだった。

シュラ「変?」
紫龍「ああ。なんというか、こう、心ここにあらずといったような・・・・。料理の味も変わった。前は麺つゆとコーラを間違えるなどということは絶対にしなかった」
シュラ「・・・そうか。これが中華料理なのだと自分を納得させていたが、やはりあれは間違っていたのか」
紫龍「うむ。本当の麺つゆならば口の中で弾けはしない。ちなみに翌日のマグロの山掛けも、本来使用するべきは山芋で、ホイップクリームでは無いはずだ。何があったんだ、春麗・・・・」
シュラ「何を食わされてるんだ俺・・・・;」
 
 紫龍は考え込んだ。
 自分の知っている春麗は、いつも明るくて、前向きで、とても強い心を持っていた。
 祈り一つで黄金聖闘士の足止めができるほどに。
 その春麗が、いまは微笑みの失せた顔で毎日物思いに沈んでいる。

紫龍「・・・何か心配事でもあるのだろうか。あるとしたら、どうして俺に打ち明けてくれんのだろう。早く打ち明けてくれんと・・・腹の具合も限界だ」
シュラ「こういうことなら俺に聞くよりデスマスクに聞いた方がいいのではないか?あるいは老師か・・・・」
紫龍「いや、老師は駄目だ。町へ行くついでにビオレの洗顔フォームを買ってきてくれと頼まれて乾物屋3軒を回り、結局『センガンフォーム』が何かわからず手ぶらで帰ってきたような方に、女心はわからんだろう。何を思ってそんな店を探し歩いたのか、俺には老師の心がわからん」
シュラ「・・・・・・・・」
紫龍「やはりここはデスマスクに聞くべきだろうな。すまん、シュラ。ちょっと行って来る」

 紫龍は駆けていった。





 デスマスクは今日も畑で、何やら種をまいたり雑草を抜いたりとマメに働いているところだった。
 こういうのを俗に世紀末現象というのだろうか。
 まあ、それはいいとして。

デス「んん?そりゃ、あれだろ、嫉妬だろ」

 春麗の様子が変なのだが、何でだかわかるか。
 そう聞いた紫龍に、彼がすぐさま答えたのがこの言葉である。
 
紫龍「嫉妬?」
デス「そうだろ。お前が久しぶりに帰ってきたのにシュラと修行ばっかしてるからつまんねえんじゃねえの?」
紫龍「そ、そうなのか・・・?しかし、俺の知ってる限り春麗はそういう時、きっぱりはっきり『もう戦うのはやめて』という人間なんだが・・・」
デス「そんなのは知らんけどよ。他に思い当たることないだろ」
紫龍「うむ・・・」
デス「な?だからお前も、馬鹿みたいに素振り2万回とかやってないで少しは相手してやれよ。今のままだとそのうち逃げられるぞ」
紫龍「そうか・・・?」
デス「そうだよ」

 断定するデスマスク。
 紫龍は首をひねりながら戻っていった。
 それと入れ違いになるようにして、今度は当の春麗がデスマスクの元へ弁当を届けにやってきた。

春麗「デスマスクさん、お弁当です」
デス「お、サンキュ」

 包みを受け取りながら、男はじっと彼女の顔を眺める。

春麗「な、なんですか?」
デス「いや・・・・あんたもな、ヤキモチやいとらんで少しは紫龍の気を引く努力をしたらどうだ?」
春麗「え・・・?」
デス「老師にねだって可愛い服の一つや二つ買ってもらえよ。みつあみもダセえし・・・切ってショートにしたら?似合うんじゃねえ?」
春麗「!」

 春麗の頬にさっと血の気が上った。
 そして、

春麗「し、失礼しますっ!」
デス「あ、おい・・・」

 一声叫ぶように言い残して、ダッシュでその場から逃げ去ったのであった。
 後に残されたデスマスクは、しばらくの間ぼけっと後姿を見送っていたが、やがて、

デス「・・・・・あー、また言い忘れた」

 とつぶやいて、腹立たしそうに頭をがりがりと掻いた。





ショートカット ショートカット ショートカット
月の光にゆらめく 乙女心の夜に
あなたのくれた言葉を リフレイン・ラブ
サブリミナルは 100%
ああ、はやく私を連れて行って


                        春麗、一日のポエム


 ・・・十年後に読んだらその場で首を括りたくなる、しかしこの日記を抹消するまでは一流スナイパーに命を狙われても死ねないと思う、そんな思春期の少女特有の過ちを書き留めて、春麗はため息をつく。
 外は夜。
 さっき風呂を沸かしたところだ。これで一日の自分の仕事は終わったから、ゆっくりと日記をつけていたのだ。
 手元の文字を見直す。
 ・・・・だめ。こんな言葉じゃ、私の心をあらわしたことにはならない。
 もっと何か、違う風に書きたいの・・・
 春麗はもう一度ペンを走らせた。


yo!yo!ショートだ yo!
ムーンライトにあいつもgo!
サブリミナル効果はチェキラッチョ! hey、チェキラッチョ!


                         春麗、一日のポエム・ラップ調


 ・・・・いけない、何が何だかわからなくなってきたわ。なんなのこの歌・・・・
 自分の生み出した一作に、いろんな意味で呆然とする春麗。
 が、呆然としたついでに思い出した。
 私、お風呂場にタオル出しておくの忘れたんじゃないかしら?
 出てきたとき、紫龍が困るわ。
 っていうか、全然気にしないで濡れた体に服を着そうなのが逆に困るわ。
 それに、きっとデスマスクさんも困る・・・・

春麗「・・・出しておかなきゃ」

 春麗は急いで立ち上がり、箪笥からタオルを二、三枚取り出すと、風呂場に向かった。
 廊下を歩いていくと、湯気の匂いが濃くなった。
 もう誰かが入っているらしい。
 今のうちに・・・。そう思って脱衣所の戸を開けたら。

デス「うおっ!」
春麗「!!!!!」

 ・・・・・・・・・・湯上りの蟹がそこにいた。

春麗「・・・・・・・・・・・・・!」
デス「・・・・なんだ?何のようだよ?」
春麗「タオ・・・タオル・・・・・持ってきました・・・」
デス「その辺にあったの使ったぞ。悪かったか?」
春麗「い、いえいえいえっ」

 大丈夫、デスマスクはちゃんとズボンは履いていた。
 上半身は裸だったが、春麗を硬直させたのはそのことではない。

春麗「・・・・・・・・・」
デス「・・・・・・・?俺の顔になんかついてるか、オイ」
春麗「・・・・・・・・・・いえ・・・・その・・・・・かみが・・・・・」
デス「髪?・・・ああ、洗ったからな」

 無愛想に言う男の銀髪はいつもはあらぬ方向に逆立っているはずだったが、風呂からでたての今はしっとりと濡れて下に向いていた。
 要するに早い話、前髪が出現していた。
 イメージが違うというか、これはもう別人28号。まっとうな人間に見える。
 春麗はひたすらタオルを抱きしめたまま固まっているしかなかった。
 と、デスマスクはそんな彼女を一瞥し、にやりと笑うと、

デス「おい」
春麗「は、はいっ!」
デス「廬山の女は、人の着替えを覗くのが趣味か?」
春麗「!!!」

 ・・・春麗が脱衣所を飛び出して部屋まで逃げ帰ったのは言うまでも無い。





デス「おー、風呂あがったぞ」

 デスマスクが服を着て戻ると、シュラと紫龍は一瞬びっくりした顔をする。

シュラ「おう。・・・毎度毎度思うが、髪を下ろすと全然違うな、お前は」
デス「そうか?どっちがより男前だ?」
シュラ「知らん」
紫龍「あの逆立つのは地毛ではなかったのだな」
デス「天然であんな逆立ち方するわけないだろが。毎朝苦心してセットしている俺の努力を忘れるな」
紫龍「・・・しかしそんなものを覚えておくのも・・・・」
シュラ「手入れに時間がかかるなら下ろしておけばいいではないか。時間の無駄だろう?」
デス「けど、おろしといたら蟹マスク被るときに邪魔なんだよ。お前みたいにオンザ眉毛にする気はないからな、俺は」
シュラ「・・・・ほっとけ」

 デスマスクがいないあいだに、部屋ではささやかな飲みが行われていたらしかった。
 開けられた缶がいくつか。まだ開けられていない缶がいくつか。

デス「・・・なんだぁ、紫龍はまたジュースかよ」
紫龍「当然だ。俺はまだ子供だからな」
デス「つまんねえ奴。いっぺん吐くまで酔ってみるのも人生経験だぞ」
紫龍「二十歳をすぎたらやってみよう」
デス「ほんとつまんねえ奴」

 ぼやきつつ、缶の一つを開けて一気に喉に流し込む。

シュラ「ところでデスマスク」
デス「んん?」
シュラ「お前、ここ数日・・・というか、来てから毎日ひたすら畑仕事をしているようだが、用があるのではなかったのか?もう済んだのか?」
デス「・・・・・いや」
シュラ「何をしたい」
デス「・・・・・・・・・・・別にお前に関係ねえ」

 急にばつの悪そうな顔になったデスマスクは、缶を空けながらふっとそっぽを向いて、答えようとしなかった。





 その夜、春麗は眠れずにいた。
 目を閉じると銀の髪がまぶたに浮かんでくる。
 ポエムを作る意欲もわかなかった。それどころではなく、胸が苦しい。
 ずっと、紫龍と一緒にいた。紫龍だけがこの世でたった一人大切だと思っていたのに。
 あの人は紫龍と全然違う。
 紫龍は優しいけど、あの人は優しそうには見えない。
 紫龍はとても礼儀正しいけど、あの人は老師にタメ口。
 きっと、紫龍の方がずっとずっといい人のはずだ。彼はいつでも、自分に優しくしてくれるから。
 だが毎日甘いものを食べていると不意にカレーが食いたくなるのもまた、自然の摂理ではあった。

春麗「・・・・・・・・・」

 駄目だ。眠れない。
 春麗は起き上がった。もう真夜中過ぎだ。早く眠らなければ、明日の仕事に差し支える。
 気分を変えるために、すこし散歩でもしてこようかな。
 そう思って外に出た。



 夜の庭は三日月が冴え冴えと光を投げかけて、とても清らかだった。
 が、出てきたのは失敗だった。
 すぐ先の方に、問題の男が腰掛けて一人で酒を飲んでいたのだから。
 彼はこちらに気づいていたようだった。

デス「・・・よう」
春麗「こんばん・・・・は」
デス「寝ないのか?」
春麗「あなたこそ」

 空気が静か過ぎるからだろうか。春麗は落ち着いていた。
 デスマスクはまだ前髪を下ろしたままにしていた。

春麗「・・・お月見ですか?」
デス「酒飲んでるだけだ」
春麗「こんな夜中まで飲んでいたら、体に悪いです」
デス「・・・んなこと言われたの初めてだな。安心しろよ、俺はこのくらいじゃなんともねえから」
春麗「でも、やっぱりいいことではないです」
デス「よくねえことしかしねえんだよ、俺は」

 言葉の意味をはかりかねて、春麗は黙った。
 と、デスマスクが唐突に言った。

デス「あんた、滝つぼに落ちたことがあるだろう」
春麗「え?」
デス「紫龍が聖域に戦いに言ってる最中。あんたが祈ってたら急に体が浮いて廬山の大瀑布に吸い込まれたことがあっただろ?」
春麗「あ・・・・はい。・・・・・・どうして知ってるんですか?」
デス「あれは俺がやったんだ」

 男は顔をこちらに向けた。

デス「・・・あんたを殺そうとして、俺がやった」
春麗「・・・・私を?」
デス「ああ」
春麗「なぜ?」
デス「あんたの祈りがうっとうしかったんでな。俺が紫龍を殺すのを邪魔して仕様がなかったから、消してやろうと思ったんだよ」

 風がひゅうと二人の間を抜き去っていった。

デス「恐かったか?」
春麗「え?」
デス「滝に落ちたとき、恐かったか?」
春麗「・・・・・はい」
デス「・・・悪かったな」

 言ったそのあとで、彼はふっと苦笑した。

デス「なんであんなに腹たったんだかな。・・・・俺には祈ってくれる人間がいないせいか」
春麗「・・・・・・」
デス「俺の用はこれで済んだ。聞こえたろ?悪かったって」
春麗「はい・・・・」
デス「なら、もういい。俺はあした、ギリシャに帰る」

 ・・・ということは。
 彼は、自分に謝罪するためにここへ来たのか。
 そう気づいた春麗が立ち尽くしているうちに、男は立って部屋に戻りかけていた。
 とっさに、声が出た。

春麗「デスマスクさん!!」
デス「お?」
春麗「私・・・私があなたのために祈りますから!い、一生懸命・・・心をこめて・・・・」

 なぜだか涙が沸いてくる。ああ、もうだめだ。

春麗「・・・あなたが好きです」

 ・・・それを言ってしまってから。
 春麗は自分の頬が火の様に熱くなったのを感じた。
 絶句したデスマスクをその場に残して、彼女はこれでもう何度目かの逃走をしたのだった。





 ダンダンダンダンダン!ガラッ!!!

デス「シュラ!!起きろ!!ねてんじゃねえ!!!」

 暗い部屋の中、必死のひそひそ声に叩き起こされたシュラは、目の前に未だかつて見たことの無いほど真剣な顔をした友人を見た。
 一瞬で覚醒する。

シュラ「なんだ。何が起きた」
デス「声出すんじゃねえ。紫龍が起きる。・・・・おい、俺は今すぐギリシャに戻る」
シュラ「何?ギリシャで何かあったのか・・・!?」
デス「違う。起こったのはここだ。いいか、後はお前に任せるからよろしく頼むぞ!」
シュラ「頼むとは、何を?」
デス「春麗が俺に惚れた」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シュラ「!おまえはどうしてそういうことばかり俺に巻き添えを食らわしてどうしてそう・・・!!」
デス「文句は後で聞く!俺だって何がなんだかわかりゃしねえ!とにかくこんなことが紫龍や老師にばれたら俺は間違いなく殺される!!既に孫の名前まで考えてる老師だからな・・・真剣にやばい!」
シュラ「おい、そんなやばい状況下に俺を置いていくのか!?ふざけるなよ貴様・・・・!!」
デス「仕方ないだろうが!これ以上俺がここにとどまったら事が大きくなる一方だぞ!半殺しですめばまだしも、下手すりゃ強制的に入り婿にさせられるかもしれん!!それだけは死んでも嫌だ。シュラ、お前は残って何とかして春麗の気をそらせ!いいな!」
シュラ「いいものか!!帰るのなら俺も連れて行け!」
デス「馬鹿!二人一緒に消えたらロコツに怪しいだろうが!頼んだぞ!じゃあな!」
シュラ「ちょっ・・・!待てこら!!」

 しかしデスマスクは待たなかった。
 絶望的な顔の友人を振り向きさえせず、その晩のうちに廬山の滝へ消えていった。



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